セピア 10

 聖堂から一人部屋へ戻った蘇芳は、既に並べられていた夕食を前にきちんと待ってくれていたくぅと夜さまへ、『ドア』を見つけたことを告げた。

 慌てながら話す蘇芳へ夜さまはニッタリと微笑み、くぅは「スゴい! すぅちゃん!」と跳ねた。

 一方、セピアとは夕食を共にできなかった。

 朝、戦地へ赴くセピア達とは別に、チャオツへ向かったラグエル兵も居たのだが、そちらで何かがあったような連絡を、聖堂から出るなり耳にした。瞬く間に人手が取られ、地下はバタつき始めたわけだ。

 セピアは甲冑を着け蘇芳らの部屋へ顔を出すと、「気を張らず、ゆっくりと養生してくれ」とだけを残し、ほんの三〇秒たらずで国政業務へ戻っていった。そんなセピアは、柔らかく凛とした雰囲気を纏い、何かが吹っ切れたような表情をしていた。

「なるほどの。昼間外に人気がせなんだと不思議じゃったが、地下に棲家を……フム」

金色きんいろの聖堂かぁ、あたしも行ってみたかったなぁ!」

「バカだな、『ドア』開けるとき聖堂行くだろ」

「あっ、そっかぁ!」

 蘇芳とくぅは白い猫足の丸テーブルの対椅子に腰掛け、夜さまはテーブルの上で皿を前にしている。丁度正三角形を成す位置で、夕食へと手を付けていた。

 三人で囲う食事は久しく、蘇芳は感じたことのない安堵感に食が進んだ。

「何はともあれ、『ドア』が早くに見つかったのは幸いじゃった。これで明日の朝には発てよう」

 夜さまはきゅ、とアメジストのような目を細め続けた。蘇芳とくぅは匙を口へ運びながら「うん」と小さく頷いた。

「でさ、夜さま。聞いて欲しい話があんだよ」

 豆と鶏肉の柔らかく煮たスープに口を突っ込んでいた夜さまがひととおり噛み終わるのを見計らい、蘇芳はそっと声をかける。同時に持っていた匙を置いた。

「なんじゃ」

「井戸を掘った奴の名前もわかったぞ」

 ピクリと夜さまは三角形の耳を震わせた。ゴクリと生唾を呑み込んだことまで二人に伝わった。

「ほ、本当か」

「セピアが教えてくれた。ラグエルで『命の源』って呼ばれてて、スゲェ英雄扱いされてるらしい」

 ホーッと肩を落としたかと思うと、夜さまはフフッと目を瞑り笑った。

「然様か! フハハッ、思わぬところで偉くなったものじゃ」

 純粋に夜さまは嬉しそうに声を上げていた。蘇芳は言い表しようのない複雑な気持ちになる。

「『捜し者』の名前、さぁ。教えた方がいい?」

 夜さまはピタリと笑いを止め、今度は眉間にシワを浮かべ「うーん」と唸る。

 『代償』にした者にとって自らの名は最後に思い出す事柄かもしれないが、『捜し者』の名前はどうなのだろうか、と蘇芳は疑問に思っていた。

 もしここで名を聞き、夜さまに何らかの良くない影響を与えてしまっても困る。例えば、『代償』にした記憶が戻らないままになるだとか、蘇芳はあり得そうな事柄を無数に想像し恐怖を感じていた。

「良いじゃろ。すぅよ、教えてくれ」

 ピタリと蘇芳と目を合わせた夜さまは、色の深くなったアメジストのような瞳の奥をゆらり揺らめかせた。

 蘇芳はじんわりと掌が汗ばみ、それをモモで拭う。ひとつ深呼吸のように深く空気を吐き出してから、蘇芳は小さな声で言った。

「そいつは、『サニー』」

「サニー……」

「…………」

 シンと静まり、その緊張感に息を潜め合う。

 少しの間を開け、やがて夜さまが首を傾げた。

「わからん。思い出せん」

「そ、そうか」

「なんともなぁい? 夜さま?」

「あぁ、特別変わったことはない」

 ひとまずの安堵にくぅも蘇芳も胸を撫で下ろした。が、大切な人の名前を聞いても思い出せないなど悲しすぎる、と蘇芳は奥歯をキリリとさせていた。

「ひとまずは良いじゃろ。儂は『サニー』を目指し行くだけじゃ」

 努めて明るく振る舞っているような夜さまへ、くぅはポッカリと口を開けた。

「そいや夜さま、笑えるの?」

「あぁ、すまんな。説明が遅れておった」

 夜さまはくぅへ四つ足で歩み寄る。

「昼間、蘇芳から話を聞き外の井戸を見てきたのじゃ。そこに儂の魔力の塊が残っとってな。どうやらそれは『サニー』が置いていったものらしく、お陰で記憶や感情の一部が戻ったわけじゃて、笑えるようになった」

「そうなんだ、良かったね! 夜さま!」

 笑顔のくぅに抱き抱えられた夜さまは、猫らしくゴロゴロと喉を鳴らしていた。

「そっか。だからさっき夜さまは『大丈夫』って言ってくれたんだね?」

「あぁ。儂のように、くぅも直に少しずつなりとも戻るじゃろう。安心せい」

「うん。ありがと」

 くぅはくしゃっと、嬉しいような不安なような微笑みを浮かべる。記憶が戻る度に、サガシモノに近付く──それは決して絶望ではない。

「すぅちゃんも、ありがとね」

「バカ、これからだろ。そういうのは全部終わってから言うんだよ」

 くぅは「そだね」と更にくっしゃりとした。

 蘇芳は夜さまへと顔を戻し、匙を取った。

「じゃまァ、とりあえずだ。明日の朝セピアか管理してる人が聖堂を開けたらすぐ、『ドア』を守る」

ラグエルここの人が巻き込まれないように、誰も聖堂に入れないようにしなきゃ。ね!」

「じゃな」



   ◆   ◆   ◆



「あのね、■な■。さっき、お母さまの容体……思わしくないって言われたの」

 彼女は俯き加減に消えるような声色で告げる。

 彼は「そうか……」とかける言葉を失い、同様に俯いた。

「お母さま、死んじゃうってことでしょう?」

 涙声に、彼はハッと顔を上げた。ガラス水晶のような小粒の小さな涙粒が、彼女の宝石のような瞳から生まれ出でる。

 不謹慎だと重々承知の上ではあったが、彼は彼女のその美しさに息を呑んだ。まだ年端もいかぬ幼い年齢であるのに、涙を流す彼女は一際美しいと感じた。同じ歳とは思えぬ彼女の涙に、彼が心を奪われていたのは否定しようのない事実であった。

 そうして言葉を失っていると、彼女はぐぐ、と涙を両の手で乱暴に拭い、赤くなった鼻を啜る。

「もうわかんない。お母さまが居なくなったら、わたし──」

 再びポロポロと涙粒が溢れ落ちる。これでもかというほど、止め処なく。

 当然である、母親が死を迎えようとしているのだ。

 指を咥えて見ているしかない状況に、十一才の精神状態は全く追い付かないのである。

「■■……」

 彼はそっと彼女を包むように抱き締めた。背丈はほぼ同じ、体格も然程変わらない。しかし、彼は少しだけ彼女よりも大人な心を持っていた。

「ぼくで力になれることは何でもするから。だから、一緒に乗り越えよう。いつだって■■の傍に居るよ。苦しいときとか悲しいときは、絶対に傍に居る」

 彼女は彼の背にぎゅっと腕を廻し、すがるようにその肩へ顔を埋めた。

「……うん」



   ◆   ◆   ◆



 ラグエルでの三日目の朝。

 半日眠っていたため、くぅはかなり目が冴えていた。夕食の後は四時間も眠ったかどうかわからないが、朝陽がラグエルの赤砂を照らすよりも早く、くぅは夜さまと共に聖堂へ向かった。二人は聖堂の位置を知らない。そのため『ドアの気配』を夜さまの微弱な魔力で探知しつつ、地下の階段を進んだ。

 ようやく辿り着くと、聖堂の管理者がそこの扉を開け放ち、一人朝の祈りを捧げているところであった。

「この、布を被せてる物を『兄』が調べたいんです。どうか触らないまま、あとで見せてもらえますか? もちろん布取るところから『兄』に任せてください」

 くぅは、祈りを終えた聖堂の管理者へそう頼むと、案外あっさりと了承を得ることに成功した。

 管理者が聖堂の清掃へと勤しみ始めると、くぅは夜さまと共に象徴像の目の前の長椅子へ陣取り『ドア』を見張った。

 次第にポツリ、ポツリと絶えず人が祈りにやって来た。わざとくぅは一様に「おはようございまぁす」とにっこりし声をかけ、『ドア』から皆を遠ざけるよう気を張る。

「そろそろすぅを起こしてこような」

 祈る人の人波が絶え絶えになる頃、夜さまは蘇芳を起こすため一旦聖堂を後にした。タっと静かに駆けて行く小さな背を見送り、椅子に腰かけているが故に浮いている足をプラプラとさせ待つ。

「くぅ、おはよう」

 カシャン、カシャンと音を立て近付くその声に、くぅは顔を向ける。

「セピア様! おはようございます」

 爽やかな雰囲気を纏ったセピアであった。勢いよく立ち上がろうとするくぅを「いいよ」と座り留めさせ、くぅの律儀さにフフと微笑む。

「早いな。ちゃんと眠ったのか?」

「はいっ! たくさん寝ました!」

「ならいいんだ」

 セピアは辺りをキョロキョロと見渡し、改めてくぅへ訊ねる。

「蘇芳はどうした?」

「まだ寝てます」

「まぁ、まだ傷も癒えきってはないだろうしなぁ。ゆっくりとしていけばいいよ」

 セピアはそうしてカシャン、カシャンと象徴像へ向く。それを見上げ、両の手を握り合わせ、膝をつき祈りを始める。とても静かな空間に、くぅは口をつぐみ、象徴像を眺めた。

 聖堂に漂う金色こんじきの空気を胸いっぱいに吸うと、身体の中に溜まる不安や負の感情が少しずつ濾過ろかされ、傷のない無垢の感情へと変化しゆく瞑想が始まった。無垢の感情はまるで血液のように全身へくまなく行き届き、逆に負の感情はその呼吸に溶け口や鼻から吐き出される。呼吸の度に、浄化が成される。

 くぅはとても心地よかった。

 やがて瞼を閉じようと俯きかけた頃、甲冑のカシャン、カシャンの音にハッと現実へ引き戻る。セピアがくぅの左隣に腰掛けていた。

「独り言だから、聞き流して構わない」

 見上げたその横顔は象徴像へ向いている。姿勢を正し、まっすぐなセピアのその視線に釘付けになる。

「ラグエルとチャオツは、どうにか会合を重ねて前に進む方向で決まりそうだ。捕らえたチャオツの頭コービィに代わって代表を務めることになった者が、昨日の夕刻、話し合いを要求してきた。こちらにはもう兵力なんてものはないんだと……まぁ、お互いに同じような状況だったんだな。この抗争の意味について、改めて何度も考えてしまったよ」

 くぅは黙ってセピアの横顔を眺め、発せられる言葉を耳に通していった。

「もう少しすれば、今より状況は好転するかもしれない。もちろん気は抜けないけどな」

「セピア様は、新しい代表さんに会いに行くの?」

「ああ、だから主力兵は残していく。万が一に、コービィが暴れてラグエル本拠地がやられたんじゃあ、元も子もないからな」

 フフッと余裕そうにセピアが微笑む。それだけでくぅも同じ微笑みを浮かべることができた。

「私は武装はしてるものの、ほぼお守りみたいなものだから。もう戦いを仕掛けるつもりはないよ」

「よかった。それでも、気を付けてくださいね。代表ってだけで、セピア様は命を狙われる立場なんだから」

「ありがとう。気を抜かないで行ってくるさ」

 セピアはそうしてゆっくり立ち上がり、くぅへ背を向けた。

 今までのように「待っててくれるか」などとセピアから声がかからない。くぅは椅子からぽんと降りると「セピア様っ」と声を張る。

「あのね、あたした──」「発つんだろう?」

 カシャン、と立ち止まるセピアは、横顔で振り返りくぅへもう一度問いかける。

「蘇芳と、ここで待ち合わせだったか?」

 優しい声色に、くぅはぽっかりと口を開けたまま固まる。

「ど、どうして……」

「わかるんだ、なんとなくな。心に何か決意を秘めた瞳が、私にはなんとなくわかる」

 くるりと振り返ったセピアは今まで以上に優しく微笑んでいた。それは肩肘の張った今までのセピアとはまた違う、好転する未来を思い願える心を携えたセピアへ変わっていたからかもしれない。

 くぅもまた、もっちりとした白い頬を持ち上げ「スゴい、セピア様」と強張っていた表情を崩した。

「最後の蘇芳には会えなさそうだな。私が戻るのはいつになるかわからない」

「伝えることがあれば、伝えます!」

「ははっ! じゃあ、ひとつだけ頼もうかな」

 肩を竦めたセピアはゆっくりと言葉を並べる。

「『お前は私の心を二度救ってくれた。ありがとう』……と、頼めるか?」

「『二度』?」

 首を傾げるくぅへ、セピアは優しく頷いた。

 肩と脇腹を矢で射られ安静にしている蘇芳が吐き捨てた、「よくそんな周り見えてねぇのに党首だなんて言えるな」という言葉。あれでセピアは目が覚めた心地になっていた。

 そして、前日の「しつこくても、何度も幹部連中とかチャオツの奴らとも話し合えば、きっとどっかでお互いが歩み寄るチャンス、ちゃんと巡ってくると思う。しっかり納得いくまで話し合ってわかり合うことが、今のどっちの国にも必要なことなんじゃねぇかな」という背を押す言葉に、セピアは道筋にかかる霧が一瞬にして晴れたようであったのだ。

「多分蘇芳自身も、今のくぅのようにわからないだろうな」

 くぅは一言一句間違えず伝えよう、と心に決めた。

「くぅも、慕ってくれてありがとう。短い間だったが、娘が出来たようで幸せだった」

「……はいっ」

 くるりとくぅへ再び背を向け、カシャン、カシャンと去ってゆく。

「どうか幸せを歩んでね、セピア様!」

 思わずかけた言葉に、セピアは手の甲を振り応えた。

 凛とした背に、聖堂の黄金がよく似合っていた。

 セピアならば、もう大丈夫なのだろう──くぅはそうして再び深呼吸をした。



       ◆



「ワリーな、くぅ。一人で待たせて」

「ううん、いいよ。おはよ、すぅちゃん」

「おう」

「人払いの魔法を使った。軽いものじゃてすぐに解ける。行くなら今じゃ」

「ん。じゃあ布引くぞ」

「ああ、頼む」

「『お前は私の心を二度救ってくれた。ありがとう』」

「あ? なんだよそれ」

「セピア様がね、すぅちゃんに伝えてくれって。さっき言ってたの」

「セピアが? 何だよ、二度って」

「すぅはそうして感謝され、前へと進むのじゃな」

「ふふっ。いいこと、いいこと!」

「俺だけよくわかんねぇんだけど」

「きっと、いずれわかろう。ではすぅ。『ドア』を開けよ」

「……おう!」



       ◆



 ドアノブはひんやりとしている。

 回し押し開けると中からひやりとした風が足元を抜けてゆく。

 夜さま、くぅ、そして蘇芳と、『ドア』の中へと踏み進む。

 砂の砦国に出でし扉が、バタン……と無機質に閉じられた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます