追加エピソード

或る預言者の密命(後日譚)

 ハンク達が、帝都フレイベルクを後にして9か月後。


 エルフの街中央にある王城、預言者の執務室に、入室の許可を求めるノックの音が響いた。

 どうぞと女性の声が掛けられると、短く一言、失礼しますと男性の声が返った。

 男性は執務机の前まで行き、ゆっくりと跪いて顔を上げる。

 机に座るのは、現預言者イーリス=リートフェルト。銀髪碧眼の少女であった。対して、跪くのは王国衛兵隊長マレイン。短めの茶色い髪を後ろに流した精悍なエルフである。


「王国衛兵隊長マレイン、ただいまドワーフ族の都市国家プエルタムエルタより帰還しました」

「任務、ご苦労様でした。帰還早々ではありますが、報告を聞かせてもらえますか?」


 はっ、と短く返事をしたマレインが、いつもと様子の違うイーリスの姿にぎょっとなった。

 普段、イーリスは預言者と言う立場もあってか、それほど感情を表に出さない。それは、天上神ノルンの神託をエルフ王に伝え、国政の一端を担うという自覚が彼女にあるからに他ならない。

 しかし、それが今はどうだろう。ある任務を終えたマレインの前で、その報告を待つ彼女は、大好きな食べ物を前にした幼女の様に目を輝かせていたのだった。


 ……よほど、あの密命の報告が聞きたくて仕方ないのだろう。


 前のめりになるイーリスをよそに、マレインはゴホンと1つ咳払いをしてから調査報告を開始した。


「まず最初に、新王エステル=ダイン様が正式にドワーフ王として即位なされました。後見は前王ザカリア様の腹心でもあった宰相様です」

「そうですか。では、次の報告を」


 聞きたいのはその話じゃない。イーリスの顔がそう言っているのは一目で理解出来たが、報告には順序と言うものがある。

イーリスのこめかみが僅かに痙攣している事に気が付いたものの、マレインは素知らぬ顔で次の報告へと移った。


「エルダー火山より、定期的に湧き出る魔獣達に関してですが……

「ハンクさんと姉さんがいるんです。気にする必要はないでしょう。次、お願いします」

「……は。分かりました」


 確かに、邪神と化した天上神フレイを倒し、天上神ノルンの次女、女神ヴェルダンディを白銀の生命核に封印した彼等ならば、魔獣の一個大隊が攻めて来ようとも平然としているだろう。

 とは言え、死の危険が伴うエルダー火山に直接足を運んで調べた内容を、あっさりと流されてしまうのは、いくらなんでも無体と言うものだ。

 思わず、「ですが……」と出そうになったのを必死に飲み込むマレインであった。


「姉君であらせられる、アリア様についてです。リガルド帝国より期間の際、エルフの街の外では、精霊王である事を秘匿する様にお願い申し上げた件ですが、しっかりとお守り下さっていました。彼の地では、上級冒険者として活動しておいでです」


 ここで、イーリスの目が一際輝きを増した。だが、マレインは目だけで「まだお待ちください」と伝えると、明らかにイーリスの頬が膨らむのが見てとれた。


「ミズガルズ聖教会にて聖女と名高いヴェロニカ=ドレッセル殿ですが、反逆者となり冥界神に帰依したのでは? と噂されていました。ですが、妹のエルザ殿と共に創造神アルタナ様の眷属となられた様で、その噂は否定されました。これは実際に、回復魔法を見せて頂いて、私も確認を取っております」


 イーリスの顔に安堵の色が伺える。

 これはマレインが調査に出発する時、イーリスから是非とも確認しておいてほしいと言われた内容でもあった。天上神の眷属であるアリアが、冥界神の眷属と一緒に行動する事だけは何としても避けたい。

 なぜならそれは、アリアのみならず、他の仲間達、引いては新王エステルにまで影響を及ぼしかねないからである。

 しかし、マレインにはヴェロニカについて、どうしても報告しておかなければならないことがあった。


「新王エステル様の侍従となったヴェロニカ殿ですが、先日第1子となる男児を出産したそうです。名はレオンハルト。父親は、邪神フレイに身体を乗っ取られたヴィリー様の様です」


 ドタン! と盛大な音がして、立ち上がったイーリスの後ろへ椅子が倒れた。

 普段冷静なイーリスも、流石にこの情報には驚きを隠せない様子だ。マレインは内心で快哉を上げながらも、努めて無表情を維持して次の報告へと移ろうとする。

 しかし、それにイーリスが待ったをかけた。


「マレイン。飲み物を用意させましょう。そこのソファに座ってください」

「いえ、その様なお気遣いを頂く訳には……」

「座りなさい。預言者の命令です」


 圧倒的に年下といえど、イーリスは預言者。であれば、命令には従わざるを得ないのが、王国衛兵隊長マレインの辛いところである。

 マレインは大人しく執務机の前にあるソファに腰を下ろした。

 ややあって、2人分のハーブティーが用意されると、イーリスはマレインの向かいのソファに腰掛けた。

 そして、ソファとソファの間にある机に、叩き付けるかの様な勢いで両手を乗せ、前のめりでマレインを見た。


「ヴェロニカは、勇者ヴィリー様が帝国北部を制圧した魔王から領土を奪還する際、同じ部隊でサラ先生と共にパーティを組んでいたと聞きました。聖女が勇者に恋心を抱くのは仕方のない事なのかもしれませんが、なぜ今そんな事になってるんですか!」


 きっと今、イーリスの頭の中ではいろいろな想像が渦を巻いているのだろう。

 マレインは落ち着き払った動作でハーブティーを口に運び、


「ええ。彼女は預言者様の想像通り、その頃からヴィリー様に惹かれていた様です。先日も、帝国入りしたハンク様と共謀して、邪神フレイよりヴィリー様の魂を取り返そうと奮闘されていたそうです。しかし、結果としてそれは成功しませんでした。ですが、それまでの間に、ヴェロニカは邪神フレイに何度か夜伽の相手を命じられたようです。彼女もそれを断ることが出来なかったと言っていました。しかし、ものは考えようで、ヴィリー様の魂を奪還した時、既成事実があった方がなにかと良いかもしれないと、割と本気で思っていた様です」


 わなわなするイーリスを真っ直ぐに見据えながら、マレインは彼女の問いに答えた。


「そ、そんな……仮にも聖女とあろう者が……」

「当時、フレイは天上神と信じられていたのですし、致し方無いでしょう」

 

 イーリスは、男女の仲と言うものについて、かなり潔癖なところがある。

 そんな彼女にとって、ヴェロニカの考えは、きっと理解し難いものだろう。

 唇を震わせて言葉に詰まるイーリスを見ながら、マレインは再びハーブティーを1口飲んだ。


「それと、気になる話をもう1つ耳にしました。ハンク様達がドルカスで謎のドラゴンを討伐した際、冥界神フェンリルの眷属である魔王が一緒にいた様なのです」

「どう言うことですか?」


 すっと表情を引き締めたイーリスの声がワントーン下がった。天上神の眷属である彼女とって、魔王は不倶戴天の天敵だ。その危険度は、反逆者の比ではない。


「彼女の正体は異世界よりの来訪者。異世界より来たる折に、フェンリルよりその力を借り受けたそうです。そして、邪神フレイがエルザ殿を害そうとした時、その身をもって彼女を守りました。ですが、代償は大きく、その者は力を暴走させてしまったそうです。しかし、それを哀れんだアルタナ様のお力によって、治療のため神器グレイプニルの内へと格納されたのだそうです」


 マレインの話を聞くイーリスが、何かを考える様に顎に手を当てる。


「その際、ハンク様達と共に行動していたハッシュ殿が、その者――リンを元に戻すため一緒に神器グレイプニルの内部へと潜ったのだそうですが、その2人が近々復活するそうです。ただ、情報元の話では、精霊王とアルタナ様、両者のマナで再構成された神器となる様で、復活した彼女達はアルタナの眷属のはずであろうと言うことでした」


 イーリスは、ゆっくりと大きく嘆息を漏らしてから、「それに関しては、継続調査が必要ですね」と言うに留まった。


「では最後に、預言者様からの密命について報告です」


 マレインのその言葉に、イーリスの表情が待ってましたとばかりに輝く。


「ハンク様、アリア様、そして創造神アルタナの器でもあるラーナ様の3人についてですが、全く進展は無さそうです。情報元によれば、なによりもハンク様の鈍感具合が酷いとの事でした」


 報告は以上です、とマレインが短く調査を締め括る。

 目の前では、1番聞きたかった報告が肩透かしに終わって、机に突っ伏しているイーリスの姿があった。


「ハンクさん達がグランド・オーダーを達成して戻ってきたあの日から、天上神ノルン達は何も語らなくなってしまいました。おかげで、預言者は廃業同然なんです……」


 机に突っ伏したイーリスが、先程とは種類の違う嘆息を漏らす。


「ええ。顛末は私も聞きました。精霊王となられたアリア様が、天上神ノルンと新たな約束を結ばれたとも」

「約束……ですか。ふふっ。アレは脅しですよ。妹の私に手を出そうものなら、神の命は無い。女神ヴェルダンディの様になりたくなければ、おとなしくしていろって言う内容でした」


 ごそりと、イーリスが懐から白銀に輝く生命核を取り出した。


「この生命核と神器ミストルテインを見せられたら、その場の誰もが姉さんの言葉を信じるしかありませんからね。それもそのはず……


 イーリスがおもむろに立ち上がって、白銀の生命核を握りしめた。


「自らを守護者だと言うハンク様がいたからこそ、全て成し遂げることが出来たんです。そして、姉さんがハンクさんを見る目は、ただの仲間に向けるモノとは明らかに違っていました!」


 そう語りながら歩くイーリスが、預言者の執務机へと戻る。


「ですが、そこで問題が発生します。何と、アウテハーゼを名乗るラーナ様まで同じ目をハンクさんに向けていたのです! これは気になる…………いえ、どちらかに決めてもらわないと、私の気がおさまりません! 姉さんが悲しむところを、私は見たくないのです!」


 フンスッと鼻息を荒げるイーリスの前で、マレインは冷静にハーブティーを口へ運んだ。

 エルフの好むハーブをブレンドして作られたそれが、舌の上で深い滋味を感じさせる。


「では、預言者様。私はこれにて失礼します」


 コップの中身を全部飲み干して、スッと立ち上がったマレインが、預言者の執務室を出ようとイーリスに背を向けた、その時。


「……待ちなさい、王国衛兵隊長マレイン。次は私自らプエルタムエルタへ赴きます。情報元の紹介と道案内、お願い出来ますか?」


 背後から感じる並外れたプレッシャーに、マレインが思わず後ろを振り返った。

 そして、気付いた時には、自らの口から「それは……命令でしょうか?」と言う言葉が漏れていた。

 自分は、100歳近くも年下のイーリスに気圧されてしまったのだ。

 そんな自分に驚きつつも、今年250歳を迎えるマレインは、自身の未熟を呪った。


「当然です。姉さんの、なによりも精霊王の尊厳がかかっているんですから!」


 ――これは当分の間、本業に戻ることが出来ないかもしれない。


 よく分からない使命感に燃えるイーリスを前に、王国衛兵隊長マレインの心には、確信にも似た予感が舞い降りたのだった。

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異世界転生!? 見た目は普通の人間でお願いします…… ヨツヤシキ @yotuyashiki

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