再会のためのドア

1 2004年12月24日

 一面の雪景色。膝につく冷たい温度に、『ニーハイソックスが』いかにずり下がっていたかを再認識する。

 背後でバタン、と音が鳴った。

 慌てて振り返り見ると、『ドア』の頭の方が霧散するところを目撃した。

「すぅちゃん、夜さまっ?!」

 上げた声も虚しく、そこにはもう何も居ない、何も無い。

 瞬きを数度重ね、すると肩がゆっくりと下がった。ポッカリと口がだらしなく開く。溜め息のような呼吸が続く。

「くぅ、ちゃん」

 声の方へ顔を向ける。

「正ひ──」

 そう彼女は口にして、ハッと気が付く。

 ふわふわの猫っ毛の髪、優しく垂れた目尻。ファー付きでカジュアルな黒いダウンコート、白と常磐色渋い緑の幅広ボーダー柄のポロシャツ、浅い色のゆったりとしたデニムパンツ。目の前にした彼はやはり彼女がよく見知った、長く求めていた彼であったことを再認識する。

「そ、っか」

 『ドア』はない、もうない。

 夜さまも、蘇芳も、もう居ない。


 もう、いいのだ。


 彼女はそっと震えながらキンとした雪の空気を吸い込み、呼んだ。

「おかえり、枩太郎」

 ボロボロと涙が伝う。くしゃりと歪む顔に乗せた化粧は総崩れであろう。彼女はそんな泣き顔でも構うことなく、すらり長い両腕を枩太郎へと伸ばす。

「──胡桃っ」

 彼はへたりこんでいたその場から前のめりに立ち上がり、雪上を二歩蹴り、彼女の腕の中へと飛び込む。飛び込む、というよりもそれを越え彼女を包み抱くような格好で、彼もまた腕を伸ばす。

 くぅであった胡桃の頭が、正大であった枩太郎の胸板に押し当てられた。くぅであった胡桃の小さな背は、柔らかな凹凸おうとつの甦る二〇才ハタチの身体に戻っていた。戻ったその腕の長さで正大であった枩太郎のゴツゴツとした背に腕を回すことが可能になる。

 強く強く、そして優しく抱き締め合い、正大であった枩太郎はくぅであった胡桃の耳へ囁いた。

「胡桃ありがとう」

「ふぇっ、うん」

「迎えに来てくれて、ありがとう」

「うん、うんっ」

「たくさん犠牲にさせて、ごめん」

「ううん、いいんだよ。もう、いいの」

 鼻を押し当てれば互いの『懐かしい』匂いがする。『昨日』まで日常だった互いの存在を、長らく求め合っていて──思い馳せればきりがないほど、巡る想いは積み上がっていた。

「だってあたし、枩太郎のこと、すごく大切なんだから」

 胡桃はそっと、数センチだけ枩太郎から離れ、背に回していた腕を彼の腰や胸元へずらす。

 とても近い距離で見つめ合うのは、いつ振りであろう。胡桃は長らく用意していた言葉を、胸の高鳴りと共に吐き出した。

「時を越えて迎えに行っちゃうくらい、あたし、枩太郎が大好きなの」

「胡桃……っ」

 再び流れた涙は、やがて雪に溶けた。もうそこに悔恨や落胆はなく、優しさや温かみをたくさん含んでいた。

「オレ、胡桃と居れれば、ただそれだけでいいと思ってた。でも」

 くい、と溢れる彼女の涙を拭ってやる。胡桃の頬は幼女であったときと同じく柔らかく、きめ細かく、滑かで。

「でももう今は、そうじゃない」

 粒雪がひとつ、またひとつ。

「ねぇ、胡桃。この先ずっと、ずっとずっと、オレと一緒に居てください」

 ジワ、と自らの視界も涙で歪む。吸い込んだ空気に背を押される。彼女の表情も、同じようにみるみる歪んでいく。

「オレが創る未来さきをどうか、オレと一緒に生きてください」

「ふえっ、えええん……枩太郎っ」

 もうこれは、悲しい雪景色ではない。

「ただいま、胡桃。心から大好きです」



       ◆



 雪上に丸まっていたカーキのモッズコートを、目元の赤い胡桃は「あぁ」と拾い上げる。

「夜さま包んでたんだった、これ」

 それはすっかり雪を吸い上げ、まだらになっている。「乾かさないと着られないかも」と、苦笑いで枩太郎へ向いた。

「夜さま、弱ってたん?」

「うん。魔力半分しかないのに、枩太郎が吸い込まれた『ドア』を留めとくためにずぅっと魔法を使い続けてたとかで、ヘロヘロだった」

 そっか、と枩太郎は溜め息を吐く。

 モッズコートのポケットの中の硬い物に気が付く。そこから胡桃が取り出したのは、自らの携帯電話。パカリと開くと、充電の残りは『三分の二』。待受画面の日付と時間は『2004年12月24日 15:36』。

「枩太郎、見て。日付も時間も、あの時からほとんど進んでない」

 デジタル時計の数字がひとつ進み、三七に丁度切り替わる。

「え、あ、ほんとや」

「夜さま、『ここ』にあたしたちをちゃんと戻してくれたんだ……」

 ぎゅうと抱き締めたモッズコートに、夜さまの『かたち』を想う。

 ふと、モッズコートの間から何かが落ちた。それはキラリと光を帯びて、雪上にポタリ落ちる。

「ん?」

 それを枩太郎が拾い上げた。同時に「あ」と目が丸くなる。

「なに? それ」

 突然そうして胡桃に覗き込まれ、枩太郎は『つい』掌にそれを隠した。

「あっ、いやあの」

「ええ? 今更隠さなきゃいけないモノォ?」

「ちゃ、違くて。その」

「なに? なんかズルくない?」

 むう、と膨れる胡桃を見て、枩太郎は笑いを堪える限界に達した。

「ブッ! ホントかいらしなぁ、胡桃は」

「はぁっ?! ば、ばかっ……」

 真っ赤に頬から首からを染めた胡桃へ、隠した掌のものをぬっと差し出す。

「ホントは綺麗に包んであって、『今日』の最後に渡そう思っとったんやけどな。裸でごめん」

 恐る恐る、胡桃はそれを両手に受け取る。枩太郎の手から離れると、「あ」に口を開け息を呑んだ。

「夜さまが勘違いしたものっ、て」

「うん。さっき蘇芳から出てきた本物とは、全然ちゃうのにね」

 胡桃が掌から持ち上げたのは、小さな鍵がついたペンダントネックレスであった。金属の細かなチェーンが繊細で、鍵の中心部分に小さな赤い宝石が埋めてあるだけのとてもシンプルなものである。

 一方で『ドアの鍵』は、同じように金色であったが、仰々しい装飾で飾られていた。一般的な住居の鍵とは絶対に合致しないような、ゴツゴツする過度な凹凸が目を惹く代物であった。

 その点からしても、これとは合致しない。つまり、似ても似つかないわけだ。

「やだ夜さま。ホンっト早とちりなんだからぁ」

 胡桃はジワリと再び涙を滲ませ、くしゃ、と困ったように口角を上げる。

「いろいろメチャメチャになってしまったけど、胡桃への誕生日のプレゼントやったんよ」

 枩太郎も同じように目元をくっしゃりとさせ、優しく告げる。

「ううんっ、ホントもういいの。それに、枩太郎がこれを選ばなかったら、今のこのあたしで居られてない」

 ぎゅうとペンダントネックレスを握りしめ、枩太郎と目を合わせる。

「いろいろあったけど……たくさん泣いたり怖い思いもしたけど、それでもあたし、夜さまとすぅちゃんと旅をしたことは、なにひとつ後悔してない。きちんと枩太郎と向き合えたのも、二人のお陰だと思うの」

 ふっと胡桃が微笑み、手にしたペンダントネックレスをその首に着ける。後ろ手に金具を付けようとするも、手先がかじかみ上手くいかず、「やったるよ」と枩太郎は胡桃の背後から金具を受け取る。

 首の後ろの無防備さについ生唾を呑むが、そそくさと金具を付け「出来た」と伝えるも、敢えて枩太郎はその白さを目に焼き付けなかった。

「あとこれ着とって。風邪ひく」

 枩太郎は自らのコートをそそくさと脱ぎ、胡桃の肩へ強引に羽織らせた。

「えっ、ダメだよ。枩太郎の方がすぐ風邪ひくじゃん」

「すっ、素脚の胡桃に、言われたないわ」

 細かい深紅のプリーツスカートから伸びるのは、それなりに引き締まった白い太モモである。膝上丈とはいえそのニーハイソックスは寒さ避けには不充分だ。

 枩太郎がチラチラと気にかけるように視線を動かしていたのはそれか、と胡桃は顔を真っ赤にした。

「ああっ、あの、ゴメン。ありがと……」

 コートを脱いで寒さに晒されているはずなのに、枩太郎は胡桃の赤い顔につられてギュンと体温が上がる。慌てて話を転換させた。

「や、やっぱり、それにしてよかった。うん。よく、似合におてるわ」

「そっ、そう、かなっ」

 へへ、と喜びに咲く胡桃。

 照れのような恥ずかしさのような悶々とした気持ちが二人の間に蔓延する。

 耳に張り付く心臓の音に水を差すように、深々と雪の粒が舞い降りてきた。同じタイミングで二人は鈍色をした曇天を見上げる。

「──行こか」

 枩太郎がスッと一息を吸い込み、胡桃へ左手を差し出す。

「え、どこに?」

「どこでもいいよ。胡桃の行きたいとこ行こ、せっかく誕生日やし。それと──」

 枩太郎は耳を赤く染めて差し出した手を更に伸ばす。伸ばした先は、もちろん胡桃の右手。

「胡桃と一緒に居られるなら、もうどこ行ったって幸せやからね」

 そうして微笑まれ、「あーもう」と赤面した自らの顔を、空いている左掌で覆えるだけ覆う。



 サク、サク、と踏む雪が鳴る。もちろん音は、ふたつ分。

 枩太郎の『猫溜まりスポット』から、そうして並んで遠ざかる。



「胡桃のその靴、新しい?」

「うんっ。よくわかったね」

「初めて見たから」

「新しいブランドのでね、ちょっとだけ頑張ってみました」

「胡桃、やっぱり赤似合うね」

「赤好きだからね。だから、これのここに赤入ってるの嬉しい」

「好きな色知っといてよかった」



 林を抜け、すると寂れた神社の大鳥居が見えた。

 つい視線を交わし合い、そっと微笑む。

 朱の大鳥居は塗装が剥がれ落ちている箇所も多く、風化が進んでいることは誰の目にも明らかである。

 歩み行き始めた雪の参道は真っ白で、胡桃が不意に白いその地を指差し口を開いた。



「これ、枩太郎の足跡でしょ?」

「もしかして、これ追ってきたん?」

「そう。雪ガンガン降ってきたから野良猫たちが心配になって、ここに来てるかと思って。枩太郎の背中を見失ってからは、とりあえずここかなって思ったの」

「ハァ……つくづくオレはワンパターンやなぁ」

「ふふっ、でもお陰で追っかけてこれたよ」



 繋いだ手をそのままに、大鳥居を背に右に曲がる。



「すぅちゃんとは、この先何年経ったら会えるのかな」

「端々でオレのこと『先生』って言ってしまってたしな。少し先やろね」

「枩太郎が先生になったら、すぅちゃんに会える……ようになるといいな」

「会いたい?」

「ふふっ、あれよりもっと生意気なすぅちゃんがちょっと楽しみなの。高校生よりも幼いすぅちゃん……フフフフっ」

「はたしてオレの手に負えるのかなぁ……」

「恩人の先生なんだーって前にすぅちゃん言ってたよ」

「んじゃ、恥じないようなセンセにならんとやね。蘇芳みたいに、一本芯を持った人間にならんと!」

「なれるよ。すぅちゃんがあんなに憧れてたんだもん。ねぇ、『枩太郎先生』」



 道を行く車が目に入る。二人は並んで目を丸くし、『帰ってきた』実感を第三者からも得る。



「きっと蘇芳には、あんな風にいろんなの時代の誰か彼かを、心の底から救って廻る使命があったんかもしれんね」

「うん、なんとなくわかる気がする。きっと『鍵』の役割だけじゃなくて、すぅちゃんが過去に『誰か』を助けてきたから『この今』に繋がってるのかもって、ちょっと思う」

 そやね、と微笑む枩太郎。

「蘇芳は過去を造って未来も造る、スゴい人だったかもしれない」

 それを見上げる胡桃の大きな瞳に、やはり何度見ても救われる心地になる。

「次にすぅちゃんに会ったら、あたしきっとまた泣いちゃうなぁ」

「あはは、そしたら蘇芳にまた『泣くな』って言われるやろな」

「ふふっ、あたしも先生になるのかなぁ。そしたら、すぅちゃんのこと、スッゴいかわいがってあげるんだぁ!」



   ◆   ◆   ◆



 皆がそれぞれ戻るべき処へ、きちんと戻れますように。

 皆がそれぞれ逢いたい人と、きちんと会えますように──。



   ◆   ◆   ◆



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