第5話

 僕と会ってる?

 僕に会えて嬉しかった?


 震えだした佐藤を前に次の言葉を待った。

 僕は佐藤のことを何も知らないし、いつ何処で会ったのかもわからない。


「由希君。なんで酷いこと言うの? くるみちゃん悲しんでるよっ‼︎」


 ——お前は黙ってろ‼︎ 佐藤と話してるだろ‼︎


「くるみちゃん話せるのかな。……泣きそうな顔してるのに」


 黒うさぎが言うとおり、佐藤の目に涙が滲んでいる。

 僕は佐藤を傷つけたのか?

 名前で呼ばれたくない。

 思っていたことを言っただけで、傷つけるつもりなんてなかった。

 話を聞かなきゃわからない。僕が忘れてることがあるならそれがなんなのかを。


「……ごめんなさい」


 佐藤の声は掠れている。

 なんで謝るんだよ。

 話してくれなきゃわからないだろ。

 僕はいつ佐藤と会ったんだ?

 僕と会えたことが嬉しかったのはどうしてなんだよ。


「……僕達は、いつ会ったんだ」

「小さい頃。由希く……松宮君のこと名前で呼んでたの。松宮君も私をくるみちゃんって呼んでくれた。……同じクラスになってすぐにわかったよ。私のことも……思いだしてくれたらいいなって思ってた。彩音ちゃんが言ってくれたの。『名前呼んでみようよ。くるみのこと思いだすかもしれないし……きっとまた、話せるようになれる』って」


 背中を向けた佐藤に何を言えばいいのか。佐藤が嘘を言っているようには思えない。

 だけどわからないのは、思いだせないのは……どうしてなんだ。


「昨日……彩音ちゃんが背中を押してくれたから、松宮君に話しかけることが出来たの。うさちゃんが現れて……松宮君が話しかけてくれた。嬉しかったなぁ……嬉しかったよ」


 苛立ちが後悔になって体の中を巡る。心を弾く音が痛みを呼んで……


「屋上……行かなきゃね」


 佐藤の掠れた声と足音が響く。

 僕は動けずに、佐藤のうしろ姿を見ているだけだ。

 話しかけなきゃ。

 あとを追わなきゃ。


「次の授業までに戻らなきゃ。……木野瀬君、どんな人だろうね」


 黒うさぎの名前を佐藤に教えるんだ。

 佐藤のこと思いださなきゃ。


 黒うさぎの名前はモカ。

 佐藤のことを思いだせたら。

 和也みたいに親しくなれて、僕が名前を好きになれたら……


「ごめんなさい……松宮君」


 なんで佐藤が謝るんだよ。

 謝るのは僕じゃないのか?

 佐藤を傷つけて泣かせたんだから。


「嫌な思いをさせちゃった。松宮君を名前で呼んだことも、私を思いだしてくれたらなってことも……私の勝手だよね。小さな頃のことなんて、今に関係ないのに……ごめんなさい」


 佐藤は階段を足早に昇っていく。

 僕も行かなきゃ……だけど、体が固まったように動かない。


「くるみちゃんを追いかけてよ。何やってるの、由希君‼︎」


 ——うるさいなっ‼︎


 心を突いてくる痛み。

 どうしてこんなに……心が痛むんだろう。

 佐藤くるみ。

 スイーツを思わせる名前が、印象に残ってただけなのに。

 宮野彩音。

 僕が勝つまでじゃんけんを続けるとか、佐藤が僕と話せるようにと思ってのことだったのか?

 彩音は今もきっと、授業そっちのけで佐藤と僕のことを考えてる。

 佐藤が泣いたことを知ったら、僕は半殺しにされかねないな。


 ——……ヘンテコ。お前は知ってたのか? 僕と佐藤が会ったことがあるって。


「くるみちゃんと出会って知ったよ。昨日の帰り道……抱っこされてる時、ボクに流れてきたんだもん。あったかい想い出と由希君への想いが……くるみちゃんは、由希君のこといっぱい考えてるんだよ」


 ——……馬鹿、なんで言わなかったんだよ。


「くるみちゃんの大切な想いだもん。ボクが教えるよりも、由希君に気づいてほしかったな」


『……同じクラスになってすぐにわかったよ』


 高校生になって、同じクラスで出会う前も。

 佐藤は僕のことを考えてくれてたのかな。時々思いだして、あの子どうしてるかなぁとか私のこと覚えてるかなぁとか……僕が忘れてしまったことを佐藤は覚えてた。

 思いださなきゃ。

 佐藤といつ何処で会っていたのかを。

 名前を呼びあって、どんなことを話していたのかを。


 八重婆ちゃん。

 この世界に魔法がかかってるなら。

 思いだせる何かが、歩み寄れるきっかけをくれる何かがあってもいいよね?

 僕はクラスメイトを泣かせた。

 八重婆ちゃんが描き続けた、優しい世界を夢見てるのに。

 八重婆ちゃん。

 僕に出来ることがあるのかな。

 本当に……魔法があるのなら。


「由希君、屋上に行くよね? くるみちゃんの所へ」


 温かい何かが背中を押して僕を動かした。


 黒うさぎの魔法が僕を歩かせたのか。八重婆ちゃんが背中を押してくれたのか。

 助けを求めるように、ポケットの中の回転パズルを握りしめた。


『……由希君』


 佐藤の僕を呼ぶ声が、体の中を巡り痛みを和らげていく。


 🧩🧩


 階段を昇りきると、屋上に続く扉の前に佐藤は立っていた。

 閉じられたままの扉。


「ごめんなさい、松宮君が来る前に開けようと思ったんだけど」

「佐藤」

「木野瀬君をすぐ連れて行けたら、松宮君に面倒かけなかったし」

「佐藤……あのさ」

「扉開けるね。話しやすい人だったらいいな」

「話を」


 僕の声を振り切るように佐藤は扉を開け、眩しい陽の光と屋上が見えてきた。そして、灰色の床に寝そべる男子生徒。

 金色がかった茶色い髪を風が揺らしている。

 やっぱりあいつだ。

 僕を突き飛ばした校則違反。

 雅先生が言うとおり、あいつふて寝してるのか?

 佐藤が駆け出し木野瀬に近づいていく。


「待てよ佐藤」


 僕の声に気づいたのか、木野瀬が体を起こし鋭い目が佐藤に向けられた。

 佐藤の肩が弾かれるように揺れたのは、睨まれたことに驚いたのか緊張からなのか。


「……あの、佐藤です。木野瀬君と同じクラスの」

「担任に言われて、転校生を迎えに来たってか。人に言われるまま動くなんて、つまらないと思わない?」


 木野瀬の目が僕を捉え、整った顔に冷ややかな笑みが浮かんだ。陽に照らされたネックレスが、襟の奥で眩しい光を放つ。


「朝会った奴か。お前も同じクラス?

 ……なんだよその顔。迎えに来たくせに愛想がないんだな」


 立ち上がるなり僕の胸ぐらを掴んできた。僕を突き飛ばした力強さ。

 逃れようと、木野瀬に伸ばした両手を掠めた白い影。

 僕の手に刻まれた引っかき傷と、木野瀬の足元にいる白い猫。

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