セピア 9

「──ぅちゃ……。……くぅちゃん」

 だぁれ?

「■■■だよ、くぅちゃん」

 よく、聞こえないの。

「■■■だよ。もしかして、忘れちゃった?」

 うーん、……わか、らない。

 アナタはだぁれ?

 大切な人、のような気がする。姿を見せて。

「あぁ、そっか。ゴメンね、くぅちゃん」

 そう、残念。

「待っとって、くぅちゃん。また会えるまで」

 待ってて……え? 待っててって?

 あたしが待ってるの? あたしが捜しに行くよっ!

「だって、キミのこと──」

 待って。行かないでっ、待って!

「……からね──」

 もう少しだけ教えて! お願い!



   ◆   ◆   ◆



「待ってぇっ!」


 ハッと目を覚ますと、白い石造りの天井が見えた。耳鳴りがするほどシンと静まり返っている。

「ゆ、夢?」

 静かに呟き、再び目を閉じる。触れた額に汗が滲んでいた。

「ハァー……」

 溜め息が深く深くひとつ漏れ出る。まるで風船から空気が漏れ出て縮んでいくかのような長い溜め息であった。

(誰かが呼んでた。それとあたし、誰かを呼び止めてた……)

 あれは誰なのだろう。それだけはやはり未だにわからない。

「──起きたか、くぅ」

 くぅの左脇からそう声がかかった。タオルケット様の布を捲り見ると、そこには夜さまがいた。丸くなったまま眠たそうにアメジストのような瞳をくぅへ向けている。

「夜さま! わぁ、ごめんね、起こしちゃったね」

「いや、儂は既に起きとったゆえ。気にするでない」

 夜さまはゆっくりとその身を弓形に反らした後、起き上がるくぅの上半身へ寄り添った。

「夢でも、視たか?」

 吸い込まれるような夜さまの瞳にくぅは嘘をつけない。ゆっくりと口角を緩く上げ「うん」と躊躇うように頷いた。

「すぅちゃんが視てたみたいな夢。あれ、あたしの『重要な出会い』、なのかなぁ」

 自信のなさそうな声色に、夜さまは思わず目を伏せる。

「大丈夫じゃ。必ずヌシも出会えよう」

 答えになってないんだけど、と苦笑を漏らすが、くぅは「そだね」と相槌を返した。

 夕陽が強く、室内を橙に染めていた。



       ◆



 会わせたい人がいると言われ、蘇芳は思わず身構えてしまった。妙な緊張感におそわれ瞼がピクと痙攣する。

 セピアが躊躇いなくその扉を引き開けると、しかしそこには誰も居なかった。あるのは聖堂の中と同じ、荘厳そうごんな黄金空間のみ。

「彼が、前ラグエル党首のビスタ。私の亡き伴侶」

 そうしてセピアがその小部屋の奥に掛けられた、とある一枚の肖像を掌で指し示す。

「あぁ?!」

 蘇芳は驚きのあまり言葉を失い立ち尽くした。彼、ビスタは蘇芳と酷似していたのである。

 セピアと同じ小麦色の肌と深い赤銅色の瞳、蘇芳よりも歳上を思わせる貫禄と余裕を放ち、その目尻には優しさが滲み出ている。

 この肖像は写真のように正確で、しかし絵画特有の柔らかさを保ち、何かしらの褪せぬ加工が施されているようだ。

 蘇芳は口をパクパクとさせたまま、ゆっくりとセピアを向く。

「驚いたのは私たちもだからな。昨日手当てのためお前を運び込んだ時、ローブを脱がせたお前がビスタによく似ているんだ。皆で慌てたんだぞ」

「いやそんな、知らねぇよ……」

 蘇芳はカアッと頬が赤くなった。漏れ出た苦笑を思わず左手の甲で覆い隠す。

「にしても。似すぎてて怖ぇっつーか、ハズいっつーか」

 ふいにそれは「『ドア』のせいかな」と思い至る。

 撫子の時代で夜さまが話していた『転生』の実例なのかもしれないと、蘇芳はひとまず無理矢理に納得した。

(ただ、転生した先だったとしたって死んでんだもんな。ビミョーな気分……)

 隠しきれない苦い顔を浮かべていると、セピアが俯くような体勢で肖像へ向かうのが見えた。そっと両手を口の前で握り合わせ、目を閉じている。

 亡人へ祈りを捧げていることは明白であった。蘇芳もそれにならい両手を胸の前で握り合わせ目を閉じ祈る。

(今後もどうか、ラグエルの人達に安泰と平和を──)

 蘇芳は珍しくそんな言葉を添え祈っていた。それは自らが一番驚いていたことである。

「…………」

 やがて目を開けると、右手に小さな写真を見つけた。壁にひっそりと掛けられており、色褪せの仕方が印刷のそれであるためすぐに絵ではないとわかる。

 セピアの邪魔をしないよう、静かに三歩で近付く。ぐっとそれに顔を寄せると、井戸を掘ったときに撮られたものであることがわかった。

 中央には石造りの円形井戸があり、その横に小学校高学年くらいの年頃の男児が『ニッ』と白い歯を見せ自慢気に微笑んでいる。彼と井戸を中心とし、周りに大人たちがぞろぞろと肩を寄せ合い、やはり皆一様に『ニッ』と笑っていた。泥や砂で汚れていたり、日焼けが濃く刻まれていたり。井戸を掘ったときの功績だなと蘇芳は頬を緩めた。

「それが第一の井戸だ」

 囁くようなそのセピアの声色は、蘇芳を驚かせないようにするためである。「え?」と顔をセピアへ向けた蘇芳は、逆にセピアの距離の近さに驚き身を仰け反らせた。左肩にセピアの頬が当たってしまいそうな距離であった。

「この真ん中の少年が、ラグエルに水脈を見つけてくれた人物だ。名は『サニー』」

「サニー?」

「皆が彼を『命の源』と讃えている。ラグエルでは有名なお方なんだ」

「へぇ」

 誇らしげなセピアを横目に、蘇芳は写真へ再び目を落とす。

 誰かのために、と子どもながらに旅をしていたんだろうか……。そう考えたがしかしハッと気が付く。


 違う。

 『サニー』は夜さまの『捜し者』だ。


 何らかの事故で『ドア』を潜り、出た先で井戸を掘り、そこに夜さまの魔力を置いていった『あの人』が『サニー』その人であるらしい。

 思い至った蘇芳は写真から顔を上げ、セピアを勢いよく振り返る。

 この事を早く夜さまに伝えたい──蘇芳は気が逸った。

「あのさァ、ちょっ──」「あのな、蘇芳」

 しかし、セピアに呆気なく遮られ引き留められてしまった。

「聞いてほしいこともあるんだ。いいかな」

 セピアが自ら以上に神妙な面持ちであったためか、気迫負けしたように口をつぐむ。

「うん、いいけど」

 そうして蘇芳は顎を引き、逸る気持ちを強引に抑え込む。

「私は、チャオツと共存していけるような関係を築けないかと、考え始めている」

「共存?」

「お前にいろいろ言われたからとか、今日チャオツのかしらを捕まえたからとかじゃなくな。ずっと考えてきた事が、お前と話したことで明確になった気がしたんだ」

 蘇芳は黙って聞き届けるしかなかった。唇の震えているセピアをただ静かに見詰める。

「例えばラグエルの宝である水と、チャオツの宝である鋼鉄を交換する……そういう『昔ながらの』貿易条約をきちんと改めて、決めて、守り合う」

 蘇芳は静かに小さくいくつか頷いた。

「決まりを保持し、共有し、話合いまた結び……そうやって互いに手を取り合って生きてく道を選びたいと思うんだ。ビスタと──先代党首と、ずっと考えていた。どうやれば実現できるんだと考え続けてたけど、こういう案なら、今の戦争状態よりはかなり良くなるかと思わないか?」

 嬉しそうな表情を浮かべ、身を乗り出すようにセピアは熱弁していた。

 蘇芳はついセピアから視線を逸らす。今、自分の姿とビスタ前党首とを重ねられているような気がして、彼へ申し訳なく感じてしまった。ふっと首の後ろへ右手をやる。

「えと……、俺はこの国の政治のこととか、ぶっちゃけよくわかんねぇけどさ。セピア現党首がいいと思った事はちゃんと会合の場で発言しねぇとな。そんで、みんなに賛成してもらって、大きくしてけばいいと思う。そこから始めるのは悪くねぇよ、むしろどんどんそうやって良くしていけばいいんじゃねぇの?」

「ああ! そうだなっ」

 蘇芳は、武器や力業ではない方法をとろうとするセピアの背を、純粋に激励してやりたいと思えた。

 ラグエルの人々は、きっと道筋が不明瞭になっていただけなのだ。全員が、チャオツや敵軍と判断する者らから全てをもぎ取ろうとは考えていない。争いの終息や安寧を得ようともがいていた結果、武力や抗争に発展してしまったのであろう。それはきっと、チャオツの頭も同じなのだ。


 「『ドア』で出でた未来は確定ではない。無限の可能性のうちのひとつに出ただけじゃ」──。


 同時に、夜さまが言っていたその言葉も思い出す。

 冷酷に考えれば、この時代でセピアがどれだけ頑張ろうと、蘇芳には直接的に何も関係がないためだ。滅びをゆくも和平をゆくも、本来ならば蘇芳にしてみればどうだっていい事柄である。

 しかし、その先の未来が滅びることを『サニー』は望んでいなかった。井戸を掘り、この国を生かし、水が尽きぬようにと祈りを遺した。

 蘇芳は、人の気持ちが遺っていたものを無下には出来なかった。

 ゴクリと逸る気持ちを更に呑み込み、「なぁ、セピア」と改めて見詰め返す。

「これは素人意見だし、外部の人間の言うことだけどさ。しつこくても、何度も幹部連中とかチャオツの奴らとも話し合えば、きっとどっかでお互いが歩み寄るチャンス、ちゃんと巡ってくると俺は思う。チャオツのあの大将とだって、そりゃ腹立つことめちゃめちゃあるかもしんねぇけどよ? しっかり納得いくまで話し合ってわかり合うことが、今のどっちの国にも必要なことなんじゃねぇかな」

 蘇芳は穏やかにそう提案してみる。セピアも頬を緩め、小刻みに何度も頷きながら「そうだな」と呟いた。

「ありがとう。私も、ビスタやお前のように、強く優しくありたいと思う」

 そうしてやがて、ビスタの肖像に顔を向けるとセピアは静かに目を閉じ、蘇芳には見せぬよう一筋だけその小麦色の頬に涙を伝わせた。

「あ。そろそろ飯じゃねぇ? くぅのとこ戻んねぇと」

「う……ウム、行こう」

「さすがにもう起きてっかな? 眠いっつって寝てたんだよ」

「そうか。今日も夕食を一緒にと思っていたんだけどなぁ」

「起きてたら、一緒に食ってやれば?」

「え、いいのか?」

「別に。もうアンタのこと警戒しなくたっていいから関係ねーし」

「フフフッ! 蘇芳は素直なのか素直じゃないのかわからないな。複雑な男は嫌われるぞ」

「う、ウルセェ」

 小部屋を出て聖堂へ戻る。改めて感じる聖堂の空気は、一際優しいもので包まれているように思えた。

(なんとなく敬遠してたけど、案外悪くねぇな)

 祈りを捧げている場ならではの空気に、蘇芳は背筋が伸びた。

 ゆっくりと歩を進めるセピアの背に続きながら、改めてくるりと聖堂の中を見渡す。

 高い天井には細かい彫り絵、壁の模様はエスニックな雰囲気もありつつ、ネイティブアメリカを思わせるものも見てとれる。ロウソクの揺らめきは心が落ち着くが、黄金の色味は一層背筋がシャンとなり、まるで対比のようである。

 様々な文化が合わさり、昇華し、ラグエルという国を創っているのだろうと蘇芳は考え至った。

 無限に存在しうるらしい未来の可能性のひとつがこのラグエルであるというのなら、せめて自分だけでも今のラグエルを教訓としよう──蘇芳は一人そうして頷いていた。

(ん、何だアレ?)

 セピアが向かっている大きな祈りの象徴像へ視線を向けたとき。ふと、象徴像の陰になるような場所に、不自然にあかい布が掛けられているのが目に付いた。大きさからして大体二メートル程。縦に長い長方形。

「セピア、あの紅いの何だ?」

 セピアは横顔で振り返り、蘇芳が指差す方へ顔を向け「あぁ、あれな」と口を開いた。

「さっき管理者に聞いたんだが、昼間ここに突如現れたらしいんだ。何か分からないし調査しなければならないから、ひとまず誰も手を付けないよう布を被せてある」

 そして何の気なしにセピアは「見るか?」と象徴像が乗っている台へよじ登り、紅い布を引き寄せる。蘇芳は象徴像の前で立ち止まり、どきまぎとそれを眺めていた。

 バサリと音を立てて布が剥ぎ取られる。

 蘇芳は目を疑った。

「ドっ……!」

 そこにあったのは、『ドア』だった。


 まるで板状チョコレートのような形状、左側に黒色の丸ノブ、高さはおおよそ二メートル二〇センチ、幅は大人が二人並んで通れる程。


 これだと言わんばかりに蘇芳の気持ちは再び逸る。思わず前のめりになり左足を象徴像が乗っている台へガツとぶつけてしまった。

「なんだ、これのこと知ってるのか?」

 あまりにも蘇芳のあんぐりした表情と慌てぶりに、首を傾げながらセピアが問いかける。

「知っ──」

 言いかけ咄嗟に言葉を呑み込んだ。『ドア』を潜ることをセピアに見られるのはマズいはずだと、直感のような自制心が働いたのである。

 蘇芳は、瞬間的に思い付いたデマカセを漏らした。

「──ってるけど、やっぱ調べてみねぇと! 俺が研究してるモンのような気がする! うんっ」

「お前が研究しているのは、考古学じゃなかったか?」

「ほっ、ほらあの、時代研究もしてんだよっ、歴史的建造物とか美術品だったりも、け、研究対象なんだよっ」

 蘇芳は声を大きく付け加える。必死に冷や汗を隠しニコニコと笑っていた。

 圧倒されたように尻込みするセピアは、声を潜め苦笑いを浮かべる。

「そ、そう、なのか?」

「そーなんだよォ、だからその布掛けて、明日また調べさしてくんねぇかなぁー? なんつって!」

 セピアはヘラヘラとする蘇芳へ眉を寄せたが、更に首を傾げ「まぁ、わかった」と承諾した。



   ◆   ◆   ◆



 少しでも、二人の役に立ちたい。

 少しでも、意味のある存在でいたい。


 俺は、二人の目的の邪魔を、誰にもさせたくない。


 そういや最近、自分の時代に帰ることを目的としてないような気がすんな。

 二人が大切なものを見つけることが、『それよりも』大事な目的に変わったから、かな。


 なぁ、大丈夫だよな、先生?

 俺のやろうとしてること、きっと大丈夫だよな。

 護ろうとして失くすことに震えるより、失くした向こうに得るものもまたすごく輝かしいものだってこと……。

 やっとちょっとだけ、わかったような気になってもいいのかな。


 枩太郎先生──。



   ◆   ◆   ◆



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