第125話(おまけ)君の幸せを此処に3

「紫は、どうした?」




 夕食時に、テーブルについた魔王は給仕をするスリィに尋ねた。




「紫様は、先程用事があって出掛けるとかで、外出なさいましたよ」


「こんな時間にか?」




 窓の外は既に暗く、彼女がこんな時間に出歩くなど初めてのことだ。




「そう言われたら……」




 頬に手を当てるスリィから、視線を窓から見える街の灯りに向ける。




「………………………………………………………………………………………………出掛ける」




 一口も食べずにいきなり席を立つと、魔王は焦った表情で食堂を出て行った。




 ********************




 魔王が密かに設置していた転送魔法陣で、紫は人間界に帰って来ていた。




 自分が住んでいた貴族の家や周辺は、以前と変わらず立派な家や整備された道があり、夜会でもしているのか、音楽や楽しげな笑い声が聴こえていた。


 けれど、そこから一キロも歩かない場所は世界が違った。




「どうして……」




 路上に座る孤児。荒れ果てた家。痩せ細った女性が物乞いをする光景。川が流れていて、異臭がすると思ったら死体が浮いていた。




 一体自分達は何をしていたのか。突然異世界に墜ちてきて訳が分からない内に聖女だと祭り上げられて、でも倒した魔王は人間のことを思いやる善良なヒトで……




 とぼとぼと薄汚いゴミだらけの道を歩いていたら、前にいた人にぶつかりそうになった。




「紫」


「へ……あ…バル」




 外套を羽織った人物がフードを取り払うと、現れたのはバルトだった。驚いた紫だったが、くるりと背中を向けて元来た道を戻ろうとする。




「おい、どうしたのだ?」




 魔王に肩を掴まれて、紫は笑顔を貼り付けたまま離れようとする。




「ごめんバルちゃん、今顔見ないでくれる?なんかさ、こうアイデンティティーていうの?自分の存在意義がわかんなくなっちゃって」


「紫?」


「自分がしてきたこと、もう恥ずかしくてさあ」




 顔を反らしたまま、ベラベラ喋る彼女の声に嗚咽が混じりだす。




「なんかもうごめんね。バルちゃん良いヒトなのに、うち達勘違いして酷いことして、居候してるし、さすがに図々しかったかなって…………」




 肩を捕まえ、魔王は紡ぐ言葉を懸命に探して、口を開けては閉じるを繰り返す。




「むらさ」


「あなた魔王ね!?」




 背後から突如女の声がして二人が顔を向けると、そこには紗也……聖女銀しろがねが身構えていた。




「気配がするから、まさかと思ったけれど、なぜここに!?」




 拘束の術を唱える紗也に、慌てて両手を広げて紫は叫んだ。




「紗也ちゃん、やめてよ!」


「先輩?髪色、茶色に戻ちゃってるから分かんなかったじゃないですか!いなくなって心配してたのに!ちょっ、魔王から離れて!」




 紫は魔王を庇って前に出た。




「違うんだって、そうじゃなくて魔王は」


「もうよい」




 後ろからバルトの手が彼女の腰に回り抱き寄せられる形となり、律子も紗也も目を見開いた。




「わ、へ?!」




 あわあわする彼女を捕まえたまま、バルトは紗也を見た。




「そなたは、これを見て何も感じないのか?」


「何のこと?」




 紗也は、周りをちらりと見て不快な表情をしただけだった。紫は、それに驚いた。




「紗也ちゃん、何も思わないの?」


「魔王の侵略の混乱のせいで、この辺りは荒廃したままなんです。仕方ないの」


「そんな」




 紗也達がそんなふうに信じ込まされていることに、紫はもどかしい歯痒さを覚えて俯いた。悔しいが、自分の力では何もできない。




「先輩、それどういうことですか?」




 二人の近さに、紗也は信じられないといった感じで見ている。




「バルちゃんは、うちの大事なとも」


「大事な人だ」




 口を開けたまま固まる紫を小脇に抱えて、バルトは跳躍した。




「待ちなさい!」


「ダメ!」




 紗也の放った光の矢を、紫の結界とバルトの魔力が弾き返した。




 塀を飛び越えて走り抜け、転送魔法陣まで辿り着いたバルトに、紫はバタバタと抵抗した。




「ちょ、ちょっと待った!」


「何だ?」




 暴れるのをものともせず、彼は平然として捕まえたままだ。




「いや、あのさ、もうなんか申し訳なくてさ、魔界でこれ以上お世話になるのも、気が引けるっていうか」


「最初に城に堂々と乗り込んで来た、あの紫は何処へ行った?」


「あー、も、恥ずかしいわ。忘れてくれい」




 顔を覆う紫に、バルトはくつくつと低く笑った。




「あいにく忘れられぬな。戦いの最中に、君に最初に会った時から私は、君を忘れたことはなかったがな」


「…………………………ほ?」




 ぽかんとする彼女を、ちらりと見て小声でぼそりと呼んだ。




「律子、帰ろう」


「…………名前、知って?」


「調べれば分かることだ。律子、また私に旨いご飯を作ってくれぬか?私は、どうも君の作る食事じゃないと食べた気がしないのだ」




 わざとぶっきらぼうに言うバルトに、律子は泣きながら笑った。




「…………もうこのじいちゃんは、分かりにくい口説き方してんな」


「な、くど!?」 


「好きなら好きって言いなよ好きだよバルト!」


「う、あ、わ、私もだ」




 赤くなってうろたえるバルトの手から降ろしてもらい、律子は涙を乱暴に拭うと、彼の袖を照れながらも、ちょこっと摘まんだ。




「はあ、お腹空いたね。バルちゃん、まだ食べてない?一緒にご飯食べよ」


「………ああ、家に帰ろう」


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