第9話

 由希を見ている佐藤。

 由希が見ているのは佐藤が閉じた絵本。パステルカラーで描かれたぬいぐるみ達……八重婆ちゃんの絵だ。

 描かれているのは人形とぬいぐるみの想いが生きている世界。人間ひとに愛された幸せと、捨てられた悲しみが生み出した場所。

 主人公はピーターと呼ばれるクマのぬいぐるみ。人形とぬいぐるみ達は、ピーターのまわりで思い出を語り合っている。


「八重婆ちゃんが見てた世界だと思うと、不思議な感じがする」

「人形達もぬいぐるみ達もピーターに色々なことを話してた。ピーターはにっこり笑うぬいぐるみ。みんなはピーターの笑顔が大好きで……知っていたのよ。ピーターが自分のことを語らないのは、捨てられ泥だらけになった姿が悲しいからだって。……みんなはピーターを囲んで話し続けてた。ピーターの悲しみが消えていくのを願いながら」

「パズルの力で僕はあの世界に行ける。ピーターに会えるかな」

「そうね……その時は、モカも連れて行きましょうか」


 ピーターと何度も絵本の中で出会っていた。泥だらけのまま笑っているピーター……今も、仲間達の話を聞いてるのかな。僕がピーターに出来ることは、幸せを取り戻したピーターの新しい物語を描くこと。

 だけど今は……


 ——やっぱり八重婆ちゃんの絵本だ‼︎ どうしよう、どんなこと話してみようかな?


 由希の弾む想いが僕に流れる。

 佐藤を前に笑ってるんだろうな由希こいつは。だけど由希を見る佐藤に笑顔はなく……そりゃそうだろう、知らない奴にいきなり話しかけられたんだから。


「この絵本描いたの、僕のお婆ちゃんだよ」

「そうなの? ……すごいね」


 佐藤の目が絵本に流れ、細い指が表紙のピーターを撫でた。由希はベンチに座り指が動くのを見つめている。


「ピーター好き?」


 由希の問いかけに佐藤はうなづいた。ピーターを見る顔に笑顔はないし……今の佐藤と違う感じだな。


「好きだけど……嫌い」

「どうして? ピーターいい子なのに」

「友達がいっぱい。私……友達が」

「くるみちゃん、病室に戻りましょう」


 看護師の声に佐藤は首を振った。看護師の胸元に見えた名札……丸美まるみさんって苗字だよな。ぷっくりなのは見た目だけじゃなかったのか‼︎


「くるみちゃん、言うことを聞いて」

「私……ここにいる」

「駄目よ、病室に戻りましょう」


 佐藤は首を振り続けた。

 今の佐藤と違う。彩音と一緒にいる佐藤とは……僕に話しかけた佐藤とは。


「友達が」

「何言ってるの? いつ来るかわからない友達なんて」

「待ってよおばちゃんっ‼︎」

「おっおばっ」


 由希の大声に、丸美さんの丸い顔がひきつっていく。おばちゃんと呼ばれる歳じゃなかったんだろうな。僕は悪気もなくひどいこと言ってたんだ。


「くるみちゃんと話してるんだよ。もう少し待ってて‼︎」

「私達看護師は、ひとりの患者に構っていられないの‼︎ さぁ、くるみちゃんっ」

「待ってってば‼︎」


 由希はベンチから立ち上がるなり、佐藤の手を握った。背中に走る痛みが由希の体を震わせ、佐藤の手から絵本が滑り落ちた。


「待っててくれなきゃ、くるみちゃんと出てく‼︎」

「ちょっと、坊やもすぐに戻らなきゃ」

「僕達がいなくなったら、おばちゃんもっと困るんだから‼︎ だから待ってて‼︎」


 丸美さんががっくりと肩を落としたのは、おばちゃんと呼ばれるショックが強すぎるのか。『少しだけよ』と呟いた声に滲む悲壮感。丸美さんはふらつく足取りで離れていった。

 佐藤は絵本を拾うなりベンチに座り込む。


「どうしたのくるみちゃん。友達が何?」

「友達……作りたいな。外で遊んだことなくて、ずっとひとりだから」


 そういえば、今の佐藤より細くて顔色もよくないな。小さな頃の佐藤は体が弱かったのか。


「絵本の中で、ライオンのぬいぐるみが言ってるでしょ? 『勇気を出してごらん』って。外に出なきゃ友達を見つけられない。怒られるのは……怖いけど」


 ライオンはピーターに言っている。『勇気を出してごらん』と。それはピーターが語りだすことで、悲しみが遠のいていくのをライオンは知っているからだ。

 ライオンも語ることで悲しみから遠のいた。ライオンの悲しみは大好きだった持ち主に、たてがみを切り刻まれ顔に落書きされたこと。


「友達ならいるよ」

「え?」

「僕が、くるみちゃんの友達」


 心に突き刺さる痛みと後悔。

 僕は佐藤に友達だって言っていたのか。

 どうして忘れてたんだ?

 僕は自分から佐藤に話しかけてたのに……友達だって言ってたのに。

 こんな大事なこと……なんで思いだせないんだ?


『僕達は、同じクラスってだけで親しくはないし』


 僕が言ったことを、佐藤はどんな気持ちで聞いた?


「友達? ……君が?」

「うん。僕は由希っていうんだ、くるみちゃん」

「ゆき? 真っ白な雪?」

「違うよ。ちょっと待ってて」


 由希は駆け出し、建物の前に立つ丸美さんに近づいていく。丸美さんが由希を見て笑っているのは、おばちゃんと呼ばれることへの諦めなのか、病室に連れて行ける安堵感なのか。


「ペンとメモ貸してほしいんだけど」

「何に使うの?」

「くるみちゃんに、僕の名前教えるの。僕の名前……書かなきゃ難しいから」

「そう、ゆき君は優しい子ね。くるみちゃんの最初の友達……あの子は、ずっと寂しかったのね」


 呟いた丸美さんの穏やかさ。

 由希と佐藤の話に耳を傾けていたのか。


「何も話してくれないって思ってたけど、仕事に追われて話を聞けてなかったのかも。……ペンとメモだったわね」

「ありがとうっ」


 受け取ったメモに名前を書き込んでいく。破いたメモを握りしめ、駆け出そうとした由希に見えた近づいてくる佐藤。


「くるみちゃん、これ」


 近づいてきた佐藤に、由希はメモを手渡した。佐藤の微かな笑みと丸美さんの笑い声。


「由希君っていうの? 由希君……由希君っ」


 嬉しそうに、佐藤は僕を呼び続けた。

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