サニー 8

 二日目。

 朝食の折に、『ドア』の見張りは交代で行うことが決まった。基本的に陽の出ているうちは三人交代制、陽が暮れると夜さまと蘇芳とで行おうということとなったわけだ。

「すぅちゃん、交代しよ」

「ん、もういいのか?」

「いいよ」

「夜さまは?」

「サニーと居るって」

 夜さまは一人の時間になる度に、なるべくサニーの事務所へ行くようになった。これはサニーの要望「『サニー』と『夜さま』に、時間をくれない?」に応えるためのものであるが、真摯に健気に頼みを聞き入れる姿は、恋する少女そのものであった。

「街行ってくっけど、何か要るか?」

「じゃあー、軽く食べられるものと飲み物ほしい!」

「あいよ。んじゃ、甘い系のなんか買ってくる。水はサニーに貰うな」

「アリガト!」

「それ持ってきたら、寝に帰るな」

「夜中のためにだね? わかったよ」

「じゃあちっと待ってろ」

 昼を過ぎたというのに、この煉瓦の街には霧が深く立ち込めている。曇天は低く重く、蒸気機関の音が遠く微かに聴こえてくる。

 サニーによれば、ここはイギリスのとある郊外の街だという。鉄や物質が焼ける臭いに混ざり、あちらこちらから腐敗臭が漂うのは時代のせいなのだと、サニーは険しい表情を浮かべていた。

 生きゆく人々は一様に急いており、一方で建物と建物の隙間には脱け殻のような人々が折り重なるように煉瓦の上へ転がっている。どちらにも、性別や老いも若きも関係ない。生き抜く術を持つもののみが当たり前に生きていくことができる世界──それがこの時代・産業革命初期の時代である。

 街のいたるところに目を向ければ、歴史の教科書によく見られるような産業革命期の光景をあらためられた。蘇芳はひたすらに感心し、初めて『ドア』によって知識を与えられた心地になっていた。

 枩太郎先生の恩恵で、歴史や地学に多少首を突っ込んでおいてよかった──蘇芳はきょろきょろと街並みを眺めつつ、その全身で『有名になった過去の空気』を堪能する。枩太郎先生が聞いたら泣いて羨ましがるに違いない、と蘇芳は「帰ったら伝えたいこと」を頭に思い描くようになる。



   ◆   ◆   ◆



 二人の想いを遂げさせたい。

 これ以上、大切な人を忘れたままでなんていさせたくない。



   ◆   ◆   ◆



 日の入りの時間に、街の大きな協会の鐘の音がガラーンガラーンと鳴り響いた。それを合図に、街のざわめきは一旦落ち着きを取り戻す。急く人波が帰路につき始めるためである。

 サニーの工場の片隅にある煉瓦造りの事務所小屋の裏は、夕方になると途端に薄暗く陰る。そこへ吹き込む湿った風は容赦などなく、輪をかけて冷たい。

「くぅちゃん、お疲れさま」

 一人『ドア』の見張りをしていたくぅの元へ、サニーが顔を出した。相変わらずニコニコとし、その足取りは軽い。

 くぅはサニーとすっかり打ち解け、名を呼びつつ駆け寄りその腹部へと飛び込んだ。

「サニーこそお疲れさまぁ。お仕事終わったの?」

「ううん、従業員のみんなに夕飯を食べに行ってもらったのよ。だから私も一息いれようと思って」

「夜さまはぁ?」

「何時間か前に腹ごしらえのために、蘇芳さんの方に戻ってるの」

「そうだったんだ、全然気が付かなかった」

 キョロキョロと辺りを見渡し、サニーは首を傾げる。

「蘇芳さん、迎えに来るかしらね?」

「うーん、どうだろう? すぅちゃん寝てるはずだから、上手く起きればもしかしたら、かなぁ。まぁまだ明るいし、あたし一人で帰れるよ」

「ダメよ。また昨日みたいな人さらいに声かけられたり、強引に連れ去られたりしかねないわ」

 そうして自らの細い腰に手を当てるサニーは、そっと口角を持ち上げた。

「ねぇ、私と一緒に戻らない? ちょっと着替えが欲しいのよね。それ取ったらまたすぐ仕事ここに戻らなくちゃだけど」

「うんっ、サニーがいいなら!」

「ふふ、決まり! じゃあ万が一行き違いになったらイヤだからお手紙残しときましょ。事務所に貼りつけとくわ」

 二人はそうして一旦煉瓦造りの事務所へ戻り、その扉に「外出中。すぐに戻る。 サニー」と『日本語』で書いた紙を、画鋲のようなピンで挿し貼り付けた。

 サニーは煉瓦道の外側を歩き、くぅと固く手を繋ぎ帰途きとにつく。まるで歳の離れた妹が出来たかのような心地に、サニーの口元はニヘラと緩んだ。

 途中すれ違うほどんどの人に、サニーは漏れなく挨拶をされていた。サニーもまたにこりとし「今日もお疲れさま」「よい夢を」と声をかけ続ける。

 本当にこの辺りに顔が利く『特別な』人物に成り上がったことがわかり、くぅは尊敬の意味で頬を染めた。

 やがてすれ違う人が少なくなると、サニーをそろりと窺い口を開く。

「サニーはホントに、夜さまのこと恨んでたり嫌いになっちゃったりしてない?」

 何でもないような声の高さでそう静かに問うくぅを、サニーは眉を上げて見つめた。前日に祖父にも同じことを訊かれたな、と胸の奥がグズグズとする。

「ええっ? どうして?」

「夜さまが話してくれたの。サニーが『ドア』に吸い込まれちゃった経緯」

 くぅは真っ直ぐに煉瓦道の先を眺めながら話す。サニーの高さから見えるくぅの睫毛が小刻みに揺れていた。

「喧嘩した弾みで魔法が暴発したから『ドア』に吸い込まれちゃったなんて……。そんな悲しい別れ方したら、離れてる間恨んだり嫌になったりするでしょ?」

 不安そうにサニーを見上げ立ち止まるくぅ。そのハの字の眉は、夜さまとサニーの二人を案ずる気持ちなのかと気が付き、サニーは弱々しく顔をくしゃりとさせた。

「まぁ、普通なら、そうなっちゃうのかもしれないわね」

 「普通なら」を強調するようにサニーはゆっくりと強く言う。くぅは眼を逸らさず少しだけ首を傾げた。

 スッと深呼吸のあとで、サニーは曇天の夕空を見上げた。

「私、夜さまのことが心から大好きなのよ。だから簡単に嫌いになんてなれないわ。私は、いつになったとしても必ずあの子と一緒にまた同じ時代を生きたいの」

 見上げたサニーの微笑みは、曇天から差す一筋の光のような温かみに満ち溢れていた。サニーからとても強い意思を感じる。夜さまを信じていればこその発言なのだと、くぅは生唾を呑んだ。

 二人の強固な絆を目の当たりにし、羨望で頬がピリピリとする。頭に浮かんでは溶ける一言はただひとつ──「いいなぁ、あたしも……」。そこにじわりと滲む苦味、これは漠然とした不安の気持ちである。

 サニーはくるりとくぅへ向き直り、いつもの調子で「あっあー!」と声を弾ませる。

「この話は本人にはまだ内緒よ、特別にしたいから。案外ぼんやりとしてて疎いあの子の驚く顔がどうしても見たいの。だから、夜さまには──」「うん、黙ってる」

 ピリピリとするもっちりとした頬をぎこちなくもなんとか持ち上げ、照れたように目を伏せた。

「ホントに頭のいい子ね、くぅちゃんは」

 サニーはそっとくぅの頭に右手を乗せた。

 驚いたくぅは伏せた目を一旦サニーへ戻す。まるで何でも優しく包み込んでくれそうな、美しく眩しい笑顔であった。

 言葉が出ないくぅは、慌ててもう一度目を伏せる。

「くぅちゃんは、捜してる人のこと大好き?」

 サニーは首を傾げぐっと問いにいく。遠慮がちにくぅは、絞り出すように微かに答えた。

「うん、好き……なんだと思う」

「『思う』?」

「覚えてないの、記憶とられちゃってるから。だからもしその人が見つかって、どこかのタイミングで出会えたとしてもあたし……『迎えに来てなんて頼んでない』とかそんな風に言われちゃったらって思うとね、怖いの」

 繋いだ手が汗ばんでいくのがわかる。

 顔を思い出した『彼』と過去、どんな会話をしどんな繋がりがあったのかさえも未だ思い出せない自らにただ焦る。

 背中にぴったりとくっついてくる、大きさのわからない黒く重たい『不安感』に秒毎に呑まれそうになり、しかし足掻あがき方がわからない。くぅもまた、笑みを浮かべることでそれから逃れているフリをしているだけなのだ。

「そっか。……ごめんね」

 祖父がいつも声をかけてくれたように「大丈夫だ、なんとかしてやる」などと、胸の広い言葉を今のサニーは口に出来なかった。自らも本当は不安で不安で堪らないためだ。

「でもくぅちゃんも私と同じなのね。ちょっとだけ安心したわ」

 えっ、と瞼を上げる。サニーの真っ直ぐなまなざしに既視感をおぼえる。

「私も不安よ、失くしたものが戻る確証はないんだもの。夜さまもくぅちゃんも、捜してる誰かがいるから戻るじゃない? 私は違う、『捜されてる側』だから」

 あ、と声にならない声が漏れる。くぅは眉を寄せ更に俯いた。

「私『文献人間』なのよ、参考資料とか過去のデータがないと不安で気が狂いそうになるの。ドアに吸い込まれた最初の人、それが私だって話じゃない? 無理よ、不安だわ、取り繕うのに精一杯……だからたくさん仕事を抱えて、生活に不安な女性や子どもたちに職を与えるこういう事業をしてるの。大好きなあの子にも『大丈夫だ』って言われたけど、やっぱり一人きりになったり目を閉じるだけで、どうしたって不安に押し潰されそうになる」

 けどね、と間髪入れず、サニーは吐き捨てていった自らの黒い言葉に上書きする。

「そんな中にも希望はあったわ。あなたたちが来てくれた事よ」

 くぅは、潤んだ瞳をサニーへそっと向ける。琥珀こはくのような澄んだくぅの瞳に、サニーはつい真顔になった。

「蘇芳さんと居れば、くぅちゃんは必ず捜してる人に逢えるわ。そして私がそうだったように、絶対にその人はくぅちゃんの気持ちを無下になんてしない。だって、こうやって身を削ってまで捜しに来てもらえて、嬉しくないはずがないもの」

「サニー……」

 ようやくフッと顔の緊張を緩める。

「くぅちゃんは絶対に一緒に帰れるわ。たとえマイナスな言葉をかけられても関係ない、手首でも首根っこでもふん掴まえて、堂々と一緒に元の時代へ帰るの。きっとそうしたらその人だって、くぅちゃんのところへ帰りたかったことを思い出すのよ。そのために、蘇芳さんも夜さまもあなたと一緒にいるんだわ」

 泣き出しそうなくぅの表情に、サニーはかける言葉を間違えたかもしれないと過る。

「そうだよね、うん、ごめんねサニー」

 肩を竦めるくぅは、できる限りの笑顔になろうともっちりとした白い頬を持ち上げた。

「それに、これからはサニーだっているもんね」

「え」

「え?」

 一瞬の空気の凍りを、サニーは慌てて首をがくがくと縦に振ることで打ち消す。

「え、ええ、そうよっ! そうよ、私もいるもの!」

 くぅはホッとした目元をサニーへ向けると、その懐へと飛び込んだ。

 サニーからはひなたの匂いがした。太陽を浴びたふかふかの布団のような、柔らかく温かな匂いである。

「一緒に帰ろうね、サニー」

「そう、ね。そうよね」

 くぅの小さな背をトントンと優しく叩くサニーは、しかし眉間をきゅっと寄せていた。「そうだ」と口でわざと肯定することで、芽吹き花を咲かす前の毒草を摘み枯らすような想いであった。

 私のセレナーデ、と心の内側で何度も何度もサニーは唱えていた。

 震える唇をくぅに見られぬよう、必死に堪えながら。


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