第五章 現世編―琥珀の巻―

第十二話 月宮から

12-1 バレた!!

 それは九月の終わりごろのある土曜日のことだった。


 姉が急に部屋に押しかけてきたので、ベッドに寝そべって左大臣と一緒にのんびりとティーン誌をめくっていた舞は、驚きと混乱と恐怖のあまり床の上に正座した。そうしながらも頭を必死にフル回転させていたのだが。議題はひとつ――私、何かしでかしたっけ?


 ゆかりは舞の勉強机の前から椅子を勝手に引っ張ってきて、正座する舞の前に脚を組んで座った。そのまましばらく、ゆかりは舞を吟味するかのようにじっと黙って見下ろしていた。まるで生まれて初めて妹というものを見ているような目つきだ。ゆかりの膝には何かラベンダー色の表紙をしたノートのようなものが置かれていたが残念ながら心当たりはない。舞に対する判決がそこに書かれているのかもしれない。いや、だから私、何もしてないってば。たぶん……!


「舞」


 ゆかりが永遠かとも思われた長い沈黙を破って口を開くと、舞は上ずった声で、「は、はい!」と応じた。


「単刀直入に言うから覚悟して……あんた、京姫なの?」


 舞はまるまる一分間フリーズした。


「えっ……えっ、ちょっ……今なんて?」

「チッ、私は二度同じことは言わない主義だが言ってやろう。あんた、京姫なの?」

「なっ、なっ、なっ……なんで知ってるのー????!!!!」


 舞の絶叫に、一階で丸くなって眠っていたはなちゃんが飛び起きたことを、京野姉妹はついに知らなかった。


「赤星先輩から聞いた」

「れ、玲子さんから?!も、もしかして、この間の文化祭の時……?!」

「そうよ。目の前で信じられないような色んなことがあった挙句に殺されかけて、何も知らないでいられるわけないでしょ。あんたが京姫で、白崎会長が白虎で、赤星先輩が朱雀、そんで、奈々ちゃんが玄武で、翼ちゃんが青龍。この五人の前世の仲間でつるんでんでしょ?」

「やめて!なんかわかんないけど恥ずかしくなってきたからやめて!」

「あとそれから、その熊しゃべるんでしょ?」


 ゆかりに指さされてパニックになったらしい左大臣は、何を思ったかせっかくのテディベアらしいポーズを崩して立ち上がり、短い両腕を振ってあたふたし始めた。


「い、いやはや、ゆかり殿!ぬいぐるみはしゃべりませんぞ!」

「えっ、そんな爺声じじいごえなの、その見た目で?!」

「じじいッ?!」


 一同の騒ぎはそれから数分後にひとまず収まった。というより、散々叫んだりわめいたりしたせいで皆すっかり息が切れていただけだが。


 ちょっと飲み物飲んでくる、と言ってゆかりは一度部屋を去った。左大臣がベッドから飛び降りてきて、床に突っ伏して顔を埋めている舞の頭を撫でてくれた。舞は色んな感情がごちゃ混ぜになって、ぐすんぐすんと泣いていた。玲子さん、ひどい。何も全部打ち明けなくたっていいじゃない。絶対他に方法があったはずだもん。たとえば秘蔵の薬でお姉ちゃんの記憶を抹消するとか……!


 ゆかりが戻ってくる気配がした。舞は何かがゴトンという音を立てて自分の頭のそばに置かれたのに気づいて、真っ赤になった泣き顔を上げた。グラスに入った麦茶がそこに置かれていた。


「お姉ちゃん……」

「泣きやめ、舞。まず鼻をかみなさいったら。っていうか泣くほど嫌だったわけ、ばれるの?」

「わかんないけどなんか恥ずかしいだもん……」

「別に、恥ずかしいことをしてるわけでもないでしょ」


 ゆかりが箱ごと投げつけてきたティッシュを受け取って、舞は思わず目をしばたかせて姉を見た。ゆかりは舞の椅子の高さを調節するのに忙しく、舞の顔など見ていなかった。


「これでよしっと……さてと、まああんたが京姫だろうがかぐや姫だろうが、どーでもいいんだけど。まずひとつ忠告しておくわ。危ないマネはよしなさい」


 ゆかりの目はいつになく真剣である。ただ単に舞をからかいにきたわけでもなさそうだった。体を起こした舞は鼻をかみながら「でも……」ともごもごと反論した。


「戦わないと、みんなを守れないし……」

「知ってる。漆とかいうやつを倒すためには、どうしてもあんたたちが戦わなきゃいけないことも、赤星先輩から聞いてちゃんとわかってる。でも……というか、だからこそ言うの。あたしは戦ったこととかないから、っていうか普通はないから、わかんないけどさ。目の前で見て、あんたたちの戦いっていうのがどんだけ危険なものかはよくわかった。だから、舞、戦うにしても慎重にならなくちゃダメ。自分の命を大事にしないと。戦う時は、自分の命の安全を守った上で戦うの。よく知らないけど、捨て身の攻撃とか、自分を犠牲にするような作戦は絶対に禁止。まして無用な戦いはしないこと。わかった?」

「お姉ちゃん……!」


 またもや瞳が潤みだそうとしていた。舞はもう必要もないのに鼻をかむふりをして必死に堪えた。


「守らなかったらお母さんとお父さんに言いつけるからそのつもりで」

「うん……!」

「それから二点、あんたに渡すものがある」


 まずはこれ、と言って、香苗は膝の上のノートのようなものを舞に手渡した。遠目で見るより重厚な造りになっていることに舞はまず驚いたが、ラベンダー色の表紙に書かれた文字にはっとした――Diary。英語は不得意だったがこれぐらいならわかる。


「香苗の日記よ。香苗は毎日日記をつけてたの。今は休憩中らしいけど」

「でも、なんで……?」


 舞が当惑して尋ねると、ゆかりは舞からやや目を逸らして、唇をきゅっと結んだ。


「……あんたも聞いてるでしょ?香苗が芙蓉とかいうやつに憑りつかれて、この間の文化祭の騒ぎを起こしたの。香苗は夏ごろから一時的な記憶喪失になることがあったらしいんだけど、どうもその間、芙蓉に体を乗っ取られたみたい。香苗はその時のことを日記に書いておいたんだって。それだけじゃなくて、芙蓉は香苗の体を乗っ取って、自分の過去のこともその日記に書いてるの。あたしにはよくわかんないけど、それがあんたたちの戦いの助けになればって香苗が提供してくれたのよ、その日記」


 舞は深い感銘を覚えて、その場にいない香苗を真剣に伏し拝みたいほどの気持ちになった。本当になんて立派な女性なんだろう、香苗さんは。日記なんて絶対誰にも見られたくないに違いないのだし、そもそもあの時のことを思いだしたり誰かに話したりすること自体が相当に辛いはずなのに。それなのに、香苗さんは……


 ゆかりはこほんと一つ咳払いをした。


「ただし、あんた以外の……なんだっけ?四神の仲間に見せる前に、あんたがよく検閲して。必要ない情報は極力みんなの目に触れないようにしてよ?別に香苗がそう言った訳じゃないけどさ…………そうじゃないと、香苗がかわいそうじゃない」


 ゆかりは苦しそうに最後の一言を付け足した。舞は香苗の献身にも姉の優しさにもすっかり感じ入って、強くうなずいた。約束は絶対に守ると誓った胸に、舞は日記帳を強く押し当てた。


「と、それからもうひとつ渡すもの」

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