サニー 9

「明日の朝、この時代を発つ」

 夜さまがそう言ったのは、産業革命時代へ降り立って四日目の夜のことであった。

 サニーの自宅一階の簡素で小さなダイニングに、蘇芳とくぅとが向かい合わせで腰掛け、夜さまはテーブルの端に乗り、三人揃って食事にありついていた。夜さまが「話があるから夕食を三人で囲みたい」と言い出したためである。その間の見張りはサニーが引き受けていた。

「じゃあ、サニーはお仕事全部片付いたんだね?」

 くぅは、街で買ってきたマッシュポテトに塩を振りつつ弾んだ声を上げた。全くと言っていいほど味がしないためである。

「サニーが『この時代からいなくなっても大丈夫なように後始末してるのよ』って、さっき言ってたもん」

「それであんなに忙しそうにしてたのか」

 蘇芳はボソボソのチキンを何度もしつこく噛み砕きながら言った。これでも、店で一番良さそうな物を購入できた方であるが、旨味も味気も食べ応えも無い。

「とにかく、明日朝起きたらすぐに『ドア』の元へ向かう。そうじゃの……あの時計で六時にはここを出ようかの」

 ダイニングの壁にかかる、くすんだ銅板製の簡素な時計がじわりじわりと時刻を示している。三人はそれに視線を向け、うんとひとつずつ頷き合意する。

「で、実はの。儂の記憶回帰はほぼ終わっておる。儂が唯一思い出せておらんのは、自らの『まことの名』じゃ」

 眠る度に戻った記憶は、ついにそこまでやってきたようだ。もしかしたらこの時代へ出る直前の『狭間』で、「代償にした感情が急激に戻り、処理が追い付かん」と言っていた時には既にほぼ戻っていたのかもしれない。

「すげー! とりあえずよかったな、夜さまっ」

「うんうん! きっとサニーに逢えたからだね!」

 蘇芳もくぅも、口角を持ち上げ顔を見合わせる。

「ん? サニーに逢えたから記憶が戻ったのか? 記憶戻ったからサニーに逢えたのか?」

「んもー。バカなくせに細かいなぁ、すぅちゃんは」

「バカたーなんだ、バカたー」

「フッ! まぁ細かく言えば後者じゃろて」

「後者、って?」

「『後から言った方』ってことだよ、『バカじゃない』すぅちゃん」

 蘇芳は遂に「うっ」と濁点を付けて顔を引きつらせた。夜さまは頬を緩め、柔らかい声色で割り入る。

「ひとまず、世話をかけたのう、二人共」

「いーのいーの! あたしたちは協力して先に進んでくんだから」

「だな。それにそんなん今更だろ。世話掛け合ってなんぼ、ってやつだ」

「すまん、ありがとう」

 かくんと鶏卵のような頭を下げ、夜さまは深く感謝の意を示した。

「して、くぅ。それを踏まえ、ヌシに言うておかねばならん事がある」

 夜さまはふと顔を上げ、髭をピンと伸ばしくぅを向く。

 「あたしだけに?」と食事の手を止めたくぅも、夜さまときちんと目を合わせる。

「恐らく最後まで思い出せん『真の名』を、サガシモノに先に呼ばれてはならん」

 蘇芳とくぅは、一旦顔を見合わせハテナを浮かべ合った。

「あたしから呼ぶのは?」

「それもならん」

「要するに、『真の名を呼び合う』っつーのがダメなのか?」

「然様」

 蘇芳は卓上の水をガバガバと喉へ流す。

「名を呼ぶという事は魂への呼びかけに等しい。くぅは現在、仮の姿。ゆえに『真の名』を呼ばれし時、仮の姿が解ける」

 どこか聞こえが良いその事柄に、裏があるなと目を細める。一旦くぅと顔を見合わせ、再び夜さまへ「それで?」と頷く。

「仮の姿が解けると直ちに『ドア』が現れ、当事者である二人のみが吸われるじゃろう。さすれば目的を遂げたと『ド ア転移装置』が判断し元の時代へ強制送還される……はずじゃ。そうなってしもうたら、部外者である連れの者は置いていかれたまま二度と戻れん。『ドア』の魔法はそれで終わる。これはくぅのみならず、儂とて同じじゃ」

 仮に、くぅが『真の名』を呼ばれたとするならば、夜さまと蘇芳はその時代に取り残されることになる。つまり、夜さまと蘇芳が帰るための『ドア』はそれ以降は現れない、ということである。

 思わず背筋にツウと冷や汗が伝う。蘇芳は声を低く、抑えて問い直した。

「このこと、サニーは知ってんのか?」

「既に伝達済みじゃ。じゃてアヤツは儂の『真の名』をわかっていれど呼ばぬ。決しての」

 くぅが「あっ」と口をポッカリさせ、テーブルに置いた自らの小さな手を握り合わせた。

「じゃあ、夜さまもサニーもこれからしばらくはまだ『呼び合えない』?」

 ひっくり返るようなくぅのその声に、夜さまは静かに頷いた。

 眼は逸らさない。それについて悲しむことをすっかり終えたためもう必要がない、と言っているように蘇芳には見えた。

「くぅの捜し者を安全に『連れ帰る』方法はただひとつ。『真の名』を呼ばずして当人確認を行い、儂らと共にドアを潜ることのみ」

「最初の朝、すぅちゃんとサニーが喋ってたみたいな、ああいう確認作業が必要ってことだね?」

「然様」

「元の時代に戻ってから『真の名』を呼び合えばいいっつーことか」

「然様」

 くしゃくしゃ、と赤茶けた髪を掻き上げる。

「つか、全部簡単そうに言うけどよ……」

「いいよ、あたし頑張る。確認できる質問の仕方なんて、きっといくつも思い付くもん!」

 努めて明るい『普段のような』くぅに、蘇芳はそれ以上何も言えなかった。できるのだろうか、大丈夫だろうか、と案ずる言葉をかけ水をさしてしまうより、ぐっと黙って見守る方が良いのかもしれないと、蘇芳は用意していた言葉の数々を急遽違う言葉へと変換させる。

「そこまで言い切るってことは、だいぶ思い出せたのか? サガシモノのこと」

「まぁ、ちょっとずつね。夜寝てる間だけでも新しい記憶が入ってくるようになったから」

 くぅはそうして天井へ視線を逃す。

「名前と、どうしてその人を捜してるのかまではまだわかんないけど、男の人を捜してることがわかったよ」

 蘇芳は「そっか」と細かく頷き、微笑みを向けた。

「まぁ、進んだんじゃね? 『記憶回帰』」

「やっぱりそう思う?!」

 パアと喜びに染めたくぅの笑顔に、蘇芳もようやく安堵した。失くした記憶が戻ることで、混乱や動揺がくぅを呑み込まないかと心配でならなかったが、その心配は無用だと気が付き笑顔が連れる。

「な、大丈夫だっつったろ? 焦んねぇで確実に思い出せば、絶対辿り着く。夜さまがそうだったみてぇにな」

「……うん!」

 とは言ったものの、本当に『終わる』までは油断ができないなと、二人はつい渋い表情に戻ってしまった。

「確と準備だけはしておくのじゃ。突然目の前にし、うっかり名を呼びでもしたら──」

 夜さまがソロリと蘇芳に視線を向ける。かち合う視線を合図にするように、蘇芳は続きを話す。

「──確実に俺は置いていかれるだろうな」

「そだね、気を付ける」

 瞬きを重ね生唾を呑むくぅは、心持ちを新たにこれからすべき事柄を見据えることができた。緊張と期待の両方を手に、たとえ次の『ドア』の向こうで逢えずとも、夢を見る度に彼を思い出し行けると確かに思えた。

「くぅ、改めてすまなんだ、本当に。ヌシを捲き込み、あまつさえ斯様かような『代償』を課し……」

 夜さまの三角の耳が、どことなくしょげているように映る。あれは不安の現れだなと、蘇芳は察した。

「ううん、これは何かの巡り合わせなんだって思ってるの。きっとあたしへ向けられた試練なんだよ」

 「そう思えない?」と眉をハの字にする。

「それに、あたしが自分から行くって言ったんだもん。あの時点でもう、夜さまのせいじゃなかった」

 やはり努めて明るく、くぅはもう少し微笑んだ。

(「自分から行くって言い出した」っつーことは、くぅの捜し者もきっと『事故』的なきっかけで『ドア』に吸われたか、開けちまったか、なんだな)

 うーん、と唸りつつ腕を組む。

 くぅの捜し者である『彼』は、夜さまの魔法のせいで『ドア』の向こうへ行ってしまったのであろう。くぅはそこをまだ忘れたままなのだ。

(今、夜さまの記憶回帰は全部終わってる。だから『狭間』から出た時、真っ直ぐサニーのもとへ出られたんだ。くぅが捜し者と再会する一番の早道は、この時代か次の時代でたらふく寝て、夢視て、記憶回帰を進めるしかねぇのか……?)

「夜さま、あたしも質問があるの」

「なんじゃ」

「サニーはどうして『狭間』を出られたの? 『狭間』では夜さまとすぅちゃんと一緒にじゃないと、次の時代に繋がる『ドア』が出ないー、って前に教えてくれたじゃない?」

「確かにな。俺もちょっと引っ掛かってた」

「フム」

 夜さまはスンとピンク色の鼻を鳴らし、スラスラとに答えてきた。

「魔力の暴発で『ドア』に吸われた際、アヤツは儂の魔力の半量を携えて消え行った。それは、この魔力が『継承式』じゃということが最大の理由じゃな」

 夜さまは、魔力を母親から受け継いだと言っていた。体馴染みが良くなかった母親の命を優先させるために、娘である夜さまへ魔力を移すことになったという話であった。

「継承とは受け継がれゆくもの。体馴染みさえよければ、すなわち誰でもこの魔力を手にすることができるようなのじゃ。政府からの極秘の命があったゆえ、先祖代々永く隠し、その身内のみで受け継がれてきたがの。しかしその実、誰でも継げるということがアヤツの一件でわかり得た」

 蘇芳は頭を整理させるために、夜さまが続きを話すより早く割って入る。

「暴発して、半分半分になった夜さまの魔力を、サニーは半分持って行ってた。で、ラグエルの井戸にその持っていったはずの魔力の『ほとんどが』残ってた……って言ってたよな?」

「恐らく体馴染みの問題でアヤツの体に留まれなかったんじゃろう。『残した』というよりは『落とした』に近いかの」

「『ほとんど』ってことは、『少しだけ』サニーはまだ魔力を持ってた……ってことだね?」

「然様」

 夜さまは静かに目を閉じた。

「かつて儂の父は、魔力の弱まった儂が魔法を使っても負担にならんように『ドア』に細工をしておった。その『ドア』を基盤に、今こうして時代ときを転移ことができておる。つまり──」

「サニーは弱い魔法を無意識に使って『狭間』から出られた?」

 割って入るくぅに夜さまは深く頷く。

「待った待った。じゃあホントは、『俺と夜さまが』必要ってわけじゃなくて、俺の『願う気持ち』と夜さまの『魔力』が必要、って話だったってわけか?」

 夜さまはふと腰を上げ、蘇芳へ四つ足で歩み寄る。

「すまん、気を害してしまったのであれば詫びたい」

「いや別に気にしねぇけどさ……」

 蘇芳を見上げるアメジストのような瞳の煌めきが弱い。左腕へすり寄る夜さまの体から、申し訳ない気持ちがひしひしと伝わった。蘇芳は小さな三角の耳を左手親指と人差し指で擦り撫でる。

「今日までの間に、サニーから魔力全部返してもらったのか?」

「ああ。少量とは言え、馴染み悪くなれば床に伏せったり最悪死に絶える恐れもあるゆえ。早々に儂に戻した」

「夜さまのお母さんが『そう』だったんだもんね……」

 そう小さく溢すくぅの一言に、夜さまは瞼を伏せ溜め息をついた。

 蘇芳は、鶏卵のような夜さまの小さな頭を左掌でゴリゴリと撫で回す。

「そんな顔すんな、何でも手伝うって言ったろ。もう誰もそうならねぇように、俺を使えよ。ちゃんと最後までな」

 蘇芳はにーっと笑いながら、散々撫で回した夜さまから手を離す。

「これからは四人で出口に向かうんだ。それに、もう少しすりゃきっとくぅのサガシモノにも辿り着く。みんな怖かったり不安かもしんねぇ、でも必ず出口はあるんだ。なるべく笑って進むぞ」

 夜さまはボサボサに逆立った毛なみを両前足で交互に整えた。やがてはむはむっと小さな肉料理の破片をほおばり、消えてしまいそうなアメジストの奥の煌めきをゆらりと強める。

「儂は、二人を元の時代へ返すことを胸に向かう」

「あたしは、サガシモノの彼を連れ帰ることを目標に進む」

 そして蘇芳に視線が集まる。

「俺は、強く願うことで、二人と一緒に元の時代へ戻る」

 また、ゴトリと胸の奥が重くなる。



 それが『鍵』の疼きだと知る者は、まだこのときは夜さましかいない。



   ◆   ◆   ◆



「──目覚めよ、『少女』よ」

 まず、猫が鳴いた。実にか細い声だ。

(少女、って、誰のこと?)

「う……んん」

 目の開いた先に見えたものは暗闇。なぜか身体は淡く光を放っている。おかげで見えたものは自らの両の手であったが様子がおかしい。

「え?」

 いやにぷっくりとしツルリと白く丸い甲、その先に伸びるは短く丸い五指。頬はもったりと柔らかく重く、胸部も腹部もまあるく平たい。そして極め付きに短い両の脚。

 舐めるように何度も何度も確認をするが、見馴れぬ小さな体型に混乱が止まない。

「あた、あたし……あたしっ?! なにこれ、あた──」「くぅ」

 混乱の最中、再び猫が鳴いた。そちらをキョトンと振り返る。

 半ば睨むようにして、一匹の黒猫がこちらを見ていた。頬を染め、あんぐりとし、二度ゆっくりと瞬きを重ねる。

「ヌシはくぅ。仮の名を『くぅ』とする」

「くぅ……」


 仮の名は、それからあたしにそうして馴染んだ。

 『真の名』なんて、最初から無かっかのたように──。



   ◆   ◆   ◆


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