枩太郎 8

   ◆   ◆   ◆



 くぅのサガシモノを捜したい。

 くぅの目的を、遂げさせたい。



   ◆   ◆   ◆



「親方。俺たちに、マサヒロを返してもらえませんか」

 蘇芳は茜に染まった顔にキッと強い意思を込めて、静かにしかしハッキリと告げた。

 振り返った親方は思わずぎょっとしたような面持ちで佇む。その表情が蘇芳の脳裏に「奪ってしまう」背徳感を植え付けた。怯みそうになるも歯をぐ、と食い縛り、言葉を続ける。

マサヒロあの人を、亡くした息子さんの代わりみてぇに大事に大事に扱ってくださってたのは充分わかってます。その恩義は、あの人の代わりに俺が働いて返します。だから……だからどうか、俺たちにあの人を早々に返してもらえませんか」

「…………」

 間を開けて、親方はフゥ、と肩を竦め蘇芳へ三歩近付く。

 蘇芳は演説をやめない。

「あの人は俺の恩人なんス。あの人は、昔どうしようもなく腐ってた俺を救ってくれた。元居たところに、どうしても返してやりてぇんス。あの人の大事な人が……あの人を大事に想い続けてる人が、あの人をずっとずっと待ってるんだよっ」

「わかった。わかったから、蘇芳」

 落ち着け、と親方は蘇芳の右肩をそっと掴む。

 ハッと瞬きを重ねれば、いつの間にか冷静さを欠いていたことに気が付き、羞恥から右手を首の後ろへやった。

「す、すんません。俺、つい。熱くなってて」

「いんや。若いのはそれでいい。それくらいであれ」

 親方は白髪混じりの太く長い眉を垂れ下げ、くっしゃりと微笑む。

「正大は不思議なことに、ワシの息子と瓜二つだった。夢の続きを見られた心地でな……束の間の幸せだった」

 それで殊更献身的に世話をやいていたのか、と蘇芳は深く納得した。顔や容姿が似ている事象は、『ドア』を潜る度に頻繁に起きている。正大である枩太郎が「この時代には本来いない人間」だということが、こういった側面からも確証付けられた。

「でも、夢は夢。そろそろ夢から覚めねば、ワシも女房アイツもこの世に戻ってこれん。こうして迎えも来てることだし、な。機会であったのやもしれん」

 寂しげに首を振る親方は、蘇芳の右肩をゆさゆさと揺らし眼を見る。

「正大は優しい。優しすぎるから、自分の心を真っ先に殺す。記憶がねぇからなのか持ち前のものなのかはわからねぇけど、そんな自分自身を誰に救ってもらいてぇようにしかワシには見えん」

(救って、もらいたい──?)

 蘇芳はぎゅ、と寄せた眉に中学二年の頃の自らを重ねる。


 泥沼化する暴力の渦中から辛うじて出した蘇芳の右腕。それをハシと捕まえ力一杯引き上げてくれた、先生である枩太郎。


 その立場が今この時代に於いては逆転している現実に、蘇芳は希望を感じ取る。

(それがだから、今度は俺の番なんだな)

 ザアと足元を風が抜けてゆく。黄土色の土煙を纏い、蘇芳の前から後ろへと冬の匂いが流れてゆく。

「なぁ、蘇芳や」

 親方は蘇芳を真っ直ぐに見つめ、言葉を続けた。

「正大が、いろんなこと思い出したり故郷に帰りてぇっつー話を直接してきたら、そんときにアイツを返してやろう。それまではもう少しだけワシの庇護下に置いとく、お前らもだ」

「え、俺らも?」

「たりめぇよ。お前さん、一七だろ? 男は一五から出兵だし、旅して廻ってっとは言えここに長居すりゃすぐに政府に目ェつけられて、最悪正大もろとも故郷に帰れんようになっちまうかもしんねぇ。変な言い方だが……二人共を匿ってやる代わりに、互いにそうして整理つけねぇか?」

「けど、そんなことしたのがバレたら親方が……」

「なァに、若い命を救えるんだ。比べて老体のひとつやふたつ、惜しくもなんともない」

 親方の言い分は、言葉のわりに随分と冷静であった。多角的に物事を認識し可能性を絞っていることがわかる。これが大人の視点か、と奥歯を噛んだ。

(やっぱ、大人は全然違うな)

 蘇芳はいつか感じた自らのの卑小さを苦味と共に思い出しながら、静かに頷くしかなかった。



   ◆   ◆   ◆



 なんて鮮明な夢だろう──。




「おめでとう! 枩太郎!」

「ありがとー、■■!」

「春から一緒に通えるね、本当になったよ!」

「ほやね、楽しみだ。■■と同じ学校、夢にまで見た景色がようやっと見れんのかって思うと、もうニヤニヤするわ!」

「フフッ、浮かれすぎ」




 なんて鮮明な夢だろう──。




「ほいだら夜ちゃんとか夜くんなら、どう?」

「……あ、反応してる?」

「当たり?! なぁどっちがいいん? 夜ちゃん? 夜くん?」

「…………」

「『夜』だけ、とか?」

「フンッ」

「っそ。ねぇ、いっそ様付けしてたら無難かもよ。『ちゃん・くん』で性別決まるより気楽だし確実だもん」

「ほんなら『夜さま』やね」

「…………」

「気に入ったみたいだね、『夜』さま」

「…………」

「な、何よォ?」

「ははっ、イントネーションやない? ■■、『夜』の方に音置くから。オレ基本的に方言染みてて後ろになりがちやし」

「そう、かな?」

「…………」

「夜、『さま』?」

「…………」

「フフ、よかったな」

「この子、枩太郎のことスゴく好きなんだねぇ」

「猫にはよーく好かれるんよ、オレ」

「そ、だね」

 あぁ、そうだった。思い出した。

 本当に好かれてほしいのは、猫によく似た彼女なんだけれど、と、この時オレは本音を呑み込んだんだったな。




 なんて鮮明な夢だろう──。




「ただいまー」

 そうして開けた玄関扉の先に、ポツンと夜さまが居た。

「あれぇ夜さま? ダメやろ、まだ抜け出──」

 そこまで口に出して、キラリと金色こんじきに光る物を夜さまが咥えていることに気が付いた。オレは冷や汗と共にハッと息を呑み声を絞り出す。

「ちょお、それ、どうやって──」

 ふと玄関扉から手を離し、夜さまへその手を伸ばしたほんの一瞬。夜さまは出来る限りの全力疾走でオレの足元をすり抜け、閉まりかけの扉の隙間からタッと飛び出した。

「あっ!」

 慌てて夜さまを目で追う。ぶわっと全身の毛が逆立ったような焦燥感が上から下へ抜けた。

 肩に掛けていた鞄を家の中へと放り、玄関扉をタックルのように体で押し開けると、ヨタヨタと駆けて行く黒く小さな背中が見えた。

(あれは……あれは、『今日』■■に渡すはずのペンダント!)

 玄関扉に鍵をかけ、走って夜さまを追う。

 走るのは決して得意ではない。それでも今出来る全力で、アレと夜さまを追わなければ──と、オレはただ必死だったんだ。



   ◆   ◆   ◆



 二日目。

 正大とくぅが眠ったまま、一行は親方の家で夜を過ごした。

 夜明け前に蘇芳が目を覚ますと、夜さまは目を開けじっとしていた。どうやら眠らずに二人を見守り続けているらしい。体力消耗を気遣った蘇芳は「変わるけど」と声をかけたものの、あっさりと首を振られてしまう。

 やがて正大の代わりに建築現場へ向かう準備を整えた蘇芳は、夜さまへ「じゃあ」と声をかけた。

「行ってくるけど、無理すんなよ」

「うむ、わかっとる」

「なぁ、夜さま。『ドア』の気配感じ取ったらすぐに大正時代ここを出よう」

 眠り続けるくぅと正大を尻目に、蘇芳は声量を最小に絞り、そう告げる。夜さまは心配そうにアメジストなような瞳の奥を揺らめかせた。

「じゃが、親方どのとの約束があるじゃろ? 本人が望むまでは、という」

「それはまぁ、そうだけど」

「ヌシと撫子の『魂のリンク』が終わるまで儂らが待っとったことを忘れたか? 大丈夫じゃ、未だ急く時ではない。匂い気配もせんでな」

「その気配がしないっつーの、怖ぇよなぁ。不穏っつーかさ」

「なに、くぅの記憶が戻れば『ドア』も直に出てこよう。記憶回帰はこうして成されとるし、捜し者とも出会えとる。全て順番じゃ。安全に帰ることが第一よ」

 夜さまの口調がいつになく優しい。急く蘇芳を落ち着かせようとしているためである。

 蘇芳は肩を落として「わーったよ」と溜め息に乗せて言った。

「んじゃ、行ってくる。寝れそうならちゃんと寝ろよ?」

「うむ」

 蘇芳の足音が遠退いていくのをきちんと聴き送り、それがすっかり消えたところで夜さまは腰を上げた。正大の右側を音も無く歩み抜け、その頭先にある襖の前で腰を下ろす。

「『開閉の魔法を──』」

 ほんのりと黒く小さなその身を薄紫色に発光させ、弱い魔法を使用する。それによりそっと一〇センチ分襖を開けた。

 襖の向こうは板張りの縁側のような廊下がある。その奥には手入れの行き届いていない狭い庭があり、申し訳程度の倉も見える。

「…………」

 本当は、『ドア』の気配がしないわけではない。

 『ドア』は、そんな申し訳程度の倉の裏側にあることが、屋敷に入った瞬間からわかっていることであった。

 今の夜さまに出来ることは、二人の記憶回帰を見守りつつ、安全に記憶回帰を終えさせ、同意した四人で『ドア』を潜ること。

 正大としての枩太郎は、はたして「帰りたい」と言ってくるであろうか──ただその事だけが夜さまの心に引っ掛かりを作っていた。

 今、良くも悪くも胡桃くぅ枩太郎正大の傍に居る。彼が元の時代に『戻らねばならない』『戻りたい』と願う要因が夜さまには見出だせず、密かに静かに不安で震えていた。

(日向太。儂に何か知恵を──)

 仄かにそう乞うも夢幻の事象にすぎず、溜め息ばかりが漏れ出てしまう。

 襖の隙間から見た倉の裏側にあるであろう『ドア』へじっと視線を向ける。


 そうしてこの日も、ゆっくりと夜が明ける。



   ◆   ◆   ◆



 なんて鮮明な夢だろう──。

 ああ、そうだそうだ。

 あの日、外は粒雪が降り続いていたんだ。




「夜さまーっ! おるん? 夜さまあ!」

 オレは必死に辺りを見渡しつつ、白い景色の中に黒い猫の姿を捜す。

「夜さまっ! どこ行ったん、夜さまぁ!」

 やがて林へ入ると、直に一匹の猫の足跡を見つけた。夜さまのものかもしれないと焦り、自然と大きな声が出る。

 夜さまを叫び呼びながら、やがて『猫溜まりスポット』へ出た。しかし夜さまの姿は無い。

 代わりにそこにあったのは妙なドアだった。


 まるで板状チョコレートのような形状、左側に黒色の丸ノブ、高さはおおよそ二メートル二〇センチ、幅は大人が二人並んで通れる程。

 それが雪の上にポツンと立って在る。


「なん、これ?」

 オレは眉を寄せつつそれを視界に入れたけど、「こんなものより」と頭をブンと振って再び声をあげた。

「出といで、夜さま! お願い、頼む! あれは大事な物なんよ!」

 大きな声でそう言い放つも、声はただシン、と虚しくその場へ溶けた。白く冷たい雪の中へ、まるで吸い込まれるように消えてしまう。

「夜さまも、こんなとこにおったら死んでしまう! 怒っとらんし、戻っといで」

 ぐるりぐるりと絶えず謎のドアの周囲を歩き回るが、いつもこの場に居るはずの猫らの姿すらないことに違和感が積もる。背筋がうすら寒くなるのは冬の寒さのせいなんかじゃない。

(これ、開けれるん?)

 もしかしたら、と思った。もしかしたら猫たちはこのドアを開けて『別世界』か何かに行ったんじゃないだろうか。そんなSFストーリーは漫画でたくさん読んできた。

 そうしたらじわじわと、確かめずにはいられなくなった。一歩、一歩、とドアへ近付いてみる。

「…………」

 大きなドアを目の前に、ぎゅ、と生唾を喉へ流す。

「夜、さま?」

 そっと左手で、ドアノブへ触れた。グルリ、と突如ノブが回る。

「んっ?」

 違う、オレじゃない。オレは触れただけだ、『回してない』。

 瞬間、勢いよく開いてしまったドア。

「触れてはな──」「えっ」

 微かに誰かの叫びが聴こえた気がしたが、突風と共にゴッという風圧を受け、オレはドアの向こうの真っ黒の空間へと引き摺り込まれた。

(アカンよ。オレ、■■のとこに行かないけんのやよ)

 木々の合間から黒く小さな影が見えた。瞬間、あれが夜さまだとなぜか認識できた。

(■■を待たしとるんよ。もう待たせたくないんよ、頼むよ夜さま──)




 ああ、思い出した。

 オレは『枩太郎』だ。


 彼女をむさぼり尽くしたいほど、ずっと彼女に焦がれていたんだ。

 自分の近くに彼女を縛り付けるように置いておいて、最初はそれで満足してたけどこの頃にはもう限界で。

 だから決めていた。この日は彼女の誕生日だったから。意を決して本当の想いを言うんだって。

 小さく情けなく、幼すぎて穢い。こんな独りよがりばかりが続くのはもう嫌だった。


 はね除けられることをたくさん想像した。それでも先に進まなければと思った。

 張り裂けそうなほど怖かったけれど、前に進むことだけが日々穢い自分になっていくのを止められる術だと思った。


 もし、万が一に上手くいったなら。

 指を戴く勇気はまだないから、せめて首に下げる物なら、と思って、あの時アレを選んだんだ。


 オレの心の錠を簡単に開けられる鍵を、彼女は無意識に持っていたから。




「──る、み」



   ◆   ◆   ◆



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