第28話 春の雨
夕日の光を反射して、瓦礫の隙間で茜色に輝く生命核を、ハンクは
アイアタルの時は、無造作に生命核を拾い上げたお蔭で、ラーナの記憶に飲み込まれてしまったのだ。今回も同じことが起きないとも限らない。
特に、あのヴァンと言う少年は、自らの意志で生命核をその胸に埋め込んだ程である。下手にその記憶を覗いてしまえば、きっと後味の悪いものになるだろう。
しかし、裏を返せば、それさえ我慢出来るなら、今回の騒動の裏で暗躍する、勇者ヴィリーの情報を得る事が出来るかもしれない。
だが、とてもそんな気分にはなれそうにない。
なぜなら、ラーナの記憶を覗いてしまった時の事が、ハンクにとってトラウマになっているからだ。
ハンクは、その手に持った握り拳大の生命核に、なにも見せないでくれと、努めて侵入を拒否するように念じる。
最初からリンに拾ってもらえばよかったと、そんな事さえ思いながら、ハンクはその手に持った生命核をリンに差し出した。
「アルタナの奴はあんなこと言ってたけど、約束だったしな。コレ渡しとくよ」
ハンクにしてみれば、さっさと受け取ってほしかったのだが、リンが生命核に手を伸ばす気配は無い。ハンクが訝しむ様にリンを見ると、彼女は何とも言えない複雑な表情をしたその顔に、無理やり笑顔を浮かべた。
「ホントはね、解ってたんだ……もう、手遅れかもしれないってこと」
「……あきらめるのか? さっき、やってみなきゃ分からないって言ったのはリンだろ?」
「……そうだね。でも、アルタナの言う通り、しばらく前から、どんなに呼びかけてもフェンリルが答えてくれないんだ。元々、弱り切って眠りについてるような状態だったから、ほとんど言葉なんて帰ってこなかったけど。それでも、エルダー火山に行ったくらいまでは気配もあったんだ。だけど、今は……その気配が無いの。グレイプニル越しに呼び掛けてもダメ。存在そのものが、そこに無いの……」
最後の方は消え入りそうな声でそう言って、リンが俯く。ハンクはリンに返す言葉を見付けられず、ラダマンティスの生命核をグッと握り締めた。
「それって……まさか、リンの神様は……」
ほんの少し沈黙が流れた後、自ら導いた答えを口にする事が出来ず、ハッシュは呆然とリンを眺めた。
「多分、フェンリルは消滅したんだと思う。自らの存在を信じる民、つまり眷属がすべていなくなった時、概念の外枠を失って、神は消滅するわ」
「それじゃあリンの友達は? 僕らは間に合わなかったの!? それに、眷属すべてがいないなんて……そんなの、あんまりじゃないのさ!」
言いにくそうに事実を告げるアリアに、ハッシュが声を荒げた。
「……でもね、ハッシュ。それはこの2、3日の事じゃないわ。もっと何日も前……ひょっとしたら、エルダー火山で白髪の男と戦った時、リンを守るためにティナが最後の力を使ったのかもしれない。それで……」
アリアはそこで言葉を止め、唇を噛んで顔を歪める。俯いたままのリンとアリアの表情を交互に見て、ハッシュは「そんな……」と小さく呻いて、押し黙った。
「エルダー火山で生命核を取られた後、白髪の男――ヴィリーと戦いになったんだ。正直、殺されると思った。なにも出来ないまま、また死んじゃうのかなって」
ぽつりと、呟く様にリンが俯いたまま口を開いた。穏やかではないその内容に、ハッシュが「え……?」と声を漏らす。
「もうだめかなって思った時、グレイプニルが鎖の状態になったんだ。ティナがグレイプニルを使った時みたいに……
鎖のグレイプニルはヴィリーの不意を突いて、手傷を負わせた。予想外の抵抗だったんだと思う。それで、ヴィリーは撤退してくれて、私はそのお蔭で命拾いしたんだ。でも、あれが最後の力だったなんて……ティナは私の事、守ってくれてばかりだ……」
「また死ぬってなんなのさ……リンは、それにハンクも、アルタナが転生者って言ってたけど、ホントに一度死んでるってこと?」
「私ね、17才の時に死んで、こっちの世界に来たんだ。気がついたら8才の女の子だった。もちろん転生させてくれたのはフェンリル。そこでティナと出会ったの。まあ、崖に落ちた友達が、次の日ケロッと歩いて帰ってきて、しかも中身が私になってたから、
肩をすくめるようにして、鼻から一つ息を吸い、リンは顔を上げてハンクと目を合わせた。
「13歳になる少し前、名前も知らない魔王に襲われたのは、私のせいなんだ。生命核の気配を隠そうともせず、のほほんと生きてたから。だから、何処かで手酷くやられたその魔王が、たまたま見つけた私の生命核を吸収して、自らの回復と強化をしようとしたんだと思う。私達、生命核を持った生き物はね、そういう事が出来るんだって」
リンの語った内容に、ハンクは息を呑んだ。
神の世界でアルタナが言った言葉を思い出す。――曰く、「それらを従えるもよし、力を取り込むのもよし、お前の好きにするといい」だったはずだ。
「あのクソ魔神……力を取り込めって、そういう意味だったのかよ」
「ハンクも言われたんだ。私は、転生する時にフェンリルから、他の生命核を取り込んで強くなれ、そうじゃないと、自分の様に何度も死にそうになるって言われた。まあ、結局その通りになったけどね……」
そして、リンは大きく一つ、ため息を吐いた。
「後からフェンリルに聞いたんだけど、私を殺そうとした魔王はね、神器なんか持ってなくて、しかも格の低い魔王だったんだって。だから、覚醒したての神器を持ったティナが、その魔王をあと一歩まで追い詰める事が出来て、幼い私が止めを刺す事が出来たんだ。
それでも、そいつは私を炙り出す為だけに、村の皆を全員殺した。そして、私を守る為に神降ろしをしたティナもその手に掛けた。
最後に命乞いもされたけど、そいつの声なんて聞きたくも無かった。もちろん名前も。だから、私は――」
「それ以上は言わないで! 辛い過去なんて言わなくてもいいから!」
不意に、アリアがリンを抱きすくめて、その言葉を遮った。リンは「……うん」と小さく呟いて、アリアの胸に顔を埋めた。
「俺はさ、遺品整理の仕事してて、その帰り、交通事故で死んだ。そして魔神にこっちの世界に転生させてもらった、異世界の人間なんだ」
「どういう事だハンク? 記憶喪失じゃなかったのか?」
突然の言葉に、シゼルが訝しむ様にハンクを見た。
「ごめん、みんな。嘘ついてた。荒野で3人に会った時、俺はこの世界に放り込まれてすぐだったんだ。この世界の事なんて何もわからないから、記憶喪失って言った」
「いや、そうじゃなくて……リンもそうだが、お前も死んだって、しかも異世界? 何がどうなってるんだ?」
理解の範疇を超えた内容を聞いて、シゼルの顔中に、疑問符がいくつも貼り付いた。
「まあ、実は1回死んで、別の世界の神様に生き返らせて貰ったなんて言っても、信じられる話じゃないよな。それでも、イレギュラーな魂だから試しに生き返らせてやるって言われた時は、あのクソ魔神に少しは感謝した。だけど、ラーナの記憶を見た時、そんなものはきれいさっぱり消し飛んだよ。余計な能力をくれたもんだってな」
そこまで言って、ハンクは自らの右手から、青白く輝く光の粒子を溢れさせた。そのハンクを見て、何をするつもりか感づいたアリアが、信じられないと言った面持ちで口を開いた。
「キミ……本気なの? 言ってる事と、やってる事が正反対じゃないのよ……」
アリアがそう言うのも無理は無い。
自分でも、ちぐはぐな事を言っていると思う。なにせ、ラーナの時は、しばらく放心状態になってしまったほどなのだ。自らトラウマを抉ろうなどと、正気の沙汰ではない。
だが、何も言えずに消滅したティナと、最後の言葉すら掛けられず、前を向けずに立ち止まるリンを放っておくことなど、ハンクには出来そうに無い。
それに、魂に触れる力をアルタナが意図的に与えた訳では無いのならば、自分がその力を得たのは、何か意味があるはずだ。ひょっとしたら、単なる殺戮兵器に成り下がらない為の、安全装置なのかも知れない。
だとしたら、今、その力を使わなくてどうすると言うのだ。
「リン。これは俺の我が儘で、単なる自己満足だ。むしろ、大きなお世話かもしれない」
ハンクは、そう前置いてから、一つゆっくりと呼吸して、再び口を開いた。
「俺は魂に触れる事が出来る。意図してそれをやろうってのは初めてだけどさ。でも、アルタナが言うには、そんな能力与えた覚えは無いんだそうだ。だけど、その力を使えば、リンとティナが、ちゃんとお別れ出来るように、その姿を少しくらい見させてあげられるかもしれない。だから、もし、俺を信じてくれるなら、グレイプニルを出してくれないか?」
リンを見ながら静かにハンクがそう言うと、リンはアリアの胸から離れ、無言でグレイプニルを抜いた。そのまま、ハンクとリンは、グレイプニルの柄をお互いの右手で持ち合う形になる。
ハンクはリンと目を合わせ、軽く頷いた後、魔力の光を解放した。
そして、ハンクとリンは強く輝く青白い粒子にに包まれた。
ハンクが再び目を開けた時、目に飛び込んできたのは、緑豊かな山村の風景だった。
(また、あの時みたいに誰かの視点に立つんだろうか……)
ふと、そんな事を考えながらぼんやり景色を眺めていると、8歳くらいのオレンジ色の髪の少女と、同じく8歳くらいの明るい茶色の髪の少女が楽しそうに歩く姿が見えた。
オレンジの髪の少女はリン、明るい茶色の髪の少女はティナだろう。だとしたら、自分は誰の視点で彼女たちを見ているのだろうか? そんな事を考えている間に、いろいろな日常の映像が早回しで、雑多に通り過ぎていった。
普段のなんでもない会話や笑い声、保護者らしき大人達と織物を作り、夜はどちらかが先に寝るまでお喋りをして、あっという間に日々は過ぎた。
そして、突然の閃光。村は焼かれ、夕焼けの中グレイプニル片手に立ち尽くすリン。
そこまで見えた所で、ふと後ろを振り返ると、13歳くらいになった、明るい茶色の髪を後頭部で束ねた少女が、真っ直ぐこちらを見ていた。
「ごめんなさい。神様。私の嘘に付き合せちゃったね。でも、リンはああでも言わないとグレイプニルを受け取ってくれなかったから。だから、しばらくは私が神様に守ってもらってるって事にしてくれませんか? あと、いつかリンが危険な目に会った時には、私の最後の力、よろしくお願いします。……私、先に消えるね。ダメな依代でごめんなさい」
最初、笑顔で喋っていたその少女の声は、段々と嗚咽交じりになっていった。そして、最後にハンクは、その少女に突然抱きすくめられた。
「リン! 本当はもっと一緒にいたかった! ……消えたくなんてないよ私!」
涙交じりにそう聞こえた後、霞の様にその少女は消えた。
(――そうか、フェンリルの中にいたのか俺……)
それに気が付いた瞬間、霧が晴れるように全ての映像が消え、目の前には、両膝を地面に落としグレイプニルを掻き抱いて俯くリンの姿があった。
空を見上げると、いつの間にか降り出した雨がハンクの顔に落ち、そのまま頬を伝って落ちて行く。
(さよなら、ティナ。そして、フェンリル)
リンは、彼等とちゃんとお別れ出来ただろうか?
しかし、こればかりは、リン自身の問題なのだ。ハンクが心配したところで、どうにもならない。
だが、この事がリンにとって前を向く切っ掛けになればと思う。
リンの頬に伝う水滴を見て取り、ハンクはティナとフェンリルが安らかであるようにと、心の中で祈りを捧げた。
アルタナによって出現したラダマンティスを倒し、まずはブロンズランクの冒険者になるために、ドルカスの街で依頼をこなして、1か月が過ぎた。
ちなみに、この異世界でも1日は24時間、1年は365日で12か月に区切られている。
元いた世界でも、遥か昔のローマ時代には1年365日という暦が使われていたそうだ。中世らしきこの異世界でも、それは特に不思議な事では無いのだろうと、ハンクが違和感を感じる事は無かった。
「レジーナから伝言よ。雨が上がってからでいいから、冒険者ギルドへ新しいマナクルタグを取りに来てって」
この1か月、拠点にしている宿屋の1階にある食堂で、暇を持て余すハンクにアリアが声を掛けた。
「了解。今日1日、ずっと雨だったしな。面倒だし、明日にしよう」
アリアに返事をしてから、ハンクは窓の外を眺めた。
土砂降りと言うことは無いが、まだまだ雨脚が強い。先ほど午後の鐘が聞こえたから、今は昼の3時過ぎだ。この調子なら、明るいうちに雨がやむことは無いだろう。その所為か、宿屋の受付には、フードつきの雨避けローブやマントを纏った人影が、何人も出入りしている。早めに宿を確保しようとする冒険者や旅行者達だ。
「……あれから1か月経つけど、そろそろリンが戻ってくる頃かな?」
ハンクの向かいの席に座ったアリアが、窓の外を見ながら遠くを見るように口を開いた。
「そういや、ハッシュがリンは迷子になるから心配だって言ってたけど、どこかでホントに迷子になってたりしてな」
ハンクもアリアと同じように窓の外を眺めて、からからと笑った。
1か月前、ラダマンティスとの戦闘の後、ハンクはわずかに残ったティナの魂と、冥界神フェンリルだったものの残滓に触れた。
その時、リンが何を見て、どんな言葉を交わしたのか、ハンクは知らない。だが、ハンクが見た風景と言葉は、ありのままリンに伝えた。
その後、ドルカスに戻ってから、リンは3日間、宿屋の自室から出てこなかった。殆ど食事も摂らないリンに、何か声を掛けようとした矢先、旅支度をしたリンが部屋から出て来たのだった。
魔王であるリンを助けるのは今回限り。元々その約束のはずだ。残念だが、これが別れになるのも仕方がない。
同じ転生者として、もう少しいろいろ話を聞きたかったが、ハンクにも帝国へ行ってサラを連れ帰ると言う目的がある。
だが、同じこの異世界にいるのだ。どこかで再び会う事だってあるかもしれない。
とはいえ、どんな言葉を掛ければいいのだろう?
何を言うべきかハンクが逡巡していると、アリアがリンの前に進み出た。
「リン。今更都合がいいって思うかもしれないけど、ごめんなさい。フェンリルが消滅した今、あなたは魔王じゃなくて、只の冒険者だわ。……だから、今回限りなんて言わない。一緒に行こう?」
突然の言葉にリンは目を瞠るが、しかし、ゆっくりと首を横に振った。
「お墓参りしてくる。だから、今だけ一人で行かせて欲しい。1か月で帰ってくるから、ハンクはその間にブロンズランクに上がっておいて。アリア、わがまま言ってゴメン」
そう言い残して、リンは一人出発したのだった。
「何二人で楽しそうに話してんのさ」
突然、外を眺めていたハンクに、ハッシュがニヤニヤしながら話しかけきた。一緒に食堂に入って来たシゼルも、目だけで笑っている。
「なっ。バカ! そんなんじゃねえよ」
「ホント、キミはそういうとこ治らないわね……」
からかわれて狼狽えるハンクに、アリアが呆れた様にため息をついた。
ハンクが「ほっといてくれ!」、そう言おうとしたその時、ハッシュとシゼルの後ろから、もう一つ足音が近づいて来た。
「楽しそうだね。迷子にはなったけど、1ヶ月はそれも込みの時間だから、ちゃんと間に合ったよ。ハンクこそ、ブロンズランクに上がっといてくれた?」
「当たり前だろ。明日取りに行くってさっき決めたとこだよ。それより、その言葉……さっきからそこに居ただろ……」
ハンク達が振り返ると、そこには雨避けのフードつきマントを脱ぎながら、にまっと笑ったリンが食堂へ入ってきたところだった。
「迷子の元魔王なんだけど、パーティに入れてくれないかな?」
「何言ってんだよ! 当然じゃないのさ!」
目を潤ませたハッシュが、抱き付かんばかりの勢いでリンに駆け寄った。
そして、リンはハンク達4人をゆっくりと眺めてから、満面の笑みを浮かべて口を開いた。
「――ただいま」
次の日、ハンク達5人は冒険者ギルドへ向かった。ハンクの新しいマナクルタグを受け取る為だ。勿論、旅の準備は既に済ませてある。
旅の目的は先代預言者サラ=アウテハーゼの奪還。きっと、リガルド帝国の中心部である帝都まで行くことになるだろう。さらに、何処で何をしてくるか分らないアルタナのちょっかいも悩みの種だ。
(平穏な異世界生活は遠いな……)
ハンクは心の中で独りごちてから、冒険者ギルドの扉を開けたのだった。
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