第一五一話 とばっちりはご勘弁して欲しい


 帝国歴二六六年 紅玉月(七月)


 いやー、内政に専念できるって素晴らしい! いつもはうずたかく積もっている書類の束が今年はありませんよ!


 いくさで領内が荒れないアシュレイ領は、今年もどの農村も麦の作付きはよく、豊作が予想されている。


 年初に策定した食糧販売計画も豊作の分を見越し、上振れ分の計画見直しを終え、増収が期待できると報告を受けた。


 あとは、年末の決算を乗り切るくらいなので、イレーナも安心して、産休に入れそうだ。


 イレーナが産休中は、フリンが俺の専属秘書官として、業務のサポートをしてくれることになっている。


 あ、そうだ! 忘れそうになってたけど、イレーナのおっぱいも栄養満点で、我が子に与えても問題なしのお味でした!


 マリーダが味見をしまくって、ただいまリシェールによるお仕置きの真っ最中だった。


「マリーダ様! イレーナさんのおっぱいはアルベルト様の御子のためのものです! それをつまみ食いするように飲まれるとは妻として言語同断の行い!」


「違うのじゃ! 妾も正妻としてイレーナの子が飲む乳を確認せねばと思っただけなのじゃ! それをつまみ食いとは心外なのじゃ! 訂正を求める!」


 珍しくマリーダがリシェールに対し口答えをしているようだ。


「寝室で三度、入浴中に二度、執務室で一度。計、六度となっておりますが、アレウス様、ユーリ様これはどういった判定になりますでしょうか?」


 リシェールの背後から、我が家の風紀委員が召喚され姿を現した。


「リシェール! 卑怯なのじゃ! 二人を召喚しおったな! これは妾を陥れる罠であろう!」


 アレウスとユーリの姿を見たマリーダが青い顔をしてリシェールに詰め寄る。


 すでに身に覚えがあるため、マリーダは自分が有罪にされると思って焦っているのだろう。


「ははうえ、イレーナ殿に対し、おっぱいを口に含んでいた時、よこしまな気持ちはありませんでしたでしょうか?」


 アレウスは鋭い視線で、マリーダを詰問する。


「そのような気持ちは一切なかったのじゃ! 戦闘神アーレスに誓ってもよい!」


「なるほど、戦闘神アーレス様に誓われると申されるか……。ユーリ、イレーナ殿から預かった書簡を読み上げよ」


 アレウスの背後に控えていたユーリが一歩進み出ると、懐から出した書状を読み上げ始める。


「ははうえより、なんどもちちの味見をさせよと強く言われ、しかたなく、言われるがまま提供をさせてもらいました。ほんらいであれば、ちちうえの子のために残しておきたかったのですが、こうべんすることはできず――」


「え、えん罪なのじゃ! 妾は同意を得ておる! イレーナに嫌なら断ってもよいと申したのじゃ!」


「ははうえ、往生際が悪いですぞ! ユーリ、上位者の権威による性的行為の強要は、エルウィン家家法に則るとどう処断されるか申せ」


「はっ! ちちうえの定めたエルウィン家家法によれば、上位者の権威による性的行為の強要は、半年の無償肉体労働または特別反省室への三か月の収監。回数によりこれらの処罰が積算されると記されております」


「つまり、六度行為に及んだははうえは、三年間無償肉体労働または一八か月の特別反省室への収監が妥当ということになるだろうか?」


「はい、そのようにおもいます」


 マリーダの顔がさらに青くなる。


 無償肉体労働なら死なないだろうけど、特別反省室に一八か月も入ったら、それこそ死ぬだろうな。


 とはいえ、当主であるマリーダにはまだ死なれるわけにいかないし、大事な嫁なので、息子たちによって断罪させるわけにはいかない。


 俺は困っているマリーダに助け船を出すことにした。


「アレウス、ユーリ、法というのは厳格に運用するべきではあるが、厳格に運用しすぎると、背かれる原因になると、この前、教えたはずだな」


「はい、ちちうえから聞いた話では、法を厳格に運用した国では、民が小さな失敗で犯罪者とされ資産没収、奴隷化され、恨みを募らせた民によって国が滅びたと教えてもらいました」


「なので、情も大事だと言うことはりかいしておりますが――。ははうえには、はんせいのようすが見えませぬ」


 すでに何度もアレウスとユーリによって、セクハラ断罪されたマリーダではあるが、その悪癖は直る様子を見せないでいる。


 まぁ、直ったらマリーダではなくなりそうな気もするが。


「法を運用し、民に情を注ぐ統治者には、根気というものが大事なのだ。すぐに成果が出ぬことがある。何度も、何度も根気よく言い聞かせることも必要なのだ。つまり、母上にはまだまだ足りぬということだ。幸いにして、イレーナも処罰感情は持っておらぬことでもあるし、今回は父の顔を立てて厳重注意というところでどうであろうか?」


 俺は二人に対し、妥協点を提示した。


 将来、エルウィン家とアルコー家を背負う二人であるため、色々と経験し判断を重ね立派な領主になって欲しい。


「ユーリ、ちちうえの提案どう見る?」


「たしかに一理あるかと思います。当主であるははうえには、処罰ではなく、我々によるけいぞくてきに指導を続けるべきかと」


「ふむ、ならば今回は厳重注意と反省文二〇〇枚ほどの提出で許そうと思う。どうであろうか?」


「あにうえの判断、よきものと思います」


 マリーダが抗弁してそうに口を開けようとしたが、リシェールによって封じられた。


「では、そうしよう。ははうえ、こたびの件は厳重注意としておきます。反省文二〇〇枚は『思慮深く、物事を考えて行動します』というエルウィン家家訓を書き取って提出してくださいませ」


 反論したそうなマリーダだったが、リシェールに口を押えられ、もごもごと言うだけだった。


「承知しました。当主の業務が終了後、このリシェールが責任を持って、書き取りをやらせますのでご安心くださいませ。お二人の英断に感謝を!」


 マリーダの代わりにリシェールが答えると、二人は奥の部屋に消えていった。


 ふむふむ、これでまた二人の領主経験値が上がったな。


 はぁー、将来が楽しみだなぁ。


「ぷはぁ! 納得いかぬのじゃ! 妾は書かぬ! 書かぬのじゃ!」


「なら、特別反省室で一八か月過ごしますか?」


「きひぃいっ! 嫌じゃ!」


「なら、どうするべきか、賢いマリーダ様なら分かりますよね?」


 俺がにっこりとした顔で宣告すると、しょぼくれた顔のマリーダが執務机に顔を突っ伏した。


「ちょっとした出来心だったのじゃ! なぜ、それくらいでこのような仕打ちを受けるのじゃ! 世の中、間違っておるのじゃ!」


 マリーダが机を叩きながら、自らの行いを悔やんでいると、ワリドが姿を現した。


「相変わらず騒がしい限りですな」


「まぁ、いつものことさ。今日は、どうしたんだ?」


 アレスティナの示した能力の件は、ワリドも知って驚いていたが、おかげで以前にも増して山の民の指導者とさせて欲しいとの圧力が増している。


 獣従えて、山の民まで従えたら、ますます嫁の行き手に困る――って、行かせねぇ! ずっと俺の手元で育てるんだっ!!


 思わず一人で突っ込んでしまったが、それはアレスティナに決めさせるつもりなので、保留中である。


「はっ! どうやら、南が騒がしいようです……」


「南? どこだ?」


「山の民の住む山岳地帯を抜けた先にある南部諸部族の領域に、ロアレス帝国の寄港地が建設されつつあるとの報告が上がってきました」


 南部諸部族の領域って言うと、アレクサ王国と隣接する密林地帯のあそこか……。


 嫌なところに寄港地を作りやがる。


 アレクサ王国支援の拠点ってところか。


 黒虎大将軍もアレクサに来てたし、ずいぶん前から進めてた話なのかもしれないな。


 南部諸部族は、今のところ山の民とかエランシア帝国とも友好的な関係を築いてたけど、ロアレス帝国の援助で態度が変化してくるかもしれん。


「ロアレス帝国の寄港地ができたとしても、南部諸部族との交流は引き続き続けるようにワリハラ族長には言っておいてくれ。敵に引き込まれては適わんからね」


「承知しております。とりあえず、こっちにつきそうな連中には、金を握らせておりますのでご安心を。ただ、状況によっては代理戦争が起きる可能性はあるとだけ」


「エランシア帝国とロアレス帝国の代理戦争か……。できれば起きて欲しくないが、お互い国が直接やり合いたくないと思ってるため、代理で戦いが起きる可能性は高いな」


 南部諸部族は、文化レベルが低く、国家を形成するまでに至ってない人族の集団だ。


 部族長たちの複雑な婚姻関係で、お互いの部族の間を取り持ち、内紛こそあるが、外からの侵略には一致団結して抵抗することを続けていた。


 その南部諸部族が、ロアレス帝国の寄港地の建設を許したということは、ある程度の部族長があちら側に取り込まれたとみるべきだろう。


 もちろん、それを良しとしない部族長もいるため、それらの者は隣接するアレクサ王国や山の民を通してエランシア帝国に与しようとする者もいるはず。


 そして、緊張が増せば、内紛という名の代理戦争が始まるってわけだ。


「工作費は工面させる。なるべく山の民周辺部の部族長はこちら側に引き込め。どんな手を使ってもいい」


「はっ! 承知しました。我が領域の安全もあることですし、全力で取り込み作業を進めます」


「ああ、頼む。それと、寄港地の監視も厳しくしてくれ」


「はい、人員を割きます。現地の者も使ってよろしいでしょうか?」


「ああ、使っていい。人員を投じて、確度をあげてくれ。南部電撃上陸からの山岳突破作戦なんて無茶はしないとは思うが、用心に越したことはない」


 普通の軍ならそんな無茶な行軍は絶対にしないと判断するが、あの夫人と将軍なら、兵たちを叱咤して達成させてしまうかもしれない。


 山岳戦での山の民の防衛力なら、阻止できそうな気もするが、隠密で踏破され、防衛力の低いアルコー家のスラト城の占拠なんてされて、アレクサ王国引き込まれたら面倒くさいことこの上ない。


 なので、可能性であったとしても潰しておきたいところだ。


「承知しました。すぐに調査させます」


 ワリドがスッと姿を消すと、ニヤニヤと笑うマリーダの顔が見えた。


「いくさの匂いがするのぅ。あの虎男と再戦の匂いがするのじゃ。ふふふ」


 そんないくさしたくねぇ。勝ててもこっちも損害がデカい。


 黒虎大将軍のお相手は赤熊髭か風見鶏にぶん投げるのが一番だ。


 黒虎大将軍との再戦を見越して、ニヤニヤしてるマリーダに対し、少し腹が立ったのでチクリと小言を呟く。


「マリーダ様、ならば先ほど申し付けられた反省文を書きあげねば留守番となりますぞ」


「はっ! 馬鹿な! あの男は妾じゃなければ倒せぬのだぞ!」


「いえ、ブレスト殿とカルア殿が居れば、倒せなくとも引かせることはできますので!」


「くぅ! そんなのは勝っておらぬ! 妾はあの虎男に勝つのじゃ! リシェール、書き取りを終わらせる! 紙を持て!」


「はい、承知しました。すぐにお持ちします!」


 もう侵攻してくることを見越したように、マリーダが書き取りを始めたが、俺の読みではアレクサ王国への援軍として南部の寄港地来るのは皇帝派の連中だと思われる。


 なんせ、この前フェルクトール王国で戦果を挙げたばかりだしな。


 これ以上、黒虎大将軍の権限が強くなるのを皇帝派がよく思うまい。


 皇帝の死後、叛乱を起こされ、帝国ごと乗っ取られるのではと思ってる側近も多いだろうしな。


 とはいえ、油断してこっちがやられないよう、諜報にはさらに注力しないといけないし、ロアレス帝国の皇帝周辺にも揺さぶりをかける時期が近づいてるのかもしれない。


 その後、強化した南部諸部族の諜報網から得た情報によって、皇帝派の重鎮が戦功を稼ぐため、劣勢著しいアレクサ王国をそそのかし、うちに押し入る算段をしていると確認が取れた。


 そのための下準備として、南部の寄港地整備と部族懐柔を進めているそうだ。


 マジで皇帝派と黒虎大将軍派の権力闘争は、ロアレス帝国内の内輪もめで収めて欲しいところだが、あっちの皇帝も有能な人間っぽく、臣下を競わせてるっぽいから、とばっちりがうちにまで飛び火してくる。


 火消しの準備は進めておかないとね。

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