第50話 仮初の収束

「お前のことだ。つまらぬことに囚われて千載一遇のチャンスを逃すかもしれん、そう思って見に来てみれば案の定このザマだ。愚か者め!」


 薄ら笑いを浮かべたアルタナが、腰に手を当ててわざとらしく嘆息を漏らした。同時に、その隣でアリアが苦笑いを浮かべる。

 突然現れたアルタナに、ハンクは返す言葉も失って、ほんの少しの瞬間呆然となった。だが、すぐ後ろに勇者ヴィリーの体を支配した天上神フレイがいることを思い出して、咄嗟に剣を構えなおす。


「戦闘中だろ! 危険だからアリアを任せたのに、なんで一緒にこんなとこ来てるんだよ!」

「そうでもないぞ。先ほど貴様が放とうとした魔法。それと、この状況。最早、奴に勝利はない」


 その自信はいったいどこから来るんだ。そうハンクが内心でアルタナに毒づいていると、


「貴様の言う通りだアルタナよ。……だが、私に敗北は無い」


 フレイは落ち着いた様子でそういってから、ゆっくりと剣を鞘に戻した。あまりに予想外の行動に、ハンクが目を見開く。


「観念したようにはとても見えないけど、どういうつもりだ?」

「取引だよ、守護者。私と聖女ヴェロニカは、今から魔方陣でここを離脱する。もちろん、お前がそれを邪魔するならば、雌雄を決するまで戦ってもいいが、”元魔王と少年”は、それまで持たないだろう」


 くくっと喉を鳴らすように嗤ってから、フレイは巨大な漆黒の狼と化したリンへ、ちらりと視線を送った。それを追うように、ハンクもその方向を見る。

 すると、先ほどまで巨大な漆黒の狼の姿をとっていたリンは、時折、別の何かが重なるようにして、その姿を歪ませていた。


「……何が起きてるんだ?」

「生命核が融合しようとしてるんだって。冥王竜とリン。このまま暴走が続けば、二つの境界はなくなって、新たな冥王竜が生まれる。もし、そうなれば、私たちはリンとハッシュを失うだけじゃ済まないわ。暴走状態の冥王竜によって、いくつもの街と国が滅びるはずよ」


 アルタナの受け売りだけどね、とアリアは血の気の引いた表情でそう締めくくってから、その顔を歪ませてリンの方を見た。

 今にも倒れそうなアリアの姿に、ハンクは急いでその隣へと後退して肩を貸す。


「アリア、大丈夫なのか? それよりも……その、さっきは助かった。ありがとな」

「気にしなくていいわよ。それに、この症状はただの魔力切れと、触媒代わりに私の生命力を少し使った反動だから。2、3日も大人しくしてれば自然と回復するわ」

「あのなあ……普通、それを大丈夫って言わないだろ」


 アリアの助力がなければ、自分は今ここに立つことすらできなかっただろう。思わず呆れ口調で言葉を返してしまったが、そのことを思うとアリアには感謝の言葉もない。

 仮に、イレーネの魂の記憶をまともに見て呆然自失にでもなっていたならば、きっと今頃すべてを失っていたはずである。他の誰でもない、不甲斐無い自分のせいで。

 しかも、その状況がやって来るのは、トラウマを抉られて疲弊した精神状態の真っ只中である。もし、そんなことにでもなろうものなら、正直なところ正気を保てる自信などない。

 ――だが、実際は違う。

 暴走状態とはいえ、リンとハッシュの気配が消えたわけではないし、瀕死のエルザも帝国野営地の司祭に頼めば助けて貰えるかもしれない。

 可能性はまだ、潰えてはいないのだ。

 

「答えは出たようだな守護者よ。では、私達は去らせて貰う。礼、と言ってはなんだが、ヴェロニカが私の許可なくエルザを治療したことは、不問にしよう」


 満足げな様子のフレイの言葉に、ヴェロニカが目を見開いた。

 そんなヴェロニカの様子など気に留めようともせず、フレイは彼女の頭部へ手を伸ばし、その手でプラチナブロンドの髪をひと房掬った。

 同時に、ピクリ、とヴェロニカの肩が揺れた。

 快楽などではない。明らかに恐怖だ。女性と付き合った事などないハンクでさえ、それと分かる程ヴェロニカは怯えている。


「エルザを治してくれた事、礼を言うよ。だけど、そんなに怯えてまでフレイに従う必要あるのか? そんなの、信仰でも何でも無いだろ!」

「分かったようなこと言わないで! エルザがあんな風になった原因は、あの魔王にあるのよ? それに、私がいなかったら誰が高位の神聖魔法で傷病者を助けるの? さっきだって、私が治さなきゃエルザは死んでた……守護者だか何だか知らないけど、貴方の一言で信仰が覆る程、聖女の責任は簡単なものじゃないわ!」


 強烈な怒気とともにそう吐き捨ててから、ヴェロニカはハンクとリンを順番に睨み付けた。”聖女”という称号からはあまりにかけ離れたその剣幕に、ハンクは思わず息をのんだ。

 よくよく考えてみれば、後から来たハンクは何故エルザが瀕死なのか、まるで事情を知らない。

 リンが原因だということは、あの竜巻や黒い稲妻に巻き込まれたのだろうか?

 ――いや、そうではない。

 なんとなくだが、それどころではない何かが起きたように感じる。そうでなければ、これほどまでに”聖女”である彼女が激高し、あのような目をすることなどないはずだ。

 出来れば、暴走したリンに直接襲われた、ということだけはないことを祈りたい。もし、そうであったなら最悪だ。地雷を踏みぬいたどころの話では済まないだろう。

 なんにせよ、悲劇は起きてしまった。いまさら自分に何か出来ることなどないのだ。リンは暴走し、瀕死となったエルザはヴェロニカの神聖魔法で一命を取り留めた。

 その事実を前に、ハンクが唯一出来たことは、ただ沈黙することだけだった。




 ――そして、フレイが束の間の沈黙を破った。




「さて、アルタナとその守護者よ。私はこれより帝都フレイベルクに戻り、自身が神であることを公表する。その上で、残存するほかの天上神を集め、貴様らに宣戦布告しよう。この地上を恒久的に天上神のものとするために」


 言い終わるや否や、フレイの足元に魔方陣が浮かび上がった。その魔方陣はフレイとヴェロニカがすっぽり入るほどの大きさまで展開すると、円柱状の光の柱を出現させた。

 直後、その場からフレイとヴェロニカの姿が消えた。


「……やっと行ったか。これで奴らとの全面衝突は避けられなくなったが、まあいい。予定通りリンを戦力とすればよいのだ。行くぞ、ハンクよ。呆けている場合ではない!」

「なにがなんだか……くそッ!」


 やれやれと言わんばかりにアルタナはため息をついてから、リンの方へ視線を移動させた。今もリンの体は、時折、巨大なドラゴンの姿が重なっては消えてを繰り返している。段々とその周期が短くなってきていることから、状況はあまり良くないと言わざるを得ない。


「……アルタナ。リンとハッシュを元に戻せるのか?」

「ハンクよ。我が誰だか忘れていないか? ――だが、状況は良くない。可能性は低いが、奴らを神器と一体化させなければならないだろう。それ以外に助ける方法はない。それと、エントの巫女よ。近いうちに、再びお前の力を借りる必要がある。その時まで、しっかりと体を休めておけ」

「え……? どういうこと?」


 アリアの言葉には答えず、言いたいことだけを言って、アルタナは巨大な漆黒の狼と化したリンに向かって歩き出した。

 漆黒のバトルドレスを纏って悠然と歩く黒髪の少女に、いくつもの竜巻や落雷が襲い掛かる。だが、それらはすべてアルタナに届くことはなく、次々と魔力へ変換されて霧散していった。

 

「少々、厄介か。同化が始まってしまったな」


 一言、アルタナが気だるそうに呟くと、地面に落ちていた漆黒の鎖を拾い上げた。それは、神器グレイプニル。冥界神フェンリルの神威そのものである。


「……余程あの娘に入れ込んだのだな。そういえば、あの特異点から彼女を救ってやったのもお前の頼みだったか」


 懐かしむ様に言ってから、アルタナは鎖を引き寄せた。四方に散らばった大量の鎖が、自らアルタナの掌に集まり圧縮されていく。そして、そのまま一点に集まった鎖は、1辺5センチほどの黒い立方体へと姿を変えた。


「神器を維持するために、依代である少女の願いと自らの神性を同化させたのか」


 尚も悠然と歩きながら、アルタナは黒い立方体を観察する。合間に後ろを確認すると、ハンクがアリアとエルザを守るように隔絶障壁魔法を展開しているのが見えた。


 ――つくづく苦労性な男だ。


 見た目は普通がいいとか、平穏な生活が望みだとか、どうしてあんな男に6つもの生命核を連結させるだけの力を持った規格外の魂が宿っていたのか不思議でならない。

 偶然、と言ってしまえばそれまでなのだろうが、それもまた一興だ。

 アルタナは立ち止まって笑みを漏らし、ゆっくりと前方へ視線を向けた。

 そこには、威嚇の声を上げてアルタナを睨みつける、巨大な漆黒の狼がいた。


「さて、リンよ。この黒き箱がお前の柩となるか、それとも力となるか。――試練の時だ。フェンリルよ! その中で微睡んでいるなら、最後に一つくらい神らしいことをしてやるといい」


 巨大な漆黒の狼と黒い立方体。アルタナは、その両方に語りかけながら、するりとリンの胸元へ潜り込んだ。


「我、アルタナが赦そう。しばしの眠りだ。神器よ、再構築せよ」


 瞬間、黒い立方体がいくつにも割れて大きく展開し、巨大な漆黒の狼となったリンをその内へと捕らえた。僅かな時間、巨大な漆黒の狼が抵抗する素振りを見せたが、すぐに大人しくなり、それと同時に黒い立方体が収縮を始めた。

 数秒後、巨大な漆黒の狼は、アルタナが手に持った黒い立方体へと吸い込まれるように消えた。

 

「リンは……二人はどうなったんだ?」

「奴らの生命核と魂は既に冥王竜と同化を始めていた。もう単体で取り出すことは叶わん。だから、神器の構成要素として取り込み、我の魔力を与えて再構築をかけた。時間はかかるが、上手く行けば新たな力を宿して顕現することだろう」


 巨大な漆黒の狼が消えて、すぐに追いついてきたハンクへ向かって、アルタナは黒い立方体を投げた。ハンクは突然の飛来物に吃驚しながらも、それを左手で掴み取って、そのまま手の中に納まるそれに目を落とす。

 

「時間って、どれくらいかかるんだ?」

「どうだろうな? 明日かもしれぬし、数年後かもしれん。そもそも、あの二人が我の魔力を受け取るに相応しくないのであれば、永遠にその日は訪れないだろう」


 神の魔力を受け取る。その言葉の意味に、はたと思い当ってハンクとアリアが顔を見合わせた。


「”神降ろし”のことだろそれ……」

「それって、”神降ろし”でしょ!」


 その通りだ、とアルタナは意地悪そうに言ってから、口の端を僅かに歪めた。

 本心を言えば、リンと青髪の少年の両方が助かる必要はない。ハンクの強化に使うはずだったラダマンティスのエネルギーを、リンに必要な分だけ残して取り出すことが出来ればそれで良かったのである。

 だと言うのに、気が付いてみれば、両方を助けるべく魔力を与えることまでしてしまった。ハンク達には神降ろしだと言ったが、実際に与えた魔力の量は、その10分の1にも満たない。これは、どちらかというとリンの生命核を賦活化させるのが目的の為だ。とは言え、青髪の少年には生命核を得るに足る、十分な魔力量である。勇者や魔王ほどの強さはないが、その分成功率も高い。


「あとは、奴らの運次第だろうよ」


 どうやら、ハンクの調子に毒されていたのは仲間達ばかりではなかったらしい。ふとそう思うと、自然と笑いが込み上げてきた。


「なんだよ……アルタナ。普通の女の子みたいな笑い方して。どっかおかしいんじゃないのか?」

「たわけ! 余計なお世話だ。そんな事よりも、フレイに対抗する為に、こちらも態勢を整えたほうがいい。お前の仲間を回収したら、どこかに身を隠すぞ」


 アルタナの真意を測りかねて、ハンクがきょとんとなった。


「まさか、一緒に来るってことか? って、それよりも……結局、神の世界でアンタに言われた通り、神様に歯向かうことになるのかよ……」

「当然だ。転生の条件は我を楽しませることだったはずだろう? 貴様に平穏など無い!」


 目の前でにやりとするアルタナにハンクが絶句し、小さく呻き声を漏らした。


「キミの負けね」


 クスリと小さく笑ったアリアに、ハンクは恨みがましい視線を送り付けてから黒い立方体をポケットにねじ込んだ。そのまま、シゼルの方へ向かって、手を振りながら歩き出す。

 そんなハンクの後ろ姿を見ながら、アリアは軽く首を竦めて、アルタナの方へ振り返った。


「ねえ、アルタナ。どうして急に助けてくれる気になったの?」

「気紛れだ、我が眠り姫のな。……とは言え、引きこもるにも限度がある。そろそろやる気を出してくれないと、我としても些か都合が悪いのだがな」


 そう、とアリアは曖昧に相槌を打ってから、ゆっくりと一つ深呼吸をした。


「行きましょう。ハンクの事だから、きっとエルザを抱き上げるのに手間取ってるわ」

「まったく……我が眷属ながら情け無い奴等め……」


 創造神アルタナが誰にともなく呟いたそのつぶやきは、死の呪縛から解き放たれたコルナフースの街へ溶けるように消えていった。

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