巡るキオク〜絶望少年ルキア、ブン太とルナ〜

第19話

 白い光に包まれながら、由希はもがき腕を伸ばしてくる。伸ばしたって届きはしないのに。届いたとしても、暗闇と同化している僕に……触れはしないのに。


「……記憶を……返せ」


 由希が力なく倒れ気を失った。僕と同じ顔に浮かぶのは苦しみか。

 苦しみ続ければいい。

 僕の苦しみの記憶を知らない……もうひとりの僕なんて。


 お母様の中にいれば幸せだった。いつかもう一度、僕に命が宿ることを願っていられた場所。

 だけど新しい命がお母様の中に宿り、僕は抵抗を許されず命の中に落とされてしまった。


『ひとつの命となって生きていきなさい』


 僕を包み込んだ声。

 あれは……神の声だったのか?

 だが……


 他の誰にもなりたくない。

 僕として生きるんだ。

 僕は……僕なんだから。


 僕にとって苦しみでしかなかった由希の中。家族みんなが由希を愛し笑っている。

 僕も愛されるはずだったのに。

 僕が悲鳴を上げ、絶望の闇に捕まった由希が事故に遭うまで、僕は由希の中から出られず足掻き続けた。

 僕に自由をくれた絶望の闇。

 命と体をくれたのは、絶望庭園を統べるセレスという名の姫君。黒いドレスを纏い、仮面で顔を隠す姫君のそばには、女のような顔立ちの青年が立っていた。


『思いのまま生きるといいわ。私はここで……あなたを愛し続けていくから』


 姫君の声の冷たさは、表情かおを隠す仮面がそう感じさせただけだろう。色味のない銀色の輝きが。

 絶望庭園で過ごす中、青年はリフという名の姫君の主治医であると知った。

 リフはいつも穏やかに微笑んでいる。僕が両親のように慕う姫君とリフ。

 絶望の闇は僕に生きる場所をくれた。

 灰色の肌は憎しみの色。

 由希と同じ顔は、僕が憎しみを忘れないための……姫君がくれた優しさなんだ。

 僕は憎しみと共に生きていく。

 姫君とリフが愛してくれる限り。


「返せるもんか。……僕の命と体になった記憶ものを。僕は……僕だって……愛されて生きている」


 壊れていく暗闇と、夕暮れの中猫の威嚇する声が響く。

 絶望庭園から逃げた猫か。

 あの猫がいなくなった時、住人達は騒ついていた。姫君に愛され、総ての自由を許された場所。猫は何を思い、絶望庭園から逃げ出したのか……


「……由希?」


 ドアが開きお婆様が入ってきた。

 お婆様から滲み見える優しさ。家族として生まれていたら、僕も由希のように……お婆様に甘えることが出来たんだ。

 由希に近づいたお婆様の微笑みは、温かな痛みとなって僕を貫いた。


「由希? ……由希、起きれる? 晩御飯が出来たのよ。……由希」


 由希は体を起こし、『ご飯なの?』とお婆様に話しかけた。窓を染める夕焼けを不思議そうに眺めながら、由希はお婆様と一緒に部屋を出る。

 夕焼けはもうすぐ、夜の闇に飲まれていくだろう。猫が壊せるのは絶望の闇だけだ。

 これから訪れる夜の闇は長い。

 僕を包む暗闇には、終わらない自由があり続ける。暗闇には……過去も今もない。


 テーブルに並ぶお婆様の料理。

 湯気を立てる肉じゃがと野菜炒め。野菜炒めを彩るざく切りの赤ピーマン。

 お婆様が作ってくれた料理の味を、今もよく覚えている。調味料を使ってるのか? と思うほどの味の薄さ。それでも美味しかったのは、お婆様の優しさが料理に染み込んでいたからだ。


「八重婆ちゃん、赤いものなぁに?」

「人参の代わりを探して、見つけたのがこれだったの。驚くかしらねぇ……ピーマンよ」

「ピーマンって緑じゃないの? 八重婆ちゃんの頬っぺについてるの、ピーマンかな?」

「おや、切ってる時についたのかしら。凛子さんがいたら、笑われてたわねぇ……うふふ」


 手に入れるはずだったひと時。

 温もりと幸せに包まれるはずだった僕。お母様の中で命を閉ざされなければ……僕は。


「……ルキアって名前だったか。 出てくるなり感傷に浸りやがって。何しに来た……馬鹿宮への憎たらしさが嫉妬に変わったか?」


 頭の中に響く声がある。

 木野瀬ブン太。

 猫と行動を共にする少年か。

 猫が見るものや聞くことを共有し、猫の力を使い語りかけてくる……だが。

 にそんなことが出来るものか。

 

「……僕がどうとか考える前に答えろよ。絶望庭園の住人が何しに来た?」

「用なんてないよ。由希がわめいてうるさいからね。……僕を見れば黙ると思っただけだ。残念だな……あの猫がいなければ、由希の命は絶望の闇に飲み込まれてたのに」

「……馬鹿宮と同じ正直者か。ルナがお前から読み取るものは何もない。感傷に浸る以外は」

「君も猫も、悪趣味なことはやめるべきだ。僕の質問に答えてもらおう……君は何者だ?」

「……馬鹿宮の同級生。今朝会ったばかりだけどな」


 登校途中の由希を彼は突き飛ばした。たぶん……猫の力で彼には見えたんだ。由希の中に秘め隠された僕の憎しみが。

 猫が察したのは、絶望庭園から忍び寄る絶望の影。

 彼は由希に言っていた。

 猫と一緒に、絶望の闇を潰し続けていると。絶望の闇に、大切なものを奪われたのは由希と同じだと。

 由希のことを探ろうとして、彼はあえて突き飛ばしたのか?


 佐藤くるみ。


 彼が彼女に近づいたのは、絶望の闇を遠ざけようとするためか。傷つき悲しみに包まれた心に、絶望の影が落ちてこないように。

 彼は……何者だ?


「ニャーオ」


 僕を見上げて鳴いた猫。

 僕と同化した暗闇以外は壊しきったのか。夜の闇は……まだ降りて来ない。


「八重婆ちゃん、新しい絵本描いてるの?」

「少し前に描き終えてから休んでるわ。由希と春奈を見ているのが楽しくてねぇ。そうそう、くるみちゃん。私の絵本を読んでくれてるのね」

「うんっ‼︎ クマのピーターのお話‼︎ ねぇ八重婆ちゃん、くるみちゃんに読んでほしい絵本……一緒に考えようよ」


 お婆様の絵本か。

 由希の中でいっぱい読んだのに、描かれていたものを思いだせない。流れ込む由希の想いに潰されそうだったんだ。


 幸せで

 嬉しくて

 楽しくて


 由希の想いの総てが僕と正反対だったから。


 辛くて

 悔しくて

 苦しくて


 愛されたかったなぁ。

 僕だって愛されたのに。

 愛されて……愛せたのに‼︎


 ピキピキと音を立てる暗闇。

 僕と同化する暗闇が壊れ始めた。

 壊しているのは、猫が放つ光なのか……僕の苦しみなのか……

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