第18話

 屋上で出会った白い毛と黒い目の奇妙な猫。

 木野瀬に言われるままいなくなったのに、どうしてここにいるんだ?


「……ルナ、絶望の闇を潰せ。馬鹿宮は傷つけるなよ」

「ニャーオ」


 鳴き声を上げた直後、ルナの体を包んだ白い光。眩しさに目を細めた直後、僕が感じたのは首に巻きついたものと、腕を掴んだものが砕け落ちていく感覚。

 暗闇の中、ルナの他には何も見えない。オルゴールのような音が消えた代わりに、ルナの威嚇する声が響きだした。


「由希、大丈夫? 体は動かせる?」

「うん。あの猫……どうして」

「……ルナはお前と同化して監視してたのさ。お前を包む憎しみの存在を。何かわかるな? 生まれるはずだった命……そいつは絶望の闇に飲まれながら、憎しみに執着し続けた。今もお前を憎み続けている」


 木野瀬の話に言葉を失った。

 今も憎まれている?

 大切な……家族になるはずだった存在に……僕は。




 ……。

 ……。


 奇妙な静寂が訪れた。

 命の声だけが耳に響く。


 ……。

 ……。


 何かを言っている。

 なんだろう……よく聞こえないな。


 ……。

 ……。


 ちゃんと聞かなくちゃ。

 憎まれてるなら、話し合ってわかりあっていかなきゃ。

 命の声を……聞かなくちゃ……


「馬鹿宮‼︎ お前は自分から絶望を選ぶのか‼︎」


 木野瀬は何を言ってるんだ。僕はわかりあおうとしてるのに。話し合えれば……わかりあえれば、変わっていくものがあるんだ。


「耳を傾けるな‼︎ お前はその声を聞き続けていたな。そいつは絶望の闇と繋がっている。過去も今もない厄介な暗闇とだ。……わからないのか? お前はその暗闇を、自分で引き寄せたんだぞ‼︎」


 暗闇……?

 僕が引き寄せた?

 ここは由希が眠りについてからの、見えなくなった世界じゃなかったのか?


「……馬鹿宮は何処までも馬鹿なんだな。過去のお前が何をしていようと、見ているお前には関係ない。……ルナに監視させてなければ、佐藤はどうなってたか」

「佐藤? なんだよ……何が言いたい」

「過去が変わればどうなると思う? ……過去ここで佐藤が死ねば、元の世界の佐藤も死ぬぞ」

「死ぬ⁉︎ まさか、そんな」

「……正確には消滅か。過去に死んだ人間は今に存在出来ない。過去が変わり戻って来たお前にあるのは、佐藤くるみを殺した絶望。お前を憎む存在は、歓喜の声を上げるだろうな」


 ひび割れだした暗闇の中、ルナの白い体が光輝く。ひびの先に見える赤い光は……夕焼け?

 由希が眠る部屋を染める温かい光。

 この暗闇は……僕が呼び寄せた絶望の闇。僕の記憶を飲み込んだものを僕は……自分で。


「……記憶?」


 そうだ、飲み込まれた記憶は?

 暗闇の何処かに、少しでも残ってるとしたら。

 探さなきゃ。

 過去を知るだけじゃ駄目だ。

 大切なものを取り返さなきゃ。

 暗闇のカケラを集めなきゃ‼︎


「由希君、どうしたの? 由希君‼︎」


 わからないのかモカ。

 探すんだよ、僕の記憶を。

 探して取り返すんだ‼︎


「ルナ、もうやめてくれ‼︎ 壊すな……僕の記憶がっ‼︎」


 僕が呼び寄せた暗闇。

 こいつは答えてくれるだろ? 僕は命の声を聞こうとしたんだ……何を言おうとしていたのかを。だから僕の願いだって届くだろ。

 記憶を返してくれっ‼︎


「やめろ……僕の記憶がっ‼︎」


 ひび割れ、砕けていく暗闇のカケラ。それは脆く砂のように崩れていく。ルナが放つ光と、夕焼けに包まれだした暗闇は残酷な眩しさを放ちながら壊れていく。

 僕の記憶も……暗闇の中で壊れてるのか。


「ルナ……やめてくれっ‼︎ やめるんだっ‼︎」


 由希の寝息が聞こえる。

 奪われた記憶を取り返さなきゃ。

 取り返して……思いだすんだ。


「ルナッ‼︎ やめろって言ってるだろっ‼︎」

「由希君……由希君っ‼︎」

「落ち着きなさい由希、記憶がどうしたの?」

「記憶。……記憶を……返せっ‼︎」



「……それは出来ない」


 暗闇から響いた声が、僕の鼓動を早まらせ戸惑いを呼んだ。

 今の……僕と同じ声。


 ルナが放つ光と、夕焼けに染まる暗闇の中光輝くものがある。

 光の中に見える灰色の人影。

 僕と同じ顔の……少年。


「はじめまして、もうひとりの僕。……僕はルキア、絶望庭園の住人だよ」


 同じ顔が笑った。

 ルキア?

 絶望庭園の……住人?


「返せないよ。君の記憶は、絶望の闇の何処にも存在しない。……どうしてかって? 僕の命と体になっているからね。生まれるはずだった……命と一緒に」

「え?」


 少年の体が暗闇に同化していく。

 あいつが……僕の記憶?


「僕は君を憎み続けるために……生まれてきた」

「どういうことだ、お前が僕の記憶だなんて‼︎ 返せ‼︎ 記憶を……返せよっ‼︎」

「……ルナ、馬鹿宮を眠らせろ。落ち着かせるんだ」

「ニャーオ」


 ルナが鳴いた直後、僕の体を白い光が包みだした。眠らせるってなんだよ。

 記憶を取り返すんだっ‼︎

 邪魔するな……木野瀬っ‼︎


「……助けてやってるのに、邪魔するなはないだろうが。……臆病者は、いつまでルナを怖がるつもりだ? ルナは馬鹿宮にも、月の住人達にも手出しはしない」

「ボクは……闇に飲まれない? 由希君を助けてくれるの? ほんと?」

「……馬鹿宮が馬鹿宮なら、臆病者も臆病者だな。馬鹿宮を眠らせたら、現れた絶望の闇はルナが潰しきる。ルナが馬鹿宮のそばにいる限り、襲われはしないし過去も変わらない。頭を冷やした馬鹿宮が、過去に何があったのかを知れば……元の世界に帰ってくるだろ」

「よかったぁ。……君も猫も……悪い子じゃないんだね? よかったぁ」


 モカの舌ったらずな声に滲む安堵感。

 モカの奴、なんであっさり流されるんだ。お前が使えるだけの魔法で力を貸してくれよ。

 記憶を取り返すんだから。


「ニャーオ」


 ルナが鳴いた直後、何かが僕の瞼に触れた。……見えるものが閉ざされ何も聞こえなくなっていく。


 ふざけるなっ‼︎

 僕は……記憶を……

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