1-5 「私、京姫の力を失っちゃったみたい……」
お茶の時間は楽しかった。他愛ないおしゃべりのなかで舞は美味しいお菓子に次から次へと手を伸ばし、ルカの部屋が広いのをいいことに奈々と共にはしゃぎまわって、翼に怒られた(「高いものとかいっぱいあるんだから、壊したらどうするのっ?!」)。ルカは舞たちのリクエストに応じて、コンクールで金賞を獲ったというチェロの曲を演奏して聴かせてくれた。その後に続く難しい音楽論の聴き手は左大臣のみになったが。
しかし、それでも忘れていたわけではなかった。みんなが口に出さないからこそ謝りたいという舞の気持ちは募っていった。謝ったからといって罪が償われるわけでも、前世の悲劇が消えてなくなるわけでもないことは知っていた。でも、きっと……人間としての筋というものがあるはずだから。今は亡き祖母が幼い舞にそれを教えてくれた。
……今こうして楽しくて仕方がない。京野舞でいられることが私はうれしいから。だから、きちんとけじめをつけたいの。前世ではきちんと言えなかったから、こうして再び会えた今こそ。
「……さて、と」
講義はどうやら終わったらしい。脚を組み替えながら注いだばかりの紅茶を一口すすってルカが切り出した。
「そろそろ本題に入らなければ。今日は単にお茶会のためだけに集まったわけではないからね」
ああ、遂に……と舞は思った。切り出すタイミングをずっとうかがっていたとはいえ、この瞬間が来ると、さすがに舞も落ち着かなかった。ルカは前世のことを話そうとしているのだ。
「いまや君たち、いや、私たち全員が前世の記憶を思い出した。私たちにとっては決して懐かしいばかりの記憶ではない。記憶を思い出したことによって、傷口はひろがり、悲しみは膨らんだ……私だけではないはずだ。違うか?」
ごめんなさい、と言おうとした。だが、それより早く翼が言葉を紡ぎはじめた。
「でも、ルカさん!あたしはそれだけじゃないと思うの。つらいことが増えた分、幸せも増えたんじゃないの?だって、あたし、
「そうそう。まっ、記憶が二人分あるっていうのは正直ちょっとだるいけどさ。でも昔のことから学ぶことっていうのもあるしね。オンチコシン、だっけ?」
「温故知新だ」
ルカはこほんと咳を一つして、場を持ち直させた。
「ともかく、翼と奈々の言うことは全くもって正しい。私たちは元来た道を再び歩むために、前世のことを思い出したわけではない。私たちは前に進まなければならない。さあ、本題に入ろう――私たちはどうすれば漆を倒せるのか」
漆の名が出た瞬間、翼と奈々がごくりと唾を呑んだのがわかった。舞はただ膝の上で汗を握りしめたまま何も言えずにいた。両胸を氷柱で射抜かれたような気がした。込み上げてくる吐き気……ああ、だめ。あの時のことだけは、今は思い出しちゃだめ……!
「漆は京姫によって封印されながらも現世で再び甦り、私たちに襲いかかってくる。しかし、漆のねらいはいまだに明らかになっていない。一体なぜあの男は私たちを狙うのか。無論、前世の復讐ということもあるだろう。しかし、私たちの存在があいつの目的の妨げになるということが、根本的にあるはずだ……漆の目的。あいつを倒すためにまずはこのことを知りたい」
ルカのアイスグレーの瞳が案じるようにこちらを見つめていることに気づき、舞は辛うじて気を取り直した。青ざめつつも舞はまっすぐにルカを見つめ返した。じっとりと濡れた掌を拭いながら。
「舞、聞いても構わないかい?」
「うん……何でも聞いて」
「ありがとう。それなら教えてくれ……前世で漆は京姫にその目的を語ったか?」
目をつぶって記憶を思い出す。再び目を開いたあとで、舞は首を縦に振るべきか横に振るべきかでしばし悩んだ。
「……姫さま?」
「うーんと、あのね、言ってたと思うんだけどはっきりとは覚えてなくて。ただ、帝に代わってこの国を支配することには興味ないって、そう言ってたのは覚えてる。たとえ帝になったとして……この私がかつて手にしたほどの力は得られないとかどうとか」
「漆がかつて手にしたほどの力?」
翼がけげんな顔をした。
「それってどういう意味?」
「あやつめが帝をしのぐほどの権力者であったと?しかし、わたくしめの記憶を掘り起こしても、あのような男には覚えはありませぬ。漆というのは無論偽名でありましょうが、それでもあれほどの美貌の男が強大な権力を得ておいて、人の評判にのぼらぬということがありましょうか。笑止ですな」
「漆は死者を操る力を持ってた」
つぶやく奈々の声はいつになく低かった。
「あいつは自分を月の世界を支配する者だって、そう言ってた。前世では、月の女神は確か死の世界の女神だったよね?多分、死者を操る能力を持ってるから、そんな風に言ったんだと思うんだけど」
「死者を
ルカは考え込むように両腕を組んだ。恐ろしかった最後の夜を思い出そうとして、舞もまた膝の上で両手を組み合わせた。白い月の
「私は月の国より生まれ出でた、姫よ、私はこの国に創世以来の奇蹟をもたらして見せよう。水底は天頂に、天頂は水底となる……」
「私はこの国を覆す。神話ごと……」
舞のつぶやきに、一同は揃って目を向けた。
「……漆がそう言ってたの。意味はよくわからなかったけど」
「国を覆す」という言葉はそれぞれの唇へと配られて四つの異なる声音となった。一同は同時にうなった。最初に口を開いたのは翼だった。
「国を覆すって、ふつうは国を治めてる政権だとか、国王だとか、そういう体制を倒すってことでしょ?やっぱり帝と朝廷を倒すことがねらいだったんじゃないの?」
「確かにその通りでしょうな。ただ、朝廷を倒したその後で何をするつもりであったかはわかりませぬが……」
「でもさ、それだったらあいつは現世では何がしたいわけ?もう玉藻の国はなくなっちゃってるわけだし。今度はなんだろ?世界征服とか?」
「あり得なくはないだろうが、奴のヴィジョンがいまひとつ見えてこない。世界を征服したのちにあいつは何を成そうとしている?」
「でも、そんなことわかりようがないんじゃ……」
その後も話し合いが進展する様子はなかった。仮説が次々と出され、あるものはそのまま放っておかれ、あるものは叩き潰され、あるものは投げ捨てられた。全員がお手上げ状態となって黙り込んだところで、舞の頭を馬上の思い出が訪った。赤い月の下、桜陵殿へ向かいながら朱雀が語ってくれたこと――かつて
それを語ろうとしたときふいに心づいた。そうだ、朱雀。朱雀はどこにいるのだろう?元々舞たちがルカから前世の話を聞くことになったのは、朱雀が原因ではなかったか。そうだ、朱雀と結城君――
結城司が豹変してしまったことには朱雀が関わっている…………
翼、奈々、ルカと、自分以外の者たちがさっと立ち上がったのにも舞はしばらく気づけないでいた。ふと座ったまま周りを見回してみて、舞は三人がそれぞれ四神の鈴を手にし、その音に聴き入っているのを認めた。そして当惑しつつも遅れて立ち上がった。
「そう遠くはないようだな。最近はおとなしくしていると思っていたが、全くよりによってこんな時に……いや、集まっている分、却って好都合というものか」
ルカは舞をいたわるように見やった。
「君はまだ病み上がりだ。左大臣とこの部屋で待機していてくれ。万が一何かあったら私の風の力で連絡するから。さて、翼、奈々、さっさと終わらせてお茶の続きとしよう」
「了解!」
「はいよ、っと」
三人が急いで部屋を出ていくのを、舞はただその場に突っ立ったまま見守っているだけだった。右手を胸元に充てたまま。三人の足音が遠ざかってもなお立ち尽くしている舞を不審に思ってか、舞の椅子の肘掛へとぴょんと飛び移って、左大臣は舞の膝のあたりを突っついた。
「姫さま、ひとまずお掛けなさいませ。ご案じになるお気持ちはわかりますが……」
左大臣はふと口をつぐんだ。それは半身だけ振り返った舞の瞳が戸惑いゆえのうつろな光を投げかけたためであったのだろう。
「左大臣、おかしいの……」
「一体どうなさいましたかな?」
舞は左大臣の前に右手をつと伸べた。掌の上に、舞の桜の鈴が載っていた。
「鳴らなかったの、この鈴。さっき他のみんなの鈴は鳴ってたのに、私の鈴だけ鳴らなかったの……それだけじゃないの。私さっきから何度も変身しようとしてるのに、できないの。私……私、京姫の力を失っちゃったみたい……」
舞の声は恐怖を胸に抑え込もうとしてか細く震えていた。舞はしばし鈴をじっと見下ろしていたが、やがて手の中にしまいこんで大切そうに再びぎゅっと胸に押し当てた。それでも鈴が舞の願いに応じることはなかった。鈴は舞の体温をしても温まり切らないまま、地に墜ちた小鳥の骸のごとく冷たくこわばり、頑なに黙り込んでいた。
「ふふ、嬉しいですわ。あなたの悶え苦しむ顔がまた見られるのですもの。楽しみましょうね、白虎……いいえ、白崎会長」
桜花町のどこかで
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