セピア 7

「儂は、『時代の門ドア完成機』の開発総指揮官なのじゃ」

 そう静かに告げた夜さまは、じっと蘇芳の反応を待っていた。

 返す言葉に詰まった蘇芳は、ただ眉間を狭めてゆく。かけられた言葉の意味を何度も何度も反芻はんすうしては消化に努めたが、どうにも飲み込むことがままならない。

「か、完成機ィ?」

 ひとまずその単語に、蘇芳は首を傾げる。

 夜さまはしばらく蘇芳の眼の奥を見詰めた後、次第にその揃えられた両前足に視線を落としてゆく。

儂の捜し者アヤツは、『ドア』の『試作機』に呑まれた。試作機あれは儂の父が造った最後の開発品で、完成までを儂が引き継いだのじゃ」

 夜さまは言葉を丁寧に引き抜いては並べているような、実に慎重な語り口で説明を始めた。

 蘇芳は黙ってその言葉を待ち続ける。

「儂の父は、時代転移装置の研究と開発を行っとった。いにしえより代々密やかに魔法を受け継ぐ我が一族のみが、政府から極秘に依頼された案件でな。もうあとは、儂が最後に魔法を施し、完成になる予定じゃった」

 静かに目を閉じる夜さまの小さな頭に、蘇芳は静かに問いかける。

「試作機に呑まれたソイツを助けるために、夜さまはドアを完成まで導いた……?」

「そう、じゃな」

 やや間を開け、蘇芳は再び問いかける。

「けどさ、夜さまと俺が居ねぇと『ドア』は次に繋がんねぇって話だったろ? どうしてソイツが一人で『ドア』潜れたんだよ?」

「試作機には『狭間』が無いのじゃ。あれは、儂の魔法で施した人工的な空間ゆえ。じゃて、完成機が出来るまでの期間、開ければすぐに次の世界へ直通するシステムのはずで……そうしてアヤツは、幾つかの時代を越えとると思われる」

「待って待って、つまり──」

 蘇芳は既に情報の脳処理が追い付かなくなっていたが、必死に理解しようと喰らいつき、奥歯を噛み締めていた。

「──親父さんが作った試作機に呑み込まれた『捜し者大事な人』を、夜さまは『ドア』を完成させた上で捜してて、で、連れて帰るのが目的、 ってことか?」

 「合ってる?」と、夜さまを窺う。夜さまはようやく頭を上げ、蘇芳と目を合わせた。

「そうしたいと思っとる。して、今朝方ようやくそこまでを思い出したんじゃよ」

「は? なに?」

 無意識に眼輪筋がヒクついた。嫌な予感がする予兆だと、蘇芳は身構える。

「儂はな、完成機を開けし最初の『狭間』で『名前』『人間の姿』『一部の記憶』『数種の感情』を代償にし、アヤツを捜す旅に出たのじゃ」

 夜さまはひとつ溜め息を吐くように目を細めていた。こんなに哀しげな夜さまを、蘇芳は見たことがない。

「なん、だよそれ?!」

 夜さまから出た言葉に恐怖を感じた。思わず声が大きくなる。反して夜さまの声はどんどん小さく小さくなってゆく。

「『ドア』は、というよりも『狭間魔法』は、ちと特殊でな。通行料のように『ドア』を潜るための『代償』が必要なんじゃ。くぅも代償を支払い、途中より儂についてきた身」

「くぅも?」

 チラリと、寝台で横たわるくぅへ視線を移す。とても静かな寝息をたて、もっちりとした白く丸い頬が上下している。

 それを見て蘇芳はハッとした。

「待てよっ、じゃあ俺も、もしかして何かの記憶ねぇの?」

「いやヌシは──」

 夜さまの言いかけた言葉を聴きたくないとばかりにわざと遮り、早口になる。

「『ドア』から出る前にはわかってたことが今わかんねぇとか、なんかそんな──」「落ち着け、すぅ!」

 夜さまは、蘇芳の心へ直接刻み込むようにそう強く言って口をつぐませる。

「安心せい、ヌシは何も失わん。ヌシはこの旅で何かを代償にする必要は無い」

 よくわからない、と夜さまをぐっと見詰め返す。恐怖で震える顎を、食いしばることで堪え続ける。

 夜さまは瞬きの後で静かに続けた。

「ヌシは儂の『手伝い』を果たすことが目的。手伝いをすることが『代償』になっとる。既に、充分にの。撫子のこともヌシの時代のことも、現に忘れとらんじゃろ?」

「まぁ……」

 確かにと頷く反面で、しかしよくわかりきらないがために思考が滞る。

「あ。だからちょこちょこ『記憶は大丈夫か』って訊いてきてたのか?」

 コク、と静に夜さまは頷く。

「撫子の時代にて、儂は少しの記憶を取り戻した。そして先刻、井戸にて魔力を取り戻した際に感情の幾つかも取り戻せたのじゃ。実に様々な事柄を思い出すことができた」

 馳せるように遠くを見詰める夜さまは、やはり寂しげである。

「なぁ? 代償として支払ったのに、戻ってくるんだな?」

「『ドア』での渡航は、その真の目的をひとつ果たす毎に、きちんと少しずつ戻るようになっておる。これは、くぅにはまだ伝えとらん。儂が代償にした記憶情報のひとつであったためじゃ」

 溜め息のように「うーん」と唸ると、蘇芳は考えを整理するため苦い顔で押し黙った。

「ひとまず。俺は記憶とか名前とか、特別『失う物』は無くて、夜さまとくぅは『捜し者』のために『自分を削って』時代を越えてる……ってことな?」

 目を上げ「合ってる?」と確認する。夜さまはどこか満足そうに、優しく口角を上げていた。

「然様」

「くぅは、何を失くしたんだ」

「くぅの代償は、『捜し物に関する大切な記憶』と『真の姿』と『名』じゃ」

 名前、と蘇芳は声に出さずなぞる。

「名とはすなわち自らを表わす最初のもの。この旅で一番最後に思い出すは、やはり自らの本当の名であろう。そうして──」「代償が全部戻った時が……」

 被せた蘇芳へコクリと頷く。

「『捜し者』が見つかった時じゃな」

 互いの話す声が細く静かであることに、しばらくの間気が付かなかった。

「『くぅ』っていうのは、やっぱホントの名前じゃねぇんだな」

「気付いとったか」

「薄々だけどな」

 ふっ、と蘇芳は鼻で笑った。

「『夜さま』も、だな?」

「あぁ、然様」

「そんでやっぱり、夜さまはホントは猫じゃねぇし、くぅはガキじゃねぇってわけか」

 フゥと溜め息のように言う蘇芳へ、夜さまは目を伏せ小さくなった。

「すまん。騙すようなことを」

「しゃーねぇんだろ? 大事な人を連れ戻すためなんだ。別にそこに腹立ったりはしてねぇよ」

 蘇芳はそっと、再び夜さまの鶏卵のように繊細そうな頭へ左掌を置いた。ビロード様の毛艶は撫でる度に掌へ吸い付くように柔らかい。

「ありがとな、ちゃんと教えてくれて。俺あんま頭良くねぇから、まだ全部理解できてねぇかもしんないけど。でも、どんな状況でも二人の力になりてぇって、撫子と別れる前にちゃんと決めてたから」

 やがて左掌を夜さまの顎へと持ってゆく。喉がゴロゴロと鳴っている様は猫そのものである。

「まだ全然頼りなくて、喧嘩と『ドア』開けることくらいしか出来ないかもしんねぇけどさ。俺は夜さまとくぅの『代償』と『捜し者』を全部見つけるまで、ちゃんと付き合うから」

「ありがとうな、すぅ」

 その時。

 ゴトリ、と、蘇芳の胸の奥の方で音が鳴った。

「ん?」

 夜さまから手を退け胸周りをまさぐる。

(なんだ、今の?)

 触れた感覚は何ということもない、実に普段どおりである。

「どうした」

「あー、いや。なんでもなさそう、だな」

 口元のみ笑顔を保ち、無理矢理に平静を装う。

(こんなこと、撫子の城でもあったな。何なんだ?)

 瞬きを多めに、蘇芳は音の正体に首を傾げるばかりであった。

「そうじゃ、くぅの事じゃが──」

 え、と胸に向けた視線を戻すと、夜さまはくぅへ顔を向けていた。

「この眠気は『代償にした記憶の回帰』によるものじゃ」

「カイキ、って?」

「元に戻ることじゃ」

「つーことは、くぅは今記憶が戻りつつある、的な?」

「然様」

「じゃあ、急に元の姿に戻ったりする?」

「いや、すまん。前例がないゆえわからぬ」

「夜さまも手探りなわけな」

 そうして顎に手をやると、遠くで悲鳴に似た喚呼かんこがひとつ耳に入った。蘇芳はそちらの方へ顔を向ける。

「何だ?」

 夜さまは耳をヒクヒクっとさせるとキュッと目頭に力を込める。

「近い。セピアが戻ってきたようじゃが、なにやら雲行きが怪しい」

 夜さまのその早口を聴き、蘇芳は寝台からひょいと飛び降りた。

「すぅ! 何処へゆく?!」

「見てくる!」

 鬱金色の麻布を一瞬にして潜り、蘇芳は部屋から飛び出した。

「おい貴様っ、何処へ──」「テメーらの大将がヤバいかもしんねぇぞ!」

「おいっ、戻れ!」

「バカ! むしろテメーらが来いっ」

 麻布の向こうで交わされる言葉が次第に遠くなるのを、夜さまは静かに聴いていた。

 そしてぽかりと開いた口を、しばらくの間の後に静かに閉じた。



       ◆



 チャオツ大将であるコービィは、かつて腕のたつ拳闘戦士であった。筋骨隆々で高身長、顔にある古い剣傷が特徴的で、拳の実力で主導者に成り上がった。しかし、水を求めるがゆえの対立が続くうちに、『戦士』は盗賊紛いのことを行わざるを得なくなり、品位を棄て堕ちていった。

 ラグエルの弓引きに左足を射抜かれ、セピアの銀色の剣の前にひざまずくこととなったコービィは、セピアらが持ってきていた麻縄で手首をきつく縛られ、更に二の腕と胴体を纏め縛ることで不自由を科せられていた。同じように連行されることとなったチャオツの主力兵らも、手や腕を同様に縛られている。頭を項垂れ、酷く疲弊しているが、しかしその瞳の奥は皆コービィと同様に、揺らめく炎のような闘志を棲まわせているようにセピアには映った。

「俺たちを拘束したからって傲るなよ、女」

 移動の最中、常時セピアはコービィへ剣先を向け続けていた。下手なことをすると直ぐにその太い喉元へと突き立てられる位置である。

「黙れ。いくら挑発しても無駄だ」

 コービィは射抜かれた足を引き摺りながら、セピアの邸付近にある地下牢へと連れられ行くところであった。地下牢を前に、コービィが自棄やけを起こし始めたのかと、セピアは警戒心を強める。

「そんなに亭主を殺られたのが惜しかったか」

「黙れと言ったはずだ、次は無いぞ」

「ハッ、野暮ったい武器しか持たねぇクズどもに、俺たちチャオツは殺られねぇよ!」

 ニタリ、と薄ら笑いを浮かべた瞬間、コービィはその腕力で麻縄をブヂブヂブヂィ、と捻じ切ってしまった。二の腕も、手首のものも、まさかと思うほどあっさりと解き切られてしまったのである。

「チィッ! まだそんな体力が……!」

 セピアはやや距離を開け剣を構え直すと、丸腰のコービィへと斬りかかった。誰かが「セピア様っ!」と叫ぶ声がやけに響いた。

 ラグエル兵は加勢に廻ろうとするも、コービィにならい麻縄を解こうと抵抗を始めた他のチャオツ兵らにあっさりと阻まれる。

「ラアぁっ!」

「はっ、甘い!」

 大振りのそのセピアの太刀筋は酷くめちゃくちゃであった。焦燥感や恐怖心がそこに滲み、振り下ろす度にセピアにたくさんの隙が生まれてゆく。

 武器を何ひとつ持っていないコービィに『素手ですら』簡単にあしらわれるその剣先はまるで掠りもしない。そのことが更にセピアへ追い討ちをかける。

「どうした! イッコも当たんねぇぞ、クソ女!」

「ぐゥッ! 黙れェー!」

 知らず知らずにそうして焦らされている。

 殺られるのはこちらかもしれない──と、簡単に脳裏に過る。滲み吹く汗に寒気がする。

「バカがっ、隙しかねぇ!」

「ああっ!」

 小手先に出来た一瞬の隙に一打を受けてしまうセピア。剣は簡単に手元から飛ばされ、セピアもそこへ尻もちをついてしまう。甲冑がやけにうるさくガチャンッと音をたてた。

「ぐぅっ、チッ!」

「セピア様っ!」

 遠くの方で赤い砂地にザシュッと剣の突き刺さる音が聴こえた。セピア自身も砂地に沈むのがわかる。

「もらったぞ、ラグエル党首二人目の首ィ!」


 マズイ。

 覆い被されたら終わりだ──


「セピア様あっ!」

「おのれセピア様から離れろ!」

 臣下の男達の声がセピアの耳に遠く聴こえる。

(あぁ愛しい人、ビスタ。こんな中途半端なところで、私はそちらへ行くかもしれない)

 そうしてコービィの拳が瞬きの速度でセピアの顔面へ振り下ろされる。そこそこの大きさの岩石のような拳だ、鼻が潰れる程度で収まるはずもないであろう、と、妙に冷静で俯瞰的な自分に嘲笑すらあった。

 セピアは、ぎゅうと目を瞑った。



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