枩太郎 5

 正大の肩を抱えながら、蘇芳はすっかり朝陽の昇った空を眺めつつ歩みを進めていた。

「キミ、えと……蘇芳くん? だったっけ」

「蘇芳でいいから。『くん』とか、耳がカイーんだよ」

 フイとそっぽを向く蘇芳のその耳が真っ赤になっている。正大はフッと口角が少しだけ上がった。どうやら悪い奴ではないようだと、正大は少しだけ心を傾けることにした。

「ひとまずありがとう、蘇芳。助けてくれて」

「別に。寄ってたかって一人をボコボコにするようなコズルイやり方が見過ごせなかっただけだし」

 ぶっきらぼうに言い切ってから、チラリと正大を盗み見る。

 ザリザリの三分刈り頭になっているものの、このまなざしも目鼻立ちも醸す雰囲気も声のトーンも、全てが『枩太郎』であると蘇芳にはハッキリとわかった。




 それもそのはず。




 くぅを捜すため町まで歩いてきた蘇芳は、「枩太郎の匂いがする」と目の色を変えた夜さまに先導され走っていた。そうして辿り着いたのが、正大らが居る建築現場であった。

 膝に手を付きながら肩で息をし俯く蘇芳は、対照的に少しも呼吸の乱れていない夜さまへ問う。

「くぅも、一緒かっ? ハァー、疲れたァ……」

「いや、ここにくぅは居らんようじゃ。気配が弱い」

「んじゃ、まだ会えてねぇのかな、ハァ」

「いや、儂のときのようにサガシモノの元へ直通したはずじゃ。会えたが別れたのやもしれん」

 建築中の建物の陰で小さくそう話していると、その向こう側から何やら物音が聴こえた。澄まし聞くと、低い呻き声や打撃音のようで、時折混ざる嗤い声が不気味さを醸している。

 思わず顔を合わせる二人。

「くぅは、ここには居ねぇってので間違いねぇな?」

「ああ。幸か不幸か、の」

「若い枩太郎先生『は』、この中に居るんだよな?」

「ああ。瀕死の儂を助け、その四年後にヌシの先生としヌシを手助けすることになる『枩太郎』の匂い気配はある。魂の形が合致しとる」

「…………」

「…………」

 蘇芳は眉間を寄せ、夜さまは目を細めた。

「言っとくけど、俺は喧嘩『を』してるわけじゃねぇぞ。『手助け』目的なわけ。だから俺からは殴りかかんねぇし、『いなす』スタイルを続けてる」

 蘇芳はそう夜さまへ断りを入れた。夜さまは目を閉じ小さく笑う。

「わかっとるわ、お人好しめ」

 蘇芳は「サンキュ」と口角を上げ、見張りの元へ駆け行く。夜さまはその背へ声をかけた。

「五分でなんとかせい。儂はここで護衛魔法結界をかけておくよってに」

「ハッ、五分もかかるかよ」

 そうして瞬く間に見張りの四人をその場へ転がし、手頃な小石をサブの右腕へと投げた。




 と、いうわけであった。

 ちなみに夜さまは現在、静かに蘇芳と正大のかなり前方を行っている。蘇芳はそれを追い歩いているわけだ。




 夜さまを追いながら、蘇芳は引き続き正大を横目でチラチラと観察する。

 七年前の『枩太郎先生』──つまりこの人は二〇〇四年元の時代で未だ『中学生の蘇芳』とも出逢っていない『枩太郎』であるのだ。「蘇芳」と聞けど、今は単に『殴られている自分を助けてくれた人』でしかない。

 しかも、彼は未だ教員ですらない。教員を志すいち学生なのである。蘇芳の方から「先生」と呼ぶことをはじめ、真の名である『枩太郎』で呼ぶことがあってはならない。枩太郎を捜しているのはくぅであるわけだが、うっかり真の名を呼び、強制送還などの不確かな不都合を起こすわけにもいかない。

 仮の名であろう『マサヒロ』を簡単に知り得ることができて好都合ではあったが、本人確認が完全に終わったわけではないのだと、蘇芳は今一度心に刻む。

(俺は全部知ってんのに、知られてないなんて……覚悟はしてたけどちょっとキツいな)

 蘇芳はきゅ、と口を真横に結ぶ。

「蘇芳、訊いてもいいかな」

 正大は殴られていた腹の辺りを押さえながら顔を歪めて蘇芳へ口を開いた。

「何でもどーぞ」

「どうしてあんな、路地裏みたいな陰になってるとこに、わざわざ入ってきたの?」

「言ったろ、『ツレが人を捜してる』って。いろんなとこをくまなく探してたんだよ。だから、その、たまたまだよ」

「たまたま」

「…………」

 そんな見え透いた嘘でもよかった。蘇芳は少しでも『枩太郎先生』よりも頼りになる男でありたいと思い、溢れ出た言葉であった。

「ハハ、じゃあ、随分な幸運だったんだなぁ」

 正大があまりにも素直にそうして照れ笑いをし続けるため、蘇芳は一気にバツが悪くなった。思わず慌てて水を差す。

「ぶ、ぶっちゃけっとさっ。俺たち三人で旅してんだけど、妹みたいなやつとはぐれたんだよ。だからソイツ捜しながら、ソイツの捜し人であるひとも捜してたってワケ。まぁ、二人を同時に捜してた的な? そんな感じ」

 「この説明でわかる?」と蘇芳は正大を恐る恐る覗き込む。『枩太郎先生』であればニッコリと微笑み「うん、なるほど」と優しく頷いてくれる場面であるが……と、ソワソワし言葉を待った。

「そうか、結果的にその捜し人はオレだったわけ、かな」

 蘇芳は正大の横顔がフッと柔らかく微笑むのを見て、(やっぱ先生は先生だ)と目頭が熱くなる。

「まぁ、うん」

「でも悪いね。オレ、記憶がないんだ」

 蘇芳はザリ、と歩みを止める。

 正大も同様に足が止まる。

「今のオレはここ一か月くらいの記憶しかなくて、それより前は全く覚えてない。今までどこに居たとか、親が誰だとか、自分がどういう性格だったとか。全然」

 「覚えていないんだ」と首を振った。いやに悲観的な正大のその振り方に、蘇芳は舌打ちを漏らしそうになるがぐっと堪える。

(逸るな俺。先生も『狭間』に代償として記憶を全部持ってかれちまっただけだ。くぅと一緒に元の時代に戻りゃ、先生の記憶も戻る。大丈夫、大丈夫だ。大丈夫……)

 そうして気持ちを押し殺すように切り替えた蘇芳は、正大から視線を逸らし鼻でフンとひとつ鳴らす。

「俺らは誰もそんなの気にしてない。半分くらいは予測してた。えーっと……そう、想定内ってやつだ」

 一歩、一歩と再び歩きだす蘇芳は、正大の肩をぐっと担ぎ直す。

「あのな、アンタを捜してるヤツは自分の大事なもんをありったけ代償にしてアンタを捜しに来たんだ。それだけアイツはアンタを大事に想ってる」

「代、償?」

「そう、大事なもんと引き換えること。つーか俺に言われなくてもアンタの方が言葉知ってんだろが……」

 蘇芳はまっすぐに前を見据えて話を続ける。くぅの、まるで花の咲くような天真爛漫な微笑みを思い出していた。

 眉を寄せ首を傾げている正大は、蘇芳の言葉を理解しようと必死に思考を巡らせる。

「まぁだからさ、たとえアンタが記憶なくたって、アンタのことを覚えてるヤツが少なくとも三人はいるんだってことは知っといてくれよ。そんで、そういう奴らが迎えに来て、アンタを必要としてる。それくらいは理解して、覚えといてくれるだろ?」

 じ、と横目で正大を見つめて言った。

 正大は、処理に戸惑うような曖昧な口元をゆっくりと動かす。

「言ってることは、理解できる。だけど、信じたり鵜呑みにするのはまた別の話だ」

 顔を背け合い、互いに眉が寄る。

「せっかく来てくれて悪いけど、その人と会ったとしても、オレはきっとその人のことをわからない。現にキミのことがわからないように」

 声を小さく、正大は苦し気に続けた。

「今のこのオレは、元々のオレで居られてる自信がない。元々のオレが、迎えに来てもらうに足る人間だったかも不透明だよ。ハッキリ言って、恐ろしいことばかりなんだ。自分が傷付くことも、自分のせいで周りをまた傷付けることも恐ろしい。だけど、こんな怖がる自分も歯痒くて……」

 ギュ、と目を瞑る。

 不意にその瞼の裏に、くぅの控えめな笑顔が映った。

「──ハッ?!」

 驚きで目を開ける正大。

 高鳴りだす心臓の音に、下顎は不安に揺れる。

 蘇芳は震えている正大に気が付き、サニーに恨まれているのではと怖がっていた数日前の夜さまを思い出した。

(あの時はつい怒鳴ったけど、『先生』にはさすがに怒鳴れねぇな……)

 蘇芳はそうして深呼吸と共に、連ねる言葉を用意する。枩太郎がかつての自らへしてくれたように、『寄り添う』ような心構えに変えた。

「起こってもねぇ事怖がんな。そんなん、どんな事でもみんな同じだから」

「みんな、同じ?」

 この会話が聴こえたかのようなタイミングで、数メートル前方で夜さまが振り返り止まる。

 蘇芳も自ずと立ち止まった。正大から視線を逸らさない。

「いいか。他人の考えなんて普通わかんねぇだろ。いつだって顔突き合わせてちゃーんと眼を見て話し合わねぇと物事は先に進まねぇんだよ」

 真剣なそのまなざしに、正大は呼吸を忘れた。

「ただ怖がってるだけじゃ、ずっとわかり合えないままんなるぞ。万が一、話して聞いてもらえなかったり上手くいかねぇ事が起きたら、そん時にまた改めて考えりゃいいだけの話だ。……まぁ、くぅアイツはそんな風にしねぇけどさ」

 蘇芳自身は無意識に正大へかけた言葉であったが、言い切ってしまってから(これって、もしかして)と気が付く。

 これは完全に『枩太郎先生』の受け売りであった。


  相手の考えてることなんてわかりません。

  だから顔突き合わせて眼を見て話をすることが、どんな時も大事なんだよ。

  話をして聞いてもらえなかったら、その時はまた別の策を考えましょう──


 『中学二年の蘇芳』がかけられたこの言葉を『先生でない枩太郎』へ、自らの言葉に変換して投げかけていた。

 卵が先か鶏が先かというような不可思議な事態に、蘇芳は鳥肌が止まらなくなる。

「と、とにかくだっ」

 フーッとひとつ溜め息で震えや鳥肌を逃し、もう一度正大と目を合わせる。

「俺ら三人は、ただアンタを信じてる。アンタが俺らの誰のことも知らなかろうが、アンタが記憶無かろうが、たとえどんなアンタでも受け入れる覚悟と準備はとっくにできてる。それだけアンタを必要としてるし、アンタじゃなくちゃダメなんだ」

「な、ん……」

 くしゃ、と正大は顔を歪めた。呼吸を荒くしブンと俯く。

「なんで? どうしてオレなんかにそんな優しい言葉をかけれるんだ?」

 正大がそう荒らげ項垂れると、溜め息と共にズルリと蘇芳の肩から腕を外した。黄土色の砂利道に膝をつき座り込む。

 夜さまが向こうの方で尻尾をうねらせ腰を上げ、近付いてきた。

「なんにもわからない自分が歯痒い。オレだけが宙に浮いてる。オレだって……オレだって、きちんと全部わかっておきたい」

 言いながら再び顔を上げた正大の瞳は、不安一色の儚げなもので、かける言葉を間違えば簡単に壊れてしまうような際どさが窺えた。

「忘れてること全部思い出したい! キミのことも、オレを必要としてくれてる人のことも……自信なんかないけど、置いてかれてる感覚は一番嫌だ」

 見上げるように正大に見つめられ、蘇芳は息を呑んだ。言葉に詰まりながら、やっとのことで小さく声をかける。

「今は何もわからなくたって、元のところに帰ればちゃんと思い出せる。大丈夫だから」

「今教えてくれないか」

「それ、は──」

 (全てを正直に明かしてしまいたい)──教えてしまいたいという気持ちを堪えるのがこんなにも辛いのかと、蘇芳も同様にワナワナと震える。右拳をギュウと握り、掌に爪が再び食い込むのがわかった。

「──ワリーけどダメだ、俺からは教えられない」

「どうして!」

「どうしても。アンタは俺らと一緒に帰って、全部自力で思い出すんだ」

 正大は蘇芳から顔を逸らし、吐き捨てるように小さく小さく呟く。

「なかなか、酷い仕打ちだな」

 ふと、前方から夜さま黒猫が歩み寄ってきたのが見えた。

「夜さま……」

 蘇芳が苦い顔をしながら声をかける。夜さまは一言も発さぬまま、正大の二メートル手前で止まり、腰を下ろす。

「よる、さま?」

 その『名前』をなぞると、胸の奥で記憶の軋む音がした。

「よるさま、夜さま……。『夜さま』?」

「先生?」

 ハア、ハア、と息を荒く、正大はひたすらにその名前を呟きなぞる。様子のおかしい正大を見て、蘇芳は「おい」と正大の右肩へ手をかけた。

「しっかりしろっ、大丈夫だ。ゆっくり、ゆっくりひとつずつ思い出せば、なっ? 大丈夫だ、大丈夫だから!」

 正大は黄土色の砂利道へ両肘をつき、うずくまるように頭を抱えた。蘇芳の声はとてつもなく遠くから聴こえるようであった。

「『夜さまダメやろまだ抜け出したら』、『まだ万全じゃないんやから』……っ『夜さま見てこれどう思う?』、『夜さまかいらしなぁ』……『夜さま、夜さま』──」

 黄土色の砂利道へブツブツと吐き出してゆくその文言は、枩太郎であったときの記憶の断片であることを証明している。

 夜さまはその様子を見るなり蘇芳の肩口に飛び乗った。耳元でそっと助言する。

「すぅ、記憶回帰が起こっとる。早いところコヤツを連れくぅの元へ向かうぞ」

「わ、わかったっ」

 蘇芳は正大の右腕を無理矢理自らの肩へと乗せ、脇腹を抱えると、引き摺るように前へと進みだす。

「正大っ!」

 そう前から声がかかる。

 朦朧とする正大の眼前に現れたのは、血相を変えた親方であった。



   ◆   ◆   ◆



 くぅのサガシモノを捜したい。

 くぅの目的を、遂げさせたい。


 くぅのサガシモノは過去の俺の恩人だ。

 どうしようもなく腐って、自棄やけになってた俺に救いの手を差し伸べてくれたのは彼なんだ。

 今彼が、あの時の俺と同じように腐って、自棄になりかけてる。

 俺を助けてくれたように、今度は俺が彼を救う。


 想いは巡る。

 くるくると巡る。

 そうして巡って、未来へ繋ぐ。


 枯れるほどの涙を流せど、最後にはきちんと笑うために。

 これ以上、誰の一人も泣かなくて済むように──。



   ◆   ◆   ◆



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