第41話 取り残された暗闇に潜むモノ

 コルナフース街門。本来であれば、街の外と内を隔てる石造りのそれは、今や瓦礫の山と成り果てていた。

 ハンク達の当初の予定では、馬車のまま街の内部へ入り、リンとエルザを救出した後、さっさと脱出するつもりであった。

 だが、街への侵入経路が塞がれた事で、ハンク達の目論見はあっさりと潰れてしまった。

 予定の変更を余儀無くされたハンク達は、仕方なく馬車を街の外に停めて馬を木に繋いだ後、瓦礫の間を縫ってコルナフースの街へと侵入したのだった。


「家も、道も、何もかもボロボロじゃないのさ…… ほんの数か月で、こんなにも酷くなるなんて……」


 石畳が抉れて所々に穴が空いた地面。無残に崩れ落ち、焼け焦げた跡を残す、民家や施設の残骸。コルナフースの街に入って、まず最初に視界に入ったその光景に、ハッシュが目を見開いた。

 ハッシュの隣を歩いていたシゼルが、大きく嘆息を漏らす。


「うむ。ここまで酷いとは…… 街門が無事だったとしても、どのみち馬車は使えなかったな」

「日没までにリンとエルザを見つけないと、アンデッド達に馬車を破壊されて、走ってここから逃げる羽目になっちゃうじゃないのさ!」


 油断無く周りを見渡しつつ歩くシゼルを見ながら、馬車が破壊された時の事を想像して、ハッシュがげんなりと肩を落とした。

 そんな2人の会話を聞きながら、ハンクは、イザークに聞いたアンデッドの特徴を思い返した。

 イザークによると、アンデッドは、太陽の光を浴びせる事や、加護を得た武器による物理的攻撃によって破壊出来る。アンデッドは、太陽の光の下で、その存在を維持できないのだそうだ。

 しかし、それだけでは本当の意味でアンデッドを討伐したことにはならない。

 本当の意味でアンデッドを討伐するというのは、即ち、魂を浄化すると言う事だ。そして、それが可能なのは、司教や司祭と呼ばれる者達が行使する浄化魔法、《フューネラル》のみである。

 その為、死霊の王ノーライフキングによって魂に呪いを刻まれてアンデッドと化した者達は、浄化魔法、《フューネラル》によって魂が浄化されるまで、夜が訪れる度に何度でも同じ個体が再出現するのだ。

 真偽は不明だが、アンデッド達が再出現する瞬間、彼等は自らの死を再び体験するのだと言われている。

 痛み、苦しみ、怒り、恐怖、憎しみ、そして絶望。そう言った負のエネルギーは、アンデッドをさらに強化する。倒されれば倒される程、時が経てば経つ程、アンデッド達は高位の魔物へと姿を変えるのだ。

 勿論、数日や十数日で、それ程強さが変わる訳ではない。しかし、3ヶ月も経つ頃には「下級冒険者1人で倒せるはずのスケルトン」という立場が、あっさりと逆転してしまう。

 そして、それが数年、数十年、数百年というスケールになった時、長き年代を経た個体は、死霊の王ノーライフキングと呼ばれる存在へと至る。

 ――だが、コルナフースは単なる山あいの街だ。

 そう言った条件が重なるのは、深層のダンジョンなど、滅多に人間が踏み込む事が出来ない場所である。なぜ、単なる山あいの街であるコルナフースに、突然そのような個体が現れたのかは解らない。しかし、現実に現れたそれは、一晩でコルナフースを死の街へと変えた。

 

「不自然……だよな。ノーライフキングがこんなとこに現れるのも、エルザとリンが攫われたのも」

「ああ。コルナフースの近くに、ダンジョンがあるなんて話は聞いたことが無い。ノーライフキングが出現しそうな場所は各地にあるが、ミズガルズ聖教会の調べで、この辺りは安全とされていたはずだ」


 違和感というよりは、誰かの手の上で踊らされている気持ち悪さ。悪意、とでも言うのだろうか。そういうものを感じて、ハンクはイザークに首を竦めてみせた。そんなハンクを見て、何か考えるように顎に手を当てたイザークだったが、はたとある事に気が付いて立ち止まった。


「ハンク。コルナフースに入ったのはいいが、日没までにエルザをどうやって見つけるんだ?」

「ん? ああ。もうやってる。2人は、街の真ん中にある、あの城にいるはずだ」


 ハンクは何気なくそう言ってから、街の中心にある、朽ちた城を指差した。

 何の迷いも無くエルザとリンの場所を断定したハンクに、イザークが訝しむ様な視線を向けるが、ハンクは「行こうぜ」と短く言って歩きだし、それに知らない振りを決め込んだ。

 ……やらかしたかもしれない。

 そんな事を思いながら、ちらりと横目で見たイザークの顔には、盛大に疑問符が張り付いていた。

 もし、イザークがこのまま立ち止まっているようなら、強引にでも手を引っ張ってやろうか、などという考えがハンクの脳裏によぎる。だが、現実にそれを実行する前に、アリアが「時間が惜しいわ。急ぎましょう」とイザークを急かすと、彼は、はっとなって歩き出した。

 アリアの咄嗟の機転にハンクが心の中で賞賛を送り、横に並んだ彼女を見ると、フードの隙間から碧い双眸と目が合った。――もちろん、ジト目である。

 なんでだろう? アリアの「キミ、バカなの?」と言う声が、ハンクの脳内で勝手に再生されるのは。しかも、アリアの口から発せられた訳でも無いのに、彼女は今、その言葉を一番強く思い浮かべていると言う確信すらある。

 背筋に冷たいものを感じつつ、引きつり笑いを浮かべながらハンクは前を向いて、廃墟と化したコルナフースの街を視界に収めた。

 依然、街の中心にある朽ちた城から、リンとエルザの気配を感じる。きっと、2人で間違いないだろう。

 なにせ、ハンクはルクロから馬車で移動する間、ずっと気配感知の練習をしていたのだ。リンとエルザだけでは無く、他の仲間たちの気配も、常に身近で知覚していたのだからしっかりと憶えている。

 最初は青白い光の塊の大きさでしか違いを感じ取れなかったが、何日もやっていると、次第にその人が持つ特有の雰囲気が気配として識別できるようになった。

 リンに気配感知を教えて貰った時、彼女はその気配を魔力だと言っていた。確かに、魔力の根源は魂の力だ。その為、魂の力が強ければ強い程、その者が持つ魔力は強大になる。勿論、その逆も成り立つだろう。

 実際、リンの気配は強く大きく、エルザの気配はそれに比べてかなり小さい。

 だが、ハンクは、大小だけを見て2人を確定した訳では無い。

 リンからは飄々とした雰囲気の中に、時折、気を抜いたら爆発するのではないかと言う荒々しさを感じる。エルザは柔らかく暖かいのに、時々うっすらと影がちらつく。

 リンとエルザが心の内に何を秘めているのか、それをハンクが知っている訳ではない。あくまで、ハンクがそう感じる、というだけの話だ。

 だが、ハンクにとって、これが彼女達の魂の気配である。アルタナですら認識していなかった、ハンクの魂に触れる力。きっと、その力の所為でこんなふうに気配を感じ取れるのなら、同じ生命核持ちであるリンとは、その感じ方も違っているのかもしれない。

 そんな事を考えながら歩いていると、ふと、横合いにある倒壊を免れた民家から、黒く光る粒子の塊――アンデッドの気配を感じた。


「みんな止まれ! この家に何かいる」

「よく気がついたな。暗がりの奥に、あれは…………子供のゴーストか……」


 ハンクの制止に、すぐに反応したイザークが民家を見据えた。

 太陽に背を向けた民家の鎧戸はすべて閉まり、扉を無くした玄関が、黒く塗りつぶされた様にぽっかりと穴を開けている。そして、その玄関から覗く真っ暗な室内で、全身半透明の少女がこちらを向いていた。

 少女の髪は乱れて顔の上半分を覆い、ボロボロの衣服から細い手足が伸びている。見た目だけでは、イザークが言う様に、子供としか分からないだろう。

 だが、気配感知で魂そのものの気配を感じているハンクには、それが幼い少女だと言う事がハッキリと認識できた。


「油断は禁物だ。子供でも、ゴーストならば魔法を使ってくる。強敵だぞ」


 少女のゴーストを見据えたまま、イザークが剣を抜いた。

 それに倣って、シゼルとハッシュも、それぞれに武器を構える。


「エルザがいないから、浄化してあげられないじゃないのさ…………倒す、しかないんだよね……」

「ああ。こうなっては子供と言えど、”魔物”だからな……それに、此処が廃墟と化して3ヶ月だ。油断していい相手じゃない」


 アンデッドは魔物である。面と向かいあった時、その姿に惑わされれば、当然、命を失う。

 それがこの世界の常識だ。

 どんな姿をしていようと、アンデッドに情けを掛ける訳にはいかない。そんな事をすれば、次にノーライフキング呪いをその身に刻まれるのは、自分や仲間の誰かなのだから。

 冒険者に神殿騎士。内心はどうあれ、彼等はそれをしっかりと理解した者達なのだ。

 シゼルとハッシュの武器には、デニス司教の加護が付与されている。勿論、神殿騎士であるイザークの武器にも特別な加護が付与されている。

 3人が動けば、ゴーストの少女は瞬く間に倒されるだろう。エルザのいない今、彼女の魂を浄化する手立ては無い。

 不本意ながらも、そうする他ないのだ。


 ――だけど、本当にそうだろうか?


 それぞれに武器を構える3人を見て、そんな考えがハンクの脳裏をかすめる。

 昨晩、エルザが浄化魔法の力でアンデッド達をノーライフキングの呪いから解き放ち、再び彼等を輪廻の輪に還した時、あの場には魂の燐光が満ちていた。

 更にその前、ハンクがアンデッド達の気配を感じた時、彼等は黒く光る粒子の塊として感じた。

 勿論、今、目の前にいるゴーストの少女だってそうだ。

 黒く光る粒子が、青白い光の塊を殻のように覆っている。きっと、その殻の様な物が、ノーライフキングの呪いなのだろう。

 その呪いの所為で、この少女は倒される度、夜を迎える度、自らの死を再体験する。

(クソッ! ダメだろ、そんなの。これじゃ、あの時と、ラーナの時と一緒だ!)

 気が付くと、ハンクの体は勝手に動いていた。

 自分より体の大きいシゼルとイザークを押しのけて、ハンクは民家の玄関前に立った。シゼルとイザークが制止と抗議の声を上げるが、お構いなしだ。


「俺に、まかせてくれないか」


 振り返りもせずそれだけ言うと、ハンクは暗い闇に包まれた室内に向かって一歩踏み出した。それと同時に、ハンクの方へ向けて少女の手が持ち上がり、その手に魔力の青白い燐光が纏わり付いた。

 攻撃魔法を使う気なのだろう。


「もういい。散れ!」


 さらに歩を勧めながらハンクがそう言うと、少女の手に集まろうとしていた魔力の光が霧散した。

 ノーライフキングの呪いである黒い殻に魂を覆われても、放たれる魔力まで、呪われて黒くなるということは無い。

 とはいえ、この光景はハンクのみに見えるものだ。

 ハンク以外の目には、自我のほとんどを無くした少女が、低く唸りながら彼に手を向けているにすぎない。

 そんな中、ハンクは1歩2歩と、ゴーストの少女に向けて近づいて行く。


「まさか…………魔法解除……大森林で初めて会った時と同じじゃないのさ……」


 ハッシュが音を立てて生唾を飲み込んだ。大森林でハンクに拘束魔法を使おうとして、強制的に魔力を霧散させられた感触が、ハッシュの手に生々しく蘇る。


「あれがそうなの? 見た感じ、何も起きてない様にしか見えないわ」

「そりゃそうさ、強制的に何も起きてない事にさせられてるんだ。普通の魔法妨害とはレベルが違い過ぎてる。僕も一度体感したから解るけど、あんなの、反則じゃないのさ……」


 信じられないものを見るようなハッシュの表情を見てから、アリアがハンクに視線を戻した。すると、ハンクは既に少女の目の前に到達していた。


「いろいろ考えたけど、ゴメンな。こんな方法でしか助けてやれなくて」


 ハンクは静かにそう言ってから、すらりと長剣を抜き放った。

 柄を持つ手に軽く力を入れて、剣身に魔力の光を流し込んでいく。呪いの殻だけを破壊できるように、純粋な魂の力としての魔力のみを抽出して。

 狙いは少女の心窩部。そこに、黒く光る粒子が塊となって、本来の魂を覆い尽くしている。

 外すわけにはいかない。慎重に狙いを定めて、ハンクは長剣を横に薙いだ。


 ――刹那、少女の口が動いたように見えた。


「礼なんて、俺に言ってどうするんだよ……」


 ポツリとハンクがそう言うと、少女の姿は闇に溶けるように消え、替わってその場に残った青白い塊が、空へ向かってゆっくりと霧散していった。







「お礼くらい素直に受け取りなさいよ。彼女の為に、キミだけが最後の最後まで考える事をやめなかった。やり方が気に入らなくても、彼女を救った事に違いは無いわ」


 不意に、ハンクの真後ろからアリアの声が聞こえた。咄嗟にハンクが後ろへ振り向くと、フードの中のアリアと目が合う。

 金髪碧眼の美少女は、その顔に満面の笑みを湛えて、「お疲れ様」とハンクを労った。


「その………………ありがとな」


 色々な感情が綯い交ぜになった頭で、何とか絞り出したその言葉は、静寂に沈むコルナフースの街へと消えたのだった。

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