第67話 神剣の間にて②

 二振りの長剣が打ち合う度、《ルミナス》の光に照らされた神剣の間に短く鋭い金属音が響く。時折煌めくように舞う火花が、シゼルとイザークの剣戟の激しさを物語っていた。

 2人はさらに数合後打ち合った後、互いに間合いをとった。


「シゼル。あの後、コルナフースで何があった? それに、何故エルザは死んだなどとエリック司祭を偽った!」


 詰問、と言うよりは癇癪を起こした子供のような口調で、イザークがシゼルを責めた。


「イザーク……神殿騎士でありたいと思うなら、それ以上は知らない方がいい。エルザの事も忘れるんだ」

「――ふざけるなぁっ!」


 静かに拒絶を示したシゼルに、激高したイザークが突進する。


「俺がこの3か月間、どんな思いで過ごしたと思っている! 巡礼の旅で仲間を死なせ、司祭であるエルザまで死なせた。自分の無能さに反吐が出る毎日だったよ!」


 怒声と斬撃。その両方が、代わる代わるシゼルに浴びせられた。 


「だというのに! 上層部が俺に下した処分は”聖女ヴェロニカの神殿騎士になれ”だ! 正直、意味が分からなかったさ!」


 イザークの言う通り、通常であれば神殿騎士の解任を言い渡されても文句の言いようもない結果である。場合によっては、所属する騎士団にも彼の不始末が伝えられ、一生冷や飯を喰らうことになっても不思議はない。

 司祭を死なせるとは、それほど重大な過失なのだ。

 しかし、それが分かっていたとしても、イザークに真実を伝えるわけにはいかない。なぜなら、全ては人外の領域にあるからだ。

 とはいえ、シゼルとてイザークの気持ちが解らないわけではない。

 人の身で人外の領域に関わることの無力と疎外感。果ては親友の喪失。


 ――そんなもの知って何になるというのだ。


 エルザにはイザークが来たら守ると約束したが、全てが善意からというわけではない。ただの人である自分にも誰かを守れるということを証明し、無力感を払拭したい気持ちが底にあった。今のイザークが置かれた立場だって、状況が変われば自分が立つことになりかねないだろう。

 所詮、ヒトに出来ることはたかが知れている。

 ……それでも、はそれを良しとしなかった。

 後先考えずに漆黒の魔狼と化したリンにしがみついて、人外の領域へ飛び込んでいった親友は何を思っていたのだろうか。案外、何も考えてないかもしれないが、例えそうだとしても、彼に恥じるようなことはしたくない。

 例え無力でも、場違いであっても。

 親友が「シゼルはいつも俺に任せろって突っ走っちゃうじゃないのさ」と言う自分でありたい。

 ならば、「こいつは任せろ」と大見得を切った自分がやるべきことは1つだ。


「……そうだろう、ハッシュ」

 

 シゼルの口元がニッと持ち上がった。

 同時に、紫電の如き閃きが肩で息をするイザークへと迫る。

 激高したイザークの怒りと斬撃のすべてを受けとめたシゼルが、流れるような動作で反撃に転じたのだ。 

 刹那、イザークの手を離れた長剣が、乾いた金属音を立てながら石床の上を滑るように転がった。手首を抑えて片膝をついたイザークが、「ぐっ!」と短く呻いたのも束の間。

 次の瞬間には、シゼルの持つ長剣がイザークの喉元へと突き付けられたのだった。


「……そういえば、ちゃんと自己紹介していなかったな。俺の名はシゼル=ランドルフ。アドラス王国の騎士団にいた頃は、そこそこ有名だったんだが聞き覚えはないか?」

「な……元アドラス王国の騎士? 赤眼赤髪……まさか、お前があのランドルフ……神殿騎士長閣下直々の誘いを足蹴にして冒険者になったあの……」

「……む。お前らにはそんなふうに伝わっているのか……」


 呆然とするイザークが発した言葉に、シゼルは憮然とした表情を作った。

 その理由は、シゼルが冒険者になる前に遡る。

 ――3年ほど前、シゼルがアドラス王国騎士団を飛び出して冒険者になると言い出した時、彼に神殿騎士にならないかと誘いを持ちかけてきた人物がいた。その人物とは、ミズガルズ聖教会神殿騎士隊騎士長ベルンハルト=マイスナーであった。

 当時、偶々アドラス王国を訪れていたベルンハルトは、懇意にしていたアドラス王国騎士団団長ライモンドより、「実力は随一だが冒険者になりたいと豪語する変わり者の騎士がいる、神殿騎士に口説いてみたらどうだ?」とシゼルのことを紹介された。

 シゼルは弱冠17歳にもかかわらず、最近の模擬戦で、それまで騎士団最強を誇っていたライモンドを破るまでに実力をつけていた。そんな騎士団期待の若手をあっさり手放すとは、一体どれほど変わっているのだろうかと訝しみながらも、ベルンハルトはシゼルを神殿騎士にならないかと誘った。

 ――そして、シゼルに直接会ったベルンハルトはすべてを悟った。

 なぜなら、


「断る。俺は特別な誰かだけを護る為に騎士になったわけじゃない。神殿騎士なら他をあたってくれ。それに、しがらみや規則はもううんざりだ。あと、上級貴族のお坊ちゃん方にもな。あんなクソみたいな連中よりも、魔獣や魔物に困った人々にこそ、ここは俺に任せろ!って言ってやりたいんだよ」


 真の強者が纏う剣気と風格。彼は英雄の器だ。いつかミスリルにも届くかもしれない。それに気が付いた時、ベルンハルトはシゼルに勝負を申し込んでいた。


「若造……いい度胸だ。なら賭けをしよう。貴様が勝てば冒険者。私が勝てば神殿騎士だ。男に二言は無い。見事俺に勝てば、貴様が冒険者になれるようライモンド殿に取り計らってやる」


 突然の申し出に対し、シゼルに否やは無かった。既に戦闘態勢で待ち構えていたベルンハルトへ向かって、剣を抜いたシゼルが肯首の代わりに口元をニッと上げると、勝負はすぐに始まった。

 そして、2人の勝負はアドラス王国騎士団団長ライモンドの立ち合いのもと、大激戦の末、シゼルに軍配が上がったのだった。


 結局、ベルンハルトの口添えのお蔭で堂々と騎士団を辞めたシゼルはそのまま冒険者となったのだが、彼の誘いを足蹴にしたとイザークに言われるとちょっと納得がいかない。

 とはいえ、イザークも人の子だ。どうしても身内贔屓が出てしまうのだろう。

 シゼルは自分をそう納得させてから、ちらりとエルザ達のいる方を横目で眺めた。その目に、一命を取り留めたヴェロニカの身体をぎゅっと抱き締め、安堵の涙を流すエルザの姿が映る。

 そこで、はたとイザークの言った言葉を思い出した。


「聖女を守るよう言われたお前がどうして彼女を手に掛けようとする? ヴェロニカはフレイの仲間だろう?」


 訝しむような目でシゼルがイザークを見ると、


「聖女ヴェロニカは天上神フレイ様に逆らった。神聖魔法の消失も確認した。俺は神殿騎士として職務を全うしたにすぎん」

「……なんだと? 聖女が天上神フレイに反逆したというのか?」

「詳しくは俺も知らん。聖女殿がドワーフ王ザカリアと共にフレイ様を亡き者にしようと企んだということを聞いただけだ。駆けつけてみれば、フレイ様自らドワーフ王ザカリアを討ち取られた後だった。俺はそこで聖女殿の反逆を目の当たりにした。それだけだ」


 それより、とイザークは鬼気迫る様子でシゼルを見上げた。


「こちらの質問にも答えてくれ! なぜお前たちはエルザを死んだことにしてコルナフースからいなくなった? それにあの黒衣の女……ヤツはエルザのことを我が魔女と言った。俺たち教会関係者にとって、魔女とは反逆者の事だ。いったいどういうことだ!」

「それは……


 実は、エルザもコルナフースで天上神フレイに反逆し、神聖魔法のすべてを奪われたとイザークに言ってしまっていいものかという迷いが、シゼルの言葉を詰まらせた。

 先程イザークが言ったように、神殿騎士が反逆者を発見した際は、即座に対象を抹殺しなればならない。それが神殿騎士の職務であり、絶対の掟だ。

 であれば、イザークにエルザの反逆を伝えたら最後、彼は後に引けなくなってしまうだろう。

 だとしたら、そこから先のことは想像に難くない。

(エルザを守ると言うならば覚悟を決めろ、ということか……)

 それはつまり、イザークを殺すことと同義であり、ミズガルズ聖教会を敵に回すということだ。

 エルザを守るという目的の為に屍の山を積み上げる未来への片道切符は、この手に軽く力を籠めるだけで容易く手に入るだろう。

 勿論、自由な冒険者など今日限りで廃業である。

 シゼルはゆっくりと呼吸を整えながら、目の前でこちらを見上げるイザークを見据える。

 そして、わずかな逡巡の後、シゼルは剣を鞘に納めた。


 ――危うく見失うところだった。そんな解決法、ハッシュなら絶対に許さないだろう。


「悪いな、イザーク。しばらく、気を失っててくれ」

「シゼルッ! 貴様やはり……がふっ!」


 鈍い音と共に、イザークの腹部へシゼルの蹴りがめり込んだ。

 堪らずイザークが石床の上で悶絶する。半ば白目を剥いたイザークをシゼルは両手で掴んで立たせると、大きく呼吸を溜めた。

 そして、シゼルがイザークの意識を奪うべく、その顎めがけて拳を振り抜こうとした瞬間、横合いからエルザが抱き着いてそれを制止した。それと同時に、完全に意識を消失したイザークが石床の上に崩れ落ちる。


「待って! 待ってくださいシゼルさん! イザークさんを殺さないで!」

「あ……いや、気を失わせようとしただけだが……それよりもエルザ、急に飛び込んだら危ないぞ」

「え!? 私てっきり……シゼルさんがイザークさんを口封じのために殺そうとしてるのかと…………あれ? 違うんですか?」


 女性としては少し小柄なエルザが、長身のシゼルを抱えたまま、あたふたと表情を変える。その度に亜麻色の髪が揺れ、最後にはたとあることに気が付いて動きを止めた。


「すっ、すみません! 私ったらシゼルさんに抱き着いたままで……」

「ん? いや、俺はあまり気にしないが……」


 耳まで真っ赤に染めたエルザが、慌ててシゼルから体を離す。まるで小動物のようなその仕草に、シゼルは笑いながらエルザの頭を撫でた。


「すまない。守るなんて言って、気を使わせてしまったな。だが、大丈夫だ。そんなことはしない。アイツが、ハッシュが戻ってきたときに胸を張ってお帰りって言ってやれないからな」

「あ……シゼルさん…………」


 エルザは僅かに目を見開いた後、腰のポーチに目を落として、「すごく、分かります。その気持ち」と頷いた。






「――お前達! いいところを邪魔して悪いが、早くその男を回収してここを出るぞ。我とて体の自由が利きにくいこんな場所に何度も入りたくはない」


 唐突に背後から聞こえた不機嫌な声に、エルザが「はいっ!」と背筋を伸ばして返事をする。再び耳まで真っ赤に染めたエルザの返事は、裏声になった挙句に発音がどことなく怪しいものとなった。

 そんなエルザの姿を横目で見ながら、アルタナは意地の悪い笑みを口元に浮かべて「行くぞ」と言うと、さっさと神剣の間を出て行ってしまった。


「シゼルさん。行きましょうか。イザークさんをお願いします」

「そうだな。ここに放っておくわけにもいかないし、広間の外まで担いでいくか」


 照れた様子ではにかんだ笑みを浮かべるエルザに応えつつ、シゼルはイザークを担ぎ上げた。そして、2人はそのまま歩いて神剣の間を後にしたのだった。

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