サニー 7

 夜さまが目覚めたのは、真夜中であった。

 瞬きの後にゆっくりと前足を伸ばし背を反らせ、ふあーっと珍しく大きな欠伸をひとつ。ベッド側の窓から外が見えるが、陽はすっかり落ち闇夜に街が沈んでいる。

 暗がりに目が慣れたところでキョロキョロと周囲を見渡すが、泣き疲れたくぅに抱かれ眠っていたその部屋に蘇芳は居なかった。寝ているくぅの脇をスルリとすり抜け、ベッドから降りる。

 部屋を出、静かに右隣の部屋を覗くと、奥のベッドで小さく身を丸め蘇芳が寝ていた。ベッドが小さいのであろうな、と夜さまは鼻をスンと鳴らした。

 サニーのその住居を静かに出でる。

 タっと闇夜の煉瓦道を行く。

 道の端にガス燈がポツリポツリと立っているが、空きすぎている間隔やその火の弱さのせいで、照らす役割はあまり果たせていない。霧がかるこの煉瓦の街は闇夜が深く、どこかひんやりと不気味である。

 サニーの工場こうばを目指していた夜さまは、鼻をスンスンとさせ真っ直ぐに駆けていた。鼻を啜ると『ドア』に纏わせてある微量の魔力の匂いがする。それを頼ることで迷わずに進むことができた。

 サニーの事務所である小さな煉瓦造りの小屋を通り過ぎ、その裏手の資材置き場へ到着すると、夜さまはハァーと長い溜め息のような一息を吐いた。

 『ドア』は、おどろおどろしいような妖艶な雰囲気を醸しながら、乱雑に積まれているその上に変わらず立っていた。闇夜の中にも負けぬ気迫に、夜さまですら生唾を呑む。

 意を決し、ヒョイヒョイと積まれた資材を踏み台にドアへ寄っていく。瞼を閉じ『ドア』の魔力を感じ取る。

(やはりか。『このドア』の目的は、次へ向かうこと──)

 目を薄く開け、読み取れし結果に「これ以上はどうにかならないものか」と試行錯誤を懸命に繰り返す。一点を見つめ、あらゆる可能性を思案する。

「わっ、びっくりしたー。来てたの?」

 後方からの声に、夜さまはハッと振り返り睨むように視線を向けた。

 目を丸くし、同じように驚いた表情のサニーが立っていた。

「…………」

 夜さまは睨んでいる眼力を弱め、積まれた資材から軽くヒョヒョイと地面へ下りる。

「ダメじゃない、こんな時間に一人で来るなんて」

 サニーは昼過ぎに蘇芳が腰かけていた木箱へ近付いた。

「今は猫の姿ゆえ、心配なかろう」

「あらなぁに、喋れるの? もーなんだぁ、もっと早く口を利いてくれたらよかったのにィ」

「ちと、戸惑っておったゆえ……」

 夜さまも静かに四つ足で木箱へと歩み寄る。ジワリとその四つ足に、緊張からくるピリピリとした感覚が襲う。

「久しぶりね。元気だった?」

「まぁ。それなりに、の」

「そう!」

 ニッコニッコと、サニーは木箱へと腰かけ膝に頬杖をつき夜さまを隣へ呼ぶ。顎を引き、緊張を全面に押し出している夜さまは、口をへの字にしたまま誘われたとおりサニーの隣へ腰を下ろした。

「で、どうしたの? 見張りに来てくれたのかしら?」

「その話し方、なんとかならんのか? 気味が悪くて仕方ない」

「なによ失礼ね。『夜さまアナタ』だってお父上の口調真似しちゃってるクセに」

「既に抜けなんだ、仕方なかろう」

 ムッとする夜さまを、サニーは実に愛おしそうなまなざしで包んだ。

「ねぇ、お名前は?」

 「呼んでもいいか」という意味を含んでいることはわざわざ問い直さずともわかったので、夜さまは細かく首を横に振った。

「今は未だ呼ばぬよう頼む。全てが終わってしまう……儂の計画が、頓挫する」

「計画、ね。じゃあ、夜さまって呼ぶ感じで正解だったってワケね?」

「あぁ、まこと助かった。ヌシが汲み取ってくれたこと、心から礼を言わせてくれ」

「ううん、昔聞いていたことをやっただけよ。『真の名は魔法を解く鍵ゆえ全てが終わりし時にのみ呼べ』──だったわね」

「ヌシのその記憶力はなんなんじゃ。まったく……変わっとらんの」

 フフッと互いに頬が緩んだ。

「『夜さま』はどうして『猫』なの?」

「儂も姿を『代償』にし、猫であることを選んだのじゃ。それに……猫はほら、魔力の馴染みが良いと、かつて母が言うておったゆえ」

「ふぅん? やけに昔ウチで飼ってた猫ちゃんセレナに似てるけど、どういうこと?」

「それはっ! その、とっ、咄嗟に思い描いた猫が、あの猫セレナじゃったゆえ!」

「フフフ、いいのよ。可愛いわよぉー、よ、る、さ、まっ」

 フン、と夜さまはサニーから顔を背ける。やはり調子が狂うな、と夜さまは蘇芳らには見せない顔をする。

 遠くの方で男たちの話し声が近付いて離れて行く。あれは工場の前を通り過ぎた声だなとすぐにわかる。

「ありがとうね。『じいちゃん』、連れて来てくれて」

 サニーは静かに口を開いた。背けた顔を、ようやく夜さまも元に戻す。

「別に……」

「私たちの力になってくれるから、連れてきたの?」

「いや、まぁ否めんが……それよりも、ヌシに辿り着くには『鍵』が必要じゃったゆえ」

「鍵のため? けどあの『鍵』は、既にじいちゃんのための願いをかけてたでしょ?」

「埋めし当時はな。あの時は、『魂の再会のための願い』じゃったろ」

 かつての自らが『鍵』へ纏わせ老体へ埋めたあの魔法を思い出す。


 「──これは約束の鍵だよ。また出逢えるように、お祈りを込めておくね。だからもう、そんなに悲しまないで。いずれまた、おじいちゃんとおばあちゃんが、こうして逢えますように──」


「連れてきた蘇芳は、が始まりし時よりも少し前の蘇芳じゃ。『鍵』も『ドア』同様に時代を越えとる。じゃて、『鍵』に出逢いを願う前の蘇芳ならば、『鍵』を頼らせず儂が直接魂を繋ぐことで『鍵』の効力は無垢のまま保たれると思った。ヌシにこれで真っ直ぐに繋がる……と、いうわけじゃ」

「じゃあ、あなたはじいちゃんとばあちゃんの出逢いを、本人が『鍵』に願うよりも早く叶えて既に繋げちゃったってわけね? じいちゃんに『鍵』を不要とさせるために……若いじいちゃんが元の時代よりも少し先に進めば、必ず若いばあちゃんに出逢えるように」

 夜さまは「ああ」と静かに頷く。

 しかし嘲笑じみた声色で目を伏せる。

「『鍵』のことで父に酷く叱られたわ。ヌシが試作機に吸われた直後、『鍵』さえあれば直通だからあれを使えと父は言った。で、数年前に蘇芳に埋めたと正直に言うたら、頬を張られた」

 あら、とサニーは目を丸くしていた。フッと鼻で嗤う夜さまは首を「やれやれ」と横に振った。

「それからはもう。父は儂とろくに話もしなくなった。半年も経たずして、過労で亡くなってからは儂が開発指揮官。無駄に簡単に偉くなったもんじゃて」

「そう……お父上、お亡くなりになったの」

 サニーの弱く悲しみに染まる声色に、夜さまは上げていた頬をきゅ、とつぐみ、自責の念を負った。

「じゃて、儂なりの償いのため『狭間』を設けたんじゃ。儂のみが罪を償えば良いと……思っておった」

「なるほどねぇ。だから、大事なものを奪うシステムにしたってワケか。アナタらしいというか何と言うか……」

「すまん、ヌシにも影響が出ようとは思わなんだ」

 サニーはただゆっくりと微笑むだけで、否定も遠慮もしない。

「アナタは何を『代償』にしたの? 人間であることと、名前と、他は?」

「記憶や感情を『代償』としたが、どうやら目的を果たし行けばその身に戻るようなのじゃ」

「えっ、じゃあ私……!」

 バっ、とものすごい勢いで夜さまを向くサニー。目を見開き、息を呑む。

 夜さまは小さく「あぁ」と頷いた。

「共に帰りし先で、名も姿も必ずや戻ろうぞ」

 見つめ合う互いの瞳が、暗闇の中でも煌めき魅せる。

「そう……、そうなのね」

 カクン、と脱力したように、サニーは肩からも頭からも緊張を抜いた。フゥーと長く溜め息を吐き出し、言葉を失っている。


 ──もう一度希望が持てる。


 互いに再び人間として、互いに本来の性別で、互いのその生涯を生きゆく希望が再びサニーの心に宿った。

 手を取り合い、頬を寄せ合い、触れ合い干渉し合いながら目に見えぬものを深め合うあの頃にまた戻れるのだと、サニーは喜びで震えていた。

 遺伝のせいで広く大きなあの掌に、きっとまた戻れるのだ──サニーは目頭がジンとする。

 その瞬間サニーは「あっ」と顔を上げ、夜さまへぐっと詰め寄った。

「ねぇ! 若いじいちゃんは、ばあちゃんと逢えたんでしょ? どんなばあちゃんと逢えたの?」

 キラキラと楽しそうに訊ねるサニーへ、夜さまは瞬きを数度重ねた後にフッと頬を緩めた。

「転生前じゃ。戦乱の世の小国の姫君じゃったぞ」

「へぇ、ほんとにお姫さまだったのね! ばあちゃんよく言ってたものね。『私は昔の昔、お姫さまだったのよ』──って」

「ああ、懐かしいのう。ヤツは転生前でもベタ惚れだった。よう見てられんかったぞ」

「ふふふふっ、仕方ないわ。どんなに歳くったってベタ惚れだったんだもの。たとえ転生しようが遡ろうが、じいちゃんはばあちゃんあの魂に巡り逢って、恋をしたいのよ」

「じゃろうな」

 クスクスと笑い合い、その空気感に心地良さを感じて止まない。このまま『真の名』を呼び合えたなら、と夜さまはアメジストのような瞳へ哀愁を纏わす。

「くぅちゃんは、どうしてこの旅に?」

 ためらうように、サニーはそう問いを向けた。

 夜さまは「話さねばならんか」と覚悟を決める。つい声色も低くなってゆく。

「儂が記憶違いで、『鍵』だと思った物を奪ってしもうた事が原因じゃ。『鍵』だと思った物の持ち主は、結果的に『ドア』を開け、吸い込まれてしもうた」

「あら。直通?」

「いや、『狭間魔法』を施した後のものゆえ、飛ばされたのは『狭間』じゃったろう。『狭間』にてさ迷わぬよう、儂の記憶や感情を更に『代償』に、時代を繋げ導いた」

「そう……。じゃあ体力も魔力も、たくさん使ったのね」

「全て儂の罪じゃて。せめてもの償いじゃ」

「アナタがそそっかしくて周りを巻き込むのは昔からだけど、罪滅ぼしも大概にしてよね。アナタ自身がそのうち支払えなくなってしまうわ」

「まだ大丈夫じゃ」

「万物がそうだけど、繰り返し『代償』にするとどんどん価値がなくなるのよ? お父上がよくそう仰ってたわ」

「……わかっとる」

「わかってない。ホントにこれっきりにしなきゃ、アナタが戻れなくなるわ。それじゃ本末転倒じゃない。わかってる?」

 詰め寄るサニーを煙たがるように、夜さまは目を細め身体をよじってその視線から逃れる。

「ヌシの説教は実にすぅに似とる……ねちっこくてかなわん」

「仕方ないじゃない。私はじいちゃんに育てられたようなものだもの。フフ!」

 ふわりと湿った冷たい夜風が二人へ吹き込む。途切れた会話の隙間に染み込み、離れていた期間の溝があらわになるようであった。

「すまん」

「なにが?」

「また、待たせてしまう」

「やっぱりそっか。くぅちゃんが先、か」

 力なくサニーが溢すも、既にそう告げられるとわかっていたかのような答えであった。夜さまは顔を上げ、サニーをしっかりと見つめる。

「儂の望みが……儂が目的を果たしてしまうと──」「仕方ないわ。順番よ」

 夜さまの辿々しい言葉をわざと掻き消し、サニーはにこりと微笑んだ。

 互いに再び見つめ合う。

 囁くような夜さまの声と、吹けば消えてしまうようなサニーの微笑みが重なってはまた別れる。

 なんと酷なことを告げねばならなかったのであろうか──夜さまは目を細め奥歯をキリリと俯いた。

 「置いていく」事になるなど、望んではいない。この心を捧げるほどに焦がれる人物なのだ、そんなことを望むはずもない。

 しかし、『今』夜さまがサニー捜し者を連れ帰ることは、同時に「くぅの目的を叶えることが出来なくなる」ということであった。そうなればくぅと捜し者は二度と逢えず、関係は絶え、二度と交わらない。

 二つは同時に叶わない、と歯痒く苦しく、無力さを突き付けられた心地になる。

「無駄に、期待をさせてしもうた。ここへ今出たばかりに……」

「ううん、そんなことない。むしろ安心材料になったわ」

「安心、材料?」

 ええ、とサニーは立ち上がる。

「アナタは、たとえどれだけ時代ときを越えてでも、『ドア』を使って必ず私を見つけに来てくれるんだってこと。これで証明できたじゃない」

 サニーの華奢な背が酷く痛々しく見えた。

「ホントに待っててよかったわ。いろんな物を『代償』に支払っても、それだけの価値があったってことよ。嬉しくないわけないわ」

「ひな──」「ダメよ、名前は」

 ピシャリと遮るサニーの一言。

 小さく「わかっとる……」と消えるように呟き漏らす夜さま。

「若いじいちゃんと話ができて嬉しかった。若い頃はホントにバカで真っ直ぐで無鉄砲だったのね、フフッ! 自己評価のとおり」

 サニーはくるりと振り返り「ねぇ聞いて!」と笑った。

「昼間ね、じいちゃんに頭撫でてもらったのよ。ちょっと子どもくさかったかもしれないけど、頼んだらアッサリ引き受けてくれたわ。久しぶりに、甘えたかったの」

「……そうか」

「ふふふ、お陰で勇気貰えたのよ。私はこの工場を、ここで働く女性たちを、もっとずっと世に認めさせるためにしっかり動くわ」

 「苦難の道だけどね」とひとつウィンクで加える。夜さまはフゥと肩を落とした。

「必ずや、迎えに来るでな」

「ええ。信じてるわ、私のセレナーデ夜さま



   ◆   ◆   ◆



 二人の想いを遂げさせたい。

 これ以上、大切な人を忘れたままでなんていさせたくない。


 寄り添い歩く、優しさ。

 わかり合おうとする、大切さ。

 どれだけ回り道をしようとも、どれだけ躓いてズタボロになったって、望むひとつの未来を想えばきっとそれへと向かえるんだ、って。


 俺は、それを夜さまとくぅに行動や想いで教えてもらった。

 二人が俺のことを大切にしてくれていることがわかる。

 だから俺は、二人以上に二人のことを大切にしたいと思える。


 真っ直ぐにひとつを想うことが、きっと未来を必ず切り拓くから──。



   ◆   ◆   ◆


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