胡桃 5

   ◇   ◆   ◇



 誰かを、捜している気がする──。



   ◇   ◆   ◇



 嗚咽の混じる泣き声と、鼻を啜る音が次第に小さくなり、再び曇天から雪が降りてきた。彼を追っていたときの粒雪に似た、小さく軽く固い、まるで発泡スチロールのような雪の粒である。

 上半身を起こした胡桃は化粧の崩れに気が付いたが、もはやどうでもよかった。ひとまず手放していたモッズコートを拾い上げ、附着した雪を払い落とし、その膝に抱く。

「胡桃、しかと聴け。儂は今より、『ドア』を……潜る。■太■を、追い行く」

 夜さまはモッズコートの中からヨロヨロと身を出し、肩で息をしながら胡桃の眼をじっと見た。

「本来、ならばっ、転移魔法をっ使えば、『ドア』はこの場から、消える。が、固定魔法を、ハァ使ったゆえ……ハァ、ハァ。数分だけ姿を、留められとるんじゃ。もう、恐らく時間がない、直に消えてしまう。その前に儂も……儂も行かねば」

 ヘロヘロと四つ足でなんとか立ち上がり、しかしその眼力のみが気高いばかりで、今の夜さまはなんとも頼りない。

 夜さまの絶え絶えの呼吸は、固定魔法によるものである。固定魔法は、固定時間中も微力な魔力を養分とし効果を成す。夜さまはこの瞬間も、まるで蛇口を開けっぱなしにし流れ続ける水のように、魔力を吸い取られ続けているわけだ。そのため疲労が著しい。

「胡桃、よいか。ここにて帰りを、待っておれ」

 呼びかけられた胡桃は、ボッタリと腫れた赤い目を左手の指でぎゅうぎゅうと擦り、鼻をズっと啜った。

「儂が彼を見つけ、必ずやここへ帰す。じゃて──」「イヤ」

 ぴしゃりと胡桃は低く遮る。夜さまは可能な限り目を丸く見開き、言葉を呑んだ。

「待ってるとか、足踏みとか、もうイヤ」

「な、何を……」

「あたしも行く」

「まっ、馬鹿を申せ!」

 夜さまはヨロヨロとモッズコートから抜け出たが、再び胡桃によってくるまれてしまった。噛みつくように胡桃へ説明を並べる。

「どれだけ時代ときを越え行くか、わからんのじゃぞ! それに、直通にする鍵もっ、まだ無い。失う物も……儂のように、本来の姿を失くしてでも尚っ、ハァ、得られるまでの時間は、どれだけかかるか計り知れん!」

「それでもいい!」

 胡桃は眉をハの字に、今にも再び泣き出しそうな表情を夜さまへ向けた。

「それでもいいの。あたしが自分で、捜したいの」

 曖昧に笑う胡桃はやがて再び俯いた。

「たとえ猫とか、ううん虫になったとしても、あたしは彼を独りぼっちにだけはしたくない」

「しかしっ! ヌシまで代償を、支払い、捜すことはない! 儂の罪じゃ、儂だけが、代償を支払い続ければ、グ、良いのじゃ!」

 自己犠牲的な夜さまの言葉を、胡桃は首を振ることで耳に入れず流す。

「お願いよ夜さま。あたし、■太■にもうあんな顔させたくないの」

 『あんな顔』──それは、既に数年前になってしまったあの濃密な口付けのきっかけとなった、彼の真剣で不安そうなまなざしである。「独りにしないで、置いていかないで」と、日々の孤独に追い討ちをかけられ押し潰されそうになった彼が見せた、実年齢にして弱く、あまりにも頼りなく、幼い本音。

 胡桃はあれが忘れられないわけだ。

「胡、桃……」

 夜さまはグッと奥歯の噛み合わせに力を込める。

「最悪の場合……もう元の姿に、戻れんのやもしれん、のじゃぞ。儂とて、確証はっグ、何もないのじゃ」

「うん。それならそれで、その時に受け入れるよ」

「何故じゃ!」

 優しく目を閉じ肩を竦める胡桃へ、夜さまは精一杯の声を張った。

「何故ヌシは、そうまでして彼を、自ら追おうとする?!」

 夜さまは理解ができなかった。

 この時の夜さまは『想う心』を既に代償とし失っていたため、胡桃の『他者を大切に想う心』がわからないのである。

 息を切らしつつも、夜さまは更に続ける。

「儂は■太■に、恩義があるっ、命を救ってくれた恩義が。ヌシとてそうじゃ。名を付け、暖かく迎え入れてくれた! そんなヌシに、儂自らがかせを、付けるなど──」

 ふぐっ、と苦し気に目を伏せた夜さまは、モッズコートに埋もれた。胡桃はゆっくりとモッズコートを腕に抱き立ち上がり、スンと鼻を啜って「枷、か」と嘲笑のように苦く微笑む。

「でも、そうまでしても、あたしやっぱり彼のことが好きだから諦められないし、自力がいいと思う」

「す、き?」

 微かに目を開ける夜さまは、その胡桃の一言を何度もじっくり繰り返した。

 『誰かを想う心』──それを知っていたような気がするが、しかしよく思い出せない不透明さに焦燥すら覚える。

 胡桃はゆっくりとその場から一歩を踏み出した。

「夜さまはどうして猫にならなきゃならなかったの? どうしてそうまでして、時代を越えてるの?」

「それ、は……」

 溜め息のように「わからん」と発したが言葉にはならなかった。代わりに出たのは、不透明な色の代わりの言葉。

「誰かを、捜してるような気がするんじゃ」

「『誰かを』?」

 二歩目を踏み出した胡桃はもう一度立ち止まる。

「誰かまでは、わからないの?」

「ぼんやり、じゃが。『代償』にしたゆえ、忘れてしまっとるんじゃ」

「そか。悲しいね……」

「ヌシも、ハァッ、そうなってしまうやもしれんぞ。儂に付いて来る、と言うことは──」

 そういうことなのだぞ、と夜さまは空を掻くように言葉を呑む。やや迷うように視線をうろうろさせてから、胡桃はもう一度ふるふると小さく首を振った。

「──うん。それでも■太■を独りっきりにしたくない」

「良い、のじゃな?」

「…………」

 一度躊躇うも、やはりと胡桃は夜さまへ真剣なまなざしを向けた。

「うん。ただ待つより、何百倍もマシだと思うもん」

 夜さまは観念したようにフーッとひとつ長く息を吐くと、「わかった」と頷いた。再び目を開け、精一杯の眼力を胡桃へ投げかける。

「よいか、胡桃よ。これより、時を越える」

「時を、越える」

 そうなぞると、胡桃はいつの間にか目の前にしていた『ドア』を見上げ、ゴクリ生唾を呑み込んだ。指先は震えるし、腹の底へ不安が沈み根を張ろうとする。

「ヌシの志……真の目的を、今後絶対に、見失ってはならん」

「『■太■を独りにしたくない、ここへ必ず連れ帰る』──だね?」

 ああ、と夜さまは静かに息を吐いた。

「次の瞬間にはヌシはヌシでなくなる。それでも捜すと言うのなら、ノブに手をかけよ」

 胡桃は迷わなかった。

 ギュっと一度目を瞑ると、フッと息を吐ききり丸ノブに手をかけそれを回し、『ドア』を押し開けたのである。



   ◆   ◇   ◆



 誰かを、捜している気がする──。



   ◆   ◇   ◆



「──目覚めよ、『少女』よ」

 まず、猫が鳴いた。実にか細い声だ。

(少女、って、誰のこと?)

「う……んん」

 目の開いた先に見えたものは暗闇。なぜか身体は淡く光を放っている。おかげで見えたものは自らの両の手であったが様子がおかしい。

「え?」

 いやにぷっくりとしツルリと白く丸い甲、その先に伸びるは短く丸い五指。頬はもったりと柔らかく重く、胸部も腹部もまあるく平たい。そして極め付きに短い両の脚。

 舐めるように何度も何度も確認をするが、見馴れぬ小さな体型に混乱が止まない。

「あた、あたし……あたしっ?! なにこれ、あた──」「くぅ」

 混乱の最中、再び猫が鳴いた。そちらをキョトンと振り返る。

 半ば睨むようにして、一匹の黒猫がこちらを見ていた。思わず頬を染め、あんぐりとし、二度ゆっくりと瞬きを重ねる。

 黒猫はそんな表情を横目に、尻尾をシュルンとさせて続ける。

「ヌシはくぅ。仮の名を『くぅ』とする」

「くぅ……」

 なぞり呟くと、『くぅ』の音は胡桃くぅの体によく馴染んだ。まことの名・胡桃を忘れ去り、くぅとして瞬く間に定着する。

 胡桃……いやくぅは、そうして名を呼んだ黒猫へにんまりと頬を持ち上げる。

「やっほ、夜さま」

 短くなってしまった両腕を後ろに組み、小首を傾げにんまりとくぅは微笑んでいた。

 夜さまはふわりとくぅの足元へ四つ足で寄り、腰を下ろす。

「今わかっとることは何じゃ」

「わかってることぉ? うーんっとぉ……」

 くるりと大きな眼球を上へ向け、口を尖らせ「うーんうーん」と唸っている。

 テンポが悪い、純真すぎる、そしてどこか楽天的に見えて仕方がない。が、これは記憶をある程度失くしている確たる証拠となった。

 夜さまは目を細めくぅを見上げ続ける。

「くぅは女の子でぇ、夜さまも女の子。『ドア』は時代転移装置タイムマシンでぇ、夜さまと一緒に開けないとダメぇ!」

「ふむ。して、他はどうじゃ」

「他ぁ? うーんっとぉ……」

 再びくぅはくるりと大きな眼球を上へ向け、口を尖らせ「うーんうーん」と唸り始める。

「くぅは一九才! 夜さまはパンが好きだしぃ、くぅの靴はブランド品! 夜さまは寒がり──あっ、夜さま! 具合もう大丈夫なのぉ?」

「あぁ、ひとまずはの」

 『ドア』を潜り固定魔法を解いたお陰で、夜さまの絶え絶えであった息は調い、すると魔力も次第に安定し回復していった。ある程度魔力が戻ったところで自己治癒魔法を使い、心身のあらゆる傷を治す。そうしてくぅへと近付いたわけである。

 くぅは「そっかぁ!」と両腕を広げ夜さまをむんぎゅと抱き締めた。

「夜さまが元気なら、くぅそれだけでいいや!」

「ふむっ! くぅ、苦じ、うぅっ」

「へへへぇー、ゴメンゴメン」

 あっさりと夜さまを解放し地に降ろすと、くぅは再びにんまりと微笑み「で?」と訊き返す。

「くぅと夜さまは、これからどーするの?」

「まず、捜さねばならぬ人物がおる」

「誰ぇ?」

「『鍵』じゃ」

「鍵ィ? なんの鍵?」

「『ドア』の『鍵』じゃ」

 くぅはキョトンとしつつ、夜さまへ首を傾げる。

「鍵があったらどうなるのぉ?」

 (そこは忘れておるのじゃな)と夜さまは目を細めスンとピンク色の小さな鼻を鳴らす。

「願いし時代へ出られる。つまり、捜し者に最短で行けるのじゃ」

「サガシモノ……夜さまは、何か探してるんだ?」

「ああ、そうじゃ。ちなみにヌシも、捜しとるぞ」

「ええっ?! くぅもォ?!」

 これでもかと真ん丸な瞳を見開き、くぅはただ純粋に驚いていた。

(代償とし、奪われてしもうたか)

 夜さまはその小さな胸の奥がズンと痛んだ。胡桃であった時に懸命に心に刻んでいた「■太■を独りにしたくない、ここへ必ず連れ帰る」という事柄さえも、奪われ忘れてしまったのであろうか、と。

「あーっ、なんか、そんな気がしなくもない」

「え」

「くぅね、ひとりぼっちにしたくない誰かを、捜してる気がする」

 夜さまはポッカリと口を開ける。

 胡桃と彼に、希望はまだある──そう思えた瞬間、ビロードのような黒い夜さまの体毛がゾワワワと逆立った。喜びのような、諦めなくてもいいと思える事象に鳥肌がたつような心地であった。

「うむ、それは確と覚えておくのじゃ。決して忘れてはならん」

 跳ね躍りそうな声色をどうにか抑え、夜さまは一貫して冷静を努める。

「そうなの? 大事なこと?」

「ああっ、ヌシの最も重要な事柄じゃ」

「うん、わかった。夜さまがそう言うなら、くぅ忘れないように頑張るっ!」

 にんまりと微笑むくぅへ、「それでじゃ」と話を引き戻す。

「まずは『鍵』を探すため『ドア』を開け続けねばならん。『鍵』よりも早く捜し者に辿り着ければ問題はないが、恐らくそう上手くはゆかんじゃろ」

 くぅは「ふうん」と相槌を打つ。

「鍵ってどんな形してるのぉ?」

「先程思い出したのじゃが、実物はある人物が持っとるんじゃ。じゃてソヤツを捜そうと思う」

「どんな人なの?」

 夜さまは「そうじゃの」とやや俯く。

「儂が知っとるのは老体のヤツなのじゃが、老体を連れ行くわけにもいかん。じゃてなるべく若く、体力もあり、それなりに聞き分けや良識のある……うーん、大学生前の『彼』じゃの」

「彼ぇ? 男の人?」

「ああ。ただし中学生じゃといかん、粗暴らしいからの。できれば高校生か大学一年生あたりまでじゃとギリギリ……」

 その四年間の内の『彼』に出逢えるといいのだが、と夜さまはきゅっと目を瞑った。

 『彼』──そう、蘇芳に。

 くぅはもっちりとした頬を持ち上げガクガクと頷いた。

「くぅと同じくらいの歳か、少し下の男の人だね!」

「あぁ、そうじゃの」

「じゃあひとまず、その人捜しに行こうか!」

 くぅがそう黄色い声を上げると、ボウ、と向こうの方に『ドア』が浮かび現れた。

「『ドア』じゃ。行くかの」

「うんうんっ! 楽しみだねぇ、夜さまぁ!」

「よいか、くぅ。決してヌシの捜し者のことを忘れるでないぞ。『ドア』を潜る折にはいつも、必ず、それを願うのじゃ」

「ひとりぼっちにしたくない誰かを、捜してる気がする──ってやつぅ?」

「ああ。忘れてはならん、決しての」

「はぁーいっ!」

 夜さまはフッと小さく溜め息を吐き、一度の跳躍でくぅの小さな肩に乗った。

「きゃはははっ! 夜さまくすぐったぁい!」

「『ドア』を潜る際は共に居ろう」

「きゅふふふふっ! うん! あ、ねぇねぇ、『鍵』の人のお名前は?」

「『蘇芳』じゃ」

「すおう? くん?」

「あぁ」

「蘇芳くん、みつかるかなぁ? わくわくしちゃう!」

「くぅは『蘇芳』よりも、『ひとりぼっちにしたくない誰か』を常に心に描いておればよい」

「ふぁーいっ」

「さ、『ドア』を開けよ」

「何処に出るかなぁー?」




 そうして夜さまとくぅは『ドア』を開け、大した記憶回帰も進まぬまま、いくつかの時代を越えることとなった。

 いくつか目の『ドア』を開けたそこが、雨の降るあの街のあの道に出た瞬間、夜さまは喜びで震え上がった。

 彼の歩み来る道中にわざと倒れ、雨晒しになり目を閉じる。すると、やがて通りがかった彼がビニル傘を差し掛け、夜さまを拾い上げたのを合図に、くぅが後ろからその後頭部を一打するわけだ。


 『鍵』はこうして回収される。

 道行きは彼──蘇芳と共に確定される。

 命運は、これで確実になった。



   ◆   ◆   ◆



 誰かを、捜している気がする──。



   ◆   ◆   ◆


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