浪漫のドア

枩太郎 1

 中学校の中庭の最も人気が無い場所で、その時の俺は疲れきってへたり込んでた。身体中が痛くて、体力ももう無くて、(しばらくは動けねぇな)って溜め息をついてはどうやって家に帰ろうかだけを考えてた。またジイちゃんに怒られる──そんなガキみたいなことばっかが頭を掠めててさ。ダセェのは重々承知。

 しばらくして、そこの湿った草を踏みしめて近付いてくる音で、誰が来たのかがわかった。やたらと歩幅の広い、聞き馴染みある足音。

 この足音もヤバい、と思わずカクンと頭を垂れ下げ顔を背ける。

「──派手にやられましたね」

 へたり込んでいる俺と少し距離を空けて、やって来た枩太郎しょうたろう先生は立ち止まった。

「それなりにやり返した?」

 理系の教師でもないのにいつも白衣を着ているんだけど、その白衣のポケットに両手をそれぞれ突っ込んで俺を見下ろしてた。

 正直怖かったし、ソッと一瞬先生を見たら、珍しく真顔でそう訊いてた。血が滲んでボロボロになった俺の顔と、両手の甲の第二関節の赤黒さを見て、溜め息みたいな呆れてるみたいな「多少は悲しいですよ」的な声色だな、と俺は勝手に思ってた。

 あぁ、ついに見放されるんだな──そうやって俺は枩太郎先生から顔を背けて口を閉ざす。心の拠り所が失くなんのは死ぬほど嫌だったけど、もう仕方がない。悔やんでも遅い。


 だって俺は、枩太郎先生を裏切っちまったんだから。


 喧嘩はもうしないっていう一四才ぽっちのガキの言うことなのに、それでもニッコリと信じてくれてた唯一の大人。

 にもかかわらず、こんなボロカスな状態を見られた。バッチバチのケンカをしてたと思われても仕方ない。

「…………」

 居たたまれなくなって、もう動けないと思っていた身体を無理矢理起こし、全身を引き摺るみたいにして枩太郎先生の左脇をすり抜けようとする。もちろん無言で。

「先生からも逃げるのか」

「焚き付けてくんなよ。こんな状態の俺でも、先生より強ぇか──」

 捨て台詞もままならないうちに、枩太郎先生は俺の右腕を半ば捻り上げるようにして引っ張り、顔を近付けて見下ろしてきた。

 先生に捻られている腕は微塵も痛くなかったが、一七九センチの枩太郎先生にそうして睨まれるのは、一七〇センチにようやくなった当時の俺が尻込みしてしまうほどの迫力があった。

 気迫負けしたくなくて、俺は枩太郎先生を酷く睨み返す。

「ンだよ、離せよ」

「離さない。先生は質問した、『やり返したのか』?」

 俺はついチッと舌打ちを大きく漏らし、ギリギリと奥歯を軋ませる。

「だったら何だよっ、これで俺によーやくガッカリしたろ?! 俺のことはもう放っ──」「辛かったな」

 意外だった。

 枩太郎先生は、そうして捻り上げた腕をゆっくりと下ろして、そっと離した。

「はァ?」

 目をかっ開いて、ポカンと口を開けて、枩太郎先生を改めて見上げる。

「キミは防御ばかりなのに、喰らう打撃はなかなか弱まらなかったんだろ。『いなす』ために出した拳の証拠がこの痣……あとこっちね」

 そうして指すのは俺の前腕。学ランの長袖の下は確かにまだジンジンしてる、最も防御に使った場所だから。

 枩太郎先生は睨んでいるわけではなかったと、この言葉でハッキリとわかったんだ。どんな状況でも俺を心配してくれてるみたいなんだ。信じられないことだけど、マジみたいだ。

「……何でだよ。どうしてアンタは俺に優しくすんだよっ」

 胸の奥がざわざわと波立つ。

 膝にもう力が入らない。

 俺はまたその場にズシャリとへたり込んだ。

「カンケーねぇじゃん、腐らしとけばいいじゃん! いつも俺に『恩がある』とか言うけど何のことなんだよ?! 恩ってのは『前にやってもらったことに対してアリガトって思うこと』だろーが、俺アンタに感謝されるようなこと、なんもしてねぇよ!」

 ひととおり吐き出して、背筋がゾワッとした。夕方の冷たい風が怪我をした俺の頬とか腕とかいろんなところを撫でて消える。


 痛い、殴られて痛い。

 どうして俺が殴られなきゃならない。

 俺は何もしてない、俺は誰も殴りたくない。

 報復なんて、もう誰も来るな。

 俺は拳で最強になんてならなくていい、なりたくない──。


 気が付いたら下唇を食い縛って、前歯が唇に刺さるみたいになって震えてた。湿った草の上に頭を前腕を擦り付ける。

 そうして悔しくて震えている肩に、間もなく枩太郎先生の優しい掌が置かれた。不思議とそれだけで震えがピタリと止まる。

「先生の説教なんてもう聞きたくないかもしれないけど、お待ちかね『今日のお小言』です」

 俺はつい「待ってねぇよ……」と口の中まで用意して、きゅっと呑み込んだ。

 枩太郎先生に肩を借りて、力の入らない体をどうにか起こす。悔し涙が数滴垂れた頬を見られたくなくて、慌てて擦り拭う。それを見て、枩太郎先生はふっと優しく微笑んだ。

「いいですか? 言いたいことは、ちゃんと自分の声と自分の言葉で確実に伝えないとダメです。確かに後悔するのも勉強かもしれない、でも後悔それは一回ですよ、たった一回。同じ後悔を繰り返すのはいただけない」

「後悔は、一回」

「そう。蘇芳はどうして攻撃をいなしてるの? 自分から手を出さないって決めたからだ。じゃあもう一歩前へ進もう。蘇芳はチャレンジファイトになっていることが不本意だ、そうですね?」

「うん……」

「ほら。キミはもう、彼らに『言いたいこと』がある」

「けど、何言ったって力で捩じ伏せてぇから、アイツらが俺の話なんて聞くとは思えねぇよ」

「それもいけない。相手の考えてることを正しく、なんてわかりません。だから顔突き合わせて眼を見て話をすることが、どんな時も大事なんだよ。話をして聞いてもらえなかったら、その時はまた別の策を考えましょう」

「別の、策?」


 そうだな、先生。俺は殴ってくるアイツらの何もわかんねぇ。きっと俺の事だってわかってねぇ。

 俺は出された拳をいなすよりもまず、その腕をひっ掴まえて言わなきゃなんねぇことを言うことから始めてもいいのかもしんない。俺にはそれができるって、先生は遠回りにだったけど教えてくれてたんだ。

 そうやって、俺はちょっとずつ面倒だと思っていたことにもう一度向き合って、ちょっとずつでもやり直していく必要があるんだ。




 枩太郎先生は、どんな状況からだってやり直せることを教えてくれた。

 きっといつか、また折れても大丈夫なように。

 きっといつか、折れてしまった人に優しくなれるように。



   ◆   ◆   ◆




 ──バタン。




       ◆



 蘇芳は『狭間』を出る際、自らの左手でくぅの両手をむんずと捕まえ、右肩には夜さまを置いていた。右手でノブを掴み、グッと押し開ける。

 開いた『ドア』の先は、煉瓦造りの産業革命時代に出た時とは違い、壮大に転倒することなくきちんと地面を踏み締められた。足先が触れたのは黄土色の硬い土に砂利が転がるような、現代社会ではあまり見かけなくなった『かつて一般的であった』道の様相。蘇芳は「学校のグラウンドみてぇ」とボソリ呟いた。

 吸った空気は淀みなく、キンとした冷たさに冬を感じる。身震いに襲われ肩が縮み上がる。見上げた空は薄い薄い群青色をしており、まるでそこに薄く大きな氷が張っているかのように見えた。

「だだっ広いとこに出たなぁ」

 出た先はそんな光景が広がる、のどかすぎる田舎道であった。

 視線の先に山の嶺が波形を成し、瑠璃色に霞んでいる。どこかでやっているらしい焚き火の煙が、微かに鼻先を掠めていく。冬の匂いがする、と蘇芳は眉間の幅を緩める。

 そっと右回りに『ドア』を振り返ると、いつものように音もなく下から上へと、まるでシュレッダーにかけた重要書類のように霧散しきった後であった。そうして「よし」と気合いが入る。

「くぅ、ここにお前のサガシモノが居るかもしんねぇぞ。焦んねぇで、確実に捜そうな」

 言いながら自らの左手を見る。

 しかし、掴まえていたはずのくぅが居ない。

「えっ、く、くぅ?!」

「アヤツのもとに出たやもしれん」

 右肩の夜さまが蘇芳にそっと補足する。蘇芳は夜さまと目を合わせつつ、空になっている左掌を幾度も握り、開きを繰り返す。

「って、サガシモノんとこ?」

「ああ。儂が前回、そうであったように」

 夜さまがサニー捜し者のところへ直接降って出たように、という意味であろう。蘇芳は「じゃあ」と目を丸くする。

「『鍵』はマジに俺の中で、今も働いてるんだな?」

「半信半疑であったか?」

「たりめーだろ、目に見えねんだぞ。『ドア』とか夜さまの魔法は目で見たし、ともかくだけど……」

 言いながら左肩をぐりんと回す。セピアの時代で矢傷を負った箇所である。

 蘇芳はようやく自らの格好をしげしげと眺められた。

 野良着という田畑作業をする時に用いられていた格好で、濃紺色の七分袖の着物、薄汚れた黒い帯とモモヒキのような脚絆きゃはん、足先は簡素な草鞋わらじを履いている。これは全体的に一五〇〇年代の撫子の時代での着衣ととても似ていた。髪の毛は長さこそ変わらないもののややボサついており、今回は結い上げられてはいない。

「つーか、まぁた古くせぇカッコんなったな」

「日本じゃとわかって良かったの」

 ピョンと夜さまは黄土色に降り立つ。蘇芳と対面になり彼を見上げる。

「さ。捜すぞ、くぅを。そこにヤツ捜し者も居る」

「おうよ」

 夜さまはピンク色の小さな鼻をスンスンとさせ、くぅの匂いを頼りに田舎道を急いだ。蘇芳も同様にタっと走り出す。

「くぅの匂い、ん? 気配? 辿れんの?」

「弱いが探れる。もう儂の魔力は全快じゃて」

「頼りにしてんよ、夜さま」

「フン、これしき造作もないわ」

 固い土は砂利を跳ね上げ、ジャッジャッと二人の足音が耳に障った。



       ◆



 蘇芳の左手を握り締めていたはずのくぅの両手は、『ドア』から一歩出た途端に空を掻いた。

「え、すぅちゃんっ?!」

 瞬きを多く重ね、周囲を確認する。くぅの後ろに出てきたはずの『ドア』はなく、しかし代わりにあったのは木材の壁であった。

 どうやら建築現場か何かに出たらしい。周囲を木材の板や柱で囲われているため空は高く遠く、空気を吸う度に生々しい木目の匂いが鼻いっぱいに充ちる。全てが切り出したばかりの建材であろうとすぐに察しがつく。

「よ、夜さま? すぅちゃん?」

 きょろきょろと眉をハの字に辺りを見渡すも二人の姿は見当たらない。くぅの胸の内に極度の緊張感と恐怖心が吹き荒ぶ。

「ど、どうしよう。一人になっちゃった」

 『ドア』の見張りを続けていた時は、必ず迎えが来る安心感から平然としていられたが、今のように予期せぬ孤独は、長く旅を続けてきたとは言え不安でしかない。

 くぅは建材の匂いを嗅ぎ、そろりそろりと出口を探しに歩き始めた。

 まるで迷路のように高い壁に挟まれ、数回曲がり角を右へ左へと折れてゆく。蚊の羽音のような「すぅちゃん? 夜さま?」に、相変わらず呼応の声はない。

 そのうちにじんわりと目頭が熱くなってきた。下唇も山なりに変わり、グズグズと鼻を啜る。

「すぅちゃん、どこォ?」

 くぅは近くの木柱へ、トンともたれかかり目元を拭った。

 ガタリ、と突然、背にしたその柱が揺れた。何気なく振り返り、漏れ出た「え」を掻き消すように、ガラガラガランと周囲の木材を巻き込みながら、それが酷い音をたてて倒れてくる。


 あ、死んじゃうかも──。


 くぅは瞬間、その光景がスローモーションで見えだした。

 息を呑む。目を瞑る。肩に力が入り衝撃に備える。頭を咄嗟に両腕で覆う。

 全て無駄だとはわかっていたが、無意識の防御反応である。

 ガラガラガラガランっ、と酷い音をたててそのうちのいくつかはくぅの肩を掠めて倒れた。

「たーっ、重てぇ!」

 不意にそうどこからか声が上がる。

 この声の主はもちろんくぅではない。

「……んぅ?」

 くぅは眉を寄せ、木材による衝撃が自らに無いことを認識すると、そろりそろりと目を開けた。誰かのその声に反応するのが数秒遅れ、向かいにいつの間にか居た声の主を見上げる。

「大丈夫か?」

 声の主は、倒れてきた建材をその背に一身に受けていた。丁度くぅと建材の間に入り、くぅを庇った格好である。

 くぅはへたりと腰を抜かし、口をパクパクとさせてその場に座り込んだ。

「まったく。朝っぱらからこんなとこで遊んでたらダメだろ?」

 それを横目に、声の主はガラガラガランと建材を全て元どおりに直していた。いくつかがゴロゴロ、とくぅの横へ更に倒れたが、それらも慌てることなく順番に立て掛け直す。

「あ、ありがと」

 ようやく口から漏れ出たそのたくぅの言葉に、声の主は爽やかに振り返る。首に掛けている白い手拭てぬぐいの端をそれぞれの掌で掴みながら軽く引っ張り、「どういたしまして」と微笑んだ。

 声の主は、三分刈りの坊主頭に優しい目元が特徴的な背の高い青年であった。煤けた生成きなり色の綿シャツに、ニッカポッカ様の裾が絞られている黒い袴を穿き、まるで「建築しています」とばかりの様相である。

「キミこの辺の子? にしちゃ、見かけん顔だね」

「う、うん。最近来たばっかり、だから」

「ふぅん」

 青年は爽やかにしかし控えめに微笑み、そっと右手を差し伸べる。

「オレは正大まさひろ。今はこの現場の大工」

「へぇ、大工さん!」

 パッと口角を上げたくぅは、正大の手を取る。

「あたし、くぅ。気付いたら『兄』とはぐれちゃってて、今兄を捜してたの」

 もちろんこの場合の兄とは蘇芳のことである。正大は眉をハの字に「そっか」と肩を竦めた。

「一緒に捜したろーか?」

「ホント?」

 立ち上がったくぅはピョンとひとつ跳ね、正大を下からグッと見上げる。

「うん。まだ親方現場ここに出てこないから、仕事始まるまでなら手伝えるよ、ちょっとだけになるけど」

 正大はそうして優しく微笑み、くぅの右手を引き建材迷路の出口へと足を向けた。

「ありがとう、正大さん!」



   ◆   ◆   ◆



 くぅのサガシモノを捜したい。

 くぅの目的を、遂げさせたい。


 これ以上、誰も泣かなくて済むように──。



   ◆   ◆   ◆



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます