関羽9&ハイチュー 死後

息子の関興かんこう関羽かんうのあとを継いだ。

字は安国あんこく、若いころからその受け答えには

知性のきらめきがあった。


そのため諸葛亮しょかつりょう、関興のことを

高く買っており、成人するなりすぐに

侍中じちゅう中監軍ちゅうかんぐんとしたが、

数年と経たずに死んでしまった。


関興のあとはその息子、

つまり、関羽の孫である関統かんとうが継いだ。

また関統は劉禅りゅうぜんの娘を嫁に迎え入れた。


関統の位は虎賁中郎將こほんちゅうろうじょうにまで至ったが、

やはり夭逝。子はいなかった。

そこで腹違いの兄弟、関彝かんい

家督を継いだ。


 ○


さて、関羽伝もこれにて終了。

最後に蜀記しょくきに載る、関氏のその後を

載せておくっす。


関羽が襄陽じょうようの戦いで斬った将、龐德ほうとく

その息子の龐会ほうかいが、鍾会しょうかい鄧艾とうがいコンビの

蜀征伐に従軍してたそうなんすね。


で、蜀首都の成都せいとが陥落すると、龐会、

関氏の人間をことごとく殺したそうっす。


仇を討つことこそが「孝」の証明。

そう言う時代じゃあるっすが、

何ともやり切れないラストっすね……。




子興嗣。興字安國,少有令問,丞相諸葛亮深器異之。弱冠為侍中、中監軍,數歲卒。子統嗣,尚公主,官至虎賁中郎將。卒,無子,以興庶子彝續封。

蜀記曰:龐德子會,隨鍾、鄧伐蜀,蜀破,盡滅關氏家。


子の興が嗣ぐ。興がは字は安國、少くして令問を有し、丞相の諸葛亮は深く之を異なる器とす。弱冠にして侍中、中監軍と為るも、數歲にて卒す。子の統が嗣き、公主を尚し、官は虎賁中郎將に至る。卒せるに、子無し。興の庶子の彝を以て封を續ぐ。

蜀記は曰く:龐德の子の會は鍾、鄧が伐蜀に隨い、蜀の破れるに、關氏が家を盡く滅す。




ま、蜀で虐殺があったなんて記事、

他のとこにはないんすけどね。

これ多分、龐会が関羽の家燃やした、

とかじゃないっすかね?(てきとう)

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