第25話

 朝倉委員長を見送った後、部室には俺と涼宮、そしてこの部屋の備品のように動かない長門さんが残った。


「まずは部員よね。最低あと三人はいるわね」


 さて、こいつの中では何人の部活を想定しているのだろう。俺や長門さんを入れているのかいないのか、聞いておいた方がいいような気もするし、聞かない方がいい気もする。とりあえず俺はみくるさんからの指令をクリアしたことだし、お先に帰らせてもらおう。



 そして現在。俺は駅前公園で木の陰に隠れていた。腕時計は午後六時五十分を指し示している。肌寒いということはないが、既に夕日は沈んでいて薄暗くなっており、またこの公園は大通りから外れているため、この時間になるとあまり人通りもない。


「やはりいたか」


 公園の中に設置されている木製ベンチの一つに、長門さんの細っこいシルエットがぼんやりと浮かんでいた。


「ママー。木の陰に怪しい人がいるよー」


 長門さんに気を取られていた俺は、すぐ背後から聞こえた幼げな声に思わず叫びそうになったがすんでのところで我慢した。マズい。不審者と勘違いされかけている。俺は弁明しようと振り返るとそこにいたのは


「…脅かすなよ」


 喉をトントンと叩きながらにやにやと笑う制服姿の朝倉委員長だった。寿命が縮んだぜ、こんなところで何やってるんだよ。


「そうね、人気のない公園に一人でいる女の子を木の陰から観察している不審者を見かけてどうしたものか考えていたところよ」


 なんだその不審者は、許せないな。ところでその不審者っていうのは、まさか俺のことじゃあないよな?朝倉委員長は俺の問いかけに答えず、スゥっと目を細めた。また背中に嫌な汗が流れる。


「長門さんに何の用かしら」


「お前が長門さんと面識ないっていう設定をまた忘れているだろ」


 あら、ほんとね。と気にした風でもなく朝倉委員長は答えた。さっきみたいにあわあわしてくれることを期待したのだが、残念ながらそうではないらしい。朝倉委員長相手に俺の頭でうまい切り抜け方を思いつかないことは明らかなので、俺はやむなく降参することにした。


「栞を見たんだよ、さっきの本の中の」


 朝倉委員長は一瞬だけ不思議そうな顔をして、通学鞄の中からさきほどの本を取り出した。パラパラとページをめくると、先ほどと同じように栞が落ちた。それを拾い上げて書いてある文字を見た彼女は、俺と公園のベンチに座っている長門さんを順番に眺めた。


「偶然な、見ちまったんだよ。けどまぁ、あんまり見られたくないものかと思って、見てないって答えたんだ。で、さっきバタバタして委員長が持っていったから、気になって来たんだよ」


 まあ来てよかったと思うよ、実際長門さんが待っていたわけだし。すると彼女はふむと考えこみ、


「キョン君はあたしが栞を見てなくて来ないかもと思ったからここに来たってことよね?けど、もしそうだとしても長門さんには栞を見てないと伝えているんでしょ?どうするつもりだったの?」


 あぁ、まあその場合は仕方ないだろうな。実は見ちゃってて気になったから様子を見に来たっていうつもりだったよ。


「なんていうか、キョン君。あなた底抜けにお人好しなのね」


 朝倉委員長はそういって笑った。褒められていると受け取っておきたいが、その実ただただ小心者なだけさ。


「じゃあ、わたしが来たわけだし、キョン君とはここでお別れね。また明日学校で」


「いや、そういうわけにもいかない。こっそり後ろからついていくぞ」


 いつものように朗らかに笑っていた朝倉委員長がまた警戒心を見せた。ああ!違う違う。あぁもう面倒くさいな。俺は人差し指で空を指した。


「もう日が落ちて暗くなっているんだぞ。お前らがどこに住んでるのか知らないが、人気のない夜道を女子高生二人で歩いて帰るなんて危ないだろ」


 涼宮のようにプロレス技を極めているのならまだしも、長門さんのような女子が夕暮れ時に人気のないところへ行くと知ってて放っておけるわけがないだろう。少なくとも、万が一何かあった時に後悔したくないからな。こんなことなら栞を見た時に正直に言っておけばよかった。


「ねえ、キョン君」


 朝倉委員長が、どういう感情なのかよく分からない目で俺を見ていた。なんだ、俺の尾行力を疑っているのか?音を消して歩くのがクセになっているから簡単にはバレない自信があるが。それとも他に何か気になることでも…。


「あ、朝倉委員長と長門さんの家が遠いときどうするか考えてなかった」


「その心配は大丈夫よ」


 そう言って朝倉委員長は俺の手をとると木の陰から公園の中に入った。長く暗闇にいたので街灯の光がまぶしい。


「あ、さっき文芸部室で会った長門さんこんばんはー。そこで偶然出会ったキョン君が、夜道が危ないからってわたしを家まで見送ってくれるらしいけど、せっかくだから一緒に帰らない?あと、女の子が一人でこんな場所にいるのは危ないわよ」


 朝倉委員長がよどみなく無茶苦茶なことを喋っていた。何この子、絶望的に嘘つくのが下手なの?誰からも好かれる優秀な委員長の意外な一面に驚きつつ、もっと驚いているであろう長門さんがこれまたどういう感情なのかよく分からない目で俺と朝倉委員長を均等に眺めていた。何も返事がない長門さんの手を空いている方の手で握ると、半ば強引に立たせた。


「じゃあキョン君。エスコートよろしくね。変なことしちゃ嫌よ」


 そういって両手で俺と長門さんの手をそれぞれ握った朝倉委員長が引っ張るように公園を出ようとした。待て待て、先に委員長の家まで行ってから長門さんの家に行くってことでいいのか?


「あ」


 朝倉委員長がパッと長門さんの手を放し、挙動不審な素振りをしながら「長門さん…は、どこに住んでいるの?」と尋ねた。長門さんはやはりそれには答えず、まるで忍者みたいに足音を立てず歩き出した。無言でその後をついていく朝倉委員長と俺。微風に揺れるショートカットを眺めることもなく眺めながら歩いて数分後、俺たちは駅からほど近い分譲マンションへたどり着いた。


「わ、わー。長門さんの家って、ここだったのー。偶然ーわたしと同じー」


 隣の大根役者は放っておき、俺は長門さんが玄関口に入るのを見届け、見えていないだろうが後ろから手を振った。たまたまだろうが、そのタイミングで振り返った長門さんは、ほんのわずかに首を傾げたように見えた。


「全然知らなかったー。明日からよろしくねー」


 明後日の方向に向いて大根演技を続けている我らが委員長に声をかけた。もう長門さん自分の部屋に行ったぞ。朝倉委員長も正気に戻ってくれ。朝倉委員長はあらそうと元に戻った。結局この小芝居はなんなんだろう。


「そんなことよりキョン君。周りに誰もいない時なら、涼子って呼んでもいいのよ?」


 そういえばそんな話をしたような気がするな。けどなんで今そんな話するんだ?まあいいか。


「じゃあな涼子。また明日学校で」


 そう言って手を振ると、何故か涼子はふいっと顔を背けて手を軽く振ると、そそくさとマンションの奥へと姿を消した。

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