白鼬とメイドの話 3

 そう歩かないうちに、町が見えてきた。

 町、といっても壁や柵で囲われているようなものではなく、適当な空き地に畑や家が集まっているだけのもの。

 その境界線は曖昧で、当然見張りもいない。もうこの場所が町だと言っても怒る人はいないだろう。

「主を頼む」

 町の方を眺めていた蛇が、唐突にそう言った。

 見るとこちらに背を向けている。

「良いのですか?」

 メイドが足を止めて振り返った。

「我がいては町の者が怯えるかもしれん」

 なぜか、大蛇はラーニエの方を見て答える。

 メイドは全く気にもせず、うなずいた。

「お気をつけて。この辺りに特別強い魔物はおりませんが、時々人は通ります」

 なら、大蛇の安全は保障されたようなものだろう。人間如きに負ける蛇ではない。

 最後にちらりとラーニエを見て、蛇はどこかへ立ち去って行った。

 だが、蛇がいなくてもラーニエたちは異様な目で見られることになった。

 考えてみれば当たり前。

 自分の足で歩くのもおぼつかない少女を支える、ボロを纏う女戦士と気品のあるメイド。

 組み合わせも奇妙なら、状況も飲み込めない。

 ただ、とラーニエは思った。

 それだけではないような気がする。

 町の人たちはラーニエではなくメイドの方を見ているような気がする。

 それも、奇怪というより、白い目で。

 悪意ある視線をちらりと向けた後、ひそひそと隣にいる人と何かを話すのだ。

 最初は、自分たちが外から来た人間だからかと思った。

 酷く排他的で、余所者を絶対に受け入れず、場合によっては殺してでも自分たちの共同体を守ろうとする。

 神の教えを拒む野蛮な町や、小さな村ではそういうこともあると神学校で習った。そういう場所には極力近づかないように、とも。

 だが、どうもそうではないようだった。

 彼らは皆『あの女』と言っていた。

 メイドの方を見ながら。

 嫌われているのはラーニエたちの方ではない。彼女だ。

「ご主人様の御屋敷に案内いたします」

 それを知ってか知らずか、メイドは凛とした表情で言った。

 屋敷がどのような場所なのかはわからない。

 だが彼女はとことん町の人から嫌われていて、ケット・シーは彼女の鼬を警戒しているのだ。

 腰にさした剣と、自分の使える魔法を意識した。

 蛇と約束したのだ。その信頼を裏切るわけにはいかない。


 屋敷は、それなりに立派なものだった。

 一般の民家と比べればかなり大きく、敷地には庭と、畑も見受けられた。自給自足でもしているのかもしれない。

 それを囲う鉄製の柵や門も、質素ながら上品な装飾が施されてある。

 全体的に綺麗で、建てられてからあまり時間が経っていないのだということを物語っていた。

 その中を、ラーニエたちは一切の会話をせずに歩いていく。

 緊張していた。

 正直言って、教会や神学校に比べれば不死鳥と鶏くらいの差はある。だが、通い慣れているか初めて来る場所かの違いは大きい。

 それに、中に誰がいるのかもわからないのだ。

 扉を開けた途端、悪魔が襲いかかってくるかもしれない。

「ご主人様、戻りました」

 扉の前で、メイドが思わぬ大声を出した。

 細身の体のどこにそんな声量が隠れていたのかと驚くほど。

 返事はなかったが、彼女は勝手に扉を開ける。

「どうぞ、中へ」

 そうメイドが言ったのは、ラーニエが戸惑ったからだ。

 それほど、豪勢だった。

 壁という壁に簡素な額縁の油絵が並んでいる。

 また棚の数も尋常ではなく、息を呑むほど細かい装飾と塗装がなされた壺から、キラキラ光っているだけの石までありとあらゆるものが飾られてある。

 どれも壊せば命が飛ぶほど高価なものであることは間違いない。

 目が回りそうだった。

「なんにゃこれ……」

 とケット・シーが呟く。

 ふと思って「絶対触っちゃだめだよ」と声をかける。

 ふにゃ、と訝しげにこちらを見てきた。

 絶対だめだからね、と再度念を押すと、にゃーとやる気のない返事が返ってきた。

 内心、入りたくない、と思った。

 何せケット・シーは、おそらくこれらの価値をわかっていないだろうから。

 だがしかし、メイドに面と向かってやっぱり宿を自分で見つけます、とは今更言えない。

 何よりも、ユリカがもう限界を迎えていた。

 何とか意識を保ってはいるようだが、今すぐにでも気絶しそうだ。

 伝わってくる熱は高くなる一方で、これ以上無理をさせるわけにはいかなかった。

 意を決して中に入る。

「階段は……登れそうにないですね」

 そう呟くと、メイドはいくつかの扉を無視し階段を素通りした。

「ご主人様、入ります」

 そう宣言したのは木製のプレートが掛かった扉の前だった。

 プレートには何か彫られてあるが、ラーニエには読めない言語だった。この辺りの言語ではないし、当然共通語である神の言語でもない。一体どこから持ってきたものなのか。

「どうぞ」

 だが、中にいる人間はラーニエたちと同じく共通語を話した。

 拍子抜けするほど優しげな老人の声で、事実、メイドが開けた扉の向こうにいたのもそのような印象を受ける男だった。

 彼は広い部屋の一角で、白い手袋をつけて壺を磨いていた。

 一瞬執事なのかと思ったが、見たところ他に誰もいないので、どうやら彼がこの屋敷の主人のようだ。

 彼はこちらをみて口を開き、次に目を丸くした。

「こ、これはこれは……」

「お客様にございます」

 そう言ったメイドに対し、見ればわかると言いたげに頷き、布を放り出す勢いで歩いてきたかと思うとユリカを抱き上げた。

 まるで一国の姫を扱うような抱き方に、ラーニエは少し驚く。

 思ったより、力が強いらしい。

「どうなさいました?」

 そうたずねてきたのは、ユリカを広いベッドに寝かせた、その後のことだった。

 眉をひそめるその表情に、緊張がぶり返してくる。

「い、いえ……旅をしている途中で、倒れてしまって」

 なるほど、と彼は頷いた。

「ローゼ、体にいいものを作っておやりなさい。私は医者を呼んでこよう」

 承知いたしました、と上品に頭を下げるメイドを遮って、

「お、お医者様ですか? 多分疲れが溜まっただけかと」

 思いますけど、という言葉は出せなかった。

 老人が、厳しい目でギロリと睨んできたのだ。

「それで、何かの病気だったらどうする?」

「それは……」

 ないと思う、とは言えそうになかった。

 それくらいの凄味。

 そのまま部屋を出て行った後になって、そういえばお礼を言っていない、ということに気づいた。

 代わりに、後から出て行こうとするメイドに「ありがとうございました」と会釈する。

 振り返ったメイドはにっこりと笑う。

「いえ。それより、お側についてあげてください」

 的確な言葉だった。

 その時、ふと気づく。

 そういえば、メイドの頭に鼬がいない。いつの間に消えたのだろうか。

 そう思った次の瞬間には、ばたんと扉が閉められていた。

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