12話 誰かの記憶※

※一部流血表現有り




 ドクンッ


 心臓が、一際強く鳴る。

 振り返れば私の背後に顔も知らない誰かが来ていた。

 いつの間にか顔前に白い手が迫っていた。

 最初それが何かを認識出来ず、ほんの少しの間目が合う。

 暗いのにまさか見えてしまうとは思わなかったが、人間の瞳とは思えない程に獲物を狩る様な鋭い瞳孔。


 暗がりで黒に見えるドレスから覗く血の気が無い、まるで蝋人形の様な不気味な白い手が私に手を伸ばしていた。


 やけに明るい髪色、多分金髪なのだろう。

 女性がやけに見覚えがある様に思えるのは何故なのだろうか。


 ズキズキ……


 心臓が痛いぐらいに苦しい。

 頭痛と動悸が激しくなる。

 彼女から目が離せない。

 どうして。

 理由も分からないままに胸元、痛む心臓部に手を置く。

 魅了されたわけでも無いのに。

 ふわりと香る、香水に隠された様な


 グンッ


 手が後ろに引っ張られる感覚と、私の視界を遮る形で割り込む腕。

 すると私に迫っていた白い手は透明な板に阻まれた様に止まる。


「ぼーっとしてると、危ないよ」


 雪見先輩が私を助けてくれていた。

 男を拘束していたのではなかったのか。

 金髪の女性を真っ直ぐ見据えて雪見先輩は腕を払う。


 パァンッ


 銃声に似た音。

 けれど、銃声よりは大きくない。


「残念ながら美しい人、貴女の相手は僕なんだよ」


 そう言って、雪見先輩は私を背に隠した。

 私は雪見先輩の後ろで多少の余裕を取り戻し、振り返る。


 さっき雪見先輩に気絶させられていた男は拘束されないまま倒れていた。

 このままでは危ない。

 雪見先輩が対峙しているのが仮にあの化物ならば、男はいつ立ち上がってもおかしくは無い。

 化物はいつだって人間の限界を気にせず酷使するから。

 私は雪見先輩から手を払う様に離し、男の上着を使って簡易的に縛り上げた。

 これぐらいならば、影を使う事もない。

 それから雨合羽のポケットから薬瓶を取り出す。

 雪見先輩を背に立ち上がり、前を見る。

 目の前には、中等部の少女を横抱きした男が沈黙したまま私を見ていた。


「目は、覚めていますか」


 声を掛けながら薬瓶を目の前に出し、ぱっと手を離す。


 パリンッ


藤海斗ふじ かいと先輩」


 薬瓶が地面に触れ、割れた瞬間液体と共に大量の煙が溢れる。

 視界を遮る。

 目を覚ましつつあった地面に転がる男からも雪見先輩からも化物や、目の前の二人からも。

 ここからはの出番だった。


 直ぐに海斗先輩に近付く一人の

 煙あっての大胆な行動だった。

 これによって一時的な幻影が生成される。

 と、共に誰かがきっとこの煙を見て通報してくれるだろう。

 煙が薄れてきた頃、私は海斗先輩が手放した少女が落ちる前に抱き止める。

 けれど意識の無い相手を支え切れず間もなくドサリ、と両膝を着く。

 拍子に、目深に被っていた雨合羽のフードが外れる。

 雨に打たれる中、一瞬海斗先輩と目が合った気がした。


 これできっと、そう思ったのに。

 暗闇の中、腕の中の妙に冷たいの首と腹に血が流れていた。

 煙でよく見えなかっただけだと思っていた。


 頭が痛い、耳鳴りがする。

 体中から血の気が引くのが分かる。

 同時に私が今見ている光景が私と、誰かの記憶の再現だと言う事も。


『唯、何だか痛い、寒いよ』


「あ…………」


 腕の中の幻影に腕を掴まれる。

 異様に強いその手と反対の手を痛いから、と腹に伸ばす幻影。

 私は直ぐに、幻影の手よりも先に腹のに手を添える。

 本当ならば出血を止める為にも、押し付けた方が良いのだろうが場所が場所だけに迂闊に力を込められない。


『あれ…………唯』


 ケホッゲホッ…………


 幻影の咳と共に口から血が出る。


「駄目、そんなっっ」


『唯、そこに居る?』


 力が今にも抜けてしまいそうな弱々しい幻影の腕が私の頬に伸び、サラリと撫でる。

 あの日と全く同じ。


『桜の下…………いつか』


 幻影は最後にそう言って力無く腕を落とした。


「また、この言葉を聞く事になるなんて…………」


 私は幻影が解けた顔色の悪い少女を支えながらそう呟いた。

 雨足が弱まる。

 煙が、晴れた。

 腕の中で眠る少女には幸い、首元を含めどこにも傷は無かった。

 目の前で固まる彼海斗先輩が守っていたのだろうか。

 私は目の前で呆然と立ち尽くす海斗先輩を見上げる。


「君は一体…………」


 そう言った海斗先輩の瞳には理性が見えた。


「良かった、目は覚めている様ですね」


 泣きそうになるほど心臓が痛んだ。

 私は海斗先輩の言葉に返答を返さず雨合羽を脱ぎ、少女に被せた。


 ふと、背後があまりにも静かな事に気付く。

 静か過ぎて違和感を覚える。

 海斗先輩が意識を取り戻した事も含め、あまりにも出来すぎていた。

 私は気になり、振り向く。


 そこには、金髪の吸血鬼に首を締め上げる様に持ち上げられる雪見先輩がいた。


 想像に過ぎなかったけれど、雪見先輩に蒸発するタイプの薬は効かなそうだった。

 だから、遠慮無く薬瓶を割ったのだけれど。

 雪見先輩は煙が出て直ぐに遮断したのだとしたら。

 もしかして足を引っ張ったんじゃ………

 そう、思った時。


「ぐっ」


 雪見先輩の苦しそうな呻き声と同時だった。

 私と腕の中の少女が、上空に勢い良く飛ばされた。

 悲鳴を上げる暇も無い程、突然だった。

 何も考えてなかった。

 それでも一瞬の内に吸血鬼から逃れたのは本当で。

 近くに誰かが居るなんて、思わなかった。


 ドンッ


「かはっ」


 肩に手加減の無い、と言ってもおかしくない程の衝撃。

 と、同時に尻、背中、後頭部、ついで胸部と腹部への重い衝撃と痛み。

 同時に肺の中の空気が一瞬、無くなる。

 骨が一本は折れていてもおかしくないんじゃないだろうか。

 腕の中から少女が離れなかったのは奇跡の様なものだった。


 後頭部への衝撃のせいで未だぶれる視界。

 けれど大体はわかった。

 どんな方法でかは分からないが、追い掛けて来ていた彼によって肩を押された私はビル屋上のコンクリートに叩き付けられていた。


「上空から自然落下する方がマシか、コンクリートに叩き付けられる方がマシか。

 判断に悩みますね、海斗先輩」


 身体の痛みに殆ど動けない私の目の前に降り立つ影。

 呻く様に告げ、影を見上げれば海斗先輩は私を睨んでいた。



 さっきまで降っていた雨はいつの間にか、止んでいた。

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