セピア 8

「ぐあぁあッ!」

 ドカっ、ドサッ、と、セピアの近くで音がした。

 しかし、セピア自身には痛みがない。

 痛みを感じないほど瞬間的に殺られたのかな、とセピアはそっと目を開けた。

「え?」

 セピアは自らの瞳が認識している光景を信じられず硬直した。

 なんと、チャオツ党首であるコービィが、セピアの右側へゴロゴロと左脚を抱え転がったのである。その身体中に赤砂が貼りつく。

 まるでセピアの盾になるかのように割って入った一人の影が見えた。

「ダイジョブか、セピア?!」

 そうして横顔で振り向き伺うのは、蘇芳であった。

 蘇芳は、セピアの邸の二階から駆け出し、見張り兵を二人共引き連れこの場へと案内をさせた。ローブも着けぬまま飛び出したため、夕暮れに差し掛かっているというのにラグエルの陽の光は容赦なくその肩や頬をジリジリと痛く焼き続ける。

 セピアがコービィに打撃を受けんとしていたその時、蘇芳は一人の兵士にツブテを用意させ「アイツの左膝下へ投てきしてくれ」とそれを投げさせた。狙わせたのは、丁度コービィが矢を受け出血中の箇所だ。蘇芳は遠くから、左膝下の負傷が特に酷いことを見抜いた上で、そこへ投げるよう指示をしていた。

 幸運にであったのか、兵士の腕の賜物であったのかは定かではないが、ツブテは見事にコービィの怪我へ追い討ちをくらわし、こうしてセピアから引き離すことに成功したわけだ。

 目を白黒させ息を呑んでいるセピアは、蘇芳の背に生前の伴侶の姿を思い出してしまった。


 「大丈夫か、セピア!」


 彼はかつてそうして優しく微笑み、幾度も苦難から庇ってくれたのだ。

「ビ、ビスタ……」

 そう、丁度こんな風に──。

「っぐ、んにゃろテメェーっ!」

 傷の痛みを食い縛り、必死にもがき耐えるコービィは右足を軸に、ゆらりと起き上がった。ボダボダッと衣服の上から流血し、砂がそれを啜る。

「蘇芳っ! 右か──」

 岩石のようなコービィの拳が蘇芳の右から飛んでくる。咄嗟に注意喚起を叫んだセピアの蒼白な表情を見る間もなく、蘇芳はセピアの視界から消えた。

「?!」

 蘇芳は見事にコービィの拳をかわしていた。しゃがむことで、拳は蘇芳の頭上を掻くに終わる。

 殴る対象が突如消えたことに驚いている一瞬の隙に、蘇芳はコービィの左脇腹へ低めの拳を斜めから突き上げる。胴廻りの防具の隙間を上手く狙えた。続けて左スネを脚払いするように蹴ってやる。

 怪我をしているわりにはびくともしないため、今度は防具の上からであっても構わず、みぞおちへ一発左腕を伸ばす。

 ガアーン、と防具の鈍い音がするのみで、やはり決まってはいない。

「えぇー、どこもかしこも超カテェ」

「なにを……っ、ちょこまかァ!」

 やはり微塵も怯んでいないコービィは、続けて右ストレートを低く繰り出した。

「はっ、アメぇよ! 先 輩中学ンときにやられた筋だっつーの」

 クルリと体を捻り避ける蘇芳。懐へ潜り込み、下から顎を狙う。いわゆる掌底を一発突きかます。

「いーや、マジでカッテぇ! ここもダメ?」

 パアン、と一発音が響いたものの、ガツンとしたダメージにはなっていない。攻撃を仕掛けた者にわかる「決まった」という感覚がなかなか得られない。

「ヌルイわっ」

 コービィは口の端をにやりとさせ、顎に留まる蘇芳の右腕を逆腕で掴まえた。

「っあ、やべっ──」

 ふわっ、と蘇芳の身体が浮いた。そこからみぞおちを狙い左拳が高速で近付いてくる。

「──なーんつってな!」

 コービィの左拳を蹴り払い、その腹と胸を二歩駆け上がって、奴の顔面右側に左膝をくらわす。

「ブグウッ!」

 顎が揺れたのか、軽い脳震盪にグラりと倒れるコービィ。捕まれた右腕もスルリと抜けた。

 よろ、と多少よろけつつも、蘇芳は再び砂上へ下り立つ。コービィへ馬乗りになると、上を向いている左頬へ右足をダンと踏み乗せる。

「誰かコイツ縛る何か持ってこいっ、早く! 絶対コイツまた暴れっから、金属のがいいぞ!」

 ポッカリと、唖然としていた周囲の兵士らの何人かが、慌てて鎖状の金属紐を手に持ち走り寄る。意識のないコービィはそうして瞬く間に再度ぐるぐる巻きにされた。

「蘇芳。お前、矢傷は?」

 セピアがゆっくりと立ち上がると、蘇芳の後方へ近付く。振り返りながらコービィから離れ「あとよろしく」と兵士へ渡した蘇芳は、ケロッとした表情で肩を竦めた。

「もう大体治った。軟禁されて、一日以上寝かされてりゃなァ」

 ガシガシ、と赤茶けた前髪を掻く。

 蘇芳の言ったことは見え透いた嘘だろうとわかっていた。矢傷が一日かそこらで治るわけなどないと、しかし彼ならば本当に治っているのかもしれないと、セピアは不思議な心持ちになった。

 ポカンとしていたセピアは小さく笑みをこぼし、「……バカ者め」と呟く。

「ウルセー、ははっ。怪我なくて良かったな」

 極め付きにそうしてニカッと晴れやかに笑うので、セピアはぐっと言葉に詰まる。その笑顔が最愛の人、ビスタの面影と重なったような気がしたためだ。

 思わず顔をふいと背け、部下の兵士らへ指示を出すことで紛らわす。

「お、お前たち! 奴らは一人ずつの牢へ入れておけよ!」

「はっ! セピア様!」

 未だ意識の戻らぬコービィは思った以上に鎖のようなものでがんじがらめにされ、台車に乗せられゆっくりと連れていかれた。それを眺めつつ蘇芳の真横に立つ。

「お前、なかなか強いんだな」

「アイツが手負いだったからラッキーだっただけだ。だいぶ体鈍ってっから、俺。全然打撃決まんなかったし」

「さっきのは何かの体術か?」

「いやー、別に『術』なんつーもんじゃねぇけど」

 (ただの叩き上げの喧嘩ファイトだとは言いにくいな)と蘇芳は苦笑を漏らす。

 蘇芳の視線の先に、蘇芳の見張りをしていた兵士二人が駆けてきたのが見えた。

「セピア様っ、お邸へお戻りを」

「傷の手当てをなさらなければ」

「あぁ、まぁそうだな」

 セピアは右腕や脇腹を少し負傷しているようであった。兵士らに言われ、咄嗟にその箇所を掌で覆う。

「ところでお前たち、蘇芳の見張りはもういい。今から持ち場に戻ってくれ」

 蘇芳は「えっ」とセピアを窺ったが、兵士らがあっさり「かしこまりました」と解散してしまったので、瞬きを多めに口をパクパクとさせていた。

「あの、セピア? なんで急に?」

「いや、だって。仮にコービィアイツが自国の大将だったとして、それを自らボッコボコにする奴をこれ以上どうして疑える?」

「ハハ、言えてる」

 蘇芳は目を伏せ緩く頬を緩めた。

 セピアは改めて背筋をしゃんとし、蘇芳と向き合う。

「疑って悪かったな、本当に。改めて詫びさせてくれ」

「疑いが晴れりゃなんでもいいよ。あっ、じゃあ、尋問も無し?」

「フッ、当たり前だろ」

 セピアはそうして凛と微笑んだ。その笑顔はきちんと党首の顔も含んでいた。

「肩、貸すけど? 腕とか怪我してんじゃん」

「いや、大丈夫」

 セピアが邸へと反転したので、蘇芳のも後に続く。

「蘇芳、私の手当てが済んだら共に来てほしいところがあるんだ。夕飯の前には済むだろう」

 歩きながら「いいかな」とセピアが振り返る。蘇芳は肩眉を上げ「いいけど」と頷いた。

「これは、詫びと礼のしるしだからな。少し部屋で待っててくれ」



   ◆   ◆   ◆



 少しでも、二人の役に立ちたい。

 少しでも、意味のある存在でいたい。


 俺は、二人の目的の邪魔を、誰にもさせたくないんだ。


 夜さまも、くぅも、自分じゃない『誰か』のために必死だ。

 そんな二人と俺がどう関係してるのかなんて、もうこの際どうだっていい。

 必要だから俺を連れてきたというなら、二人の要望に応えたい。

 真摯に、誠実に──なんて、俺とは無縁だと思ってたのにな。


 なぁ、大丈夫かな、先生?

 俺のやろうとしてること、間違ってねぇかな?

 護ろうとして失さないよう、遂げる覚悟を教えてくれよ。


 枩太郎しょうたろう先生──。



   ◆   ◆   ◆



 促されるまま部屋へと戻り、見張りが取れたことを夜さまに告げた蘇芳は、今更になって拳がジンジンと熱くなり始めたことに気が付いた。

 窓の外は夕空で眩しくオレンジ色に染まっていた。

「つーことで。セピアが呼びに来たら俺行ってくっけど、夜さまも行く?」

 両手の表をさすり合いながら夜さまへ問う。夜さまはくぅの隣で丸くなりながら静かに言った。

「いや、儂も実はちと眠気が、の」

「『記憶回帰』のアレか。いいよ、寝とけ寝とけ」

「すまん」

「気にすんな。俺も一日ちょっと転がってた分、動きてぇしな。隙みて『ドア』も探してくる」

 夜さまはフッ、と口の端を持ち上げ細く長いヒゲを揺らすと、頭を寝台に沈め瞼を閉じた。

「飯までには帰ってくるな」

「あぁ……」

「あーほら、風邪引くぞ」

 くぅに掛けてあるタオルケット様の掛け布を、夜さまにも掛かるよう引き伸ばす。

 二人の穏やかな寝顔に、蘇芳は肩を竦めた。

 記憶回帰か、と眉を寄せる。早く戻ったらいいと思う反面、戻ったことで混乱やショックを受けやしないかと、蘇芳は二人を案じていた。

 自らの『捜し者大切な人』のために自らを削る結果になる『狭間』を設けた夜さまの心情は、どれほど複雑であったのだろう──。そればかりが蘇芳の頭の中にこびりついている。

「──蘇芳、いいか」

 相変わらずの、ガラス製の小鳥がさえずったような澄みわたるセピアの声色にハッと我に返った。くるりと身を反転させ、声のする鬱金染めの麻布の向こうへと向かう。

「おう、もういいの?」

「あぁ。大した怪我ではなかったからな」

 向かい合ったセピアを改めて眺めると、確かに女性だなと思える身長差が認められた。約一七五センチの蘇芳と比べると、セピアは蘇芳の顎少し上くらいの身長である。それは撫子よりも少し高いくらいであり、蘇芳はつい何秒かの間ボヤボヤと撫子へ思考を馳せてしまった。

 セピアの右肩口から包帯のような白い布が延びている。蘇芳はそれを目にし、心配からきゅ、と眉を寄せた。

「ムリすんなよ? 身体ちゃんと大事にしろな」

「そんなにやわには出来てない。心配無用」

 そうして目尻を細めるセピアはやはり凛としていた。

 「さぁ、着いて来い」と、セピアは蘇芳の前を歩いた。

 部屋からすぐの大きな階段を下り、進んだ先の扉を開け、再び階段をいくつか下りる。蘇芳は次第に進み行く先が地下であることを理解した。そちらへ進むにつれ、わいわいと人の声が聴こえる。

 壁に立ち並ぶロウソクには既に燈が点っていた。地下のため自然光が入らない点からしても当然のことではある。

「もしかして、住人ってみんな地下に住んでんのか?」

「あぁ。外は大気破壊の影響でどんどん暑くなるから、ここ数十年で地下へ住居を移したんだ。外にあるのは、井戸と少しの農園とラクダの厩舎きゅうしゃくらいだな」

 へぇ、と蘇芳が周囲をキョロキョロとする。その様を横顔で振り返りながらセピアはフフッと微笑んだ。

「お前たちを隔離していた部屋は、昔の住居跡なんだぞ」

 そして意地悪く笑うので、蘇芳は「マジかよ」と顔を歪めた。

「連れてきたかったのは、ここだ」

 セピアが立ち止まったのは、なんとも仰々しい観音開きの扉の前であった。扉には蔦や草花を模した豪勢な彫り物の装飾が施され、その高さは三メートルはくだらない。

 どこからともなく鍵を取り出したセピアは、扉の小さな鍵穴へそれを差し込み回す。まるで仔猫が鳴いたかのようなものすごく小さな「チャキン」の音に、扉の大きさとの不釣り合いさを感じる。

 セピアが鍵をしまい、上半身を使って扉を押し開けると、そこには黄金に輝く荘厳そうごんな空間があった。

 蘇芳は声を漏らすことも出来ぬままその場で口や目をあんぐりと開け、呼吸を忘れていた。

「さ、入れ」

「ここ、は?」

「ラグエルの大聖堂だ」

 セピアは立ち竦んだまま動こうとしない蘇芳に焦れ、蘇芳の左腕をガツと掴むと聖堂へと引き入れた。手を離し、ゆっくりと再び上半身を使って扉を閉める。ゴゴゴゴ、ズンッ、と閉める音は聖堂の中で響いていた。

 床は石造りであったものの、二五メートルの長さはありそうな壁、六メートル近く上方へ伸びている天井、壁の装飾品まですべてが金色に輝いている。蘇芳は、まるで金閣鹿苑寺ろくおんじのようだと思った。

「ここは、ラグエルの皆が祈りを捧げる場だ。朝と夕刻の二度、管理者が開けている」

「礼拝堂的な?」

 セピアは「そうだな」と相槌を返した。

「あっちの方に、死者を丁重にまつった場がある。昔はきちんと空の下に墓を建てていたんだが、外は灼熱だろ? それじゃ墓参りに行けないし先祖も気の毒だろうからと、ここに移したんだ」

 「寺みてぇだな」と言いかけたが、慌てて口をつぐむ。宗教的建造物を宗教的建造物で例えるのは良くない、と自制心が働いた。

 セピアは静かな足取りで死者を奉る場へと歩みを進めはじめた。セピアが動く度に耳飾りの円盤がシャーン、シャーンと響き鳴る。蘇芳も静かにその後を追う。

「私は、ここに懺悔しに来たんだ」

 セピアは振り返らず真っ直ぐに前を見、まるで独り言のように話し始めた。

「懺悔?」

「お前が昨日の飯時に言っていた言葉。チャオツのかしらを捕縛したときに、あれが身に沁みてわかったから……」

 蘇芳は何のことかを思い出すまでにやや時間を要した。セピアの背中に焦点を合わせると、初日の夕食時のことが脳内で再生されたのである。


 「恨んでる奴をたとえば殺したとして、けど死んだ人間は絶対に還ってこねぇよ。『そんなことしても喜ばねぇ』だとか、『仇討ちしなきゃ浮かばれねぇ』とか。そんなのは生きてる人間が『殺しを正当化』するための言葉で、殺っていい理由なんかじゃねんだよ。絶対に」──。


 アレか、と蘇芳は眼球をくるりと一周させ小さく納得した。

 不意にセピアは足を止め、蘇芳を振り返る。

「さっき、蘇芳に助けてもらうまで、私は復讐に煮えていたんだ。この戦争がどうとか、平和のためとか、そうじゃない。もっと個人的な怨みの心でチャオツの頭コービィに剣を向けた」

「うん……」

「存分に苦しみはずかしめを受けさせた挙げ句、その屈辱の内に死を懇願させたい。そんな風に怨み言い放ち、心を喰われた。蘇芳の言ったとおり、そんなの党首失格だ」

 セピアはそうして瞼を伏せた。自らの言動に反省し恥じていることが、蘇芳にしっかりと伝わった。

「けど、セピアは言ったり思ったりしただけだろ。その場ですぐにアイツを殺らなかった。それは、党首の顔もちゃんと持ってたからじゃねぇ?」

「持っていただけで、保てはしなかった。だから隙を突かれ、殺されてもおかしくない状況を招いた。チャオツの頭コービィが麻縄を引きちぎった時点で、私は復讐に心を喰われた罰を受けるべきだった。怪我のお前に、無理をさせてしまったしな」

 セピアはくるりと再び背を向け歩きだす。

「けど、蘇芳がそこへ割り込み助けてくれなければ、私がどれだけ復讐に心を喰われているのか、気付くことはなかった。どれだけ無に帰すかもしれないことを行おうとしていたか……また、取り返しのつかないことをするところだった」

 セピアはそうして小さな扉の前で立ち止まった。

「お前に会わせたい人がいる」

「え?」

 セピアはふっ、と優しく口角を上げると、ぐっと扉のノブを引き開けた。



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