第72話君を我が手に2

「レイ君……」


「ん?ペロペロ」


「………ここどこ?」




 転移魔法陣で移動したのは覚えてる。


 ギル兄がご機嫌で「さあ、積もり積もった仕事が…」と言い掛けるよりも速く、光よりも速く、レイに担がれた私はどこか部屋に連れ込まれてしまった。




 そして壁とレイに挟まれて、怪我をした喉を舐められている。




「ん…」




 治癒の術を掛けて癒えたのに、しつこく舌が這う感触が擽ったくて、レイの肩を突っぱねるが一心に私を舐めている。仕方ないので、顎を上げて周りを見渡す。




 広い部屋。白と青を基調にした家具で統一されていて清潔感があって、大きめなテーブルと椅子が二つ。大きな窓の傍に大きな天蓋付きベッド。




「俺の部屋」




 答えたレイは私を抱き締めたまま、ズルズルと移動しようとする。




「それじゃあ、ここは魔界?」


「ああ……はあはあ、ベ、ベッドへ」




 魔界!




 窓が近くなって外が見えた。開け放たれた窓からは、夏の明るい日射しが差し込み、花の薫りが風に載って部屋へと運ばれてくる。




 どうやら一階らしくて、外には大きな樹があって地面には一面苔が生えて涼しげだった。花の薫りは、その大木からで、枝には沢山の朱色の花が咲いていた。




「ここが、魔界……」


「はあはあ、レティ……」


「魔界って、いつも曇り空で空気は澱んでて空は雷が鳴ってて、気味の悪い音楽が微かに聴こえて、たまに悲鳴とか変な笑い声とか聴こえて、砂と枯れた樹しか無いんじゃ?」


「はあはあ……は、あ?まさかそんな風に人間の世界では伝わっているのか?」


「半分は、私のイメージかな」




 よく考えたら、魔界がどういった所か教えてもらったことがない。


 魔王を封印するのに、関係無いことだったからだろう。教科書の挿し絵の魔界図が、いかにも怖そうな絵だったので、すっかりそんな感じに思い込んでいた。




 レイは私の魔界の認識に愕然とした表情をしたが、気を取り直すと、ベッドサイドまで気もそぞろな私を連れて行く。




「魔界って、こんなに明るいんだ」


「はあはあ、レティ、やっと、ようやく、念願の」




 レイに肩を押されてベッドに転がったが、私はもうさっきからウズウズして居ても立ってもいられなかった。




「あー、だめ、じっとしてられない」


「はあはあ、俺も限界…レティ!」


「レイ、ちょっと行ってくるね!」




 飛びかかるレイを避けて、勢いよく起き上がった私は窓に足を掛けた。




「え!?」




 一階だから、窓に座って飛び降りても直ぐに足がついた。




「ひゃあ、魔界の外だ!わああ、初魔界、ひゃっほお!!」


「レ、レティシア」




 名を呼ぶレイは悲しげだったが、気にする余裕はなかった。私は興奮していた。




「散歩行ってくるね!あ、一人で平気だって」




 ベッドに座り込むレイの手から陰鬱な魔力が私の腕に絡んでくるのを結界で払い避けて、私はスキップしそうに軽やかな歩みで外へ探検に出た。




 苔の上に茎ごと花が落ちていて綺麗だった。




 引っ張られて乱れた髪から髪紐をほどいて、連なる木々を見上げた。赤い髪の間を爽やかな風が通り抜けていく。葉の隙間から空の青さが確かに見えていて、何故か涙が込み上げた。




 ああ、そうか………




 私は初めて気づいた。


 ずっとこうしたかったんだ。




 何のしがらみもなく自由に生きたいと。


 ここでは許されるんだ。


 私はレティシアとして、この世界では生きられる。




 聖女深紅でもなく、人間として裏切り者と罵られることなく、ただのレティシアとして。




 嬉しい、嬉しい




 今までに感じたことのない、体の芯まで酸素の行き渡るような呼吸を、私はようやくできた気がした。




「………レティ」




 窓枠に片膝を立てて座ったレイが、こちらを見ていた。




「早く帰って来いよ」


「うん」




 木々を通した緑色の日射しを受けるレイの姿は、絵画のように綺麗で神秘的だった。


 例え肩を落として尻尾を垂らした切なげなワンコでも。




 私は彼に少し見惚れてから、また前を向いて歩く。




 レイの元へと帰ったら、色々知りたかったことを聞こう。


 もう深紅とクロの曖昧な関係は終わったのだから。


 ちゃんとレイを知ろう。


 それに、これからの自分の生き方も。




 もう聖女としての生き方から完全に解放されたのだから、自分で選べる。




「これって……凄く幸せなことかも」




 途中で靴を脱いで、苔を踏み締めて歩き、私はしみじみと思った。




 そんな私を、レイは窓に座ったまま見送ってくれた。


 一度振り返ってみたら、彼は穏やかに微笑んでいた。




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