サニー 2

  ◆   ◆   ◆



 わたしが日向太ひなたといつから仲が良かったのかは、わからない。

 日向太のお母さんが、わたしのお母さんのお世話係として家に出入りするようになったのは、まだ日向太もわたしも産まれる前のことだってきいていたから、お母さん同士はずうっと仲が良かったんだと思う。

 男の子だとか女の子だとか関係なく遊んでいたわたしと日向太は、いわゆる『幼なじみ』って関係なの。


 でも、日向太のおばあちゃんが亡くなってから、わたしは日向太をちょっと『男の子』として見ている。……気がする。

 きっかけなんてないけど、なんとなく。


 日向太と手を繋ぐとどきどきする。

 日向太と会えるのがいつもよりもちょっとわくわくする。

 日向太と話すとき、目を見て話すとちょっと恥ずかしい。


 こういうの、なんて言う気持ちかな。

 こういうの、『特別』って言ってもいいのかな。



   ◆   ◆   ◆



 えぐえぐと泣きじゃくるくぅの隣で、蘇芳は何も出来ぬまま座り込んでいた。

「うぇっ、うぇー……夜さまーぁ、ふえぇー」

「ハァ……困ったな」

 出た先の小路こみちを抜けた二人は、少し歩いた先に煉瓦造りの噴水広場を発見した。中央には時計灯があり、朝の七時半を示している。蘇芳は久方ぶりの時計の存在に、泣いてしまいそうになるほど感謝をおぼえ、つい拝んでしまった。

 そんな最中でも、二人は絶えず人混みの中に居るかもしれない小さな黒猫の姿を懸命に捜し続ける。三〇分ほどそうして噴水広場を見渡していたが、夜さまの姿は一向に見当たらない。不安感はやがて疲労に変わり、噴水の縁に二人並んで腰かけていたというわけだ。

「くぅ、腹減らねぇ? とりあえず何か腹に入れよう。じゃなきゃ頭も回んねぇよ」

 涙でぐちゃぐちゃになっているくぅの消えそうな「うん」を聞くなり、蘇芳はくぅの左手を優しく引き、建ち並ぶパン屋のひとつへと足を進めた。

「すぅちゃん、お金持ってるの?」

「それがよ、ケツのポケットにこんなん入ってたんだよな」

 そうして右の尻ポケットに手を突っ込んだ蘇芳は、掌に銀色の貨幣を数枚並べくぅへ見せた。「何それ!」と涙を拭い鼻を啜り、目を丸くする。

「お金だぁ、なんだか本当に買えそう!」

「夜さまに価値訊ければ、どのくらい買えるか買えねぇかまできっとわかるんだろうけどな」

 そうして肩を竦めていても埒があかないと、蘇芳は持っている銀色貨幣の半量を握りしめパン屋の扉を開けた。

 他の買い物客の様子から、その半量の銀色貨幣でそこそこの量が買えそうだとわかったため、蘇芳はオーバル型のライ麦パンを三個購入することにした。それは持っていた銀色貨幣二枚分に相当し、小さな紙袋に詰めてもらい店を出る。

 噴水の縁へ再び戻るなり、並んでそれをひとつずつ頬張った。このライ麦パンは外側がやけにガリガリで、ちぎるのすらも一苦労である。特に甘くもなければ薫りがいいとかいうわけでもない、「無いよりはマシ」という具合である。

 これは、『ドア』の旅が始まって以来初のとても質素な食事であった。

「何も入ってねぇし、バター的なモンでも買えばよかったな」

「けど高そうだったよ」

「世知辛いな」

 街並みは、煤けたような煉瓦造りの様相である。

 街は霧がかり、空は低い曇天に覆われ、朝だというのに気分は鬱々としてしまってもおかしくない。行き交う人波はどこか忙しなさを纏っており、現代の都会の喧騒を思い起こさせる。その一方で、小路こみちの端には孤児や家のない人々が地面に直座りしている姿を目撃する。治安が決して良いとは言い切れなさそうだと、蘇芳は奥歯を噛み締めた。

 人々の格好も、蘇芳のように小綺麗なようなそうでないような、近代なことに間違いはなさそうであるが「過去だろうな」と察することができる。

「なんかこの街、俺の住んでた街の臭いに似てんだよな」

 ライ麦パンを半量無くしたところで、蘇芳はふと呟いた。パンの固さと格闘中のくぅは「あんが」と開けた口を一旦閉じ、蘇芳を見上げる。

「工場とか、工業とか。なんかそういう『物造ってる』っつー臭いがする。人の手で、火とか鉄とか使ってるような」

「すぅちゃんはそういう街の出身なの?」

「あぁ。工場地帯のお膝元なんだよ、俺の地元」

 蘇芳は目を細め声を低くした。

「昔から鉄鋼業が盛んな街なんだ。戦争の時は工場で大砲を造ってたこともあるんだって。それが原因で空襲も食らったって。俺のじいちゃんはその話を昔からずっと俺に話すんだ」

 蘇芳は話ながらも夜さまの姿を人混みに探し続けている。フゥと溜め息を挟み、つい話を続けた。

「戦争が終わってからはずっと鉄鋼業。何のための鉄を造ってんのかなんてさっぱりわかんねぇけど……あの街に並ぶ煙突からは、四六時中、鉄が混じった粉塵が空気中に吐き出されてんだ。それが延々と街に降る……公害に目を瞑るような、嫌な場所だ」

「ふぅん……」

 そういう臭いがこの煉瓦の街にもしているのだ、と蘇芳は鼻筋にシワを寄せている。

「すぅちゃんは、自分の街に帰りたくない?」

「はは、そうじゃねぇよ。俺は、公害になってんのに何にも対処しようとしねぇあの街の上の奴らがムカつくだけ。俺が工業高校に行こうと思ったのは、公害にならねぇような街に立て直す術を探すためだから」

「すぅちゃんは工業高校に行ってるんだ?」

「そーだよ、言ってなかったっけ?」

「科を訊くタイミングなんて、無かったよ」

 それもそうだな、と蘇芳はくぅへ笑った。

「中学ん時に仲良かった先生が勧めてくれたんだ。『誰かのためにどうにかしたいことを見つけて、それを高校の進路にしなさい』ってな」

「へぇ! いい事言うね、その先生」

「だろ? 柔らかくて、頼りンなって、スゲー優しい先生なんだ。あ、わけぇのにジジくせぇのかもな」

 ハハッと笑うと、つられてくぅも口角を上げた。

「すぅちゃんは、優しくていい先生に出逢えたから優しいのかもね」

「あ、なっ? やっぱ俺優しいだろ?」

「調子ノリ! ふふっ」

「ハッ、まぁ、ひねてた俺を正してくれたのは、確かに枩太郎しょうたろう先生なんだよな」

「しょ、うたろう……?」

「あれ?」

 ふと、蘇芳は正面の人波の中に見覚えのある黒い物を捉えた。腰かけていた噴水の縁から中腰になり、視線のみで追う。

「おい、くぅ! あれ夜さまじゃねぇ?」

「え……えっ? どこ?!」

「抱えてんのは、女か? ほら、あれ。髪ふたつ縛りにしてる」

 蘇芳は懸命に指を指しくぅへ伝える。ようやく視界に捉えたくぅは「あーっ!」と叫び立ち上がった。ちぎり食べていた残りのパンを紙袋へ押し込むと、それを左手にひっ掴み、くぅはダっと駆け出した。

「ちょ、まっ! くぅ! お前まで迷子ンなられたらマジで困るから!」

 慌てて蘇芳もくぅを追った。食べかけのライ麦パンを、左手に握ったまま。



   ◆   ◆   ◆



「枩太郎先生。俺、高校行くの諦めるよ」

「やや、それはどうして?」

「だってヤバい回数謹慎になってる。いい加減、内申のこと考えねぇとさぁ」

「まぁ、それもそうですね。キミは今、中学二年生を終えようとしてる。本格的にマズイ時期です」

「だろ? だから俺が行ける高校なんて……いや、そもそも喧嘩ばっかやってる俺に、先の道なんてもうねぇんだよ」

「またそうやって腐る。ダメです。『キミらしくもない』」

「ンなこと……」

「いいかい? 蘇芳は、誰かのためにどうにかしたいことを見つけて、それを高校の進路にするといいよ。その方が蘇芳はきっと、いい将来を迎えられます」

「将来より目先の進路だろ? それに困ってンじゃんか……」

「大丈夫、キミはちゃんと高校へ入学する。それに、まだ内申評価の全部が終わったわけじゃない。大事な時期だけど、取り返すなら今からです。まだイケます」

「そーかな」

「誰がなんと言おうと、キミは絶対に高校へ行くよ。これは既に『普遍の事実』なんだ」

「フヘンの……?」

「変わることのない、ってことです。地層や歴史と同じだよ。人々が積み重ねてきたものは、いつだって何よりの証拠です」

「……先生ってホント、妙に不思議なこと言うよな」

「そーかな。ハハハ」

「先生。それ、信じてみれるかな……俺」

「フフ、ひとつの手だと、先生は思います。蘇芳の気持ちが、いつだって蘇芳の未来を切り開くんだよ」


 枩太郎先生──。



   ◆   ◆   ◆



「ちょっとぉ! 夜さま返してっ!」

 ゼハゼハと呼吸を荒くした蘇芳が追い付いたときには既に遅かった。大きな瞳いっぱいに涙を溜め、夜さまらしい黒猫を抱えている女性に向かって、くぅはビシィと人差し指を突きつけ叫んでいた。

「よるさま?」

 きょとんとする女性はくぅを見下ろすと、首を傾げ訊ねてきた。

「その黒い猫! 『あたしの』夜さまなんだからぁっ!」

 話にならねぇ、と蘇芳が慌てて割って入る。

「いきなりすんません! 俺、蘇芳っていいます。こっちは『妹』のくぅ」

 くぅの左手からパンの紙袋を奪い取り、自らの持っていた食べかけのライ麦パンをその中へ放る。

「アンタのその抱えてる猫、俺らの連れの猫そっくりで。さっきはぐれちまって探してて……ちょっと見せてもらえねぇっスか?」

 蘇芳なりの低姿勢で訊ねてみた。かなり冷静な問いかけ方である。

「ええ、もちろん」

 赤茶けた毛髪を耳の後ろでツインテールにしたその女性は、薄汚れた水浅葱色のツナギ作業着の腕の中に抱いた黒猫を案外あっさりと見せてきた。くぅと蘇芳は、同時に頭を寄せ合い黒猫を覗き込む。

 ビロードのような毛艶、細長い尻尾、髭の感じや三角耳などを見たところ、やはり限りなく夜さまに近い。

「さっき空から降ってきたのよ、私の頭に。あ、アメジストみたいに綺麗なお目々だったわ。あと、ニャーって鳴かないから心配してたの。これから知り合いのお医者に診てもらおうと思ってるところ」

「なんか、スンマセン」

「いーえいーえ。私がこの子に関して知ってることはこのくらい。どうかしら?」

 「お目当てだった?」とでも問うように、彼女はにこっと微笑み蘇芳とくぅを交互に覗く。

「絶対夜さまじゃん! 返してっ!」

「ちょ、くぅ黙ってろって。あの、多分っつーかほぼほぼそうっスわ」

「そう! よかったわね」

 彼女はにこっと更に微笑みを深めその場にしゃがみ、くぅへきちんと目線を合わせると黒猫をあっさりと手渡した。

「はい、どーぞ」

「……ぷんっ」

 両腕で受け取るなり、くぅは彼女へ鋭い睨みを利かせ背を向ける。まったく、と蘇芳は溜め息を挟み、彼女へ更に低姿勢で向かった。

「あの、もし違ったらちゃんとお返しするんで、名前だけ教えてもらっていいっスか?」

「いいのよ、まだ私の猫ちゃんじゃないもの。ちょっと惜しい気持ちもあるけどねぇ」

 ふふ、と立ち上がり、次いで彼女は蘇芳をじっと見つめた。

 黒真珠のようなこの瞳、潤んだような艶めくこのまなざし。気が付くよりも先に蘇芳の心の底がゾワゾワとざわめき立つ。

(あれ? なんかこの目、どっかで……)

 呑み込む生唾の奥に、蘇芳はモヤモヤと廻る既視感に眉を寄せた。

「あっあーっ! ナ、ル、ホ、ドォ!」

 彼女は突然何かに納得し、顎へ手をやりがくがくと頷き始める。蘇芳はその声でハッと現実へと引き戻され、ブンブンと首を振った。

「蘇芳さんに、夜さまね! 覚えたわ」

「は、はぁ」

 満足気にニッタリと笑う彼女は、ツインテールをパッと散らし蘇芳から二歩、後ろ歩きに離れた。

「私はサニー。この辺で事業をやってるの。まぁ、組合長ってやつ?」

「サっ──」

「『サニー』?!」

 聞き覚えのある名に蘇芳もくぅも目を丸くし叫んでしまった。思わず持っていた紙袋がクシャと鳴る。

 サニーと名乗った彼女はクスクスと笑みを溢し、くるりと背を向けた。

「この界隈の女性に『サニーに会いたい』って言えば、大抵私に辿り着けるよ。もし何か話したいことができたらいつでもどうぞ」

「話したいことが、できたら?」

「ちゃあんと待ってるよ。よ、る、さ、まっ」

 あんぐりと口を開けたまま棒立ちになる二人を振り返らず、サニーはそのまま人混みに消えてしまった。

「……すぅちゃん、『サニー』だって」

「でも、俺がセピアの聖堂で見た写真の『サニー』は男だったぞ。セピアの話も男だったし……」

 蘇芳は寄った眉が戻らなくなった。

「何か知ってる、ってことかなぁ。それとも、ただの偶然?」

 呟くくぅは、腕に抱えた夜さまへ視線を移す。

「夜さま、起きてくれるよね? サガシモノと同じ名前の人、見つけたよ? 何かの手がかりになるかもしれないよ?」

 そっとその背を撫でる手付きが不安を纏っていた。蘇芳はただ呑み込みきれない状況に、右掌で目元を覆う。

 夜さまの寝顔が、ただ静かで穏やかであった。



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