サニー 3

   ◆   ◆   ◆



 一月ひとつき前、日向太のおばあちゃんが亡くなった。原因は何かのご病気。

 入院はしないで、ずっとおじいちゃんと最期までお家で過ごしていたんだって。葬儀の時に日向太がそう教えてくれた。


 おばあちゃんは品があって、お歌が上手で、お料理もできる素敵な人だった。わたし、おばあちゃんとお話しするのが本当に大好きだった。

 あんなお嫁さんを貰えたおじいちゃんは、本当に幸せ者なんだ、って。日向太も羨ましそうに言ってたな。

 おじいちゃんとおばあちゃんはとってもとっても仲良しだったから、最期まで一緒にいられて良かったなとは思った。

 だから、おじいちゃんがとっても落ち込んでて、心の底からに心配になったの。


 日向太はおじいちゃんを特に大切にしてる。

 困ったらまず「じいちゃん」。いつもね。

 だって、日向太のおじいちゃんはいつだってどんなことでだって親身になってくれるし、わたしたちが思い付かないような知恵を貸してくれるんだもの。頼りたくなる気持ちは、とってもわかる。

 優しくて、手が大きくて、肩や足が痛くても体を使って遊んでくれる、頑張りやさんなおじいちゃん。

 わたしとも、本当の自分の孫みたいに真剣に接してくれる。

 わたしも、日向太のおじいちゃんが大好きだし、とっても大切。


 だから『あの鍵』を、おじいちゃんにあげたの。

 うんと素敵な二人が、もう一度、次の世でも逢えるように──。



   ◆   ◆   ◆



「ん、グク……」

「夜さまっ! 起きた?!」

 そっと目を開けると、夜さまはくぅの腕の中にいることに時間をかけて気が付いた。

「よかったあー。心配してたんだからぁ!」

 不安をあらわにしたくぅの目元が一番に目に入る。未だ半分しか開かない目を、何度かの瞬きで強引に起動させる。

「くぅ、か……うっ!」

 ゴーグルに打ち付けた腹が鈍く痛む。思わず抱かれた腕の中で身を縮める。

「大丈夫?! どこか怪我してるの?!」

「い、いや、大したことではない。自己治癒を使えば──」

 途端にポワァ、と夜さまが淡く薄紫色に発光し、五秒の後にはそっとその光も消えた。治癒魔法を自らに施したようである。

「これでもう大事ない。すまんな、多々心配させてしもうた」

 よかった、とくぅは夜さまの喉元を指先でくすぐった。猫らしくゴロゴロとその喉を鳴らす。

「して、ここはどこじゃ?」

「あたしとすぅちゃんが最初に『ドア』から出た所。ちょっと狭いけど、拠点があった方がいいーってすぅちゃんが」

「ふむ、すぅにしては気が利いたの」

 くぅは、『ドア』が乗っていた山積みの木箱のうちひとつを引き抜き、それを椅子様にし腰かけていた。小路の入り口を左側に、建物の壁を背もたれにしている。

 辺りをくるくると見渡す夜さまへ、くぅは先回りするように続けて声をかける。

「詳しい時代はわかんないの。『ドア』出て、夜さま捜しに街に出たら、煉瓦造りの街並みで──あ! すぅちゃんが持ってた銀貨二枚でパンが三個買えたよ。これ、ちょっと固いけど夜さまの分」

 座っている木箱の端に置いておいた紙袋の中からまっさらなパンをひとつ取り出し、夜さまへ差し出す。夜さまは「すまん」と微笑みを向けた。

「して、そのすぅはどうした」

「夜さまが起きるまで『ドア』探してくるーって、行っちゃった」

 ふぅん、と夜さまはくぅの腕からポンと降り、辺りを見渡す。

 足元に近い低い位置を、何かがいぶされた臭いを連れて細く強い風が抜けた。夜さまは鼻先をスンスンとしドアの匂い気配を嗅ぎ分けようと試みたが、先程の臭いが邪魔をしたため不明に終わる。

「ダメじゃな。この場では気配を探れん。臭いの方が強い」

「そっか、そんなこともあるんだね。ひとまずここでじっとしてよう? きっとすぅちゃんも『ダメだったー』って言って、すぐ戻ってくるよ」

 くぅはライ麦パンをバキッと半分に割り切り、中の柔らかい部分を少しずつ夜さまへちぎり渡すことにした。

「夜さまは空から降ってきたって聞いたけど、ほんと?」

「あぁ。『ドア』を出でた途端に地面が失くなり、着地の間も無く人間の頭部へ腹を打ち付けたんじゃ」

 モソモソとライ麦パンの柔らかい部分を頬張る。なかなかの味気なさに、言い表しがたい虚しさが胸へ吹き込んでくる。

「確か女人にょにん、じゃったの。落ちし先は」

 くぅを見上げ首を傾げる。くぅは眉をハの字にポツリポツリと話し始めた。

「その人ね、夜さまを抱えて街歩いてたの。あたし夜さまが連れ去られるかもと思って、返してーっておっきい声で叫んじゃった」

 なんと、と夜さまは目を丸くし、鼻を鳴らし笑った。くぅにそうして必死になってもらえたことが、夜さまは嬉しかったのである。

「すぅちゃんがいろんなことで必死になってるの見てたからかなぁ。最近ね、すぅちゃんみたいに誰かのために必死になるのも悪くないかもーって、ちょっと思ってる自分がいるの」 

「適度にそう他者を見習うのは良い事じゃと、儂は思うぞ」

 くぅは夜さまにかけられた言葉が嬉しくもくすぐったく、照れ隠すように肩を縮めた。ライ麦パンの柔らかい部分を再び夜さまへちぎり口元へ持ってゆく。

「あ、じゃなくてじゃなくて。かなり大変なことがあったのっ!」

 前歯で甘噛みし受け取ったライ麦パンをモソモソと口内へ含むと、夜さまは頭にハテナを浮かべくぅを見上げる。

「その女の人がね、サニーって名乗ったの!」

 互いに目を真ん丸にし、夜さまはよく噛み砕きもしなかったライ麦パンの塊をその細い喉の奥へ送ってしまった。ひとつケホと咳き込むも慌てて返事に変える。

「な、に? まことか!」

「でもね、女の人じゃん。偶然かもしれないから、夜さまが起きてからきちんと確かめようって。これもすぅちゃんが」

「すぅは儂が居らん方が機転が利くやもしれんな」

「やめてよ、ホンットに心配したんだから」

 次のライ麦パンをちぎってもらい口へ含むと、今度はよく噛み締めながら、自らが落ちた先の女性の顔や雰囲気を思い出していた。

「…………」

 仮に彼女が『サニー』だとして、サニーは本当に『アヤツ』なのであろうか。

 疑問点や不安感が、夜さまの戻りつつある『代償記憶』へと降り積もる。永く溶けない雪の塊のように、じわじわと重たく固くなってゆく。不意に建物と建物の間を、フワリと鉄錆びの臭いが乗った風が細く抜ける。

「ヒック、お嬢ちゃん! こんなところでどしたの」

「ん?」

 左肩の先の小路の入り口に、酔っ払いの浮浪者らしき初老男性が立っていた。ニヤニヤと隙間の開いた歯をくぅへ向けている。

 夜さまは木箱からくぅの右肩へと音もなく跳躍移動し、「口を利いてはならぬぞ」と早口でくぅの耳元へ囁き諭した。小さく頷くくぅも、夜さまと同様にキッとした強い睨みと隙のない視線を向ける。

「おいちゃんと一緒に行こか? アン?」

 浮浪者は一歩、一歩と詰め寄ってくる。距離にして約三メートル。

「んまぁい飯用意してやれるぞ、あったけぇベッドもあるぞ。ン?」

「…………」

 じわりじわりとにじり寄られる恐怖心から、くぅは木箱から立ち上がりズリ、と足を後退させてゆく。

「護衛魔法を施す、下がっとれ」

「夜さまっ、危ないか──」「こーらこらこらァ!」

 夜さまがくぅの前へと飛び降り、魔力の薄紫色をその身から揺らめかせたところで、ふいに浮浪者の後方から声がかかった。その姿にくぅは目を丸くする。

 浮浪者がビクッと肩を跳ね上げ振り返ると、満面の笑みを浮かべたサニーと名乗ったあの女性が立っていた。濃く下りていた霧の隙間に陽の光が微かに差す。

「その話、具体的に私と話さない?」

「サ、サニーかァ。脅かしやがって」

 浮浪者も、ニタァリと冷や汗混じりにサニーへ笑みを浮かべた。しかし、サニーの眼は既に笑っていない。

「まさかとは思うけど。私のシマで、ウリのタネになる子を探してんじゃあないでしょうねぇ?」

「さっ、がしてやしねぇよぉ。ちょっと、声かけただけだよぉ。ンなトコで、一人で、いるから」

「あらそーお? 私には二人に見えるけど?」

「ちょっ、冗談よせや、ただでさえこの辺『出る』っつう噂……。も、もうしねぇから、なっ?」

「もうしねぇもうしねぇって、何度目かしらねぇ? そんなに穴が好きなら、私達が掘ってる穴に埋めてやってもいいのよ?」

「テメェのは脅しじゃねぇだろ! 冗談じゃねぇ!」

 浮浪者が慌ててそうして走り去る姿を、くぅも夜さまもポカンとして眺めていた。不格好な足音がどんどん遠ざかり、人混みへと消えて行く。

「怖かったでしょ、もう大丈夫だからね」

 ツインテールをふわりと散らし、サニーは手を後ろで組み二人を振り返った。

 瞬間。そのサニーの笑みが、夜さまへズンと刺さる。遠い記憶の奥底に刻まれ二度と忘れまいとしていた、しかし『代償』とし『狭間』で失ったはずの大切な『笑顔の記憶』。

「あ、ありがとう……えと、サニー」

 くぅは遠慮がちに、そうして二歩三歩と徐々にサニーへ近寄ってみた。

「覚えててくれたの? フフ、どういたしまして。えーっと……」

「くぅだよ」

「そうそう、くぅちゃん。よろしくね」

「サニー、あの、さっきはごめんなさい。あたし、サニーを悪い人みたいに……」

「いいよ。初めから解り合える人なんて居ないもの」

 サニーはニコリと微笑んだあと、キョロキョロと辺りを見回しはじめた。

「じい──じゃなかった、蘇芳さんは?」

「ちょっと出掛けてるの。すぐ戻る予定」

 サニーはふぅんと相槌の後で、くぅの後方で微動だにしない夜さまを凝視した。

「もう大丈夫? 夜さまは」

 半ば睨むようにサニーを見据えている夜さまは、かたく口を閉ざしている。不自然な間を空けてしまったと、慌ててくぅが返答する。

「だっ、大丈夫だよ、多分! パンも食べれてたし!」

「そう、良かった。ていうか、こんなところに居たんじゃほんとに危ないわ。さっきみたいに人売りに目ェつけられちゃう。場所、変えない?」

「すぅちゃんと待ち合わせてるの。ここで待ってなくちゃ、今度はすぅちゃんとはぐれちゃう」

「まぁ、それもそうねぇ」

 右手で頬杖をついて虚空を見詰めた後、サニーは「あっあー!」と閃いたように声を弾ませた。

「じゃあ、私もちょっとだけ一緒に居ていーい? 私この辺の『顔』だから、さっきみたいなことがあっても簡単に近付かせたりしないよ」

 そうして腰に手を当て胸を張るサニー。

 「どうしよ、夜さま?」と、くぅはコソコソと地面にじっとしている夜さまへ目配せをする。ほんの微かに頷く夜さまは、黒く細い尻尾をうねらせフイと俯いた。

「ふふっ! じゃあ決まり!」

 くぅが返答をするよりも早くサニーが満面の笑みで微笑んだので、サニーには夜さまの言っていることが『その仕草のみで』わかっているように見えた。

 くぅはポカンと口を開け、にこやかなサニーの微笑みの裏側を正しく知りたいと思った。



   ◆   ◆   ◆



 二人の想いを遂げさせたい。

 これ以上、大切な人を忘れたままでなんていさせたくない。


 寄り添い歩く、優しさ。

 わかり合おうとする、大切さ。

 そういうのと真摯に向き合うことって、人としてものすごく大切なんだって改めてわかった気がするから。


 俺は今、それを夜さまとくぅにきちんと伝えて返したい。

 二人が大切にしているものを、俺も二人と同じように大切にしたいんだ。



   ◆   ◆   ◆



 『ドア』探しが空振りに終わり歩き疲れた蘇芳が小路へと戻ると、くぅはサニーと並んで木箱に腰かけていた。

 サニーがこの小路に留まることを決めてから、時間にして約三分。しかしくぅにしてみれば、会話も途切れ途切れであったがためその体感が三〇分もあったかに感じられたわけだ。

 隠しきれない戸惑いを顔中に書き連ねたような「すぅちゃん!」の一声に、蘇芳も全く同じような表情になる。

「ハァーイ、蘇芳さん。おかえりなさい」

「なっ……なんで、ここに!」

「やーだ失礼ねぇ、まるで怪物に遭遇したみたいな顔しないでよう」

 言葉とは真逆に一層嬉しそうににこにことし続けるサニー。よく見るとその足元で夜さまがくるりと丸くなっている。

 木箱から立ち上がり、深紅のスカートにふわりと風を通しながらくぅは蘇芳へ駆け寄る。蘇芳の苔色のスーツパンツのモモの辺りをムンギュと掴まえ、くぅは早口で伝えた。

「あたしと夜さまね、人さらいに声かけられてね、危ないところをサニーが助けてくれたのっ」

「は? 人さらい?!」

 そう口に出し驚いたところで、(そういう人もこの世界には居るよな、浮浪者があんなに居たんだから)と改めて痛感する。左手で口元を覆い、その事実を無理矢理に呑み込んだ。

「悪かった、俺そこまで頭回ってなかった。怖がらせたな……」

「ううん。夜さまが守ろうとしてくれたし、サニーがあっという間に追っ払ってくれたから」

 ようやくくぅはほっとしたように柔らかく口角を上げた。

「言ったでしょ? 私この辺りで事業主やってるから、ここらの『顔』なのよ」

 くぅの奥からそう声を張るサニーは、左足を上に脚を組み掛け自慢気である。なるほど、と蘇芳は小さく頷く。

「ありがとうございました、サニーさん」

「サニーでいいのよ。それに、敬語なんて使わないで? 私の方が本来なら使うべきなんだから、年功序列的に」

 年下には見えないな、と蘇芳は苦笑いで返す。

「さて! 蘇芳さんが戻ってきたことだし、行きますか」

 そうしてサニーが木箱から立ち上がり、ぐっと上へひと伸びする。足元で丸くなっていた夜さまがパッとくぅの元へと駆け寄り、その肩に収まった。

 夜さまの体調やそこ後の様子も気にかかった蘇芳であったが、サニーへ眉を寄せ問い直す。

「え、どこに?」

「見せたいものがあるの。職場に行ったらそれが『あって』驚いちゃった。知らせたくて、慌ててこの辺りに戻ってきたんだから」

 そうして真っ直ぐに見詰めるサニーの瞳が誰に似ているのかを、蘇芳はようやく思い出した。

 撫子に、よく似ているのである。

「…………」

 彼女のような大粒の黒真珠に似た瞳は、蘇芳の胸の辺りを遠慮なく掻き乱し、背にゾクゾクをもたらす。あの時の彼女へ恋焦がれる心とは違う『何か』を、サニーの瞳に感じてならない。目を逸らしたくとも逸らせない自分自身に、理解が追い付かない。

 そんな、息を呑み言葉が出ない蘇芳の表情にサニーは微笑みを崩さず続ける。

「今日、いや、本当にさっき『この時代に』来たばっかりって感じ? だからはぐれた夜さまを『慌てて』捜してたし、土地慣れしてないから『こんな場所を』拠点にした……そんなところかしら」

「な、なんで知っ──」

 そこまで言いかけたところで、ぶわ、と冷や汗の噴き出しに気が付いた。

 蘇芳の背後を流れる喧騒がいやに遠い。なぜか黙り続けている夜さまが、まるで本物の猫のように思えてならない。

 サニーはクと顎を引き、口角を上げたままやや斜めを向く。

「私は『サニー』。私も、『ドア』を何度か潜ったことがあるの。最初は砂の国、次に中国三国時代、そしてここ……」

 驚嘆の言葉も出ないほど、蘇芳もくぅも硬直していた。

 サニーは優しく瞼を下向きに、その足先で優しく煉瓦を撫でる。

「私はここで、あなたを待ってたの」

 瞼をもう一度上向きにしたサニーは、吹き抜ける冷たい風音にも負けないような音量でハッキリと告げた。

「夜さまのことを、ずーっと待ってたのよ」



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