枩太郎 12

 夜さまが駆けて行ってしまってから、程なくして蘇芳がぼんやりと口を開いた。

「昨日夜、結局寝たのかよ?」

 チラリと眼球のみで正大を見る。

 正大は『記憶回帰戻り具合』について問われているなと察した。

「うん、ちゃんと眠ったよ」

「で、『どう』なんだよ?」

 今度は顔も一緒に正大を向く。

 蘇芳の熱く真剣なまなざしは、知らず知らずの内に正大の心を生き返らせている。じわりと、新たな自分になっていくような不思議な心地がする。

 正大はゆっくりと口角を上げて俯き微笑んだ。

「大事なことも、本当の名前も……思い出したいと苦しんでた事はきちんと思い出せたと思う。今のオレは、記憶が全くなかったときと違って、全然苦しくないんだ」

 心配そうに見上げるくぅの視線が気になって、くぅと目を合わせる。優しく枩太郎本来の笑みを向けると、くぅはドキリと胸を跳ねさせた。

「そ、か。じゃ、真夜中に俺が行かなくても、アンタは帰る決断をしてたんだな」

「んーん、それは違う」

 正大は首を振る。

「オレはくぅちゃんをこの時代に引き留めて、この時代で新しい生活を決めたかもしれない。全部思い出したなら、元の時代に帰らなくたって彼女と二人で生活できればそれでいい。オレが戻らなくたって、世界はきっと困らないから」

 正大がくぅの手を握る圧が増す。

 ぎゅ、と蘇芳は眉を寄せる。

「アンタ、じゃあ──」「でも」

 蘇芳の声を遮る声量を正大が出した。大きい声を出す枩太郎先生など、滅多に見たことがない。蘇芳は呆気に取られた。

「キミがあの時きちんと話をしに来てくれたから、オレはそれを選ばなかった。だから今ここにいる。夜さまにも合意するって宣言したし、キミとこんな話をしてられるのも、こうしてくぅちゃんの手を握っていられるのもそのお陰」

 それもそうか、と慌てた自らに耳を赤くする。

「『元の時代で未来を作って』──なんて、思い付きもしなかった。キミに言われる一言一言が、胸に刺さったまま抜けない」

 胸元を擦る正大へ、くぅがこそっと付け加える。

「すぅちゃん、熱いもんね」 

「ああ、熱いね。だからこそ救われた心地だけどね」

 一度伏せた瞼を持ち上げ、今度は少しおどけた調子で正大は蘇芳へ声をかける。

「あとね。正直、さっきくぅちゃんが縁側で声をかけなかったら、『熱い蘇芳』はあのままサブさんとか役人の人達まで殴りに行くんじゃないかって思ってた」

 苦笑混じりのその言葉に、蘇芳は思わず溜め息で返す。

「あんなぁ、俺をなんだと思ってんだよ」

「フフッ、ごめん。『コズルイこと許せない』ならそうするかも、と思って」

「フン、時間があったらしたかもな」

「もう、すぅちゃん。ダメだよどこでもケンカしちゃ」

「チッ、誰が好き好んでするかよ」

 蘇芳は赤茶けた毛髪をくしゃりと掻き上げる。

「大丈夫。俺は、たとえどんだけ腹立つことされたとしても、同じようにやり返すのは筋違いじゃねぇかとは思ってっから。やり返してスカッとすんのは一瞬だからな」

「まぁ、確かにね」

「そんな一瞬のためにいろいろ犠牲にすんのもバカらしいだろ? 俺は、誰かのために前に出ることはしても、力で捩じ伏せて屈服させようとすんのだけは、絶対に違うと思ってる」


  どれだけ腹が立つ事をされたって、同じことをやり返していいってわけじゃない。

  やり返してスカッとするのは一瞬だけです。

  蘇芳はその一瞬の快感のために拳を突き出してるの?

  まぁけど、黙って殴られ続けなさいって言ってるわけじゃない。

  全力で自分を護ったり、友達を助けたいから前に出る蘇芳は何も間違ってないんだ。

  でも、捩じ伏せてやろうとしてこっちから攻撃を仕掛けるのだけは、僕は間違いだと思ってる。


「…………」

 再びぼんやりと、枩太郎先生がかけてくれた言葉を思い出す。これをセピアにも言ったんだったな、と懐かしさでほっとした。

「すぅちゃん、ホント大人になったよね」

 柔らかく懐かしむようにくぅが微笑む。それを正大が首を傾げて覗き込んだ。

「そうなの?」

「うん。だってね、すぅちゃんは物事をハッキリさせないとすぅぐ怒って当たり散らすし、我慢できなくて好きな人のことすぅぐ触っちゃうんだって!」

「わっ、バカくぅ! 余計なこと話してんじゃねぇよ!」

「へーえ。触っちゃう、ねぇ」

「おい、ニヤニヤしてんなよ先生」

「声が大きいぞ、すぅ」

 そこへ、夜さまが戻った。蘇芳が眉を上げて口を閉ざす。

「早かったな」

「屋敷の中に役人が入ってくるらしい話や足音が聴こえてきとった」

「いよいよヤベぇな」

 蘇芳は生唾を呑む。くぅも正大も、再び眉を寄せた。

「行こう、夜さま。このままあたしたちの話す声が聴こえたら、すぐに見つかっちゃうよ」

 くぅは正大の手を固く両手で握り締めていた。この時代に来たときに、蘇芳の手を握っていたときのように。

 夜さまは静かに頷き、正大を見上げる。

「覚悟はよいか。元の時代に戻る覚悟じゃ」

「『元の時代に、戻る覚悟』……」

 正大が鼻で空気を吸い込むと、肺の奥底までキンと冷えた空気が染みた。この空気の温度は、いつかの雪の日の空気に似ている──正大はぎゅ、と眉間を詰め、蘇芳を見、やがてひとつ頷く。

「気持ちはもう変わらない。元の時代にちゃんと帰ろう」

 言いながら夜さまを見て、左側でハの字にした眉を向けているくぅを見下ろす。

「くぅちゃん、この手はもう離さない」

「……うんっ」

 居たか、捜せ、と屋敷の方から声が上がっている。

 蘇芳はハッと夜さまと顔を見合わせ小声で言った。

「夜さま、もう『ドア』開けるぞ。肩来い」

「あぁ。正大、くぅ、しかと着いて来るのじゃ。離れてはならん」

「うん」

「はい」



       ◆



 ドアノブはひんやりとしている。

 蘇芳が回し押し開けると、中からひやりとした風が足元を抜けてゆく。



       ◆



「くぅちゃん、ずっとキミに言わなきゃならないことがあったんだ。寝て起きて、思い出したら、キミに言いたくてしかたがなかった」

 右を踏み出した正大は、正面を向いたまま口を開いた。

「な、なに?」

 恐る恐る見上げたくぅは、サニーのことが頭を掠めた。

 またすんでのところで逃しやしないだろうか──胸の内側がゾワゾワとした。思わず笑顔が消えてしまう。

 正大はそれでも、ニィと枩太郎らしく笑ってみせた。

二〇才はたちの誕生日、オメデト」



       ◆


   ◆       ◆



「今わかっとることは何じゃ」

「わかってることぉ? うーんっとぉ……」

「…………」

「うーん、うぅーんっ、んーっ」

「…………」

「くぅは女の子でぇ、夜さまも女の子。『ドア』は時代転移装置タイムマシンでぇ、夜さまと一緒に開けないとダメぇ!」

「ふむ。して、他はどうじゃ」

「他ぁ? うーんっとぉ……」

「…………」

「うーん、えぇーっとねぇ、うーん……」

「…………」

「くぅは『一九才』! 夜さまはパンが好きだしぃ、くぅの靴はブランド品! 夜さまは寒がり──あっ、夜さま! 具合もう大丈夫なのぉ?」

「あぁ、ひとまずはの」



   ◆       ◆


       ◆



 駆け巡ったのは最初の『狭間』での発言。思わず足が止まる。

「──記憶間違えてた、あたし」

 ガクガクと顎が震えた。「え?」と覗く正大をぐっと見上げる。

「あたし、そうだ。あの日っ、あの日あたし、二〇才はたちになったんだ」

 すがるように正大の前腕を掴むくぅ。

「思い出したよっ、全部、ホントに全部っ!」

 泣き出しそうなくぅの瞳に、正大はそっと微笑みを向ける。

「あたしの記憶回帰、終わった……やっと終わったんだ」

 堪えきれずにボロリボロリと、真珠粒のような涙が溢れては草間に消える。



       ◆



 蘇芳、夜さまが、まず『ドア』の中へと踏み進む。



       ◆



 正大は、枩太郎の声でまなざしでくぅへ向かう。

「帰ろう、元の時代に」

「一緒にっ、一緒に帰ろう!」

 その腕を引っ張るように、くぅはそうして歩み進む。

 正大はくぅの身体をひょいと持ち上げ、首に手を廻させた。

「えっ?!」

「やっと会えて、やっと言えて嬉しいから、こうやってたくて。ちょっと許してな」



       ◆



 くぅを抱えた正大が、大股で『ドア』の中へと踏み進む。



       ◆



 騒然とする屋敷の前へ親方が辿り着いたとき、おかみさんはしかし毅然とした態度で対応していた。群集の後方に親方の顔を見つけると、「お前さんっ」と声を上げてしまった。

「すまねぇな」

「こっちこそ。すまないね、なんとか止めてたんだけども、さっき中に入られちまったよ」

 小声で親方とおかみさんがそう交わし親方が意を決してずんずんと屋敷の玄関から奥へと踏み込む。

「奥の部屋に、こんな物があったが」

 廊下で鉢合わせた役人が手にしていたものは、親方の見覚えの無い風呂敷包み。む、と眉を寄せ、開けさせて欲しいとそこへ置かせる。

 そっと解いてみると、見たこともない骨董品や巻かれた反物、魚の干物と米があった。そして何より、一番初めに目に入ったのはよく見たことがある白い手拭。

(正大の、手拭)

 ハッと目を上げ息を呑むも、親方は(いや違う)と逡巡する。

(『これ』を策したのは蘇芳だ。ここまで律儀なことをやってのけるのは、きっとアイツかもわからん)

 蘇芳の気持ちを親方が正しく汲み取ったかはわからない。しかし、これが礼や侘びの品々であり、親方自らへ向けられていることはひしひしと伝わった。

「こ、こんな高価そうな──」

 ボロっと漏らした役人の一言に、親方はすかさず口を挟む。

「これは『ワシの手拭』だ。これだけ返してもらうがな、あとは全部持ってって金にでもしてくんな。これで今回の騒ぎは無かったことにさせとくれ」

 こんな強引な言葉に乗ってくるであろうか、と親方は胸中が薄ら寒くなる。

「あんたたちが家捜ししても、他にだぁれも居らんだろう。デマだよデマ。手伝いの若ぇ衆は、みぃんなあんたたちに捕られっちまったんだ」

 そうだろ、と食ってかかる。

 役人は、暫しの間を置き風呂敷包みを抱え込み、ようやく屋敷を後にした。

「よかったのかい、お前さん」

 役人がすっかり退けてから、おかみさんは始終を親方から聞いた後でそっとそう訊ねる。

「いいさ、命は取られなんだ。蘇芳と正大のお陰さな」

 陽はすっかり落ちた。

 上空の闇に微かに輝く星をいくつか見つける。

「いい夢を見たなぁ」

 左手に握っていた手拭を、そっと首に回す。

「ワシらはほんに、いい夢を見ておった」



       ◆



 大正時代に出でし扉は、バタン……と無機質に閉じられた。



       ◆



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