枩太郎 3

「枩太郎と出逢でおうたのは、雪のちらつく日の夕方じゃった」

 近くのあぜ道に腰掛け石を見つけた蘇芳は、ひとまずとそこへ腰を下ろした。その右隣に夜さまが落ち着く。

 地面には蘇芳が指で書いた『枩太郎』の文字があった。名の確認をし、互いに確信へと変わったため、夜さまが口を開いたところであった。ドッドッと激しく動き続ける自らの心臓がなかなか落ち着かないことに、蘇芳の苛々は積もっていく。

「サニーを捜すためだけに『ドア』を開け続けとった儂は、腹の減りなど感じる間も惜しみ、飲まず食わずを長く続けた。『ドア』を開けては気配を嗅ぎまた次の『ドア』を開ける。そうして次第に痩せ細り、気付いたときには体力も魔力も限界じゃった」

 夜さまは、まるで幼子へ絵本でも読んでやっているような、穏やかにそして優しい口調で蘇芳に語っている。

「あの時代で、知らぬ間に猫の縄張りに足を踏み入れとった儂は、そこのボス猫に手酷くやられた。それを助けたのが枩太郎じゃ」

先生あの人スゲー猫好きだからな」

 小声でそう補足し、項垂れる。コクリ小さく頷く夜さま。

「医者に連れていかれ、ひととおり検査をされて、枩太郎は甲斐甲斐しく儂の手当てをしてくれた。翌日に学校へ行くと出ていき、夕方頃帰ってきた彼の隣におったのがくぅじゃ」

 項垂れたまま、視線を右側へ少し移す。

「数日すると枩太郎とくぅで儂に『夜さま』と名を付け、温かく穏やかに過ごせる環境を作ってくれた。正直、こんなことをしている間に『ドア』を開けねばとも散々思っておったが、立ち上がる体力が戻るまでに結果一〇日も要した。それに、儂は二人が醸す温かな空気が心地よく、痛いほどありがたかったのじゃ」

 どれだけ痩せ細り、深い傷をその身にも心にも負っていたのであろうか。蘇芳はフゥと音にならない溜め息で当時の夜さまを憐れんだ。

「もう自ら立ち上がれるようになった頃、枩太郎はあるものを儂に見せてきた。くぅにやるのだと、照れ混じりにの」

「あるもの……」

「小さな鍵のペンダントじゃった。首から下げられるような金属の細かな鎖が付いておって、金色をしておった。小さな赤い宝石が中心に埋めてあるだけのシンプルなものじゃったが、儂は目を奪われた」

 ゆっくりと項垂れた頭を上げていく。夜さまの横顔を浅く見やる。

 夜さまは真っ直ぐに、どこまでも続くような薄群青色の冬空を眺めていた。

「その夜、儂は夢を視た。今思えばそれが初めの記憶回帰じゃった」

 静かに目を閉じる夜さまは、鼻で息を吸うと深呼吸のように吐き出しながら言葉を乗せる。

「『鍵』の夢を視たのじゃ」

「『鍵』、の夢? それって、俺の中に埋まってる『ドアの鍵』の夢?」

「ああ。記憶回帰によって『思い出した』……というより『視た』一部分は、儂が『鍵』に言葉を纏わせておる場面じゃった。思い出せたのはそこまでで、まさかヌシに埋めただの魔法だのはその後になってからわかったこと」


  これは約束の鍵だよ。

  また出逢えるように、お祈りを込めておくね。

  だからもう、そんなに悲しまないで。

  いずれまた、こうして逢えますように──


 これを『鍵』へ纏わせている 小 夜 人間の自分を視たのである。夜さまは静かに目を開け、再び薄群青を見上げた。

「目覚めたときに、儂は記憶違いを起こしておった」

 ザワリ、と嫌な予感がする。自然と眉間が詰まった。

「枩太郎が持っておったあの鍵のペンダントが、『ドアの鍵』じゃと思い込んだんじゃ。回帰不足による記憶違い……今だからわかる儂の手違い」

 クッ、と夜さまは薄群青からも、蘇芳からも目を背ける。

「枩太郎が学校へ出掛けた隙をみて、儂は彼がくぅに渡すために持っていた鍵を探し回った。家中な。何時間かしようやく見つけたそれは、包みに綺麗に入れられておったが儂はそれを破き壊した。鍵だけを咥え、家の扉を開けようとしたとき、枩太郎が帰ってきてしまった」



       ◆


   ◆       ◆



「ただいまー」

 枩太郎が開けた玄関扉の先に、ポツンと夜さまが居た。

「あれぇ夜さま? ダメやろ、まだ抜け出──」

 キラリと金色こんじきに光る物を夜さまが咥えている。それが視界に入るなり、枩太郎はハッと息を呑んだ。

「ちょお、それ、どうやって──」

 玄関扉から手を離し、夜さまへと手を伸ばしたその一瞬。夜さまは出来る限りの全力疾走で枩太郎と扉の隙間を抜け、家から飛び出した。

 枩太郎が「あっ」と顔面を蒼白にし、慌てて夜さまを目で追う。肩に掛けていた鞄を家の中へと放り、玄関扉をタックルのように体で押し開けると、ヨタヨタと駆けて行く黒く小さな背中が見えた。

 玄関扉に鍵をかけ、走って夜さまを追う。

 夜さまは弱い魔法を使いエレベーターを簡単に開け飛び乗ると、さっさと一階へと向かってしまった。枩太郎の眼前でエレベーターの扉が閉まり、下へとゴウンゴウンと動き出す。

 枩太郎は「夜さまっ」とエレベーターに張り付くが既に遅し。

 エレベーターとは反対方向の非常階段を流れるように駆け下りる。次第に一段飛ばしで下りてゆくと、マンションのエントランスで夜さまの尻尾が左に曲がったところを目撃した。

 息が上がるも関係ない。枩太郎は生ぬるい唾溜まりで喉を湿らせ、夜さまを追おうと再度走り出した。



 外は粒雪が降り続いていた。



 街の景色が白く染まってゆく中、真っ黒の猫はむしろよく目立つ。しかし、垣根と垣根の間などへ入られてしまえば、途端に夜さまの姿を見失った。

 枩太郎は、思案した末に雪上に残された肉球型の足跡を探し努める。しかしそれは散歩中の犬であったり、別の野良猫のものであったりと、息を切らし走り回るがなかなか本命へ辿り着けない。

「どうしよ、あれ無いと今日胡桃に会えん。せっかく今日なんに……」

 焦燥感だけが枩太郎の足を前へ前へと動かしていた。

 キョロキョロとバス通り沿いを歩き、バスと平行に歩いていたがやがて追い抜かす。バスがバス停で停まったためである。

 そのまましばらく走っては歩き、また走っては歩きを繰り返し、やがて『猫溜まりスポット』のある神社の鳥居前までやって来た。

「初めて夜さま見つけたんが、ここやったんよな」

 立ち止まり、ためらうように呟いたのは自らへ言い聞かせるため。

「──いや。どっちも諦めれんやろ」

 大鳥居を見上げていても始まらない。枩太郎はぐっと拳を握り、寂れた神社の鳥居を潜って『猫溜まりスポット』へと向かっていった。

「夜さまーっ! おるん? 夜さまあ!」

 枩太郎は不安気に辺りを見渡しつつ、必死に黒い猫の姿を捜す。

「夜さまっ! どこ行ったん、夜さまぁ!」

 やがて林へ入ると、直に一匹の猫の足跡を見つけた。夜さまのものかもしれないと、枩太郎は自然と大きな声が出た。

 やがて『猫溜まりスポット』へ出たが、夜さまの姿は無い。かろうじてさっきまであったであろう猫の足跡は、降り積もり続ける新しい雪のせいでほぼ見当たらない。

 代わりにそこにあったのは『ドア』であった。


 まるで板状チョコレートのような形状、左側に黒色の丸ノブ、高さはおおよそ二メートル二〇センチ、幅は大人が二人並んで通れる程。

 それが雪の上にポツンと立って在る。


「なん、これ?」

 枩太郎は眉を寄せつつそれを視界に入れるが、「こんなものより」と再び声をあげた。

「出といで、夜さま!」

 そうしてきょろきょろとその場に留まり、枩太郎は四方八方を捜す。

「お願い、頼む! あれは大事な物なんよ!」

 大きな声でそう言い放つも、声はただシン、と虚しくその場へ溶けた。白く冷たい雪の中へ、まるで吸い込まれるように消えてしまう。

「夜さまも、こんなとこにおったら死んでしまう! 怒っとらんし、戻っといで」

 ぐるりぐるりと絶えず『ドア』の周囲を歩き回るが、いつもこの場に居るはずの猫らの姿すらないことに、枩太郎は違和感があった。背筋がうすら寒くなるのは冬の寒さのせいではない。

 不意に、もしかしたらと枩太郎は『ドア』を向く。

(これ、もしかして開けれるん?)

 一歩、一歩、と『ドア』へ近付く。

「…………」

 降り続く雪は足元に積もると、枩太郎の大きな足にギュキュ、ギュキュ、と踏まれ固められる。

「夜、さま?」

 そっと左手でドアノブへ触れる。

 グルリ、とノブが回る。

 瞬間、勢いよく開いてしまった『ドア』。

「触れてはならん!」

 微かに夜さま誰かのそんな叫びが聴こえた気がしたが、枩太郎の耳に確と届く前に掻き消える。

「──え」

 突風と共にゴッという風圧を受け、枩太郎は『ドア』の向こうの真っ黒の空間へと引き摺り込まれた。

 それを目撃し一瞬彼と目が合ったそのギリギリのタイミングで、夜さまは魔法を投げかけたわけだ。

「枩太郎に、時代転移の魔法を施す──!」




(胡、桃……)



   ◆       ◆


       ◆



 長い話を終え、夜さまは深い深い溜め息で区切った。色濃いアメジストのような紫色の瞳を薄く開け、やがて瞼を上向きにし左隣の蘇芳を見上げる。

 蘇芳もまた、まっすぐに夜さまを見つめて聞き入っていたようである。眉を寄せ、実に辛そうな表情をし下唇を噛んでいた。

「の? じゃて儂は罪人なのじゃ」

「違う!」

 力なく自嘲する夜さまをそうして制する蘇芳は、大きく頭を振った。

「事故だ、これも事故! その場所に『ドア』が出てきたのも、『ショウタロウ』が『ドア』開けたのも、それを止めようとして大声出して魔法が暴発した夜さまも、サガシモノサニーのために『鍵』だと思ってただのアクセ奪ったことも、全部全部事故だっ!」

 再び夜さまを見やる精神力もなく、蘇芳はその場から立ち上がる。数歩進んだ先で拳を強く握り締めた。

「頼むから、もう誰が悪いとかやめてくれ……」

「すまん」

「謝んなっつったろ」

「……すまん」

 握った拳を緩め、両掌を見る。中央に一直線、爪が食い込み血が滲んだ痕が出来ていた。

 それを眺めながら、蘇芳は肩を竦める。

 細い細い小さな声で、蘇芳もまた独り言のように話し始めた。

「俺の知ってる『枩太郎』っつー人はさ、夜さまの言う『枩太郎』とはちょっと違うよ。あ、いや、『同じ人』には変わりねぇけど」

 哀し気な蘇芳の背中へ、夜さまへ小さく問う。

「すぅの知っとる『枩太郎』とは、どのような?」

 うん、と溜め息でひとつ頷き、夜さまをそっと振り返る。

「俺、中学ンとき喧嘩してたっつったろ? あれ正確にはチャレンジファイトの的にされてたっつーのがホントなんだよ」

「チャレンジ、ファイト?」

「俺を倒したヤツが最強、みたいな? なんかそういうくだらねぇやつ」

 鼻で嗤うと、蘇芳は中学二年の頃を思い出していった。


 全てのきっかけは、上級生に絡まれた友人を助けるために加勢に入ったときであったこと。

 それが原因で謹慎処分に『蘇芳だけが』なったこと。

 周りの大人たちは誰も、蘇芳の正当防衛さを信じず、認めてくれなかったこと。


「そんな中で先生だけは……新任でその春から社会科の先生として赴任してきた枩太郎先生だけは、俺は悪くないって主張してくれたんだ」

 思わず、その恩義から目頭が熱くなる。

 薄群青を見上げる。この情けない涙をこの空に溶かしてほしいと仰ぎ見続ける。

「喧嘩に巻き込まれてばっかりの俺を、身を呈して他の先生たちとか大人たちから助けてくれた。いつもヘラヘラ笑ってっけど、絶対に他人をバカにはしない。誰の話でもいつだってちゃんと聞いてくれる。俺に寄り添って、いつも優しくて、懐の大きい先生なんだ。いつだって、ボロボロにされた後の俺の、暖かい居場所になってくれた。すんげー頼もしい人」

 涙の気配が落ち着くと、蘇芳は無言で聞き入る夜さまへ視線を戻した。

「なのになんでか俺のこと、事ある毎に『恩人』って言っててさ。なんか妙なこと言うなぁーってずっと思ってたんだ」

「それは恐らく、この時代でヌシが枩太郎を助ける……などの、恩義を彼へかけるのじゃろ」

 やっぱり? と蘇芳は肩を竦めた。

「つーことはだ」

 言いながらポキポキと首を鳴らし、夜さまへ戻る。

「くぅと、くぅが捜してる『枩太郎』っつー人は、俺の時代より過去の人ってことんなる」

 そうして「合ってる?」と窺う蘇芳の眼に、久方ぶりにキラリと熱がこもっていた。『違う人だが同じ人』、これが意味する答えを蘇芳は逃がさないように握り締め掴まえる。

「──ああ、そうじゃ」

 夜さまは蘇芳の顔色が変わったことに気が付き、強いまなざしを向け頷く。

「儂が世話になった胡桃くぅと枩太郎は、共に大学生。時にして二〇〇四年の冬じゃ」

「って、随分最近だな。確か『ドア』で言う『年代』って、五年間から一〇年間くらいの区分だったよな」

「基本的に同じ時代に出ることはほぼ叶わんが、ニアミスはそこそこあるんじゃ。枩太郎が『ドア』に吸われてから儂らがヌシの元へ辿り着くまでに、儂とくぅは一〇数個の『ドア』を潜ってきた。じゃて『前に出たことがある時代』というのはリセットされとるに近い」

「ふ、ふぅん?」

 よくわかんねぇけど、と蘇芳の頬はやや引きつった。

「とにかく、俺の本来の時代は二〇一一年の秋だ。つーことは、先生が吸われたのは、えと、な、七年前、ってことになるなっ」

 算数に手間取る蘇芳の苦笑いが切ない。夜さまは吹き出しそうになったがなんとか逃し、質問を変える。

「ヌシの知っとる枩太郎の年齢はいくつじゃった」

「中学で初めて会ったときに、確か二三っつってたかな。新卒だって言ってた」

「うむ、合致するな。枩太郎は二〇才はたちじゃったが、一年浪人したゆえ大学一年じゃと言うとったでな」

「じゃ、くぅが捜してんのは『ハタチの枩太郎先生』っつーこと?」

「ヌシの言葉で言うなら『若い枩太郎先生』、じゃな」

 蘇芳は希望を携えた表情でニヤリと口角を上げた。二人は絶対に元の時代へ戻れる、とこちらも確信に変わったためである。『存在証明』という実体験として、この時代に迷いこんだよりも後の『枩太郎』に蘇芳が嫌ほど世話になった『記憶・思い出』が何よりの証拠であった。

 ゾワリと背筋に鳥肌が波打つ。脳天から発し、踵へと駆け抜ける。

「枩太郎先生もくぅも、俺が元のとこに連れ帰る」

 夜さまは瞬きを数度重ね、蘇芳を見上げる。

「それから、夜さまとサニーを元のとこに戻す。俺も元の時代でいずれ撫子ともう一回逢う。全部の道筋の鍵を俺が握ってんだ、もう誰も泣かせない」

 そう言った蘇芳の顔が日向太の祖父老体の蘇芳の頼もしい表情と合致したように見えた。最初に逢った蘇芳よりも格段に成長していることがわかり、夜さまは少しだけ心の表面がくすぐったくなった。

「……頼もしいの」

 フッと夜さまに小さく微笑まれると、蘇芳は口を尖らせ「ウルセェ」と煙たがった。

 夜さまの微笑みは照れ隠し。まっすぐな蘇芳の気持ちに救われる心地であったし、そんな気持ちになってくれることが嬉しくて仕方がなかった。

「っし、行くか。座って喋ってても何にもなんねぇ」

「じゃな。とにかくまずは枩太郎とくぅを捜しだし、『ドア』を見つけ、二人を元の時代へと帰すのじゃ。もしや『ドア』はまだ出現しておらんかもしれんでな」

 腰掛け石から黄土色の土へ降り立った夜さまは、蘇芳のように口角を上げていた。



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