枩太郎 6

 親方の姿を一目見るなり、正大はフッと気を失った。足元から崩れるようにして蘇芳にぶら下がったので、蘇芳は引き上げるので手一杯になる。

 そこへ親方が慌てて駆け寄り、蘇芳に手を貸すやいなや「一緒に運んでくれるか」と頼んできた。てっきり手を払われてしまうのではなどと身構えていたため、蘇芳は呆気にとられたように目を丸くした。

 正大を親方の屋敷へと連れ行き、指示どおりに奥の一室へ正大を寝かせ、額に滲む汗を腕で拭ったところで親方は「やっはっは」と声を控えめに笑った。

「すまねぇなぁ、兄さん。正大が迷惑かけちまって」

「いや、全然っス」

 親方は、一五〇〇年代で世話になった米問屋の白木しらきによく似ている。丸い腹に丸い顔、白髪混じりの無精髭が顎元によく似合っている。

 蘇芳はこの既視感に安堵を覚え、親方が正大へ優しくしていた理由もなんとなく頷けてしまった。

「俺、蘇芳っていいます、歳は一七。この人は俺の恩人で、妹と旅して長いこと捜してたんです。……今は妹とはぐれちまってますけど」

 蘇芳が横たわっている正大を眺めながらそう説明すると、親方はあっさり「そうだったのか」と微笑み、理解を示してくれた。次いで恐る恐る、蘇芳は純粋な疑問をぶつける。

「あの、自分で言うのもアレっスけど。俺のこと不審だとか思わないんスか?」

「がっはっは、思わんよ! おおかた正大が突然気ィ失って倒れたんだろう?」

 肩を竦めて親方は続けた。

「コイツたまに、こうやって突然倒れて眠るんだよ。兄さんが正大に肩貸してんの見て、居合わせて介抱してくれたんだなってすぐにわかったさ」

 親方は、穏やかな寝息をたてる正大を一見し、やれやれと眉尻を下げた。蘇芳も控えめに口角を上げ、「ウス」と照れ混じりに頭を下げる。

 これが記憶回帰によるものであることは明白であった。記憶回帰が起こる際は、突如堪えられない眠気に襲われる。記憶は夢を視ることで戻るのである。

 夜さまは、ひっそりと正大の傍についていることにしたようで、蘇芳へ目配せで合図を送ると正大の脇に丸く収まった。

「すぅちゃん!」

 走り来るタタタタタという音と共に、廊下から突如そう声がかかった。くるりと見やるとくぅであった。開け放ってある襖の向こうから色素の薄い栗色の毛がふわふわとしている。

「くぅ! お前っ、あーよかった!」

 顔を見られた安堵からか、目を見開いて目尻をくしゃりとした蘇芳は、思わず両腕を広げた。

 たっと駆け寄るくぅは不安そうに眉を下げている。そうして泣き出しそうな表情になったかと思うと、蘇芳の胸元に遠慮なくバっと飛び込んでくる。

「わあーもーっ! 不安だったよう、すぅちゃん!」

 くぅは蘇芳の懐をひと嗅ぎし、顔を間近に眺める。次いで、べたべたと肩やら腕やらに触れ『実物』であるかを確かめた。

「バカ、こっちの台詞だ。でも、ちゃんと合流できてよかった」

 苦笑いの蘇芳の背後から、親方が顔を覗かせ眉を上げる。

「くぅ、そちの兄とはこの蘇芳なのか?」

「親方さん! あっ、はいそうです!」

 くぅはパッと蘇芳から離れ、親方へ深々と丁寧に頭を下げた。

「『兄』が見つかるまで置いてもらって、ありがとうございました。しかもその『兄』まで連れてきてもらっちゃって」

「それはよかった。蘇芳は偶然、正大を助けてくれたんだ」

 言われてはじめて横たわっている正大に気が付き、くぅはサッと顔色を蒼くする。

「ま、正大さん?! どうして……」

「寝てるだけだ、大丈夫」

 しゃがみ視線を合わせた蘇芳が、そっと諭すようにくぅの肩に手を置く。じっとくぅのガラス玉のような瞳を見つめると、一五〇〇年代に居た数日前よりもはるかに色が濃くなっていることがわかった。

 これは、夜さまのそれと同じ現象だなと勘付く。記憶回帰の度合いは、瞳の色の加減と関係があるのかもしれないと蘇芳は推理した。

 不安そうに眉をハの字にす続けるくぅは、数多の疑問を口内で噛み殺し、正大の脇で丸まっている夜さまに気が付いて視線を向けた。

「すぅちゃん、あの──」「くぅもマサヒロあの人の傍に居てやれな」

 互いに目を合わせると、蘇芳はそっと微笑みくぅの肩をポンポンと叩いた。そしてその頭頂部に広く大きな掌を乗せ、くぅにのみ聴こえるような音量で囁く。

「マサヒロはくぅのサガシモノだろ? 起きたら無理矢理にでも連れて帰るぞ」

 そう言う蘇芳の眼は希望に充ちていた。強い意思を感じ、それがくぅにもひしひしと伝わる。

 くしゃ、と顔を歪ませたくぅは、鼻の奥に涙の気配を感じた。彼に感じていた既視感は『サガシモノ』であったためか、と、安堵と納得に包まれる。蘇芳らとはぐれた理由も確信へと変わり、喜びで震えた。

「だから、夜さまとサニーがずっと一緒に居たみてぇに、マサヒロの記憶回帰が終わるまで『くぅが』離れないで傍に居てやれ。マサヒロは今、多分夜さまのことを思い出してた。だからもうすぐだ、大丈夫だから。なっ」

「すぅちゃん……」

 バっと立ち上がった蘇芳は、微笑んでいる親方を向く。親方には、兄妹の再会を噛み締めているように映っていたことであろう。

「あの、親方さん。マサヒロの代わりに俺が仕事を手伝ってもいいっスか」

「なに」

 本当か、と親方は目を丸くした。この表情は米問屋の白木そのものだな、とついフフッと声が漏れる。

「俺、そう簡単にはへこたれねぇし、マサヒロよりかなり体力あります。二人を置いてもらってた礼をさせてください」

 本当は、蘇芳はそれに加え、親方へ罪悪感を感じていたこともあった。サブをはじめとする大工何人かを、防衛とは言え負傷させてしまったことが気掛かりではあった。

 親方は「ワリィなぁ」と後頭部を掻きながら、素直にそれに甘えてくれた。親方の後に続くように部屋を出る。

「じゃあ、頼むな」

 一度ニッと笑ってやる。くぅは相変わらず眉をハの字にしていたが、夜さまがその肩に軽く飛び乗ると、ようやく口角を少しだけ持ち上げた。

「うん。気を付けてね、すぅちゃん」

 蘇芳は、親方と共に屋敷を後にした。



   ◆   ◆   ◆



 くぅのサガシモノを捜したい。

 くぅの目的を、遂げさせたい。


 枯れるほどの涙を流せど、最後にはきちんと笑うために。

 これ以上、誰の一人も泣かなくて済むように──。



   ◆   ◆   ◆



「夜さま、あたしもちょっと眠ろうかな」

 蘇芳が親方と出て行ってしまってから、くぅは正大の左脇に正座した。心配そうに夜さまはくぅを見上げる。

「記憶回帰を、焦ってはならんぞ」

「えへへ、違うよ。焦ってない。そうじゃなくてね」

 弱く口角を上げてはいるが、あまりにも眼が笑えていない。

「さっきすぅちゃんに『マサヒロはくぅのサガシモノだろ?』って教えてもらっちゃった。ちょっとだけズルしちゃったよね……ごめんなさい」

 くぅの神妙な表情に、『ドア』を潜る前の胡桃の真顔が重なった。

「良い、すぅも確認のためじゃったろうて、なにもズルくなどはない。少しずつ安全に思い出すことが最も重要なのじゃ」

「へへ、ありがと」

 くぅはそっと夜さまへ首を傾げる。

「『ドア』から出たらね、この正大さんに最初に会ったよ。それってやっぱりサガシモノに直通するって……夜さまがサニーのところに出た時と同じ、ってことだよね? あたしも、サガシモノに会えた。それでいいんだよね?」

 震える声色に、記憶回帰の足りなさを感じてしまう。正大が枩太郎であると、くぅはまだ確信付いていないことを夜さまは察した。

「なるほどの。じゃて『眠りたい』と」

「うん。あのほら、なんだろ。ご飯をかっ込んで喉に詰まったときっていうか、そんな感じがする。……わかる?」

「フッ! くぅも茶碗飯をかき込むことがあるのか」

「もっ、もう! 夜さまぁ!」

 柔らかく目を細めた夜さまは、くぅの膝にそっと乗ると右前足をチョンと持ち上げた。

「どうしたの?」

「恩義を、少しじゃがヌシへ返させてはくれんか」

 ぽん、と持ち上げた右前足は、くぅのみぞおち辺りに置かれる。くぅは頭にハテナを浮かべて目を丸くした。

「恩義? あたしへ? 夜さまが?」

「ヌシとマサヒロはかつて儂を救い、この身に仮の名をくれた。温かい居場所をくれた。その恩義が、儂にはある。今、ほんの少しだけじゃがその『恩義の想い』を返そう」

 ポウ、と夜さまはくぅのみぞおちへ薄紫色の球体を作り、押し当てる。その球体は妖しく発光し、くぅの髪は柔らかく風に吹かれるように舞った。

「『マサヒロと同時に目を覚ませるよう、くぅへ記憶回帰の補助魔法を施す』──」

「夜、さ──」

 瞬きの合間に、夜さまの魔法による発光は終わった。フッと意識を失ったくぅは、バタリと倒れそうになる。即座に夜さまの保護魔法でくぅの身体は数センチ浮き上がり、そっと正大の左隣に横たえられた。

「あとは……せめて、こうしてやりとうなるな」

 夜さまはくぅの小さな右手を正大の大きく骨ばった左掌に握らせた。クイクイと、夜さまは魔法を使わず懸命に移動させる。

「儂も甘くなったものよ」

 握らせた手を見ながら、フンと小さなピンクの鼻を鳴らし、夜さまは腰を上げた。そして二人から少し離れた位置で腰を下ろし、眠る二人を眺めながら身体を丸めた。



   ◆   ◆   ◆



「もう! ここ塾なんだから、あたしじゃなくて先生に訊いてよっ!」

 彼女は細く綺麗に手入れされた眉をキッと吊って、ようやく後ろのオレを振り返ってくれた。多分いろいろなことを配慮して、誰も居なくなった塾の教室を選んだんだと今ならわかる。

 白く柔らかそうな頬を紅潮させて、そうして怒る顔がどうしても愛おしくて、オレは気が付いたらにーんまりと笑ってた。

「ようやっとこっち向いてくれた」

「ハアっ?!」

「オレな、■■ちゃんと眼ェ見て話がしたかってんよ。そやから、何回も勉強のこと訊いてたん。だからわざと」

「かっ、振り向けば顔見れる、前の席に座れば?!」

「それやと■■ちゃんが前見えんやん? オレただでさえデカいし。■■ちゃん、なんぼなん」

「一五二センチだけど」

「へへえ! ちぃちゃいなぁ!」

「何、バカにしてんの?」

「可愛いって、言いたかっただけやよ」

 たったその一言で、彼女は頭の先から足の先まで真っ赤になったように言葉を詰まらせた。もともと大きい瞳をこれでもかと真ん丸に見開いて。あわあわと口元を動かしてはきゅっと結び、出しかけている言葉を声に乗せない。

「ばっ……」

 こうして照れてる彼女も実に可愛らしい。まるでなかなか懐こうとしない猫みたいだ。

 オレはそう思ってつい目を細めて、「ははっ」と声に出して笑ってしまった。

 人間の、それも異性に対してこんなにも愛おしく想える心が自分にもきちんとあったのだとわかり、その瞬間から急に安心できた。毎日学校以外では独りきりの味気なさ過ぎる生活に、心の底から辟易していたから。

 オレは、彼女からついぞ溢れているキラキラした光が欲しかった。

 他の女の子達には無い、謎のキラキラした光。きっとこれは、オレだけが彼女に見えている光。


 そしてそれが自分に少しでも向けられたとわかった瞬間から、オレの世界は再び色付き始めたような気がする。

 彼女は、固く閉ざされたオレの心の鍵を開けてくれた、唯一の光になった。



   ◆   ◆   ◆


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