巡るキオクと絶望の闇

第14話

 🧩🧩


 桜宮商店街。

 母さんは和菓子屋の前で足を止めた。八重婆ちゃんが生きていた頃、何度か連れてきてもらったことがある店だ。


「……家に帰れば、八重婆ちゃんに会えるんだ。なんだか夢みたいだな」

「私は不思議な気持ち。私の幸せに……もう一度巡り会えるなんて」


 店に入ると、カウンターに立つ老人がにこやかに笑った。

 真っ白な髪と藍色の着物。

 老人の隣に立つ女性が『いらっしゃいませ』と頭を下げ、応えるように母さんは微笑んだ。


「八重さんへの土産だね?」


 どら焼きを選んだ母さんに老人が声をかけた。温かみのあるしわがれた声で。


「はい、それと春奈にも。……何がいいかしら、ケーキみたいなもの」


 店内を歩く母さんの声は弾んでいる。千歳さんとのひと時は、母さんにとっても貴重なものだったんだな。


「嬉しいことがあったんです。ふたりにお礼をと思いまして」

「凛子さん、誕生日だったのかい?」

「私が生まれたのは冬ですよ。ちょっとした出会いがあって……お爺さん、誰かに出会った日も記念日になるかしら」

「なるとも。僕は長いこと日記をつけているが、人との出会いを沢山書いてきた。いつどんな風に出会ったかを、喜べるのは幸せなことだよ」


 カウンターを出て、店内を歩いた老人が母さんに勧めたのは大福餅。


「春奈ちゃんにどうだろう。 カスタードクリームが入ってるから、ケーキみたいなもんだと思うがね」

「ありがとうございます。これ、喜ぶんじゃないかしら」

「そうかい。……凛子さんの記念日祝いに、どら焼きと大福は僕からのプレゼントにしよう」

「そんな、お爺さんったら」


 驚く母さんを前に、老人は愉快そうな笑い声を上げた。由希は母さんのそばで老人を見上げている。


「いいんだよ。凛子さんも八重さんも、有り難い常連客なんだから。その代わり、家内には内緒だよ。君も黙っててくれ、名前は……なんだったかな」

「田村です」

「そうだった。彼女は2日前から働いてるんだ。歳を取るとなかなか覚えられなくて……悪かったね田村さん」


 カウンターから出た田村さんが、どら焼きと大福を袋に入れてくれた。母さんが受け取ると、老人はうなづきながらカウンターに戻っていく。親切にしてくれる老人の名前は……そうだ。


「八重婆ちゃん、お爺さんなんて名前だったっけ」

「由希ったら。坂城国光さかきくにみつさんよ」

「国光さん……か」


 呟いた僕を包んだ寂しさ。

 ここは、由希の中で見てる過去の世界だ。

 国光さんは亡くなり、彼の息子夫婦が店を継いでいると母さんから聞いている。八重婆ちゃんは今、国光さんをどんな気持ちで見てるんだろう。

 懐かしさと寂しさに包まれてるのかな。


「ありがとうございます。お義母さん、執筆が落ち着いたら来るんじゃないかしら。田村さん、これからもよろしくお願いしますね」

「はいっ。こちらこそ」


 母さんと手を繋ぎ店を出た。家に帰れば八重婆ちゃんに会える。温かく優しい笑顔に、由希の中でもう一度会えるんだ。


 🧩🧩


 商店街を出て住宅地を歩く。

 小さな体で見上げる家はひとつひとつが大きくて、何処かから聞こえる犬の声に由希の体がピクリと揺れた。


「お母さん、背中が」

「どうしたの?」

「ちょっとだけ……痛い」

「看護師さんとぶつかった時の。我慢してたの?」

「うん。黙ってないと、くるみちゃんと話せなかったでしょ?」


 病室を出る前に、由希は佐藤の寝顔を見つめていた。絵本を読み終えるなり『由希君』と声をかけてきた千歳さん。


『君のお婆ちゃんは、いつから絵本を描いているの?』

『わかんない。でも、お婆ちゃんの絵本はいっぱいあるんだ』

『そう。くるみと一緒に集めてみようかしら。由希君が好きな絵本を、今度教えてくれる?』

『いいよ』

『ありがとう、約束ね』


 千歳さんの笑顔を見ながら病室を出た。母さんが知人を訪ねてから病院を出て、タクシーに乗っての商店街までの帰り道。


 佐藤の部屋の本棚には、今も八重婆ちゃんの絵本が並んでるのかな。千歳さんと一緒に何冊集めたんだろう。

 元の世界に戻ったら佐藤に聞いてみよう。泣かせたことを許してくれたら、話せることがいっぱいある。

 僕とモカが話せることも、モカが月の住人だってことも教えなきゃ。

 モカの奴、元気になったら佐藤の部屋を散らかしそうだな。早くゲージを準備するよう……だけど、閉じ込めるのは可哀想かな。


「あれ? ……八重婆ちゃん、あそこにいるのって」


 見覚えのある人物が、電柱のうしろに隠れてるのが見える。

 見えてるし隠れてるとは言えないけど、本人は真剣そのものだ。


「春姉ちゃんっ」


 由希が話しかけるなり、隠れていた人物は満面の笑顔で近づいてきた。

 小学生の時の姉貴。

 こんなところで何してるんだ?


「ゆ〜君、お帰りっ‼︎ ……おかえりんご、おかえリンカーン。……おかえ臨海学校」


 駄洒落まがいの何かを呟く姉貴。黙って見上げる由希を、気にする様子もなく『ぷくくっ』と笑いだした。

 母さんは姉貴が、僕を喜ばせるためになんでもするって言ってたけど、こんなことで喜べるほど僕は単純じゃない。


「春奈ったら、何してるの?」

「何って、ゆ〜君の出迎えじゃない。なかなか来ないから……私、どれくらい隠れてたんだろう」


 人差し指をこめかみにあて、姉貴は大真面目な顔で考えだした。出迎えなんて玄関先でも出来るのに。

 電柱に隠れるなんて、誰かに変に思われるとか考え…………ないからやるんだよな。


「もちろん、ゆ〜君の出迎えだけじゃないよ? お母さんも……と言いたいところだけど、お母さんが出かけるとお土産があるじゃない?」


 姉貴は両手を腰にあてるなり、不敵な笑みを浮かべた。小さな頃のこととはいえ、馬鹿みたいな姉貴の行動。これ……ほんとに僕のためなのか?


「今日のお土産なぁに? シュークリーム? バームクーヘン? 商店街で評判の……チーズケーキッ‼︎」

「お土産はあるけど、それより嬉しいニュースがあるのよ」

「ニュースゥ? ニュース……ニューするめいか……ニュースコッチケーキ。ぷくくっ」


 姉貴を見る由希は何も言わない。この時から僕は、姉貴の行動に呆れてたんだな。

 ニュースって母さん、佐藤のこと姉貴に話すつもりなのかな。

 なんだか……嫌な予感がするんだけど。

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