狭間

鍵の宿りし身

 押し開けたノブから手が外れると、『ドア』は一呼吸置いた後でバタンと閉まった。

 いつものように振り返り見る気力もなく、蘇芳はくぅを抱えていた腕を緩め彼女を解放した。


 そこは『狭間』世界。ただ闇のみが広がる、夜さまが作り出した魔法空間である。

 前も後ろも左も右も奥行きすらもわからない。やはり自身の身体だけは薄ぼんやりと光って見えている。


 足元、胴体、そして腕へ視線をゆっくりと移していくと、蘇芳の衣服はよく見慣れたものへ戻っていた。

 汚れが目立つようになってきた白いスニーカー、光に当たるとやや赤く見える黒い学ラン、中に真っ赤な無地のロングTシャツ……すべて蘇芳の物である。学ランの上からは、撫子と交換した砥粉とのこ色の羽織を着ていた。あぁそうだったっけ、と苦笑が漏れる。

 一週間弱着ていた苔色の立派なスーツは、既に見る影もない。

「……グズッ」

 くぅは二歩蘇芳から離れた位置で、ペタリと崩れ落ちるように座り込んだ。項垂れ、肩を落とし、鼻を啜りながら静かに涙を流し続けている。

 その背を見続けていた蘇芳も、やがてその場に座り込んだ。

「…………」

 サニーは、またあの時代で『ドア』が現れるのを待つのだ。

 夜さまが迎えに来るまで、どれだけ再び待たねばならぬのであろうか。

 それらを思うと、胸の奥に急に重石をぶら下げられたように、ズシリと鈍い痛みを感じた。ただただ長く細い溜め息が漏れては、響くこともなく闇に消えてゆく。

「──すぅ、くぅ」

 前触れもなく、二人が項垂れる先からそう声がかかった。

 夜さまである。

 音もなく近付いてくると、一メートル手前で腰を下ろし、尻尾をシュルリとうねらせ落ち着かせた。

「夜、さま」

「夜さまあっ……」

 顔を上げた二人と視線が交錯し合うと、やがて夜さまはぎこちなくその黒い口角を上げた。

「すまん。決定を黙っとった」

「反対されるって、わかってたからだな」

 夜さまをそうして睨んだところで、何にもならないことはわざわざ考えなくともわかりきっていた。

(もう、終わっちまったことは変えられない)

 蘇芳はそう自身へ言い聞かせながら、やがて瞼を伏せた。

 くぅはよたよたと這うように、ハの字にした眉で夜さまへ近付き、いびつな形に口を開く。

「夜さまごめんなさい、あたしが『あの時』ついて行くなんて言ったから、サニーをまた一人にしちゃっ──」

 わっと再び泣き出したくぅは、小さな両手で顔を覆う。

「それは違うぞ、くぅ。さ、もう泣くでない。ヌシを泣かせたとアヤツに怒られるのは儂じゃ。敵わんゆえ」

 くぅはその目を擦り、ひぐひぐと肩を震わせつつ泣き止むよう努める。しかし止まらない焦燥感は余計に涙をそのもったりとした頬に伝わせる。

「夜さまはっ、それをサニーと、ふぐぅ……ずっとたくさん、話してたんだね?」

 しゃくりあげながら問うと、夜さまは深くゆっくりとひとつ頷いた。

「儂はヌシらを『ドア』より解放したのち、改めてサニーアヤツを捜しに行くのじゃ」

「どうやって」

 刺すような蘇芳の一言に、夜さまは笑みを消す。

「どうやってサニーんトコに『少ないターン数で』戻るつもりだ?」

 すぅちゃん、とくぅが鼻を啜るが蘇芳は座った体勢をやや変え、グッと夜さまへ詰め寄る。

「『記憶回帰』が終わった夜さまは、もうあと一歩でゴールだったろ。これ以上また『ドア』をランダムに潜るんなら、また『代償』が必要になるっつー話だったよな? 一昨日サニーから聞いたけど、『代償』にしたモンは繰り返し何度も使えるわけじゃあねぇんだろ? 夜さまはもう失くせる『代償』がなんもねぇはずなんだ。結局そっちでも詰んでんだよわかってんだろ?!」

「じゃが儂は、ヌシらが同じように戻れぬこともそれ以上にまた耐えられんっ!」

 思いの丈のぶつけ合いであった。

 口を閉ざし合い、しかし口を開けど出せる言葉は既にない。

 やがて蘇芳は、溜め息のように肩を竦めた。

「なぁ、もういいだろハッキリしよう。俺の何を使って『ドア』の行き先決めてんだ? これはもう『偶然』だとか『たまたま』じゃねぇ、バカな俺でもそんくらいは勘づく」

 夜さまは数度言葉を探すように口を動かし、しかしやはり言葉に詰まっている。蘇芳は急き立てるように、眉を寄せ更に詰め寄る。

「だって変だろ、『俺の願ったとおりに繋がる』なんて。サガシモノ目的があるくぅの願いでも、まして創造主夜さまのでもダメなんだぞ。『関係無い俺の願い』だ、おかしいだろっ」

 蘇芳は思わず『狭間』の地面をダンと右拳で一打した。しかし音など一切鳴らない。カタン、と小さく微かに、まるで椅子から立ち上がったときの音であったかのようなそれに、苛々は積もり燻る。

「頼むよ。俺は、くぅもサニーも夜さまもちゃんと助けてぇんだよ……もう充分みんな泣いたろ? もう内側充分ズタボロじゃねーか。確実に次の世界に進めるように、出来ることは全部俺の全力でやらせてくれ!」

 蘇芳はその頭を地に擦り付けんとばかりに項垂れ、細く震えながら夜さまへ告げた。懇願に似た悲痛な叫びは『狭間』の中では響かず消える。

「──関係無くは、ない」

 ようやく、夜さまはいつものような真剣なまなざしで話し始めた。夜さまの心へはどうやら響いたらしい。

「以前ヌシ自身で言うておったが、儂とヌシはいわゆる『未来』で出逢う。そして儂……いや、儂と『サニー』は、老いたヌシと密な関係にある。深くは言えぬが……いや、ここまで言っとる時点でかなり言うてしもうたも同然じゃが、とにかく。儂は老いたヌシに『あるもの』を埋めた」

 一度ゆっくりと瞬きの後に視線を落とす。蘇芳は項垂れた頭を上げ、泣き止んだくぅと顔を見合わせた。

「ゆえに『それ』がヌシの願いを聞き入れ、儂の使う『ドア』の魔力と共鳴し、ヌシの思ったとおりの行き先に出られるようになるんじゃ」

「でも『おじいさんになったすぅちゃん』に埋めたのに、どうしてこの『若いすぅちゃん』が埋めたものを持ってるの?」

「『ドア』に関する何か……だからか。『時代ときを越えて』んだ、ソレが。俺の中でも」

 蘇芳が「そうなんだな?」と低く答えを導くと、夜さまは静かに深く頷いた。

 蘇芳はゾワゾワと背筋に鳥肌が走り抜けたのを感じていた。走馬灯のように、今まで聴いてきた『なんとなく不自然な』発言が頭の中にぐるぐると巡る。



       ◆


   ◆       ◆



「ヌシのそういうさっぱりしたところは、相変わらず好感が持てるぞ」


「それに、斯様かような美人にヌシが弱いことくらいわかりきっとるでの」


「ヌシのそういう引き際をわきまえとるところはやはり感心しとる」


「ヌシは何ともないか。主に胸の周りや、記憶など……」


「敬語なんて使わないで? 私の方が本来なら使うべきなんだから、年功序列的に」


「蘇芳さんはこのくらいの勢いの方が呑み込んでくれるかと思って、つい」


「やはり、ヌシはヌシじゃの……」


「あの子、そんなに繋げておきたかったのねぇ。蘇芳さんと撫子さんを」



   ◆       ◆


       ◆



(やっぱ、あれ全部、俺と『長い間交流があったから』ってことだ)

 心臓の鼓動が速い。

 瞳孔が開く。

 胸の奥が重くギュウと熱く痛い──。

「『ドアの鍵』を、埋めたのじゃ。その胸の奥に」

 夜さまはゆっくりとそう呟き告げた。くぅは静かに「鍵、かぎ?」と、声にならない声で繰り返す。

「ヌシの感情がたかぶったり、想いを強くすると、魔法を染み入らせたその『鍵』は途端に反応する。しかし儂の幼き魔法であるがゆえ、恐らく宿主に害を与えてしまうほど制御がままならんのじゃ。じゃて撫子の城でヌシは倒れた。ヌシが物事を決めると胸の奥が重くガタリと疼いたことと思う」

「わかるよ」

 蘇芳はようやく合点がいったように、眉間のシワが無くなり、瞼がとろんと緩んだ。

「『ドアの鍵』。それは『ドア』での渡航先を確実にするための『鍵』。本来ならばランダムなところを、『鍵』で目的の地へ直通とする。試作段階で既に出来とった代物じゃ」

「だから埋めたすぅちゃんに『願わせて』、行き先をある程度絞らせてた、ってこと?」

「そう、じゃの」

「けどやっぱり、だからこそ。どうして俺なんだ?」

 蘇芳はもう怒りや焦燥で問いかけてはいない。単純な疑問の心で夜さまへ向かう。

「…………」

 夜さまは言うべきではない事だと強く踏み留まっている。崖の縁に立たされたような、ギリギリをその身に味わう。

「言うと未来が変わるか?」

 蘇芳は小さく問いかけた。以前もそうして断られたように、可能性をひとつ投げかける。

「ヌシが知ってしもうては、な」

「訊きたいけど教えてはもらえねぇ事、だな?」

「すまん」

 しかし、と夜さまは蘇芳の膝元へ駆け寄った。

「しかしな蘇芳! ヌシを陥れようだとか、不幸を願って埋めたのではない。それだけはどうかっ、どうか留め置いてほしい!」

 夜さまのアメジストのような瞳が不安に揺らめく。本心を伝えたいと、必死に蘇芳の学ランの膝に手をかけている。

 蘇芳はそっと夜さまの脇腹を抱え、真正面に顔を持ってきた。

「わかった、いい。ガキの夜さまが、ジジイの俺に『くれた』んだよな、多分。もっと単純に……きっと、マジに優しい気持ちで」

「蘇芳……」

 フッと、優しい笑みが漏れた。未来で起こりうる夜さまの気持ちが素直に嬉しかったためである。

「とにかくだ。『鍵』が必要だったから、この旅に俺を呼んだってのがホントの理由だな? 今よりガキだったり、大人やジジイの俺じゃダメな理由はきっとそこにある。今の俺じゃなきゃダメだった理由……夜さまの優しい贈り物カギをちゃんと持ってたり、いろんな条件を満たしてるのが、この『今の俺』だな?」

 一度静かに瞼を伏せた夜さまは、申し訳なさそうに蘇芳を見つめ返す。蘇芳の真剣なまなざしに向けられるような言葉が出てこない。

 くぅは這うように蘇芳へ寄った。不安そうに蘇芳を見上げる。

「何度も言うぞ、俺はアンタをちゃんと助ける。理由を知っちゃマズいならもう訊かねぇ、何度も言われた『いずれわかること』だろうからな。後で『そーだったのか!』って思えやいいんだ。だから──」

 蘇芳は再び少しだけ笑った。

「──これから先もう夜さまは謝るな。謝られる度に俺もくぅも迷う」

「……うむ」

 夜さまはへの字に口を曲げた。

「そんでこれまでどおり、俺の『鍵』をちゃんと使って、ゆくゆくはサニーのところにもう一回戻るぞ。俺ももう後ろ向かねぇ。くぅも、サニーに言われたな?」

 そっと夜さまを地へ降ろし、くぅと夜さまを交互に見やる。くぅはこくりとひとつ頷いた。

「『ちゃんと目的、果たしてきなさい』」

 「そうだ」と蘇芳は頷く。くぅは改めて目元を両掌で拭い、琥珀のような瞳にキッと想いを込めた。

「サニーの気持ち無駄にする方が、あたし、もっとやだ」

「だな。サニーのためにも、くぅのサガシモノのためにも、今ちゃんと進まなきゃダメだ」

 ふと左側が仄かに明るくなった。全員でそちらへ顔を向け、するとくぅが小さく声をあげる。

「次の『ドア』、来た」

 まるで板状チョコレートのような形状、左側に黒色の丸ノブ、高さはおおよそ二メートル二〇センチ、幅は大人が二人並んで通れる程。一同が座りこんでいる場所から約二メートル離れた位置にぼんやりと浮かんで見える様は、相変わらず蜃気楼のようである。

「行くかの」

 シュルンと黒く長い尻尾をうねらせ、夜さまが『ドア』へと向かって行く。

 蘇芳も意気込み、腰を上げた。

「夜さま。今から願うことの答え合わせしてくれよ。間違えたり、遠回りはもう嫌だ」

 ひたと歩みを止める夜さまは、その声に振り返る。

「『くぅのサガシモノを捜したい、くぅの目的を遂げさせたい』」

「すぅちゃん……」

 くぅは蘇芳の左手をぎゅうと捕まえ、琥珀のような瞳を潤ませる。

 夜さまはフッと口角を上げ、「バカ素直め」と照れ笑いのように微笑んだ。

 真にそう思うのならば、きっと必ず『ドア』はそこへ開く。夜さまは肯定も否定もしなかったけれど、蘇芳にはむしろその事がどんな言葉よりも道標となり、輝いてさえ見えていた。

「きっと記憶回帰がこれで全部終わるぞ、くぅ。そしたらやっとサガシモノを連れ帰れんだ」

「うんっ」

 『ドア』へくぅと手を繋ぎ歩み行く。夜さまがポンと蘇芳の右肩へと上った。


 三人一緒ならば、もうこの先は怖くはない。


「すぅ、開けよ」

 うん、と頷き蘇芳がノブに手をかける。

「その内に秘めし想いを遂げさせよ」

「『くぅの目的を遂げさせたい』」

「遂げたい。そして全部終わらせて、あたしもサニーを迎えに行きたい」

 そうして『ドア』を押し開けると、再び見たこともない景色が広がっているのだ。



   ◆   ◆   ◆



 廻る順番そのままに、の者の想い人へといざ向かわん。


 くぅのサガシモノを捜したい。

 くぅの目的を、遂げさせたい。


 これ以上、誰も泣かなくて済むように──。



   ◆   ◆   ◆



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