第102話君を仰げば尊し3
翡翠は、私が嫌いなんだろうとは薄々分かっていたよ。だから、勝負を挑まれても驚きはしなかった。
私達は、まずは魔界から比較的近い位置に有り、恩のあるディメテル国へとやって来た。
以前ギル兄が設置した転送魔法陣を使うと、私と橙とレイで幼竜に乗って、一足先にタリア様の応援に駆けつけた。
ネーヴェ様達は、もう一頭の竜と共に後から皆を連れて来るはずだ。
そこでタリア様達と翡翠達が対峙しているのを見た。異常な光景だった。
まさか人間同士で争うことになるなんて。しかも本来は人間を守る為に存在する聖女達が、その術を人間に向けている。
翡翠が私を嫌っていても、それでも長年共に学んできた彼女を敵とは思えるわけない。
私は翡翠が詠唱を唱えるより先に、口の中で言葉を小さく発する。彼女とは、何度も手合わせしたことがある。
でもそれが、どこまで本気だったかわからない。ちなみに私は本気を出したことはなかった。
それならこの術を使おう。普段あまり使わない術。私がいつも拘束の術を最初に使うことを彼女は予想しているはず。
夜目がきく魔族は光に弱いことを、ふと思い出して旦那様に警告しておく。
「レイ、目を瞑っていて!」
直後に光を放つと、手遅れだった。
「お前が眩しすぎる!!」
レイ、眩しいほどに私が好きなんだ……なんてね。
目を押さえている彼を置き去りに、駆け出す。
結界の術を周りに施した翡翠が、光に目を瞑りながら拘束の術を唱えている。
彼女に近づきながら唱えた解術で、翡翠の結界を破る。そこに彼女の回し蹴りが私の背中に入り、地面にべしゃっと手を付いた。
「いたあ」
「レティ!」
レイが名を呼んで、魔力をうねらせ不穏な動きをするのを、立ち上がって翡翠の拳を手で受け止めながら制する。
「ダメ!邪魔したらナメナメ禁止にするから!」
「そんな!!」
連打されながら、少しずつ後ずさる。
腹を狙う拳を受け止め、それを掴んで引いて膝を繰り出す。
飛びすさって避けて、翡翠が鼻で嗤う。
「魔王と仲良さそうね?聖女様」
んん?皮肉……かな?
「新婚だからね」
普通に返事してみたら、苛立った翡翠が私の太腿を横から蹴った。
「ああ!俺の太腿が!って、何で格闘なんだ?!」
「いたた!レイ君、私の太腿だから」
足を擦り治癒を掛ける。意外にも翡翠はそれを待ってくれた。そして見下ろしながら罵倒した。
「聖女が魔王と婚姻を結ぶなんて、恥を知りなさい」
カアッと熱が集まったような、息が苦しくなるような衝動を感じた。
「な……」
「よくもそんな最低なことができたわね。私達聖女候補への裏切りだと思わないの?!」
「な、んだと……レティを侮辱するか?!」
怒ったレイの魔力が地面を伝い、翡翠の首をめがけて跳んできた。
私は、それを結界で撥ね付けると、顔を上げた。
「れ、レティ?」
「クロ、待て」
命じると、驚いたのか黙ったレイを横目に見て、翡翠に拘束の術を放つ、と見せかけて、結界を張ろうとする彼女の手を引っ張り、足を掛けて地面に倒した。
「きゃあ!」
侮辱されたのは、私だけじゃない。翡翠はレイを侮辱した。そのことに憤りを感じた。
「……恥なんかじゃない、私の誇りよ!!」
背中に膝を乗せて体重を掛けて身動きを封じる。
「何よ!」
「私は魔王がどうとか聖女とか関係ない!レイがレイだから好きなの!私はレイを好きでいることを、レイのお嫁さんになれたこと恥だなんて思ったこと一度もない!大好きな人と一緒になれたことは、私の誇りなんだから!」
頭に血が上って叫んでいたら、翡翠は後ろ手に私の腕を掴み引き寄せ、起き上がりざまに私の首に手を掛けた。
「よくもそんな勝手が言えたわね!あなたが魔界で暮らしている間に、私達がどんな思いでいたか考えたこともないでしょうに!」
「………う」
考えたこと、ない……
私のせいで他の聖女候補達がどんな気持ちになるかなんて考えたこともない。
だって私は私。
「私は……聖女深紅だけど、レイは私をレティと呼んでくれるの。ただのレティ……聖女なんて関係ないの。私はレイってヒトが好きな、ただのレティだから!」
首を絞める翡翠は、怒っているだけじゃない。苦しそうな悲しそうな顔で私を見下ろしている。
その表情は、何だか置いてきぼりを食らった子供のようで、だから私は翡翠と友達になりたい。
ちゃんと分かり合いたいし、知って欲しい。私のこと、私の旦那様が変態だけどワンコのように可愛いこと。
躊躇した手の力、殺す気は無いのだろう。
指先で、そんな翡翠の額に軽く触れる。
「眠って、翡翠」
驚いた顔が諦めの表情に変わり、翡翠はゆっくりと目を閉じた。隣に倒れた彼女を、ぼうっと見つめて、よろりと立ち上がる。
「深紅、大丈夫?翡翠の言ったこと気にしなくていいのよ」
橙が私の肩に手を置いて励ましてくれた。
「う、うえ」
何度も頷きながら、目の前に突っ立っているレイに手を広げながら歩み寄る。
反射のように手を同じように広げて迎えてくれるので、飛び上がって首にしがみついたら、彼の腕が腿の裏を持ち上げて足が地面から浮いた。
「レ……レティ…」
「えぐ、う、うえ、うわあああん、翡翠が怒ったああ」
レイの首に涙を擦り付けながら、わあわあ泣き出したら、背中を優しく撫でられる。
「もう、なんだか……いっぱいだ、レティ」
「うわあん、なにが?ええん」
なぜか蕩ける笑顔なレイに、こめかみをちゅうちゅうとキスされながら泣いていたら、橙がいきなり吹き出した。
「ほんと、お腹いっぱいだわ、ご馳走様」
「え?わあん、何でえ?まだ何も食べてないよお」
「比喩だから」
子供をあやすように、橙が苦笑しながら私の頭をポンポンした。
「俺は、いろいろいっぱいだ……はあはあ、レティ、レティ……今すぐ舐め尽くし、食べちゃいたい……」
「ぐす……え?」
ギラギラした瞳で、レイは私を美味しそうに見つめた。
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