第4章 死者の街
第29話 「行ってきます」
1か月前、日没直前に突然現れた謎のドラゴンによって難民街は壊滅し、市街地を北部から西部にかけて通過した、高エネルギーのドラゴンブレスによって、ドルカスの街は甚大な被害を受けた。
突如として現れた謎のドラゴンを討伐するべく、ドルカス所属の騎士団全軍と、緊急討伐依頼を受けた冒険者達が大慌てで準備する中、何の予兆も無く、俄かに天を貫いて巨大な稲妻が顕現した。それと同時に、ドルカスを飲み込んだ形容しがたい程の爆音と強烈な閃光。そして、そのすべてが収まった時、謎のドラゴンはその場から姿を消していた。
あまりの出来事に、ドルカスにいたすべての人々が、その出来事を神の御業だと信じ、感謝の祈りを奉げたほどだ。
――神罰の
ドルカスの人々に、そう呼ばれたその奇跡が、一人の見習い冒険者ハンクの放った魔法であったなどと言う事は、1か月を過ぎた今でも、その場に居たアリア達4人以外、誰一人知らない事実なのである。
「おはよう、レジーナ。新しいマナクルタグ、受け取りに来た」
冒険者ギルドの扉を開けて屋内に入ったハンクは、赤毛の受付嬢に声を掛けた。レジーナと呼ばれたその受付嬢は、受付カウンターにゆっくり近づいてくるハンクをその視界に認めると、にっこりと笑顔を返す。
この1か月、ハンクはリンとの約束を守る為、毎日の様に冒険者ギルドに通って依頼をこなしていたのだ。レジーナは勿論、冒険者ギルド職員達とも、すっかり顔馴染みである。
「おはようございますハンクさん。あれ? 皆さん旅の準備までして、ランクアップだからって早速遠出ですか?」
「まあ、そんなとこかな」
「あはは。初めての遠出なので、気を付けてくださいねなんて言葉、ハンクさんには無用ですね。この1か月、とても見習いとは思えない事ばかりしでかしてくれましたし……」
笑顔のままレジーナが最後に言葉を濁すと、ハンクは、ばつが悪そうに苦笑いを返した。
冒険者登録初日に、修練場でリンと大立ち回りを繰り広げた事に始まり、この1か月、大騒ぎが起きると大抵そのどこかにハンク達が関わっているのだった。しかも、何故かトラブルは決まってレジーナが受付をした時にばかり発生したのである。その為、ハンクと一緒に事後処理に奔走した事も、1度や2度ではなかった。
「えっと……ブロンズにランクアップしといてとは言ったけど、かなり悪目立ちしてみたいだね」
「その……あんなことがあった後だし、仕方ないじゃないのさ。依頼も選べるような状況じゃなかったし……」
「そうね。壊れた城門の修復の依頼とかちょっとやり過ぎだったわね。
半眼でじっとりハンクを見たリンに、ハッシュがフォローを入れる。だが、そうはいかないとばかりに、斜めに視線を落としたアリアが淡々と非難を口にした。
普段は金髪碧眼をフードで目立たない様にしているが、ハイエルフであり上級冒険者でもあるアリアは、ドルカスでは有名人なのである。そして、精霊魔法はハイエルフの専売特許だ。その為、ハンクが精霊魔法を使える事を知らない他の冒険者が、短絡的にそれをアリアの仕業と誤解しても無理からぬ事であった。
それを知ってか、背後から聞こえるアリアの静かな声色に、ハンクの背筋に冷たいものが流れる。だが、アリアの口元はわずかに笑っていた。
実害のあったアリアにしてみれば、これくらいの意趣返しはお茶目の範囲だ。
そんな事を思いながら、アリアが視線を戻すと、苦笑いのレジーナとハッシュ、ニヤニヤするリン、前を向いたまま微動だにしないハンクが目に入った。横目には、いつの間にか左隣の窓口で、淡い緑の髪の受付嬢と談笑するシゼルの姿が見える。
「あとは、強力な瘴気に引き寄せられて飛んで来たワイバーンを、超遠距離から魔法の一撃で倒した、なんてこともあったわね。大物だから、みんな期待してたみたいだったわ」
「あれは……まさか緊急招集が掛かるくらい強い奴だったなんて、知らなかったんだよ……」
「まあまあ、アリアさん。でも、その甲斐あって、マナクルタグはシルバーなんですよ!」
きっちり追撃を入れるアリアを
「そんな! 僕と一緒じゃないのさ!」
「はい。まさかの飛び級なんです! 騒ぎは起こしましたが、ギルドに貢献した事に間違いはないので……」
「すごいね。私、追い抜かれちゃった。でも、これで国境越えは問題ないね」
「え……? それはどう言う…………」
ほえーと感心するリンの言葉に、笑顔でマナクルタグを持つレジーナの表情が曇った。
国境を越える。それはつまり、遠出などでは無く旅に出ると言う事だ。当然だが、彼等は冒険者である。旅に出るなど珍しい事では無い。出し抜けに発せられたその言葉に、思わず感情を表に出してしまった事をレジーナは後悔した。この1か月で急速に親しくなった分、突然聞こえたその言葉に、上手く対応できなかったのだ。
笑顔で冒険者達を送り出すのは、冒険者ギルド受付嬢の大事な仕事の1つである。
身の丈に合わない依頼を受けて、無謀に旅立とうとする者以外、みだりに引き止めるべきではない。勿論、レジーナはその言葉を口にした訳ではないが、親しくなった冒険者にそのような表情を見せる事が、それと同義である事など考えるまでも無い。
どんな階級の冒険者であれ、旅をするという事は命の危険を伴う。
大きな目的や依頼の為、気持ちを奮い立たせて旅に出る冒険者達の心に、迷いを与えてはいけないのだ。
それは、冒険者ギルド受付として当然の心構えであり、先輩であるカタリナに普段から言われていることでもある。ちらりとそのカタリナを横目で見ると、先ほどからシゼルと二人で談笑していた彼女と目が合った。
そして、左隣のカウンターにいたカタリナが、レジーナの方を向いて、右耳に掛かった淡い緑の髪を後ろへ流しながら口を開いた。
「レジーナ。マナクルタグを渡そうって時にそんな顔しちゃだめよ」
「すみません。先輩。油断、しちゃいました」
「ふふ。笑顔、忘れないでね」
「はい!」
お互いに確認するようににっこり微笑んでから、レジーナは再び前を向いた。怪訝な顔でレジーナを見るハンク達と目が合う。二度、同じ事をする訳にはいかない。
「せっかくのランクアップの時に、すみません、ハンクさん。では、新しいマナクルタグお渡ししますね」
「ありがとう。レジーナにも大分迷惑かけたから、大事にするよ」
「絶対なくしちゃダメですよ。マナクルタグだけ戻ってきても、私、絶対受け取りませんから」
レジーナの笑顔と一緒に差し出されたマナクルタグを受け取りながら、彼女が言った意味を量りかねてハンクが一瞬きょとんとする。しかし、すぐにその意味に気が付いてはっとなった。
勿論、マナクルタグだけが冒険者ギルドへ戻ってくると言うのは、最悪の事態――その所有者が死亡した時の事である。
この1か月間、魔神アルタナは姿を見せず鳴りを潜めていた為、すっかり気が緩んでいたが、次にどんな刺客を放つか分かったものではないのだ。しかも、アルタナはラーナと言う依代を得て、この世界を好き勝手に歩き回っているはずである。油断も隙もあったものではない。
「レジーナの言う通りだ。すっかり油断してた。……気を引き締めないとな」
「油断してたじゃないわよ。キミ、リンが戻ったら帝国に行くってレジーナに言ってないの?」
「あれ? てっきりシゼルが伝えてると思ってたけど……ほら、なんかリーダーっぽいし……」
「そんな訳無いでしょ……」
はあ、と一つ溜め息まじりに言ってから、アリアが再び口を開いた。
「元からリーダーが誰かなんて決めてないわ。それに、帝国へ行くって言い出したのはキミなんだし、自分で伝えなさいよ」
「急にみんなで旅支度して、いきなり帝国行ってくるなんて言ったら、レジーナだって吃驚するに決まってるじゃないのさ。それに、シゼルがリーダーなんてしたら、あっちこっち首を突っ込んで、俺に任せろ! ってなっちゃうから向いてないよ」
「いや……ハッシュ。お前がそれを言うのか……」
がっくりうな垂れるハンクに、アリアが「ほらね、そんなの決めるだけ無駄でしょ」と声を掛けた。
アリアの声に、若干の諦めが感じられなくも無い。彼女にも思う所があるのだろう。
なにせ、アリア達がハンクと荒野で出逢うまでの1か月は、3人でパーティを組んでいたのだから。
それはさておき、今更ではあるが、いろいろ迷惑を掛けたレジーナには、旅に出る事をちゃんと伝えなければと思う。
うな垂れた頭を起こして前を見ると、レジーナは、目の前で繰り広げられるやり取りに苦笑している。その横ではカウンターに肘を掛けたリンが、再び半目でじっとりハンクの事を見ていた。
「えっと、ゴメン。今更だけど、俺個人の用事と、エルフ王からの依頼で、リガルド帝国に行って来るよ」
「え!? エルフ王からの依頼って、……
「ま……まあ、そういうことになるかな? その時俺は冒険者登録すらしてなかったから、アリア名義で依頼を受けてるけど……」
仲間たちの視線を浴びて、居心地が悪そうに話を切り出したハンクに、レジーナの素っ頓狂な声が室内に響く。当然ながら、冒険者ギルド中の視線が更に集まり、一層居心地が悪くなった。
それに気が付いて、レジーナが急いで口を手で蓋うが、勿論、後の祭りである。余計な事を言ったかもしれない。そう思った時には「キミ、バカなの?」と、冷ややかに言うアリアの声が後ろから聞こえた。
「そ、そう言う訳だから、旅に行ってくるよ。皆、元気な姿で帰ってくるって約束する」
「すみません……私ったら大きな声を出して。でも、分りました。無事に帰ってきてくださいね。約束ですよ」
「ああ。もちろん」
こうなったら、後ろにいるその他大勢の冒険者たちの視線は、すべて無視だ。
前世の奥村桐矢であった頃、営業の仕事でプレゼンするときは、目の前の聴衆をジャガイモだと思えと上司に発破を掛けられたことを思い出す。勿論、当時はそんなこと思える訳も無かった。仕事ばかり丸投げして、鬱陶しい事この上ない上司だったが、多少は役に立つことも言ったものである。
会社を辞めた上に異世界に転生した今頃ではあるが、少しくらいは感謝しておいてやろう。突然向けられた不特定多数の視線に、久しぶりの緊張感を味わいながらハンクがそんな事を思っていると、カタリナと会話を終えたシゼルが戻ってきた。
「まあ、気にするなハンク。ギルド中が俺達を送り出してくれてるみたいじゃないか」
「ここにもいたわ。……キミと同じのが」
はあ、とため息をついてボソリとアリアが呟く。しかし、シゼルはそれに構わず言葉を続けた。
「何のことだ? それはそうと、挨拶も終わったなら、出発しよう。カタリナに聞いたが、荷馬車を護衛するような依頼もないようだし、さっさと国境を越えようか。路銀を稼ぐ依頼は帝国に入ってからだな」
「さすがシゼル。それとも、カタリナさんが気を利かしてくれたのかな? なんにせよ、居心地も悪くなってきたし、出発しよう」
リンに同感だ。そう思ってシゼルを見ると笑顔のまま固まっていた。図星の様だ。それを見たカタリナが、クスリと吹き出す。ドヤ顔一歩手前の笑顔だけに、シゼルはしばらく立ち直れないだろう。
なんにせよ、しばらくはドルカスの街やこのギルドともお別れだ。ほんの1か月の間だったが、いろいろな事があった。すっかり馴染みになったギルド職員達や、冒険者達。彼等を何となく見渡してから、最後、レジーナが目に入る。
「じゃあ、行って来るよ。帰ってくるって約束したし、またな」
「はい。皆さん、気を付けて行ってきてくださいね」
レジーナが笑顔でそう言うと、アリア達もそれぞれ別れの言葉を口にした。
そして、ハンクが歩き出そうとしたその時、唇をキュッと横に結んだレジーナが、ハンクに向かって一言声を出した。
「ハンクさん! 行ってらっしゃい」
「……あ、ああ。行ってきます」
レジーナの笑顔にドキリとしながら片手を上げて応え、ハンクは冒険者ギルドを出た。そのまま、しばらく歩いたところで、リンがハンクの近くに来てボソッと呟く。
「ハンクって、意外と悪い男だね……」
「なんだよそれ! そんなわけないだろ!」
ニヤニヤするリン、吹き出すアリア、苦笑いするシゼルとハッシュを見ながら、ハンクの叫びがドルカスの街に響いた。
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