サニー 6

 涙がそれぞれ落ち着くと、くぅは夜さまを抱くようにして、かけていたベッドに横になり眠ってしまった。泣き疲れたのであろう、と蘇芳は二人の寝息を聴き、夕食になるようなものを買いに外へ出た。

 外気は、化学物質が燃えたり加工されている臭いが常にしている。久し振りの舗装された道の感覚はいい音が鳴るし、それを足へ伝えている靴の固さに思わず鼻歌が漏れる。

 あらゆる全てを、蘇芳は「懐かしい」と思えていた。化学物質の臭いに関して言えば、『ドア』を潜る前ほどの酷い嫌悪感は不思議と感じられなかった。

 街の時計灯は二時半を示している。腹も減るわなと口角が上がった。

 ひとまず、二日分の食糧を調達した。店をはしごし、藁半紙のような縦長の袋に買い詰め、それを両手にサニーの元へと向かった。

(工場の事務所に居るって言ってたよな)

 蘇芳は袋のうちひとつをサニーへと渡す心づもりでいた。缶詰になって働いているというのだから、食事を買いに行く暇もないであろうと勘ぐった。

「サニー、よォっす」

 煉瓦造りの小さな事務所の中で、サニーは書類整理に勤しんでいた。蘇芳の声を聴くなりガバッと顔を上げパアッと瞳から何から全てを輝かせる。

「じ、蘇芳さん! どーしたの、『ドア』見張りに来てくれたの?」

「や、まぁ、うん。つーか、昼食ったか? 差し入れにと思ってこれ、持ってきた。買い物出たからよ」

「えーっ、やだホント?! こんなにィ?! 悪いわぁ、ありがとう」

「いやいや、宿代みたいなモンだと思って。んじゃ俺、これ食いながら『ドア』の前に居るわ」

 仕事の邪魔はしたくないと、蘇芳は片方の袋を渡すなりそそくさと事務所を後にした。そうして裏手の『ドア』へと急ぐ。

 廃材の上に、相変わらず『ドア』は妖艶な雰囲気を纏ってそこに在った。

 煤けた木箱がまるでベンチのように地面に置いてあったので、右側に食糧袋を置き、その隣に蘇芳は静かに腰かける。購入したての細長いサラミをかじりつつ、小さなブールのような掌サイズの丸いパンを頬張る。この丸パンは、朝食べていたライ麦パンよりも格段に柔らかかった。

「す、お、う、さんっ」

「ん? おう」

 入り口からひょこっとサニーが顔を出していた。

「私たちもお昼にすることにしたの。ちょっと遅くなっちゃったかな、いつもより」

 ふふふ、と肩を揺らすサニーもまた、同じサラミと丸パンを持っていた。

「あら、一緒」

「だな」

「ふふ! 奇遇ね」

 ぴょんぴょんと跳ねつつ近付き、煉瓦畳上の蘇芳の隣へ直接腰を下ろすサニー。冷たく硬い煉瓦畳に直接座らせるなどあってはならないと、蘇芳はその場を立ち上がった。

「ワリ、こっち座れよ。俺は立ってたって食えるし」

 女性の見た目に引っ張られ、サニーが本来男性であることをつい忘れてしまう。荒々しい言葉で怯えさせてはいけないだとか、その腰が妙にか細く折れてしまいそうだとか、そういう数多の『気遣いの言葉』が勝手に口から溢れ出ているわけだ。

「ううん、いいわ。この時代に居たらこんなの慣れっこなのよ。場所なんかより、座って落ち着いて食べられる事がなにより」

 しかし爽やかにそれをかわし、サニーはきちんと手を合わせ「いただきます」と頭を下げてから食事を始めた。お言葉に甘えて、と蘇芳は再び腰かける。

 しげしげと食事を始める姿を眺めていたが、当然のようにサニーに気が付かれ「どうかした?」と微笑みが向けられる。蘇芳は慌てて言葉を探した。

「あーあー、あのさっ。さ、サニーはその……夜さまがどんなヤツなのか、誰なのかとかまで、ちゃんとわかってんのか?」

 視線を逸らし、半分に減ったブールをモチャモチャといじる。ホロリと取れたかけらを仕方なしに口へ放る。

「ええ、わかってるわ」

「マジ? じゃあ恨んでるだとか、そういうのは?」

「う、『恨む』?! まさかでしょ。ふふっ、どうしてそんな考えに辿り着くわけ? 恨んでたなら人さらいから助けたりなんてしてないわ」

 サニーは「冗談キツいわね」とケラケラと笑っていた。そして、かじったサラミをよく噛み砕き、『ドア』を眺めながら喉の奥へと流す。

「あの子は私の大切な子だもの。あの子に関する思い出を『狭間黒い空間』に奪われるのは、絶対に嫌だったの。そのくらい大切。私の名前や男であることよりも、ずっとずっと大切なのよ」

 そうしてサニーは蘇芳と目が合う。フフッと微笑みを更に漏らす。

 この様子から、夜さまの考えはやはり外れているようだ、と蘇芳は胸の内を撫で下ろす。そして、その後に一瞬見せたサニーのこの切な気な淡い横顔から、復讐やらを企てているとはとても思えなかった。

「蘇芳さんは? そういう大切な人、もう居るの?」

「俺は──」

 ぼんやりと、あの小袖を頭から被った撫子を思い出す。振り返り「嬉しい」と微笑んだときの桃色に華やぐあの微笑みが、心の大部分をギュウと渦にする。

 しかし口をつぐみ、『ドア』を見上げた。

「──誰かを、ずっと前から捜してる気がしてた。ホント昔から、ずーっとな。けど、夜さまと出逢って違う世界に出た先で、多分そいつが見つかった。夜さまにはそこで『魂のリンク』っつーのしてもらったんだ」

「魂の、リンク?」

「上手くいけば何十年──いや、何百年先で俺はもう一度アイツに出逢える……ようになったんだと思う。出逢いが夜さまの魔法頼りっつーのも、なんとなく情けねぇけどな」

 力無くははは、と俯くと、モチャモチャといじっていたブールはいつの間にか破片と化していた。膝の上で鳩の餌にでもなったかのようなそれらに、蘇芳はげんなりと顔を歪める。

「あの子、そんなに繋げておきたかったのねぇ。蘇芳さんと撫子さんを」

「ハハ、ありがてぇこっ──」

 そこでふと違和感に引っ掛かる。サニーを向くと、ブールをちぎり口へ放り込んだところであった。

 ポカンと口を開け片方の眉を持ち上げつつ、蘇芳は意を決し訊ねてみる。

「俺今、『撫子』って言った?」

「ん? ……言ったわよう、『もう一度撫子に逢える』、でしょう?」

 そうだったかなと首を捻るも、記憶違いのような気もした。蘇芳は口を数度パクパクさせると「ま、いいか」と流してしまった。

「ねぇ蘇芳さん。ひとつ妙なこと頼んでもいいかしら」

 サニーは「ごちそうさま」と手を合わせ食事を終えると、ツナギの左ポケットからハンカチを取り出し手を拭いながら言った。

「妙なこと?」

「フフ、そんな顔歪めないでよ。たった一度でいいの」

 サニーは蘇芳へ向き直り、はにかみながら首を傾げる。

「その……頭ポンポンって、してくれない?」

「あたま、ぽんぽん」

 なんて縁遠い言葉なんだと、ゆっくりなぞる。そうして目を見開いていると、サニーは突然頬を赤らめた。

「はっ、恥ずかしいわよねっ、こんな『女のカッコした男』の、ああ頭撫でるなんて! 困らせて、悪かったわ」

「いや、別にそのくらいなら……」

 蘇芳も顔が火照る想いではあったが、その更に上をゆくサニーの照れ方にクスリと笑えたので、(まあいいか、応えてやろう)と思えた。

 左手でそっと、サニーの頭頂部に触れる。耳の後ろで二つに縛った部分に影響が出ないよう、赤茶けたサニーの毛髪をくしゃと、崩れぬ程度に数度撫でてやる。

 たちまちにサニーから、それまでの繕うような笑顔が消えた。

 代わりにゆっくりと困ったような表情をしたので、蘇芳は「触りすぎたか」とぎこちなくその手を引っ込め視線を逸らす。

「ワリ、髪変にしたかも」

「う、ううん。頼んだのはこっちよ、アリガト……」

 サニーはそうして目を伏せ、再び口角を懸命に上げた。

「サニーさん、ちょっと見てほしいんですけど!」

 突然、従業員らしき女性がそうして声をかけにやって来たので、サニーはスッと立ち上がり、「行くわね」と笑顔を残した。

「蘇芳さんありがとう。お陰でもう少し頑張れそうだわ!」

 タッと小走りに駆けて行くその後ろ姿に、蘇芳は純真無垢な少年の背を見たような気がした。



   ◆   ◆   ◆



 ある夢の一部、ううん。これは記憶の断片──。

 これがいつのことで、またどこの場所なのかは相変わらず見当もつかない。

 ただ、あたしの記憶だということと、男の人を捜していることだけは前回までにわかったこと。


 それは、とある真っ白な雪景色。


 高い常緑針葉樹が立ち並ぶ林の中に、ポカンとまるで秘密基地のように空いた空間があった。すべての木々の枝葉にはどっしりとした雪が乗り、地面の土色は一切見えない。

 その空間の中心部へ、一人の男の人が駆けてくる姿が見えた。不安そうに辺りを見渡しつつ、まるで誰かを追いかけてきたみたい。

「夜さま! どこ行った、夜さま!」

 ヨルサマ……よるさま?

 よるさまって、『夜さま』?

「出ておいで、夜さま!」

 そうやって、彼はきょろきょろとその場に留まって四方八方を捜してる。

「お願い、頼むよ! あれは大事な物なんだ!」

 大きな声でそう言い放つも、声はただシン、と虚しくその場へ溶けた。白く冷たい雪の中へ、まるで吸い込まれるように消えてしまう。

「夜さま、こんなとこにいたらキミも死んでしまう! 怒ってないから、戻っておいで」

 そう半ば焦るようにくるりと振り返った彼の顔を、あたしは初めてはっきりと確認した。

 ハッ、と息を呑む。夢の中なのにガタガタと震えた。


 あたし、あの顔知ってる──。

 ああ、あたし、あの人を知ってる。

 この後、あたしはあの人の後を追ってきたんだ。

 あの人の足跡を、雪に残ってたあの人の足跡を追ってここまで来たんだった。


 そうやって震えていると、彼を俯瞰視していた『あたしの意識』はまたサァッと後方へ遠ざかっていった。常緑針葉樹の合間を縫い後ろへ、後ろへとこの意識は再び引っ張られてゆく。

 不安そうに『夜さま』を捜すあの彼の姿は、そうして瞬く間に見えなくなる。

「待って、もう少し彼を……彼を見せて!」

 手を伸ばしても、これは意識だから手はなくて、否応なしに彼を見失う。


 あぁ、あなたはそれからどうなってしまったの?

 早く、肝心なところを思い出したい──。


 記憶は夢の中で紡がれて、徐々に滲むように思い出されてゆく。

 そうしてあたしも、やっぱり彼を捜すの。



   ◆   ◆   ◆



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