3-12
「ニコは首輪が取れたらどうする?」
馬車の乗り継ぎを待つ小さな町で遅めの昼食をとりながらそんなことを問うてきたのはエマだった。
俺はちょうど大きなサンドイッチにかぶりついたタイミングで、返事ができないでいる。
薄緑色の瞳で俺を見上げるようにしたエマはそれも見越していたようだった。
彼女はどんな答えを期待しているのか。どんな言葉を返せばエマが喜ぶのかと頭を巡らせた。
口に詰まったサンドイッチを咀嚼して、ごくりと飲み込む。
彼女に見つめられていると思うと妙に緊張した。
「魔法を勉強する」
俺は一も二もなくそれだ。ともかくは、魔法が扱えるようにならなければ、エマの役に立つために。
それに、馬車の中でエマが言っていたように首輪が外れるなら、今のように隠れて生活する必要もない。俺は堂々と彼女の隣を歩ける。
「後は、読み書きと、算術も」
「そっちの方が先かもね」
エマが湯気の立つお茶に口を当てながら穏やかに頷いた。
「それじゃあ、読み書きが終わったら?」
エマがすっと目を細めた。彼女が何を考えているのか俺にはいまいちよくわからない。
だが、答えは決まっている。
「そうしたら、使役魔法を教えて」
エマが驚いたように薄緑色の目をぱちぱちと瞬かせている。
「お、教えるなんて無理よ。私にはできない……」
そんな弱気なことを言って、エマが首を横に振る。
逃げるように傾いだ体勢に追いすがって、机の上に残された手に手を重ねた。
「俺も魔物使いになってみたい」
「あなたは、魔女になるのよ」
「俺はエマと同じでいい」
「魔物なんて……」
「それ以上言わないで」
彼女の手は未だに少し冷たい。
「答えは俺が見つける」
薄緑色の視線が俺を探るように見ていたが、しばらくして諦めたようだった。
乗り継いだ馬車で、ルミナエナを目指す。途中途中宿場や村で休憩をはさみながら、二日間の道程が終わろうかという夕方ごろのことだった。
「随分揺れる道ね」
と不平を漏らしながら隣に座ったエマが居心地悪そうに体勢を少し変えた。
確かに先ほどから、馬車が左右に揺れることが多くなった。
ルミナエナに入る前に峠を越えると聞いていたから、ちょうど今が峠の辺りなのだろう。
石を踏んだのか、ガタンと大きく傾いだ馬車に翻弄されてエマが俺の方に倒れ込んでくる。
いつかの馬車でのことを思い出して、そう日にちも経っていないはずなのに懐かしい気持ちになった。
激しく揺れる、乗り心地の悪い馬車は俺にとっては日常茶飯事だったし、まだ幌が付いているだけ、尻の下に敷物が敷いてあるだけずっと上等だ。
しばらく揺れが続くだろうと思って、倒れないようにとエマの肩に手を回せば彼女は下を向いて「ありがとう」と小さく呟いた。
やはり、エマは馬車に乗り慣れていない。旅をしているというのだから、馬車に乗るのが当たり前だと思っていたが、彼女の物慣れなさが気になった。
初めて一緒に馬車に乗ったあの日に、確か「魔物がいたから馬車に乗らなかった」と話していた。それなら、それまではどんな風に旅をしていたのだろうか。
「エマは、今まで馬車に乗らないでどうやって旅をしてたの?」
「ああ、えっと……」
戸惑ったような表情で彼女が俺を見上げる。
薄緑色の目をしばらく揺らしてから縮こまった声で答えた。
「み、ミルハがいたから……」
「ミルハ?」
「うん……」
エマが困ったように笑んで俺の胸元に視線を戻す。
「大蜘蛛よ。見たことある? 魔物の――」
その一言にハッとした。大蜘蛛というのは、名前の通り体長二メートルほどの蜘蛛の魔物だ。
首輪を売ったあの日、エマは部屋で泣いていた。その時にしきりに言っていた「あの子」というのは、きっと彼女の連れていた魔物たちのことだ。魔物使いだと名乗った彼女が魔物を連れていないのはその子たちを亡くしたからだろう。
エマの苦し気な懺悔を聞いてあの時は酷く動揺していたが、今となればいつもよりずっとふさぎ込んだ彼女の方が心配になった。
そんなエマに俺は魔物の話を振ってしまった。
つまり、地雷を踏んだのだ。
内心慌てるニコの腕の中でエマが囁くように言う。
「ミルハは……大蜘蛛の魔物で、その子に乗って旅をしてたの。普通の大蜘蛛より一回りも大きかったから、私が上に乗ってもなんともない風に歩いてた……」
エマが一瞬言葉を詰まらせて、一つ息を整える。
「だから、今まで馬車に乗る必要なんて一度もなくって……ニコには迷惑かけるかもしれないけど――」
「め、迷惑だなんて思ってない」
思っていたよりも大きな声が出て、腕に力がこもる。いつの間にか抱きしめるような形になっていたエマが「ニ、ニコ……苦しい」と胸元でうめいた。
こんな状態のエマが、魔物の退治などできるのだろうかと俺はますます心配になった。
魔物の奴隷 八重土竜 @yaemogura
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