第3話

 教室が近づいてくると、同じクラスの連中を見かけ安堵感に包まれる。

 入学当時は馴染めるか不安だったけど、落ち着いた日々のまま迎えた高校1年生の初夏。

 和也が同じクラスだったことと、問題児と呼ばれる生徒がクラスにいないことが大きな幸運だ。

 いじめも仲間はずれもないクラスメイト。

 いくつかのグループに分かれていても、文化祭や体育祭にはきっと強い団結力が生まれていく。


「おはよっ」


 和也の弾む声が、教室に響き佐藤と目が合った。佐藤を見るつもりはなかったけど、黒うさぎのお願いごとがそうさせたのか。

 モカという、黒うさぎの名前を佐藤に教える……だけど。

 佐藤の目が見開かれ顔が赤くなっていく。目が合っただけでこんな反応されるんじゃ話しかけにくいよな。


「どうしたのくるみ」

「あっ彩音ちゃん。……なんでもない」


 慌てる佐藤と、何かを察したように笑う彩音を見ながら思う。佐藤が僕に見せる反応と、僕が話しかけて佐藤がワクワクする理由に繋がりがあるんだろうか。


 知る必要もないか。

 佐藤が何を考えてワクワクしようと僕には関係ないんだから。


「あれれ? 由希君、くるみちゃんのこと考えてくれないの? どうして? くるみちゃんが悲しんじゃうよ」


 ——うるさいな。お前には関係ないだろ、ヘンテコうさぎ。


 黒うさぎの奴、名前を教えるまで僕を見てるつもりか? 見られてるなんて気分悪いな。


「松宮? どうしたんだ」

「……なんでもない」


 和也に笑いかけて机に向かう。僕を追うように和也も歩きだした。


 授業が始まる前。

 あちこちのグループから響くざわめきの中、気に止めたのは転校生のこと。

 和也が言うとおり、女子のとあるグループから転校生の話が聞こえてきた。顔と性格がどうなのかが、大きな関心事みたいだな。

 好奇心いっぱいの話を聞きながら席につき、担任教師 雅鈴香みやびすずかが来るのを待つ。

 雅先生は僕が出会った教師の中、ひときわ変わっている存在だ。

 20代後半でスラリとした長身。

 天然パーマが悩みの種らしいが、矯正パーマなど手間がかかるものを嫌がって、ほったらかしを選択というアバウトさ。

 教師としてよりも生徒の側に立って動いてくれる、友達感覚の教師なのだ。


 窓の外に見える初夏の空色。

 小さな雲の群れが空に溶け込んだら、八重婆ちゃんが描いたパステルカラーの空になるのかな。


 小学生の頃、八重婆ちゃんが亡くなる前の夏休み。

 僕は八重婆ちゃんを真似てキャンバスに筆を走らせた。

 スケッチブックは空。

 手を伸ばして、筆を走らせるように夢中で動かしたんだ。

 飛行機が向かう世界の景色。町の中で笑う人々や、心を込めて作られた料理の味を思い浮かべて。

 髪の色や言葉は違っても繋がっている想いと幸せ。嬉しいことをみんなで笑い受け止める世界。


 あの時から動きだした僕の夢。

 八重婆ちゃんのような絵本作家になって、物語をえがきたい。

 幸せと喜びと笑顔。

 人の心を温める終わりのない優しさを。優しさが降り続ける世界を。


「八重ちゃんの想いは、ちゃんと由希君に届いてるんだね」


 黒うさぎの弾む声が聞こえる。

 こいつ、佐藤と八重婆ちゃんのことにやたら反応するな。

 長い耳がピクピク動くのを想像するとなんだか腹が立つ。


「八重ちゃんも大喜びだね‼︎ 八重ちゃんは、込められるだけの優しさを絵本に込めたんだから。……あのね、八重ちゃんの優しさは宇宙いっぱい‼︎ 由希君の優しさは、ボクから見たらお星様一個だけ‼︎」


 ——なんだよそれ。星ひとつの優しさだって? なんで僕は星ひとつなんだヘンテコうさぎ。


「八重ちゃんは、みんなの幸せを願い続けてた。長い時の中で、幸せへの願いは宇宙いっぱいの優しさになっていったんだよ。由希君の優しさもいつかは宇宙みたいになれる。始まりは……くるみちゃんに優しくなれることかな?」


 ——また佐藤か。うるさいなぁ、佐藤佐藤って。


 佐藤を見ると、窓際の席で授業の準備を進めている。彩音の席は1番うしろのど真ん中。


「由希君に、くるみちゃんの気持ちが届けばいいのに。くるみちゃんは……ううん、ボクが言っちゃいけないよね」


 ——なんだよ、何が言いた……


 チャイムの音と同時に雅先生が入ってきた。今日もシャツの襟元で、髪がくるりと外に跳ねている。

 教室中に響く席を立つ音。

 学級委員長 野宮栄太のみやえいたの『先生』の一声に続くみんなの『おはようございます』。


 ……あれ?


 僕のちっぽけな疑問と女子達のざわめき。教室に入ってきたのは雅先生だけで転校生がいない。

 今日来るんじゃなかったのか?


「おはよう。みんなに知らせがある」


 雅先生の凛とした声が響き、黒板に書かれていく名前がある。お世辞にも上手いと言えない大きな字で。


木野瀬きのせブン


 ……ブン太?

 なんか変わった名前だけど。


「今日から一緒に学んでいく生徒だ。みんな、仲良くするように」


 名前だけで仲良くしろって言われても。斜めうしろにいる和也を見ると、僕に気づいて笑みを浮かべた。誰もが戸惑い呆気に取られながら黒板を見つめている。


「先生。……木野瀬君は何処に?」


 野宮の疑問にみんなのざわめきが重なる。雅先生は動じた様子もなく教室内を見渡した。


「私の説教にヘソを曲げた。天気がいいし、屋上でふて寝だろうな」


 説教?

 ふて寝?

 大きくなるざわめきの中雅先生は頭を掻いた。初日に説教され、ふて寝する転校生なんて。


「気になるなら誰か迎えに行くといい。私はを、軽く叱っただけなんだが」


 ……校則違反?


 今朝出会った男子生徒を思い出した。染められた髪の毛と、襟元から見えた金色のネックレス。


 校則違反の転校生ってもしかして……

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