サニー 10

 五日目の早朝。

 暗く低い曇天は、秋の終わりの風を連れ冷たく煉瓦の街を包む。鼻の奥まで凍らせんと、身の芯までを冷やし淡白に去っていく。

 街行く人々の話し声から「浮浪者の死体が増えてきた」ことがわかると、蘇芳はくぅの手を強く握り「早く『ドア』を潜ろうな」と小さく声をかけた。そんな話題が持ち上がるのは朝晩の寒さの影響であろうか、蘇芳は屋根のある暮らしのありがたみを今一度噛み締めていた。

 到着したサニーの工場に人気は無かった。まだ皆が出勤前であるため、いつもならばガチャガチャとうるさい工場はまるで作り物のように静まりかえっている。

 サニーはこの時代で、いわゆる『生活困窮者』を中心に雇い入れる事業を確立させていた。

 正規雇用から蹴落とされた者、闇の事業から足を洗ったがその後の働き口が無い者、身売りから救出され身を隠し生きている者。

 そんな、挙げるとキリがない『訳アリ』の人々を雇い、貧困層に大きく貢献していた。いわれのないことを言われたとしても、サニーの理詰め節に敵う者は誰もいなかった。

 そうしてサニーは、この時代で充分すぎるほど立派にやっていたわけだ。

「おはよ、蘇芳さん、くぅちゃん」

 サニーは既に『ドア』の前にて待っていた。赤茶けたツインテールを揺らし、三人へ近付く。

 この赤茶けた毛の色は祖父からの、そして黒真珠のような瞳は祖母からの遺伝である。

「おう、サニー」

「おはよう、サニー!」

 二人へにこりと微笑み、足元の夜さまへ視線をやる。

「夜さまも、おはよ」

「……うむ」

 二人の静かな挨拶が簡単に済むと、サニーは「さて」と三人を見渡した。

「皆さま。この度はサニーを迎えにわざわざお越しくださり、まことにありがとうございました」

 ガバッと勢いよく腰から折り曲げ頭を下げる。再び顔を上げたサニーはいつものように満面の笑みで続けた。

「おかげで今日まで、この時代でなんとかやってこられたわ。希望を捨てずに生きてきて良かった、本当に」

 蘇芳もくぅも、連れて口角が上がる。

「んじゃお待たせしました。さ、この時代とサヨナラしましょ」

「だな。俺から先にこの上登るから、くぅはその後上がってこい」

「うん」

「崩れるかもしれないから気を付けてね、蘇芳さん」

「任せろ」

 積み上がっているガラクタは、地面からおおよそ一二〇センチの高さがある。近い木箱のひとつに手をかけ足をかけ、崩れそうならば都度場所を変えていく。まるでロッククライミングやボルダリングなどを彷彿とさせるため、幾度か足場の確認を行いつつ慎重に登ってゆく。

 予想外にも頑丈に積み上がっており、あっさりとドアの前まで来てしまった。蘇芳がその場でしゃがみ手を伸ばすも、意外とくぅまでは届かない。

 見かねたサニーがくぅを抱き上げ、蘇芳へと渡すかたちになった。くいと引き上げると、木製歯車がいくつか落ちた。

「フゥ、ありがとサニー」

「いーえいーえ」

 そう言うサニーの右肩に夜さまがチョンと収まる。

 数秒間ではあったが、二人は頬を寄せ合い、幾度かの目配せをした。それから夜さまはガラクタを駆け上がり、『ドア』の目の前に向き腰を下ろす。それはサニーに背を向けている格好である。

「おら、次サニーだ。手ェ貸せ」

 蘇芳は再びしゃがみ、右手をグッと伸ばし差し出した。サニーはフフッと笑みを漏らし、深呼吸の後で口を開く。

「ごめんなさい、私は行かない」

 えっ、と蘇芳もくぅも表情が固まった。

 サニーは両手を後ろで組み、いつものように平然と微笑んでいる。

「ば、バカ。冗談言ってる暇ねんだよ」

「そうだよ、もーやだなぁ。サニーも行くんだよ?」

 くぅは目以外をぎこちなく歪ませ、ガラクタの上からそう問いかける。

 しかし、それでもサニーは首を横に振り続けた。

「ううん、ダメなの。私は行けないわ」

 「はぁ?」と顔を歪め蘇芳はつい口調が強まる。

「行けないって、何だよ? ふざけてんじゃねぇよ」

「ふざけてないわ、大真面目」

「じゃどうして? やっと夜さまと出逢えたのに!」

「それよ」

 再びくぅと蘇芳を交互に見つめ、サニーはいつものように優しい微笑みで答えていく。

「私と夜さまが一緒に『ドア』を潜っちゃったら、みんなの旅がおしまいになっちゃうのよ」

「おしまい、に? って何?」

「おい、夜さまも何とか説得──」

 蘇芳は夜さまのその横顔を見て言葉を失くした。

「夜……」

 どうしてそんなにも憂いた表情をしているんだ──蘇芳は、サニーが初めに言った「『サニー』と『夜さま』に時間をくれない?」の本当の意味がわかってしまった。

(あの時間は、もう一度来る別れを惜しむ時間だったのか──)

 大きく舌打ちに変えて改めてサニーへ臨むも、彼のこの微笑みが既に心を決め終わってしまっていることも理解してしまった。

(だから笑って別れようとしてやがるのか!)

 くぅはガラリとガラクタを崩しながらも、サニーへ慌てて近寄る。

「でも……でも、サニーも行かなきゃっ。サニーまた、期限わかんないくらい夜さま待つことになっちゃうんだよ?! ずうっとかもしれないんだよ?!」

 潤んだ瞳で訴えかけるくぅ。

 何日もかけて決めた心が、その瞳を前に音を立てて揺らいでしまいそうで、奥歯を噛み締め欲望を殺す。

「うん、……そうね」

 サニーはそうして頷きながら俯いた。地面に敷かれた煉瓦の茶褐色がオレンジ色に見えるほど、やけに鮮明に入ってくる。

「でもね、夜さまはきちんと約束は守ってくれる子だから。だって今回、こうして長い間捜しながらちゃんと来てくれた。ちゃんと出逢えたわ」

 並べられた言葉は使い込まれた機材のように、馴れた様子でサニーから紡がれていった。言葉を詰まらせることなくスラスラと言えるのは、それだけ夜さまへ同じ言葉を投げ掛けてきたからなのであろう。蘇芳はそんな風に考え至る。

「夜さまの旅の目的は『私を連れ戻すこと』。『ドア』のいわゆる創造主が目的を叶えた時点で全てが終わることは、想像してなかったわけじゃないの。それに、『ドア』が完全に終わっちゃうってことは、くぅちゃんの『出逢い』も、蘇芳さんが元の時代へ戻ることも果たせなくなるってことだわ」

「つーことは、このままサニーが俺らと来る事自体がバッドエンドってことかよ?」

「そうみたい」

「じゃ……俺は一生ここに残っちまうし、くぅは記憶もサガシモノも戻んねぇままだし、姿もこのまんま?」

「そゆこと。とても悲劇的ね」

「……茶化してんなよ」

「ごめんなさい」


 サニーが残るか、くぅや蘇芳がさ迷うか。


 その選択を、サニーは迷うことなく夜さまへ告げていたのである。

 夜さまはどちらを取るかの決断にとても苦しんだ。苦しんだが、既に『ドア』を出てサニーと再会した瞬間から、夜さまが選び取らずとも結果は決まっていたわけである。

 くぅは開いた口をワナワナと震わせ、その琥珀のような瞳いっぱいに涙を溜めた。

「あたしの、せいだ……」

「違う!」

 ガシとくぅの肩を掴み、グッと顔を寄せるサニー。微笑みを消したその真顔は心の中心に迫り寄る気迫がある。

「それは違うわ、くぅちゃん! 絶対に自分の目的を見失っちゃダメよ」

 サニーの大きな黒真珠のような瞳は、撫子にそっくりである。澄みきった奥底まで見えてしまいそうな、まるで吸い込まれるかのような黒。

「アナタはどうして『ドア』を潜ると決めたの? 何のためにそんなにたくさんの対価を支払ったの? くぅちゃんは、アナタにとっての『誰』を捜してるの?」

 息を呑むほどの美しさに言葉は出て来ず、かけられた言葉によって沸き起こる感情が、またボロリボロリと涙に変わり落ちる。

 サニーはようやくフッと微笑むと、そっと肩から手を離し、優しくくぅの涙を拭ってやった。

「さ、くぅちゃん。ちゃあんと目的、果たしてきなさい」

 うっ、うっ、としゃくり上げるくぅの小さな肩を、蘇芳はただ見つめることしかできなかった。そこへ差し伸べるべき手は自分のものではない。ギリリと口の中に赤い鉄の味が広がる。

「この『ドア』は私が帰ることを望んでない。これは、くぅちゃんがサガシモノと出逢うために開かれる『ドア』よ」

「ううっ、けど、サニーぃぃ! ううー」

「蘇芳さん。そろそろ『ドア』開けなくちゃ」

 くぅへ差し伸べるべき手が蘇芳のものでなくとも、もう見てはいられなかった。

「チッ、クソっ!」

 蘇芳は更にガラガラと崩れる足場を少し下り、くぅの脇腹をさらうように抱える。

「やだっ! すぅちゃん離して!」

 そうしてジタジタともがくくぅは、蘇芳の腕力に敵うわけもなく、ただただ片腕で抱えられサニーから引き離されてゆく。

「サニーと、サニーと一緒じゃないと──」「ダメだ」

 消えるような声で言い聞かせる蘇芳は、眉を寄せ舌打ちをすることしかできなかった。

(どうしてだ、どうしてこんなに肝心なときに俺は何もできない!)

 そうして奥歯を噛み締めると、ギリギリと悔しさで音が鳴った。吐き捨てるように、叫ぶように発する。

「サニーっ! 俺も夜さまと一緒に捜しに来る、だから──」「うーん、どうかなぁ」

 柔らかいサニーの声色に、蘇芳はもう振り返るのをやめている。背中でサニーの言葉をワナワナと浴びていく。

「嬉しいけど、『若い蘇芳さん』に会うのもきっとこれっきりだわ。目的すり替わったら、撫子さんとは巡り逢えなくなっちゃうよ?」

「あ……」

 息を呑む。撫子の柔らかい微笑みが過る。

 夜さまの施した『魂のリンク』すらも無意味となることは考え改めずともわかる。

(くそっ、マジでもうどうにもなんねぇのかよっ!)

 舌打ちを漏らすと、再び口の中が赤い鉄の味で充ちた。胸の内側が無情な冷たさで乱されていく。思わず頭のハンチング帽をグシャリと掻き取り、握り締める。

 抱えられたくぅは曇天を仰ぎ、ただ泣いていた。湿った冷たい空へ、涙声は高く抜ける。

「ほら、行った行ったぁ! 直にここに従業員の誰かが来ちゃうわ」

 それをまるで合図にするかのように、夜さまがそっとその腰を上げる。

 蘇芳の肩がガタガタと震えた。頭の中に「どうして」「ちくしょう」の二言がグルグルと渦になり廻る。

「さあ、もう行って!」

 サニーは若い祖父の背に優しい微笑みを向けたまま、右手でトンとその背を押した。

「クソォっ!」



       ◆



 ドアノブはひんやりとしている。ガチャッ、とそのノブが回る。

 力任せに押し開けると中からひやりとした風が足元を抜けてゆく。



       ◆



「やだーっ、すぅちゃん離してえっ! サニーっ、サニいいーっ!」

 ジタジタと暴れるくぅをお構い無しにドアへ引き込む蘇芳は、ドアの敷居の向こうへ一歩踏み込む。

「一緒に帰らなきゃ! サニーをひとりぼっちで、置いていきたくないよう! サニーっ、サニー!」

 泣き叫びながら蘇芳の肩の向こうへ顔を出すくぅ。

 ヒラヒラと手を振るサニーが見えた。

 満面の笑みで、ただ手を振っている。

 優しく、まるで「またね」と言っているかのような。

(これでいいんだわ、これで。ううん、これ『が』いいのよ)

 蘇芳の背が『狭間』の闇へ消えてゆく。頭から掻き取ったハンチング帽がポタリと落ち残る。

「サニいいーっ、サニいいー!」

 抱えられたくぅも、『狭間』の闇へ溶けゆく。

「…………」

 一度。

 夜さまは半身を振り返り、キッと眼光鋭くサニーを視界に捉える。

 目が合ったサニーは、振り続けていた手を止める。


 夜さまは、声を発さず口の動きのみで『真の名』を呼んだ。


「(ひ)(な)(た)」

「!」

「必ず戻り来るっ! 『真の名』を確と胸に秘めておれ、よいなっ!」

 呆然とするサニーは目を見開き立ち尽くす。

 美しく深い色に変わったアメジストの二つの光は、再び『ドア』を向いた。

「さ──」

 夜さまのビロードのような黒は、『狭間』の闇と同化したように消えていった。



       ◆



 蘇芳、くぅ、そして夜さまと、『ドア』の中へと踏み進む。

 煉瓦造りの国に出でし扉が、バタン……と無機質に閉じられた。



       ◆



「……っ、ハ、ハ」

 力無く立ち尽くすサニーは、『ドア』が消えてゆく様をただ眺めていた。

 『ドア』は音もなく下から上へと、まるでシュレッダーにかけた重要書類のように霧散した。

「ハ、アハハ、ハハっ……」

 フワリと、冷たく湿った風が『ドア』があった場所から吹き下りる。サニーの足元へ、今の今まで若い祖父が被っていたハンチング帽がポタリと届く。


 ああ、行ってしまった。


 鼻の奥がツンとすると、両の頬を伝う液体の生温さを感じた。

 ヒクヒクと喉の奥から込み上げるものを抑え込むことに必死な上、横隔膜はついぞ地震のように揺れ続けている。腹の底に押し込めた数多の感情が、ワナワナと震える唇から漏れて出てゆく。

「ハハ、あ、あああぁぁー……っ!」

 膝を折り、煉瓦道の上に泣き崩れる。年甲斐もなく、などと頭を過った妙に冷静な自らに腹が立った。

 祖父のハンチング帽を手に掴み、すがるようにその胸に抱く。 


 私の『真の名』は『日向太』。

 ああそうだわ、『日向太』はじいちゃんとばあちゃんが付けてくれたのよ。

 いつだってにっこり笑って、みんなを明るく照らしてあげられるような、大きくて暖かな人になれるように──って。


 もう聴かれたって『何も起きない』。

 存分に呼びたかった名を、やっとこれで呼べる。


「──小夜さよっ!」



   ◆   ◆   ◆



 私のセレナーデ小夜、愛してるわ。

 再び逢えたときには、きっと元の姿で抱き締めてくれるかしら。


 元の日向太わたしで、伝えたいことがあるの。


 そのときまで、もう一度だけサヨナラね。



   ◆   ◆   ◆



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