第140話魔王とモフと結婚記念日と4
「可愛いですねえ、モフモフ、へへ」
「プギィ、プギ……………イ!?」
突如黒い魔力が重く店内の床を這いずって広がっていき、驚いた下級魔族のモフモフ達が隅っこに隠れて出てこなくなった。
「ああ!クロ、怖がらせちゃダメだよ!」
「よくも」
「どした?」
面倒そうに彼を見ると、魔王らしい凶悪な顔つきで金の瞳を爛々と光らせ魔力を放出させる奴がいた。
店員と客達が危険を察知して、怯えている下級魔族達を庇おうと隅へと集まって行く。
「許せない、こんな店ぶっ壊してやる」
「え?いや、待って、待って!」
「こんな…………こんな、聖女を堕落させるような店無くなればいい!」
「いや、寧ろ舞い上がってるから!クロ君!」
レティは、今にも魔力を暴発しそうになる元魔王の腕にしがみついた。ついでに店を結界で守ることも怠らない。
「どうして怒ってるの?私の夢と希望の国を壊す気なの?!」
「あ…………」
悲しみと困惑で目に涙を湛えたレティを視界に入れて、クロはハッと正気に帰った。
彼女がコワレルほど大好きなこの店を破壊すれば、きっと今後の夫婦関係に亀裂が走るだろうと、クロの頭に警鐘が鳴り響く。
俯く彼の腕を取ったまま、今日はダメだなと判断したレティは「うちの旦那がご迷惑を…………また絶対来ますから」と店の人達に謝って外へと出ていった。
「クロ、私のデートプラン…………もしかして気に入らなかった?私だけ楽しんでて結婚記念のお祝いっぽくなかったよね」
正直、自分の欲望を優先したことは自覚している。だって前から行きたくて、やっと機会が巡ってきたのがたまたま結婚記念日だったわけだ。
店の前の道を歩きながら、後ろを大人しく付いてくるクロを横目で窺う。下を向いているので前髪に隠れた目は見えなかった。
「………………浮気者」
「へ、何て?」
ピタリと歩みを止めたクロが、ボソリと漏らした言葉に、レティは瞬きして聞き直した。
「俺では満足できないとはな」
「は?」
「ああ、どうせ俺はモフなのが尻尾だけだからな!」
またか、と彼女は思った。このイヌはヤキモチ焼きなのだ。彼女のことを刷り込みで親だと思っている竜型魔族が付いて回ることすら嫉妬を露にするのだ。
「浮気だなんて、クロ君の立派なモフ尻尾には誰も勝てないよ」
そんなところ張り合ってどうすんだと思うが、クロの黒くビロードのように美しい尻尾は、さすが王者の風格を漂わせていてカッコいい。
ただ、たまには可愛い系モフだって愛でたくなるのだ。
「最初俺と会った時も、モフりたかっただけなんだろ!お前が好きになったのは、俺の尻尾なんだろ!」
「うっ、何のことかなあ」
横を向いて口笛を吹いてたら、クルリと背を向けたクロが自棄になって叫んだ。
「これが目当てなんだろ!おら、好きにモフれよ」
「クロ、さすがにあかんでしょ!」
騒ぎを聞き付けた人々が、二人を遠巻きに見物しているのだ。上級魔族、つまり人の姿をしている魔族は耳や尻尾があるのが特徴だが、彼らのそれを人前でモフることはタブーだ。
なぜなら、それは彼らの性感帯にあたるのだから。
だが狂犬のクロは、怒りでそんなことも頭に無いのか、単にレティにモフられることに慣れてしまったのかお構いなしだ。
自らの尻尾を彼女の前に晒し「おら、好きにしろよ!いつものように撫でさすって、軽く引っ張って、握って、舐めてみろよ!!」と挑発を繰り返す。
「クロ……………レイ君」
フサフサの尻尾に、むずむずと欲求が刺激される。無茶苦茶に(尻尾を)蹂躙モフりして鳴かせ(喘がせ)たい。
でもそれを許されるのはレティだけだから、彼の痴態を見ていいのもレティだけだ。
「レイ君、ごめんね」
パッと彼の背中へ抱きつけば、予想と違ったから驚いたようで、クロはビクッとして静かになった。
「もうレイ君以外はモフらないから(レイ君の察知できる範囲内では)」
「……………………嘘だ。お前はモフの為なら今までの生き方を全て捨て去ることのできる女だ。だから、いつか俺に飽きたら…………俺も捨てるんだろ?」
え、そんなこと不安がってたんだ。
彼の背中に頬を擦り付けて、レティはクスクスと笑った。
「なぜ笑う」
「レイ君、後にも先にも全てを捨てていいと思ったのはレイ君だけだよ。レイ君、大好き」
「レティ」
「レイ君の尻尾が好きとかじゃなくて、いやかなり好きだけど、私はレイ君だけを愛してるんだけどなあ」
こちらを恐る恐る振り返る彼に笑いかけると、子供のように頼りなげな顔で畳み掛けてくる。
「もし俺にモフり要素が無くなっても、俺が好きか?」
「それは残………当たり前でしょ!嗜好と旦那様は別物だもの。私がレイ君をモフりたい為だけに結婚したと思ってるの?そんな浮わついた動機なら、とっくの昔にレイ君をボロ切れのようになるまでモフり倒してからカインと結婚してたよ」
「ぐわああ!奴の名前を出すな、何それ怖いやめろ」
「だからレイ君は、私のたった一人のラブリーなワン…………旦那様なんだよ」
宥めるように今度は正面から抱き締めると、レイもギュッとレティを抱き締め返す。
「本当に信じていいんだな」
「勿論だよ」
何を今更だとは思うが、彼の不安はわかる。人間のレティシアと半魔半人のレイでは、種族や寿命で越えられない壁があるのは確かだから。モフりがどうとかは、彼のそうした不安が表に出たきっかけに過ぎないのではないかとレティは思った。
「どうすれば信じられるかな」
ポンポンと背中を叩いて聞けば、レイは恥ずかしそうに彼女に耳打ちした。
「だったら、後でモフってくれるか?」
「へ…………」
いや、本末転倒じゃん!結局モフるんかい!と思わずツッコミそうになったが、彼をそんな体にしたのは自分なので「可愛がってあげる」と返せば、元魔王がポッと顔を赤くしてもじもじしている。
パタパタと尻尾が揺れているのを生唾を呑み込み耐えて、気を取り直したレティは先ずはランチに行こうと、はにかむ旦那と手を繋いで再び歩き出した。
「バカップルだ」
「真のバカップルだ」
呆れと慈愛に溢れた聴衆の声は、まあいつものことだった。
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