第75話 弱虫の決意
1
カーネリアンの街に着いて三日目の朝。トキは体調があまり良くなかった。
どうやら余程深酒したようだ、と昨晩の彼の様子から察してはいたが、やはりアルコールが残ってしまっているらしい。だからお水飲んで下さいって言ったのに、とセシリアは呆れたが、もはやどうしようもない。
彼女を抱き締めたまま辛そうに横たわっているトキをそのまま寝かせてやりたいのは山々だったが、午後一番に飛空挺が飛ぶと聞いていたため、セシリアは心を鬼にして彼の肩を揺さぶった。
「……トキさん、朝です。起きないと」
「……う……」
小さく語りかけてみれば、閉じていた瞼が薄く開いて薄紫の双眸が覗く。「起きれます……?」と問い掛けるセシリアを暫し見つめ、彼はそっと彼女の腰を引き寄せて顔を埋めた。
「えっ……! と、トキさん……!」
「……頭、痛ェ……」
「あ……、だ、大丈夫ですか?」
「んん……」
もぞりと身じろぎ、トキはぐりぐりとセシリアの腰に額を押し付ける。起きたくない、と駄々を捏ねる子どもさながらの彼に、セシリアは眉尻を下げて苦笑を返した。
「ごめんなさい、トキさん……。寝かせて差し上げたいんですけど……飛空艇に乗り遅れたら困るでしょう? 次に北大陸行きの飛空艇が飛ぶのは五日後らしいですし、今日のに乗らないと……」
「……ん……」
「ほら、起きて。魔法で頭痛、少しは緩和出来ますから……、ね?」
幼子に語り掛けるような口振りで、セシリアは優しくトキの背を撫でる。するとようやく、彼は顔を上げた。
「……、起きた……」
「……ふふっ、まだ声が寝ぼけてますよ?」
「うるせーよ……」
不服気に返しつつも、トキはセシリアを抱き寄せて頬を擦り寄せる。いつからこんなに甘えん坊になったんだろう、とセシリアは戸惑いながらも、身を寄せてくれる事が素直に嬉しくて頬が緩んでしまった。ずっと懐かなかった野良猫が、自ら甘えて来た時みたいな、小さな達成感。
(あ、寝癖付いてる。可愛い……)
思わず笑いが込み上げるが、きっと彼が訝しむだろうと考えて耐える。加えて「可愛い」だなんて口にしてしまったら、それこそトキの機嫌は急降下だ。
そんな彼だが、一緒に居ると不思議と安心する。態度は怖いし時々乱暴なのに、そんな一面すらも受け入れようと思ってしまう。どうして彼を見つめると、こんなに胸が高鳴るのだろうか。──その問いの答えには、気が付かない振りをして。
「……トキさん、シャワー浴びないと。まだお酒臭いですよ」
彼の耳元に囁けば、薄紫の瞳がゆらりと持ち上がった。
「……面倒くせえ……」
「だめ、ちゃんとシャワー浴びて下さい」
「……アンタも、一緒に入るんならいいけど?」
にや、と端正に整った横顔が不敵に微笑む。セシリアは途端に頬を染め、「……え、えっちな事するから、だめ……」と消え去りそうな声で答えると彼から目を逸らした。──彼女のこういう反応が、トキにとっては堪らなく可愛かったりする。
「……冗談。先に出発する準備してろ」
「あ、あの、でも……」
「あ?」
くん、と不意にインナーの裾を引かれ、離れようとしたトキの動きが止まる。訝しげに眉を顰めて振り返れば、セシリアは目を逸らしたまま、真っ赤な顔でおずおずと口を開いた。
「……よ、夜になったら、その……」
「……」
「……い、一緒に、入る……?」
「…………」
──まずい。その不意打ちはまずい。
トキは即座に彼女から顔を背け、すぐさま口元を片手で押さえ付けた。
おそらく今、この口元は情けなく緩んでしまっている。
「……と、トキさん?」
(……くそ……!)
今のは、ずるいだろ。
どう考えても、「夜になったら“えっちな事”をしても構わない」という意思表示にしか捉えられない。
今が朝である事を恨めしく思いつつ、トキは口元を押さえたままシャワールームに向かって歩き出した。扉を引く手前で彼女を一瞥すれば、やはりまだ恥ずかしそうに頬を染めて俯いてしまっている。そういう所もいちいちいじらしくて、寧ろ腹が立ってしまう。
「……夜、隅々まで洗ってやるから、覚悟しとけよ」
ぼそりとそれだけ言い残して、トキはシャワールームに消えた。セシリアは閉められた扉をちらりと見上げ、再び真っ赤に染まった頬を押さえて俯いてしまう。
(わ、私、何だか、とんでもない事を言った気がする……!)
先程の発言の大胆さにようやく気が付いて些か後悔した頃、サッとシャワーの水の流れる音が耳に届いて、彼女は更に恥ずかしそうに身を縮こませてしまったのだった。
2
飛空艇が発着するターミナルは、カーネリアンの中心部に位置している。旅支度を終えたトキはセシリアに魔法で頭痛を緩和して貰い、ようやく体調がマシになったところで二人は宿を後にした。
過激派組織であるカルラ教徒が彷徨いているかもしれない、という懸念があるため、セシリアには即席で購入した黒い
相変わらず見た事も無い光景で溢れ返る街中を物珍しげに見回す彼等だったが、街のどこに居ても視界に入る巨大なターミナルに向かっているため迷う事は無い。二人は難無くターミナルの入口へと辿り着き、「随分早く着いてしまいましたね」と微笑むセシリアに嘆息しながらトキは近くの壁に背を凭れた。
「……あと二時間は寝れたじゃねーか」
「何事も早めの行動が大事ですよ?」
「アンタの朝は早すぎんだよ、起きた時まだ夜明け前だったぞ」
「もう、文句ばっかり……。飛空艇に乗ったら寝ていいですから、少し我慢して下さい!」
口元をへの字に曲げるセシリアを横目で見遣り、「はいはい」とトキは適当に相槌を返す。丁度その頃、「おーい!」と少し遠くから随分と耳に馴染んで来た男の声が響いた。
「トキ! 随分早かったな!」
「……ゴリラ。お前、二日酔いじゃねえのかよ」
「え? そんなもん朝から腹筋と腕立てを百回ずつやれば治るんだぜ? 知らねーの?」
(……やっぱ馬鹿だコイツ……)
爽やかな笑顔で親指を突き立てるロビンにトキは呆れる。すると不意に彼はセシリアを見つめ、「あ……」と気まずそうに視線を泳がせた。
「……せ、セシリアちゃん様……あの……、頭の悪い俺でも、どうか嫌わないでいてくれませんか……」
「……え? えっと、何の事ですか?」
「だ、だってセシリア、俺は頭悪いから嫌いだって……、うぅ……!」
「ええ!? そんな事ないです! 私がロビンさんを嫌いになるわけないじゃないですか!」
「せ、ゼジリアぢゃぁぁん……!!」
ぼろぼろと大袈裟に涙を落とし、ロビンは感極まって勢い良くセシリアに抱き着く。「きゃあ!?」と悲鳴を上げる彼女に縋り付き、「良かったぁ~~!! 俺生きるよォ~~!!」と号泣するゴリラの頭部を、トキは呆れ顔で嘆息しつつガツン! と殴り付けた。
「いっでェ!?」
「おいバカ、うちの犬と豚はどうした」
「……あ、あぁ……アデルとステラなら、今頃俺のダチが連れて──」
「ロビ~~ン……!」
ふと、その場に弱々しく響いた情けない声。──どこかで聞いたような覚えのあるその声に、トキは眉を顰めて振り返った。直後、ロビンは目尻に浮かぶ涙を拭って破顔する。
「──おお! トムソン! こっちこっち!」
──トムソン?
やはり、どこかでその名を聞いたような気がする。トキは訝しみつつ、子豚と仔犬を抱えてパタパタと駆け寄って来た青年に視線を向ける。
緑みがかったボサボサの髪に、頼りなく垂れ下がった黒い瞳。白い頬にはソバカスが目立つその青年──トムソンは、三人の元へ辿り着くとゼェゼェと呼吸を乱し、へらりと苦く微笑んで顔を上げた。
「……ご、ごめん、途中で迷っちゃって……」
「あれ、マジ!? 俺歩くの速くて全然気付いてなかった! ごめんな!?」
「いいよ、僕が鈍臭いのが悪いんだし……」
へら、と再びトムソンは笑う。そのまま彼は顔を上げ、不意に自分を見下ろしている薄紫色の双眸と視線が交わって──即座にその背筋を凍り付かせた。
「……っ、ひ、ひいいい!!? あ、貴方はっ……! あの時の怖い人!!?」
「……あ?」
突然悲鳴を上げて後ずさったトムソンにトキは盛大に眉を顰める。隣にいたセシリアもまた、きょとんと不思議そうに瞳を丸めていた。黒いフードを取り、彼女は首を傾げる。
「……? トキさん、お知り合いですか?」
「いや……」
見た事ある気はするが……、とトキが眉根を寄せた頃、トムソンはセシリアの姿を視界に入れて更に瞳を大きく見開いた。わなわなと小さく唇を戦慄かせ、彼はセシリアに向かって口を開く。
「……女神……様……」
「……え?」
「女神様……っ! 女神様ですよね!? 僕です! 覚えていませんか!?」
トムソンは腕の中のアデルとステラを膝に乗せ、ぽかんとしている彼女の手を取る。自分の事を「女神様」と呼ぶ彼に、セシリアは戸惑いがちに瞳を瞬くばかり。
「……え、えっと……? ご、ごめんなさい。どちら様ですか……?」
「ぼ、僕……っトムソンといいます! あなた方を魔女の仲間だと勘違いして、捕まえてしまったトッド村で出会った……!」
「……!」
──トキとセシリアを魔女の仲間だと勘違いして、捕まえた村。
それがディラシナの街を旅立ってすぐに二人が立ち寄った辺境の村の事だと、セシリアは即座に理解した。
つまり彼は、セシリアとトキを捕まえ、トキを殴り、アデルの事を殺そうとした──あの村の住人達の一人だという事で。
「……れて……下さい……」
ぼそりと、小さく声が漏れる。
トムソンはうまく聞き取れなかったのか、ぱちりと瞳を瞬き、俯く彼女に聞き返した。
「……え? あの、今なんて──」
「──アデルから離れて下さい!!」
──ドンッ!
唐突にセシリアは声を荒らげ、トムソンの体を突き飛ばす。その瞬間、驚いて飛び上がったアデルとステラを庇うように彼女は抱き上げ、呆然と目を見開くトムソンを睨んだ。
珍しく大きな声を発した彼女に、ロビンが慌ただしく駆け寄る。
「お、おいセシリア!? どうしたんだよ!」
「……っ」
セシリアは悲痛に表情を歪め、腕の中のアデルとステラを抱き締めた。アデルは心配そうに頬を寄せ、「クゥン……」とセシリアの顔を見上げている。
ロビンはますます困惑したが、トキは彼女の行動に驚く事も咎める事もなかった。彼はセシリアの前に出ると、その場に座り込むトムソンを冷たく見下ろす。
「……思い出した。アンタ、あの村の出入口を見張りながら泣いてた、情けない男か」
「……!」
「……へえ。よくもまあ、俺達の前にノコノコと姿見せれたもんだな。何が女神様だ、アンタの村の住人のおかげでその“女神様”がどれだけ辛い思いしたと思ってんだよ」
トキはセシリアを隠すように立ちはだかり、冷ややかに言葉を投げ付ける。しかしそんな彼とトムソンの間にロビンが慌てて割り込んだ。
「ま、待てって! トムソンとお前らどういう関係!? 一旦説明してくんない!?」
「……旅の途中、コイツの村の住人共が勝手に俺達を魔女の手先だと勘違いして投獄しやがった。特にあの犬は村人に殺されかけて、数ヶ月間行方不明だったんだ」
「……!」
鋭い目で睨むトキの言葉にロビンは息を呑む。トムソンは表情を歪め、悲痛な面持ちで視線を落とした。──直後、彼はその場で膝を付き、地面に額を押し付ける勢いで深く頭を下げる。
「ご、ごめんなさい!! あの時は、本当に……! 本当に、悪かったと思ってる……! 村の人達が、酷い事を……!」
「……と、トムソン……」
「でも、あの後……っ本当に魔女の手先が村に来て……! 村の人達は、みんな……っ」
トムソンは声を震わせ、こぼれそうになる嗚咽に耐えながら拳を強く握った。「みんな、死んでしまった……」と弱々しく続いた彼の言葉をトキは無表情のまま聞いていたが、背後のセシリアの表情は悲しげに曇る。彼女が複雑な心境を抱えたまま視線を落とす中、アデルはふりふりと尻尾を振ってトムソンを見つめていた。
「キャン! キャン!」
「……アデル……」
「キャゥ〜」
嬉しそうにトムソンに視線を向けるアデルに、セシリアはキュッと唇を噛む。──やがて、彼女はトムソンの元へ歩み寄った。
「……顔を上げて下さい、トムソンさん。……さっきは、大きな声を出してごめんなさい」
「おい! 何同情してんだよ!」
トムソンに手を差し伸べるセシリアをトキが止めるが、彼女は小さくかぶりを振る。「同情してるわけではないですよ」と微笑んだ彼女に、トキは言葉を飲み込んだ。
「私は彼に、同情も肩入れもしていません。……でも、アデルもステラちゃんも、トムソンさんに心を許しているみたいだから……」
「……っ」
「きっと、預かって貰ってる間……良くして貰ったんだろうなって。可愛がってくれたんだろうな、って……思ったんです」
アデルは心の醜い人には懐きませんから、と続けた彼女に、トキはもう何も言えなかった。代わりに舌打ちを大きく放ち、不機嫌そうに二人から離れる。
その様子を黙って見守っていたロビンは安堵したように溜息を吐きこぼし、「なんかよく分からんけど、和解したっぽい……」と胸を撫で下ろしていた。
彼女の言葉に、トムソンは地面に蹲ったままぽろぽろと涙を落とす。
「……う、うぅ……、ありがとうございます……ありがとうございます女神様……!」
「……あ、あの、“女神様”って呼ばれると、少し恥ずかしいので……! 私、セシリアという名前なので、そう呼んで頂きたいです」
「せ、セシリアさん……! 本当に、ありがとうございます……!」
トムソンは瞳を潤ませ、ぎゅっとセシリアの手を握る。その様子を面白くなさそうに眺めるトキの元へ、不意にロビンがふらりと歩み寄った。
「まあまあ。そう妬くなよ、トキぃ」
「……誰が妬くかよ、あんなクソモヤシに」
「とか言いつつ、ヤキヤキモチモチしちゃってる癖に〜。可愛い奴だなトキくんは〜このこのぉ~、グブェ!!!」
ゴッ! と鈍い音と共にトキは冷めた表情でロビンの頬を殴り飛ばす。「グーで殴るのやめて!?」と涙目で訴えるロビンから顔を逸らし、トキは仏頂面のまま壁に背を凭れた。
相変わらず手厳しいな〜、と殴られた頬を押さえるロビンだったが、ふと視線を落とすと、彼はどこか寂しげに微笑む。
「いやあ……それにしても、もうすぐお前ら北大陸に行っちまうんだよな……。せっかく知り合えたのに、もうお別れなのか……寂しいな……」
午後一番に出る飛空艇・
しかしそう考えるロビンとは対照的に、トキは無表情のまま、遠くへと視線を向けるばかりだった。
「……俺は清々するがな。暑苦しい筋肉ゴリラが、ようやく視界から消えてくれる」
「はは! お前ならそう言うと思った。期待を裏切らねえなあ、トキは……」
ロビンは明るく声を発しながらも、一切こちらを見ようとしないトキに苦く笑う。──昨晩の酒宴は、きっと二人で酌み交わす最初で最後の酒だった。双方へべれけ状態でまともな話も出来なかったが、楽しかったなあ、と彼は再び寂しげに瞳を揺らす。
(……少しは、仲良くなれた気がしてたんだけど)
そう思っているのは自分だけらしい。そりゃそうだよな、とロビンは自嘲するが、蔓延る寂しさを見せぬようにそっと噛み殺して、彼はバシン! とトキの背を叩いた。苛立ったように向けられた薄紫色の双眸とようやく視線が交わり、ロビンは八重歯を見せてニッと笑う。
「魔女の呪い、必ず解けよ。全部終わったら、また一緒に酒飲もうぜ!」
「……」
トキは叩かれた背中を押さえつつロビンから目を逸らし、「……気が向いたらな」と素っ気なく返した。彼らしいその答えに思わず吹き出しかけた頃──ロビンの鼻が不意に火薬のような微かな匂いを感じ取る。
「──!」
ハッ、と目を見開き、彼は一瞬感じた別の気配に身構えたが──遅かった。突如球体のような物が四人の元へ投げ込まれた刹那、それは破裂して爆風と共に周辺が真っ白な煙に包まれる。
──ドォン!!
「!?」
一同は突然の爆発に身を強張らせ、目を見張った。トキは即座にストールで鼻と口元を押さえる。瞬く間に煙を広げたそれは、すぐ隣でゴホゴホと咳き込むロビンの姿すらもかき消してしまう程に濃く蔓延した。
(この匂い……煙幕か!?)
微かな火薬のような匂いが、ディラシナで過ごしていた頃によく盗んで使用していた煙幕玉のそれと一致している。おそらくこの煙に毒はない、と懸念は一つ消えたものの、すぐさま「プギィィ!!」という間の抜けた断末魔が響き──トキの顔面にはピンクの丸い物体が激突した。
「んぶッ!!?」
「プギャブッ!!」
──ゴンッ!!
突然の打撃によって鼻を強打したトキは、ズキズキと痛む鼻を押さえて思わずその場に蹲った。しかしそんな彼に構わず、今しがたぶつかって来たステラが「プギ! プギ!」と慌ただしく喚いてトキのストールをぐいぐいと引っ張り始める。「何しやがんだ、このクソ豚……!」と恨み節が漏れかけた彼だったが──プギプギと鳴きながら必死にストールを引くステラの様子に妙な既視感を感じて、言いかけた言葉を飲み込んだ。
ざわりと蔓延る、嫌な予感。ステラが自分を頼る時は大抵──セシリアに何かがあった時なのだ。
「……っ、セシリア!!」
徐々に薄まり始めた煙の中、トキは声を張り上げる。しかし彼女からの返事は無く、ロビンやトムソンのように咳き込む声すらも聞こえない。
「……っ」
途端に、背筋が冷たくなった。煙が目に染みる事も厭わずトキは周囲を見回すが、やはり彼女の姿は確認出来ない。
ようやく煙が引いて周辺の物が見え始め、咳き込む二人の姿は視界に入れたが──案の定、セシリアはその場から忽然と姿を消していた。
「──くそ!! やられた!!」
「……っ、トキ……!?」
咳き込むロビンとトムソンを残し、トキはステラと共に走り出す。ターミナル内部に駆け込むと、中は広く、一体どこへ行ったのか見当もつかなかった。
「おい豚、アイツはどこだ!?」
「ぷ、プギぃ~……」
ステラも先程の煙で鼻が効かないのか、困惑した様子でキョロキョロと周囲を見回している。トキが苛立った様子で苦々しく舌を打つと、背後から追い付いた二人が慌ただしく駆け寄って来た。
「おいトキ、どうしたんだよ! セシリアは!?」
「……アイツが……どっかに連れて行かれた……! くそ、例の宗教の奴らかもしれない……!」
「……! カルラ教徒……!」
ロビンは目を見開いたが、すぐさま目付きを鋭くさせてトキの腕を引いた。
「だとしたらモタモタしてられねえ! 最悪セシリアが殺されちまう! 人目に付かない場所を通って逃げたとしたらこっちだ、行くぞ!」
「ろ、ロビン! 僕も……!」
「トムソンはそこでステラと待ってろ!!」
共に駆け出そうとしたトムソンをロビンは鋭く怒鳴りつけ、立ち止まった彼とステラを残してトキと共に通路の先の階段を駆け上がって行った。
残されたステラは暫くプギプギと鼻を鳴らしながら落ち着き無くその場を浮遊していたが、やがて「……ステラちゃん、おいで」と呼び掛けたトムソンの声によってようやく地面に降りてくる。とぼとぼと落胆して歩み寄って来た子豚を優しく抱き上げれば、ステラは「プギィ……」と力無く鳴いた。
「……大丈夫だよ。心配しなくても、すぐ会える」
「プギ……プギぃ……」
「ロビンは強いんだ。だから大丈夫」
トムソンは不安そうなステラの体を抱き締めながら、ポケットの中に忍ばせていた“お守り”にそっと触れた。その脳裏に過ぎったのは、魔女の手先に襲われてあの村から逃げ出した、弱い自分。それから、そんな自分の傷を癒した、優しい聖女様の微笑み。
そして故郷を失った失意の中で行き場をなくし、途方に暮れていた己を拾い上げてくれた──気さくな赤髪の青年の、大きな背中だった。
(……ごめん、ロビン)
待っていろ、と言われたけれど。
トムソンは恐怖で震えそうになる唇を噛み、今一度ポケットの中の“お守り”を握り締める。再び思い出したのは、魔女の手先によって友人が目の前で首を切り落とされた、“あの日”の光景だった。
──また、あの時みたいに、何も出来ないのは嫌なんだ。
ふらりと歩き始めたトムソンに、「プギ?」とステラが首を傾げる。すると彼はへらりと口角を上げ、安心させるようにステラに笑いかけた。
「行こっか、ステラちゃん。……大丈夫。僕、剣はイマイチで、すごい下手くそだったけど……」
トムソンは頬に浮かぶソバカスを指先で掻き、照れ臭そうにはにかむ。
「……魔法は、結構得意なんだ。ロビン程じゃないし、戦闘は出来ないんだけどね」
「プギ? プギギ」
「あ、あと気配消すのも得意。……だからさ、上手く行くか分からないんだけど、」
──少し、僕の作戦に付き合ってよ。
こそりと囁かれたトムソンの頼みに、ステラはやはり、不思議そうに首を傾げるばかりなのであった。
.
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