第68話 取引と契約、再会 ①

 コツコツと靴音を立てて歩く足音が3人分、静まり返った皇宮内の廊下に響いた。

 前を歩く見知らぬ騎士2人の、規則正しく力強い足音を聞きながら、アリアは被ったフード越しに美しく廊下を彩る意匠に目を向けた。こんな時でさえなければ、一目で帝都の石工職人の技術力の高さが窺えるそれらに、きっと目を奪われていたことだろう。そんなことを思いながらゆっくりと視線を前方に戻すと、先導する2人の騎士越しに一際大きな両開きの扉――謁見の間の扉が見えた。


(あの扉の向こう側に天上神フレイがいる……サラ先生、半年前ラーナが出発した次の日にいったい何があったの?)


 謁見の間で待ち受けているであろう天上神フレイの姿を想像して、アリアの顔に緊張が走る。我知らず、唇を真一文字にきゅっと引き結んで震える手を握りしめれば、自然とハンクの顔が浮かんだ。 

 昨日の夕方、ハンクはエステルと共に彼女の両親を探すと言って2人で出て行ったきりである。その後、ハンクの身に何があったかは知らないが、アルタナの話では誘拐されたということらしい。とはいえ、ハンクは守護者だ。生命核をその身に宿す人外の存在である。よほどのことがない限り、彼の身に危険が迫るということは無いだろう。

 むしろそんな事よりも、一人敵地に放り出されてしまった仲間の危機に姿を見せないなんて、それでよく「誰も死なせない」などと豪語したものだ。

 ふと、そんな恨み言が頭に浮かべば、同時にハンクのたじろぐ顔も浮かんで、ほんの少し緊張が和らいだ。せっかくだから、悪態もついてみる。


(最後まで助けに来ないんだったら、ゴーストになってでもバカ! って言ってやるわ。覚悟しときなさい!)


 真一文字に引き結んだアリアの唇が緩んで、僅かに笑みがこぼれる。

 不意に、前を歩く騎士二人の足音が止まった。謁見の間の扉の前までたどり着いたのだ。片方の騎士が入室の許可を得るべく声を張り上げれば、両開きの大きな扉は内側からゆっくりと開いた。


「これより天上神フレイ様、ベルナード皇帝陛下の御前へ進みます。フードをお取りください」

「……分かったわ」


 入室の許可を取った騎士とは別の騎士にフードを脱ぐよう促されて、アリアはゆっくりとフードを脱いだ。

 艶めくような金髪と澄んだ碧眼が露わになると、2人の騎士がハッと息を飲むのが見て取れた。しかし、それも一瞬の事。彼等はすぐに表情を元に戻して左右に移動し、アリアに道を開けた。

 2人の騎士という遮蔽物が無くなって、アリアの視界が一気に広がる。きっと、天上神フレイは謁見の間の真ん中でふんぞり返っていることだろう。そう思いながら一直線に玉座を眺めるが、そこに天上神フレイは不在だった。思わずあちらこちらへと視線を彷徨わせる。

 

「堅苦しい作法などいらぬ。前に進み出るといい」


 居並ぶリガルド帝国重臣達の最奥、玉座の隣に立つ50代半ばの茶色の髪と瞳の男性が、威厳に満ちた声でアリアに声を掛けた。

 言われるままに前進しながら、アリアはその男性を視界に収める。軽装ながらもどっしりとした貫録、面と向かって視線を合わせれば息苦しさを覚える程の覇気。どことなくエルフ王アルヴィスに似通った雰囲気は王者独特のものだ。

 きっと、彼こそがリガルド帝国皇帝ベルナード・ガウェイン=リガルドその人なのだろう。本能でそれを理解したアリアは玉座の前まで進み出て立ち止まり、ゆっくりとベルナードと視線を合わせた。


「敵を攫っておいてどういうつもりかは知らないけれど、いきなりドレスを着させようとしたり、お化粧しようとするのは一体どういうつもりかしら?」

「む……ああ、そう言えば、メイド達にはヴィリーの大事な客だから、エルフの女性が来たらもてなすように、としか言ってなかったな……。あれは彼女たちなりの善意なのだ。許してやってくれ」

「客……? どういうこと?」


 ベルナードが発した予想外の言葉に、アリアが訝しむような視線を送る。普通であれば不敬だと衛兵が飛んできそうなものだが、目の前のリガルド帝国皇帝は鷹揚に笑いながら頷くのみであった。

 良くない事ばかりを考えていたアリアの脳裏が、想定外の事態に疑問符で一杯になる。

 そもそも、箱庭からこの皇宮へ転移魔方陣へ飛ばされてからというもの、理解に苦しむことばかりだ。

 なにせ、視界を覆う強烈な光が消えた時、アリアは見知らぬ客間に一人ぽつんと立っていたのである。

 そんなアリアが、ここは何処だろうと部屋を見回していると、恰幅の良いメイド達が押しかけてきて、彼女達に着ていた服を脱がされそうになった挙句に化粧までされそうになった。衣服をはだけさせたアリアが、訳も分からないままにじり寄るメイド達から必死に逃げまどっていたところへ2人の騎士が来て、フレイとベルナードのいる謁見の間へ案内すると、まるで賓客のような扱いを受けた。

 彼等の言葉からここが皇宮だと理解したアリアは、連行の間違いではないだろうかと思いながらも、助け船とばかりに迎えの騎士と共に客間を後にした。

 結果、今に至るわけであるが、客間を立ち去る際、急いで衣服を直してフードを被ったアリアを見て、どのメイドも落胆の溜息を漏らしていた。どこかで見覚えのあるその仕草に既視感を感じて、はたとあることを思い出す。

(――あれは、私の服を選んでいる時のイーリスやメイド達と同じ目だ……)

 つまりは、着せ替え人形を前にした女性特有の心理状態である。

 しかし、そうは言ってもここは敵地のど真ん中。普通に考えればありえない話だ。

 考えれば考える程、答えの遠ざかる疑問にアリアが軽い眩暈を覚えそうになったところでベルナードが口を開いた。


「既に気が付いているかもしれぬが、余はリガルド帝国皇帝ベルナード・ガウェイン=リガルドである。お前はヴィリーが有事の際に緊急離脱用に仕掛けた転移魔方陣に乗ってここに飛ばされたのだ」


 そして、とベルナードは言葉を区切ってから複雑な表情を浮かべる。


「その時は地下施設へと転移した敵を、全戦力で討つようにと聞いている。余談だが、お前が転移したあの部屋はあるエルフと孤児たちを保護するための避難用の客間だ。ヴィリーから、あそこに転移してきたものは、例外なく丁重に保護してほしいと頼まれている」

「それはハイエルフのサラと、ラーナ達の事を指してるのね。それと、その約束は彼が勇者と呼ばれた時から頼まれてた。だから、フレイじゃなくてヴィリーなのね……」

「……その通りだ」


 アリアの言葉に、ベルナードが小さく目を見開く。

 ……こんな状況だ。もったいぶっている場合ではない。なにせ、周りはすべて敵である。相手が無視できないような情報を与えて、それ以上のものを引き出さなければ駆け引きも何もあったものではない。

 注意深く相手の出方を窺いながら、アリアはあることに気が付いてその表情を硬くした。


「じゃあ、貴方は今、勇者ヴィリーの言葉に従って、この城の戦力全てを地下へ向かわせたということなの?」

「向かわせたと言うよりは、向かってしまわれた、というべきなのかもしれぬな」

「それって……」


 最悪の結末が脳裏をよぎり、アリアの表情がさらに強ばった。


「城内に詰める第1騎士団の精鋭10名と、神殿騎士1名。それだけを連れてフレイ様自ら地下へ赴かれた」

「そんなっ! それじゃあ……」


 地下施設に転移したであろう仲間たちの顔が浮かんで、アリアは言葉を詰まらせた。 

 出来ればみんな無事であってほしい。守護者であるラーナは別としても、シゼルとエルザは普通の人間だ。もし、その二人が別々の場所に転移させられていて、しかも、大人数の騎士に囲まれたなら、彼等に為す術は無いだろう。

 だが、それはアリアも同じだ。リガルド帝国皇帝ベルナードを始めとする帝国重臣に、騎士数名とこの部屋の守護に就く衛兵達。とてもではないが、アリア一人でなんとかできる人数ではない。

 状況は絶望的である。


 ――最後まで諦めるな!


 怯みそうになる心に活を入れて、アリアはまっすぐベルナードを見据えた。


「私は、貴方たちにとって敵であるはずの地下に飛ばされた敵の仲間よ。そんな私までもてなそうだなんて、ずいぶん懐が深いのね」

「お前たちがここへ転移する直前、フレイ様が仰られたのだ。客間に転移してきたハイエルフがいたら、謁見の間のに案内せよと。勿論、賓客として丁重に扱うようにとな」

「賓客? 私はコルナフースで天上神フレイと敵対したのよ? 創造神アルタナと、その守護者ハンクと共にね」


 アリアの言葉に、今まで沈黙を保っていた重臣達が口々に騒ぎ出した。時折、ドワーフ王とか聖女ヴェロニカといった名前が聞こえてはざわめきの中に消えていく。


「静まれ! これより先は余とエルフの娘で話をする。皆、控えの間にて待て!」


 今なら騒ぎに乗じて逃げ出せないだろうか? そんな考えがアリアの頭をかすめた瞬間、落雷の如きベルナードの一喝が謁見の間に響き渡った。

 途端、周囲は水を打ったように静まり返り、居並ぶ重臣達は次々と控えの前と消えていった。

 最後尾の重臣が謁見の間を退出し、控えの間へと続く扉が閉まるのを確認してから、ベルナードが口を開いた。


「これで邪魔者はいなくなった……さて、本題に入ろう。エルフの娘よ、お前達は何者だ? 箱庭で何をしていた? 客間に転移するのは箱庭の関係者のみであるはずなのだぞ」

 

 虚偽の受け答えは許さぬとばかりに、その声と視線に重圧が込められた。

 これでは賓客も何もあったものではない。こんな重圧を叩き付けられては、並みの者であれば嘘をつくどころか、普通の受け答えさえ儘ならないだろう。

 だが、もう一つ。心臓を鷲掴みにするような冷たい重圧が、アリアに軽い息苦しさを感じさせる。折角、大勢のリガルド帝国重臣達がいなくなって、状況を打開するチャンスが訪れたかのように見えたのは儚くも幻だったようだ。

(逃がす気なんて初めからあるわけないか……)

 軽く瞑目し、覚悟を決めてから碧色の双眸をすっと開く。


「アリア……私はアリア=リートフェルト。あなた達で言うところの依代――預言者候補としてサラ先生に育てられた一人よ。そして、先代預言者サラ=アウテハーゼを奪還するべく訪れた冒険者でもあるわ」

「リートフェルト……アウテハーゼと並びエルフ王家を支える預言者の一族か。しかし、そうは言っても心外だな。それではまるで、我々リガルド帝国がサラを誘拐したかのような物言いではないか」

「そうね。……でも、本当は違う。天上神ノルンに逆らったサラ先生は、自らヴィリーと共にエルフの街を去ったわ。きっと、半年前に行方をくらましてから、各地に密偵部隊を派遣した事だって、リガルド帝国皇帝であるあなたの知らないところでやったことよ」


 ベルナードの「どういうことだ?」という問いかけに「すぐ分かるわ」と答えると、アリアはゆっくりと体全体で後ろを振り返った。

 その瞳に、両開きの扉――謁見の間の入り口が映る。

 ゾクリと背筋まで凍り付くような感触と共に、強大なプレッシャーが近づいてくる。それに比べれば、先ほどベルナードから感じた覇気など、まるで子供だましだ。

 勿論、そこに誰がいるかなどと尋ねる必要もない。

 ……天上神フレイ。それとも――


「そこにいるんでしょう? 天上神フレイ。天上神ノルンと結託してサラ先生の意識を奪い、死と破壊の精霊を呼ばせたのはあなた……いえ、あなた達の仕業だったのね」

 

 アリアは再び震えそうになる手をぎゅっと握りしめて、ありったけの気力を振り絞って口を開いた。

 

 よくよく考えてみればずっと不思議に思っていた。何故天上神ノルンは、自身に逆らった予言者サラを生かしたままにしていたのか。しかも、それを知る自分に取引まで持ち掛けて。

 ……その答えは7年前の記憶と、サラがエルマへ残した言葉にあった。

 だが、分からないこともいくつか残っている。勿論、今ある情報だけではそれらに答えを導き出すことは不可能だろう。だからこそ、これ以上不確かなことは言うべきではないし、言う必要もない。

 しかし、それでもアリアは自ら立てた仮説を確かめずにはいられなかった。


「天上神ノルンもそこにいるんでしょ? 3柱の内1柱が直接サラ先生の中に残ってない限り、すべてを成り立たせるのは不可能だわ。サラ先生を生かしたままにしたのはその為。役割から言って、現在を司るノルンの次女、女神ヴェルダンディ……あなたね」


 アリアの言葉に応えるようにゆっくりと扉が開き、そこに神器レーヴァテインを携えた白髪の青年が現れる。

 唇の端を僅かに持ち上げて、ゆっくりと踏み出しながら、


「御名答。だが、よもや我らとの取引を忘れたお前ではあるまい? それだけでも、お前を賓客としてもてなす十分な理由になるというものだ。精霊王――意志あるマナを制御できるお前の力は、アルタナに対抗できる唯一無二のものなのだからな」


 白髪の青年は、昏く歪な笑みをその顔に浮かべた。

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