第126話(おまけ)君の幸せを此処に4

 心優しい魔王が、人間界の悲惨さに胸を痛めていることを知り、律子は力になりたいと思うようになった。




「バルちゃん、私にできることがある?」




 そう問えば、彼は決まって微笑んで、




「君が私の傍にいてくれたら十分だ」




 と、素でサラッとこっぱずかしいことを言うのだ。以前は何考えてんのかわからないぐらい寡黙だった男がこうも変わるのか。




 仕方ないので、ご要望通り一緒に食事をし、デートをし、いつの間にか同じ部屋で寝起きするようになったら……子供もできるわけで……




「すまぬ」


「謝ることないって」




 まだ目立たないお腹をさすり、律子は頭を下げるバルトを見た。迫ったのは自分の方だったし、彼女としては自分が母親になることに戸惑いはあるが、嬉しくてたまらないのだ。




「取り敢えず、私と結婚を」


「ひゃっほう!デキ婚キター!………取り敢えずかい」




 項垂れる魔王が、ぼそぼそと口を開く。




「本当は先に結婚を申し込むはずが、なかなか言い出せずに、その、こういう形となってしまった………だからすまぬ」


「ぷふっ、そっかそっか。ほら、バルちゃん、触ってみ」




 強引に彼の手を引き、自分のお腹に触らす。


 緊張しているのか、身を固くする彼に笑いを殺す。




「どう?バルちゃん、お父さんになるんだよ」


「あ、ああ……なんだか不思議だ」


「うちも」




 人間と魔族の最初の子となるのだ。魔界でも、当初は結構騒がれたものだったが、ようやくできた魔王の子に喜んでくれる者も少なくなかった。




 ********




 時が経てば、どんなこともそれが当たり前のように感じられるものだ。


 双子の兄妹レイとイチカの母親となった律子は、毎日が忙しい。




「こんのガキんちょがああ!!」


「へへん!ここまで来やがれババア!」




 幼いレイのイタズラに、キレた律子が城下町まで彼を追い回すのは、もはや日常の光景だ。




「封印してやる!悪ガキ!」


「やれるもんならやってみろよ!」




 魔族特有の俊敏な動きで、律子の聖女の術をかわすレイ。




「縛れ!」


「わ、あ、あうううう………」




 最後は、拘束の術で動きを封じたレイを、律子は毎度毎度彼の尻尾を掴んで持ち上げて城に帰って行った。


 その姿は、狐を狩ったハンターのようだと目撃したヒトビトに囁かれた。




「バル、今日も採ったどー!」


「………惨い」




 青ざめる父とぐったりしたレイを獲物のように掲げて得意気な母に、いつも朗らかな超越した笑顔を向けるイチカ。




 そんな日々も、子供が大きくなってからは見られなくなったが、それなりに魔界は穏やかな時が過ぎていった。




 子供が人間でいうところの成人年齢を越え、外見が歳を取らなくなったのに比例して、律子は緩やかに歳を重ねて老いていく。




「もうバルのこと、おじいちゃんって言えなくなっちった」




 見た目が青年姿のバルトよりも自分の方が年老いてしまったのだ。苦笑する律子の皺だらけの手を撫で、バルトは彼女にキスをした。




「老いた君はキレイだ」


「またまたあ、ご冗談を」


「老いることが、なぜ悪いのだ?」




 からかっているのかと思ったが、真面目な彼がそんなことを言うわけがない。バルトは彼女の白い髪を漉き、目を細めた。




「君は嫌がるかもしれないが、その老いといわれる体の変化は、その者がこれまで強く生きた証ではないか。その手の皺は努力し続けた結果だし、白い髪は多くのことを思い悩み考え抜いた為だ。君が一番気にしている目元の皺だって、たくさん笑ってたくさん泣いたせいだろう」


「まったく、バルは、ぐす」




 涙もろいのも、歳のせいか。




 そんな彼女を抱き締めて、バルトは穏やかに微笑んだ。




「だから私は、老いた君が、とても愛しいんだ」




 ************




 ……………長生きした方だろう。




「母上」


「お母様」




 子供達の悲しげな呼び掛けに、目を開ける。




「………何、よ。そんな……顔して」




 沈痛な家族の表情に力なく笑って、傍にいるバルトに細い腕を向ける。




「バル……散歩に…行こう」




 死ぬ時は、旦那の腕の中と決めていた。それを伝えてもいる。


 バルトは無言で彼女を毛布に包んで抱きかかえると、ゆっくりと歩き出した。




 城のすぐ傍に生える木に、朱色の花が咲いている。その木陰に、年老いた彼女が休めるようにと置いているベンチに、バルトは腰掛けた。




 薄く目を開け、抱えられた律子はバルトを見上げていた。




「………君がいないと淋しくなる」




 力を入れすぎないように大事に彼女を抱いて、バルトは呟く。




「できることなら……私も共に」


「バル…」




 小さな声でたしなめて、律子はか細い息を吐いた。




「あの子達……お願い」


「レイもイチカも、既に大人だ。もう私が世話しなくても……律子?律子!律子!」




 意識が混濁しつつある彼女に、バルトはその頬を撫で、何度も名を呼んだ。


 最期に僅かに浮上した意識の中、律子は頬を濡らす雫に苦笑した。




 魔王が泣いてるなんて……




 おざなりで陳腐な言葉かもしれないけれど、残していくバルトに伝えるなら、この言葉を贈らなければ……




「あいし……てた」




「律子!りつ…律子……」




 固く目を閉じてしまった彼女を胸に抱き、魔王は呻くように泣いた。




「このまま私は、君と一緒にずっと眠っていたい」




 ……………この命尽きるまで




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