そしてドアは閉じられる

   ◆   ◆   ◆



 誰かを、ずっと前から捜している気がする──。

 眠りに落ちる直前にいつもふと思い浮かべる誰かを、ずっと。



   ◆   ◆   ◆



「すぅちゃんの中に埋まってる、『鍵』を、夜さまが?」

 そうしてわなわなと、胸の前で手を握り締めるくぅ。不安感が滲むその肩を正大はそっと抱いた。

「それを夜さまが使うと、どうなる?」

「夜さまが願った世界に出られるようになる」

 ボソリと訊ねる正大へ、蘇芳は静かに答えた。

「『ドア』は基本的に出先がランダムなんだけど、『鍵』に『行き先』を願うことで確実にしてたって話したろ?」

 蘇芳と視線が一瞬合った正大はひとつ頷く。

「俺の中に埋まってるから、俺が願えばそのとおりに出られてきた。俺に埋まってるから、俺だけが使えてたんだ。けど『夜さまが使う』ってことは──」

 正大から夜さまへ眼球をさっと向ける。

「──さっきの珊瑚色の珠みたいに、俺から抜き取るってことだな」

 夜さまは口を固く閉ざし、蘇芳から目を逸らさずジィと蘇芳を見つめた。

「なんで最初にさっさとやらなかった」

「…………」

「最初俺を気絶させたときに『鍵』だけ抜いて、俺のことは捨てたってよかったはずだ」

「それじゃと、幼き儂がヌシにかけた『魔法願い』が消えてしまうゆえ」

「どんな願いだよ」

 グッと言葉を詰まらせた夜さまは、瞬きを惜しむように瞼をひくつかせる。言いたい気持ちと言えない気持ちとに挟まれたように、夜さまの言葉はゆっくりと並ぶ。

「じゃて、それを……いずれ『こうなること』を想定しての『魂のリンク』じゃった。『鍵』が無くとも、ヌシが、『彼女』と、何度でも何度でも、巡り逢えるように」

 ドキリ、とした。心臓が強く握られるような心地になる。蘇芳は生唾を呑み込み、瞳孔が開いたそのまなざしで低く問う。

「夜さまはどうしてそんなにも俺と彼女を繋げたがる」

 訊きはしたが、蘇芳はうっすらと答えをわかっていたような気がした。

 今までにあった事柄を総合し、経験した上で、それを察していなかったわけではない。絞り出したその問いの答えを、蘇芳は旅の最中で期待していなかったはずがない。

 夜さまと『ドア』の旅を始めるよりずっとずっと昔から、『捜しているような気がする誰か』に逢いたかったのだから。

「ヌシも『撫子』も──」

 切な気に揺れる夜さまの瞳に、蘇芳は震えが止まらない。

「『わたしの大好きな人たちだから』。『わたしの大好きで大切な日向太ひなたの、おじいちゃんとおばあちゃんだから。あんなに誰よりも仲の良い二人が、どの時代でも、生まれ変わった先でもずっとずっとずっとっ、一緒にいられたらいいのになって、思ったから』……」

 それは『夜さま』の言葉ではなかった。本来の彼女──小夜さよとしての声と想いであった。サニーが留まった産業革命時代で泣いた、あの時の声色であった。

「…………」

 言い切った夜さまは、フーッと長く深い溜め息のような一息を吐く。まるで風船がしおしおに萎んでしまうような一息である。

 それが終わると、『彼女』の声色はすっかり元に戻った。

「儂がかつてそう願ったがゆえ、ヌシにはこんな苦労をかけ、心労をかけ、不便を強いた。『鍵』を抜いても二人が繋がれるような手立ては何かないものかと、くぅと先を行きつつずっと考えておった」

 目を逸らさず、真っ直ぐに見つめ合い、真意を確かめ合う。

「そっか」

 やがて目を逸らし、赤茶けた毛をワシワシと左手で掻く。

 ヌタっとした手触りに眉が詰まる。ヘアワックスの感触であった。それが微量なりとも付着した掌を見つめ、やれやれと片眉を上げる。

「夜さまの『魔法』が確かなものだって、俺は知ってる」

 蘇芳はそのまま、弱く口角を上げた。

「俺から『鍵』を抜いても、夜さまのやってくれた『魂のリンク』が……夜さまの『その優しさ』が、俺と撫子を繋いでくれんだろ?」

「…………」

 再び夜さまを真っ直ぐに見つめる。

 頷かず、頷けずが漂う。

 蘇芳はもう少しだけ表情を和らげた。

「日向太って、サニーだよな。アイツ……ふはっ、孫? 俺の?」

 クスクスとつい笑みが溢れる。サニーのあの赤茶けた毛髪は、確かに自分にそっくりではないか、と思った。

 ラグエルで見た幼き『男のサニー』の写真。にっと笑ったあの笑顔、自分も同じような頃に似たような顔をしていた写真を数多見たことがある、と突如思い出す。

 喜びのような、感動のような、よくわからない震えに思わず自らの肩を抱いた。

「すぅちゃん?」

 微かな声で、くぅが気をかける。

「ダイジョブ。ダイジョブ……ははっ」

 持ち上げた顔を、ハの字眉のくぅへ向ける蘇芳は、自分に言い聞かせるように何度もそうして頷く。

「なんかよくわかんねぇけど、自分の未来の断片がわかるってこんな感じなんだなーって、ヤベ。なんか震える」

 撫子との再会が、日向太の存在証明によって確実視させられた。

 ニィ、と半ば不気味に口角が上がる。ワナワナと胃の底から起こるこの感情──恐怖心に似た安心感のような、浮き足立つ心地が滝水の落下の如く蘇芳を襲う。

「すぅ。『魂のリンク』がそうして上手くゆけど、『鍵』を抜きしヌシが元の時代へ戻るとならば、ヌシは『代償』を支払わねばならん」

 夜さまは心配そうに蘇芳の膝元へ身を近付ける。

「キタな、遂に」

 抱いていた腕をほどき、拳を固く握りその膝へ置いた。

「想定しておったか?」

 夜さまの表情は、いつも何かしらの重要事項を伝えようとする時の表情であった。

「別に。つーか、夜さまの口からドッキリが飛び出すのに慣れただけだ。そろそろ飽きがくる展開だぞ」

「フッ、たわけめ」

 苦笑混じりの冗談が二人の間を抜ける。

「で、何だよ。俺が支払わなきゃなんねぇ『代償』」

「この旅の記憶」

 ピシャリと、あまりにも呆気なく言い放つ夜さま。

 上げていた口角は真一文字に結ばれる。

 端でくぅが息を呑む微かな呼吸音が、耳を掠める。正大はくぅの肩を再び抱き寄せた。

「全部か?」

「ああ、全てじゃ」

「夜さまと逢う前のことは?」

「そちらは支障ない。『ドア』での渡航のみ、抜けることとなる」

「『それ』で夜さまはサニーを迎えに行けんだな」

「ああ、確実に迎えに行く」

「マジで失敗しねぇ?」

「するわけもない」

「嘘はねぇな」

「嘘をついても特にはならん」

 その懐かしい一言に、はは、と思わず笑みが漏れた。

 ふるふると、握った拳は絶えず震えている。

 蘇芳がこの『ドア』の旅の全てを忘れる事と引き換えに、夜さまとサニーを元に帰す。未来の事象──自らの将来の孫たちの幸せを、自らの代えようのない記憶と引き換える。


 ──そんな覚悟は、今の俺にあるか。


 蘇芳は自らに瞬時に問いかけた。

「はぁー……」

 目を瞑り、頭を垂れ下げ、長く深く息を吐き出す。

 『ドア』の旅で出逢った全ての人たちの顔、声、出来事が、川の流れに沿うように速くもゆったりと脳内を廻る。

(これ全部、忘れるのか)

 固く握っていた拳をほどくと、中身は汗でじっとりとしていた。学ランのスラックスで拭い、それからパンッと一発、両手が膝をそれぞれ打った。

「おし、いいぞ夜さま。『鍵』抜け」

「待ってよすぅちゃん!」

 涙声のくぅが、正大の制止を振り切り蘇芳へ駆け寄る。蘇芳の左腕を掴まえグワングワンと揺らし、ボロボロと栗色の瞳から真珠粒のような涙を溢した。

「全部忘れちゃうんだよ?! この旅のこと、全部だよ?!」

「うん」

「『ドア』の向こうで会った人たちのことも、あたしたちのことだって、忘っ、忘れちゃうんだよっ!」

「わーってるよ」

 蘇芳は敢えてニイと笑い、ボロボロと泣き続けるくぅの頭をガシガシと撫でた。

「わかってる、ちゃんと。やけくそになったわけでも、この旅の思い出がどうでもいいモンだって思ってるわけでもない。もちろん、すげぇ忘れたくない。けどさ──」

 ぐしゃぐしゃになったボブカットの髪を撫で付け整え直しながら、くぅは涙を拭った。

「──みんな何かしら『代償』払ってたんだ。俺だけこのまま安全無事に全部わかってたら、やっぱ不公平だろ」

「未来が変わっちゃったりして、撫子さんの魂と逢えなかったら──」「逢えるよ」

 深く、深く大きく頷く蘇芳を見て、くぅはやはり涙が止まらない。

「逢える。逢う。絶対に」

 「なっ」と夜さまと目を合わせると、夜さまはいつになく人形のようにしゃんと背を伸ばし腰を下ろしていた。

「約束したから、撫子と。たとえどれだけ時を越えようと、俺は撫子を絶対に捜すって。俺はガキの頃からそれだけはずぅーっとここに、染みついてっから」

 「ここに」と自らの胸の中心を小突く。

「す、すぅぢゃん……」

「バカ、俺のことで泣くな。くぅはもう笑って生きろ、な? 先せ──じゃねぇや、マサヒロだって、もうくぅの傍に居ンだから」

「すぅぢっ、すぅぢゃん。う、ううっ、うーっ」

 そのタイミングで、正大はくぅの傍へ寄った。後ろからそっとくぅの肩に触れる。

「蘇芳、キミは……キミはオレたちの恩人だ。悲しい運命なんて、辿ってほしくない」

「待て待て、なんで忘れることが悲しいことだって言えんだよ? 勝手に決めてんな」

 正大もくぅもきょとんと蘇芳を見つめる。

「確かに全部忘れるのはかなりショックだけど、命取られるわけじゃねぇし。俺は、俺にしか出来ないことで大事な誰かを救えるなら、まぁそれも悪くはねぇかなと思うだけだ」

 再び夜さまへ目をやり、そのしゃんとしている背を撫でる。ビロードのような柔らかな毛並みに、触れた手が溶けてしまいそうだと思った。

「失くした物を数えるよりも、今掌に残ってる物に目を向けろってことを俺は学んだ。そこに俺だけの極上の宝があんだからな」

 「羨ましいだろ」と笑って見せる蘇芳は、誰よりも澄んだ瞳をしていた。

 正大はゴクリと息を呑む。こんな感覚は自らには無い、と鳥肌がたつ。

「つーか、俺が忘れたってみんなは忘れねぇだろ。大袈裟かもしれないけど、俺の代わりにみんなが憶えててくれるってことだ」

 「なっ」と再び夜さまを見る。夜さまははっきりと頷く代わりに一度だけ目を伏せた。

 その伏せた瞼へハハッと笑う蘇芳。

「だから、『ドア』の向こうでまた俺に会ったら、遠回しにでもいいから教えてくれればいい。そしたら、みんながやってた記憶回帰みたいに、何かしら思い出すかもしんねぇじゃん」

 ぐ、と正大もくぅも数多の言葉を呑み込んだ。微笑む蘇芳には誰も敵わない。

「てことで。みんな、さよならだ」

 晴れやかにそうして微笑む蘇芳。

 肩を震わせボタボタと涙を溢す胡桃、その肩を抱き留める枩太郎。

「夜さま、これからは自分で『鍵』にちゃんと願えな。なんのために、夜さまがこの旅を始めた? なんのために、俺たちを巻き込んだ? そこ今度は夜さまが最後まで忘れんな」

 顎を引き、夜さまは静かに答える。

「日向太を、連れ戻すため」

「ん、だな。ほら、これ以上サニー待たすなよ。そろそろ嫌われるぞ」

 夜さまは躊躇う心をかなぐり捨て、がくがくと震える右前足をゆっくり持ち上げる。

「すぅ、まことにすまなんだ」

「バカ、謝るのも大概にしろ。いくらなんでも安売りしすぎだぞ」

「『手伝ってくれて、ありがどう』っ」

「ん」

「うぇっ、すぅちゃん……うう。ありがどオ、すぅちゃんっ」

「くぅ、マサヒロさん。アンタたちの未来で、クソ生意気なガキの俺に、ちょっとだけ手ェ貸してやってな」

 そっと笑った蘇芳は、やがて紫色の淡い光に照らされる。

「蘇芳っ、オレは忘れない。キミから貰ったものも、この恩も」

 くぅの涙も、正大の不安そうな表情も、そして

夜さまのクッシャリとした表情も、蘇芳の瞳には淡い紫色に映り始める。

「俺、元の時代でも、きっと心の奥底でこの事憶えてる気がする。捜してた人を見つけたみたいに。きっと、みんなと俺が次に会うタイミングで、『あぁ! あのときの』って思い出せばいいんだ」

「『鍵の抜き取りの魔法を施す』──!」

 フワリ、身体が持ち上がるような心地になる。

(誰かのために『良いこと』をするのも、悪くはねぇなぁ)

 目を閉じ、夜さまの魔法に身を委ねる。

 瞼の裏が煌々と白む。

「すぅぢゃんっ! あたし忘れないからっ! すぅちゃんがすんごく優しいってことっ!」

 長く苛まれていた胸の重みが抜けたような気がして、すると蘇芳は遠くにひとつ、声を聴いた気がした。



「また会おう、蘇芳」



       ◆



 噛み合っていた運命の歯車がカチッと音を立てて動きを止めた。

 全て揃った駒はまた、ひとつ、ひとつと散ってゆく。



       ◆



「……んあ」

 ザーッと長い雨音が耳に張り付いていた。

 意識がはっきりとしたままきちんと目を開けていた気がするのに、微睡みからじんわりと醒めたようなフワッとした心地に彼の理解が置いていかれている。

 アスファルトに叩きつけられ跳ね返る雨粒は、比較的新しいスニーカーを容赦なく濡らし汚す。右肩には見知った鞄。傘から垂れる雨粒らによって一部が随分濡らされている。

 右手にしっかりと握られている白い取っ手、ビニル傘のそれを見て、彼は瞼を伏せた。

「これを、何かに差してやろうと思って立ち止まった、ような気がする」

 彼はそうフワリと思う。

 何かに──この足の先に何かがあって、それに向かった、ような気がする。

「んー」

 首を捻るも、全くわからない。眉を寄せども、雨が降っていることしかわならない。

「なんだっけ」

 鼻で吸った一息に、「ん?」とおかしな気配を覚る。

 傘を持っていない左手が触れたのは、彼の頬。そこについていたのは、自らの目から流れていた一筋の涙の痕。鼻の奥には涙の味が残っていた。

「は? なんでだ」

 右の頬も拭う。同じように涙の痕がある。

 降り続く雨の中、立ち竦む自ら。そして、両目から伝っていた涙。

「わけがわからん」

 もう一度首を捻り、彼は歩み進む。




 鉄粉でキラキラと汚れたこのアスファルトの上を、蘇芳は静かに歩み進む。

 なぜか少しだけズキリと痛む左肩に、蘇芳はこれからしばらくハテナが止まらない。

 学ランの上から肩にふわりと掛けられた砥粉色の羽織に気が付くのは、家に着いてからとなる。



   ◆   ◆   ◆



 誰かを、ずっと前から捜している気がする──。



   ◆   ◆   ◆



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