第77話 姉妹

「外が静かになりましたね……」


 皇宮入り口に近い来客用の待機室で、エルザは不安な面持ちのまま窓の外を眺めた。


「うむ。激しい戦闘音もだが、兵士や騎士団の喧騒も聞こえなくなった。無事、皇宮の裏手から第1防壁まで避難したんだろう」


 同じように窓の外を眺めて、聞き耳を立てていたシゼルもそれに同意する。

 エルザは視線を窓の外から室内へ向けると、横長のソファの隣にある椅子に腰掛けた。


「私達が地下から出て来た時は、てんやわんやの状態でしたもんね」

「確かに。だが、そのドサクサのおかげで、ここに潜んでいられるのだから、この場所に案内してくれたラーナには感謝しかないな」


 本当に、とエルザはシゼルに答えてから、ソファに横たわった人物の頭部に手を伸ばした。

 分け目で髪を整える様に撫でれば、左目を覆う様に巻かれた布が手に触れた。


「冥界神ヘラの祝福か……」


 呻く様に言ったシゼルが、ソファの上の人物に視線を落とした。


「……はい。アルタナ様によれば、イザークさんに殺されそうになった時、自ら不死者を統べる神に誓ったみたいなんです」

「さすが天才司祭と言うべきか……本当に聞き入れられて魔眼を与えられるなど、聞いたことが無い」

「ですよね。もし、私のリジェネレイションが間に合わなかったら、即座にアンデッドとして動き出してもおかしくなかったそうですから」


 複雑な表情のエルザを視界に収めつつ、シゼルはソファの上に横たわるその人物――ヴェロニカの左目のある場所を眺めた。

 

「目を覚ました時、この包帯は絶対取っちゃダメだと言ったら、なんて顔をするだろうな」

「ヴェロニカの事だから、そのまま死なせてくれれば、全部呪い殺してやったのに! とか、本気で言いそうですよね」

「とんだ聖女がいたもんだな……」


 げんなりと答えるシゼルの前で、ヴェロニカの髪を撫でるエルザの手が止まった。


「でも、生きててくれて、本当に良かった……」


 シゼルは一言「ああ」と返事を返してから、ヴェロニカと共に地下へ赴いたと言う同行者の事を思い出した。

 アルタナとラーナそれぞれに聞いた話によれば、彼の名はザカリア=ダイン。このバスティア海周辺国で冒険者をしていれば、知らぬ者などいない、10人いる特級冒険者の内の1人だ。しかも彼は、ハンクが薬屋に連れてきた少女、エステルの父親で現ドワーフ王だと言う。帝国解放の折にはヴェロニカと共にヴィリーのパーティに在籍し、共に戦った間柄だとも聞いた。もちろん、そこにはコルナフースで悪魔王デーモン・ロードと化したイレーネや、今回の旅の目的であるハイエルフのサラも加わっていたらしい。

 この一連の事件で、まるで狙ったかのように、ヴィリーのパーティメンバーから多数の犠牲者が出たと聞けば、それは冥界神やその眷属である魔王が、憎き勇者一行を陥れた悲話のようにも聞こえる。

 ――だが、実際は違う。

 首謀者は天上神フレイと、同じく天上神ノルンの次女で女神ヴェルダンディ。

 よりにもよって、彼等にこんな悲劇を齎したのは、自らが信じる天上神だったのだ。

 とは言え、正確にはヴィリーは勇者では無い。彼の本当の正体は、700年前にアルタナがこの地に遣わした、伝承にのみ残る存在――守護者である。

 その彼が、なぜ守護者と言わず勇者と名乗っていたのか。どうして、こうもいいように天上神の術中に嵌ってしまったのか。

 いくら考えても、シゼルがその解答を得ることは出来そうになかった。

 

「だが、あの少女、エステルには可哀想な結果になってしまったな……」

「そう、ですね。地下を出る前に、彼の魂はマナに還してきましたけど、それでも……彼の死を知って悲しむエステルちゃんを見るのは、悲痛です」


 しばらくの間、3人だけの室内を沈黙が包み込む。

 神剣の間でイザークを昏倒させた後、地下通路でシゼル達を待っていたものは、血の海に沈んで息絶えるザカリアと、意識を失ったままのヴェロニカだった。

 思い半ばにて、非業の死を遂げた者は、押し並べて不死者となる。

 それがこの世界の鉄則だ。このまま放置すれば、近い将来、ザカリアは魔物としてこの地下施設を彷徨い歩くことになるだろう。

 元司祭として、それは見過ごせないと言うエルザに、アルタナは「マナに……世界の理に還してやるといい」と、一言告げた。それを聞いて、エルザは浄化魔法の要領でザカリアの魂をマナへと還した。

 その後、「イザークとか言う神殿騎士は気絶しているだけだ。起きれば自分で帰れる。放置しろ」と言うアルタナに、せめて入り口近くまで連れて行かせてくださいと願い出たのは、他ならぬシゼルだった。

 エルザもその願いに賛同した為、渋々アルタナがヴェロニカを抱き上げようとした時、彼女の異変に気が付いた。

 アルタナ曰く、死を前にして、自ら不死の高みに登る事を誓約した証。

 アルビノの左目は、薄い赤から血の様な真紅へと変貌しており、その目で見つめられたが最後、生命力の弱い者はその命を、精神力の弱い者はその心を、それぞれ砕く力を備えているのだと言う。


「もしこの娘が死んでおったならば、即座に上位クラスの不死者として蘇り、神殿騎士はおろか、お前達の命も危うかったかもしれぬな」


 感心した様にそう言ったアルタナは、エルザにヴェロニカの左目を布で覆うよう指示した。

 

 そして、シゼルがイザークを、アルタナがヴェロニカをそれぞれ抱えて、地下施設入り口まであと僅かの場所まで来た時、アルタナは急用が出来たと言い残して、さっさとその場を去ってしまった。

 突然の事に目を丸くするシゼルとエルザだったが、ここならと、イザークを壁際にもたれ掛けさせ、ヴェロニカを連れて皇宮1階の脇にある地下施設出入り口へと出た。

 そんな3人を、10人の騎士が取り囲んだのは、その時である。

 相手はリガルド帝国第1騎士団の精鋭10名。言い換えれば、帝国騎士最強の10人。

 この時ばかりは楽天家のシゼルも死を覚悟したが、無言で前に進み出たエルザの睡眠魔法で、彼らは呆気なく眠ってしまう。

 マナを会得したエルザの強力な魔力に、度肝を抜かれたシゼルはパチクリと目を瞬かせた。

 だが、いつもと変わらない照れ笑いを浮かべるエルザに、シゼルは感謝の言葉を伝えると、彼等はそのまま皇宮の外へと出た。

 そこでシゼルとエルザは光る巨大な大樹を見つけ、走って駆け寄って行こうとしたところをラーナに呼び止められ、そのままこの来客用の待機室に案内されたのだった。


 ――そして今、ヴェロニカの目がゆっくりと開かれようとしていた。


「ヴェロニカ! 姉さん!」


 名前を呼ばれたヴェロニカが、右目だけで周囲を見渡し、最後にエルザのところで視線を止める。


「エルザ……? 私は、イザークに、殺されたん、じゃあ……?」

「エルザが再生魔法で助けたんだ。間一髪だったがな」


 ヴェロニカは、エルザの隣で説明するシゼルを無感動に眺め、「再生魔法……」と口だけで呟いてから、ハッと目を見開いた。


「どうして!? あなたは……神聖魔法を失ったんじゃあ……」

「アルタナ様のおかげで、マナを感じることができる様になったの。再生魔法はそのおかげ。それに、コルナフースで私の命を救ってくれたのはヴェロニカでしょ? ずっと御礼が言いたかった。ありがとう」

「エルザ……」


 ヴェロニカは、自らに抱きついて安堵の涙を流すエルザの頭をそっと撫でた。しばらくそのままの状態で時間が過ぎた時、ヴェロニカは、はたと左目の違和感に気が付いた。


「何これ、包帯? 目が見えない訳じゃ無さそうだけど……」


 ゴソゴソと左目に巻かれた布を触り、感触を確かめるヴェロニカを前に、シゼルとエルザが目を見合わせた。

 やがて、意を決した様にエルザが口を開いた。


「ヴェロニカ。地下施設でイザークさんに殺されそうになった時、何を願ったか覚えてる?」

「ええ……まぁ。手当たり次第呪い殺してやろうとか、私なら数年と経たずノーライフキングになってやる……とか」


 一瞬言い淀んだものの、あっけらかんとした様子でヴェロニカが答える。そんな、本当の彼女らしい性格が、かえってエルザの怒りに火をつけた。


「何やってるんですか! ヴェロニカのバカッ! そんな事するから、本当に冥界神の目に留まって魔眼を与えられたんだからね!」


 フンスッと鼻息を荒げるエルザを前にヴェロニカが言葉を失った。そのまま、エルザとヴェロニカの動きが停止する。僅かな時間の後、我に返ったヴェロニカが、左目の布を何度も撫でてその感触を確かめる。「嘘でしょ?」と呟いた後、事の重大さに気付いたヴェロニカが、盛大に素っ頓狂な声を上げたのだった。

 

 ……ややあって、ヴェロニカとエルザの姉妹が落ち着くと、窓の外を眺めていたシゼルが2人に話かけた。


「そろそろ、ハンク達のところへ行ってみよう。戦闘は落ち着いた様だし、オレ達を探しているかもしれん。……それに、ドワーフ王を国に帰してやらないとな」

「ザック……私のせいで……」


 シゼルの言葉に、ヴェロニカの右目が見開かれた。一気に押し寄せる悔恨の念に、ヴェロニカが眉根を寄せ唇を噛んで俯く。そんな姉を、エルザは何も言わずにそっと抱きしめた。

 そのまま、ぽつりぽつりと皇宮内であった事を語るうちに、ヴェロニカの声が涙声へと変わる。時折、震える声でザカリアへ何度もごめんなさいと詫びるヴェロニカの頭を、エルザはそっと撫で続けたのだった。

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