セピア 6

   ◆   ◆   ◆



 ある夢の一部、もしくは記憶の断片──。

 これがいつのことで、またどこの場所であるのかは相変わらず見当もつかない。

 ただ、今回は自分の記憶であるということを思い出せたから良かった。


 それは、とある真っ白な雪景色。


 高い常緑針葉樹が立ち並ぶ林の中に、ポカンとまるで秘密基地のように空いた空間があった。すべての木々の枝葉にはどっしりとした雪が乗り、地面の土色は一切見えない。

 その空間の中心部に、一人佇む人間が見える。目を丸くし、口をぽっかりと開け、ただまっすぐに一点を見詰めている。

 あれは、自分だ。

 かつての自分だ。

「■■■? あれ?」

 ぽつり呟いたのは人の名。男性を呼んだのか、女性を呼んだのか、また何と言ったのかすらもわからない。そうして、きょろきょろとその場に留まったまま四方八方を捜している。

「■■■っ、居るんでしょ? こんなとこにいたら風邪ひくよ?」

 シン、とするその場はいやに静かであった。声はただ、白く冷たい雪の中へ、まるで吸い込まれるように消えてゆく。

 足跡を辿って来たのだ。

 ただ、『あの人』の足跡を。

 追い付きたくて、しかしいつもなかなか追いつけない。もどかしく愛おしい、あの足跡を。

「■■■っ!」

 愛おしいはずの名を叫び呼ぶ。不安を映すように眉尻はどんどん下がる。

 そんな表情が一瞬だけ見えたのを合図に、かつての自分を俯瞰視していた位置はサァッと後方へ遠ざかっていった。常緑針葉樹の合間を縫い後ろへ、後ろへとこの意識は再び引っ張られてゆく。

 不安気に叫び呼ぶかつての自分の姿は、そうして瞬く間に見えなくなる。


 あぁ、どうしてああなってしまったのだろう。

 早く、もっともっと思い出したい──。


 記憶は夢の中で紡がれ、やがて滲むように思い出されてゆく。



   ◆   ◆   ◆



 くぅの寝顔を眺めているうちに、気が付くと蘇芳も寝台の縁に上半身を投げ出し眠ってしまっていた。傷の痛みとはまた違う、軋むような痛みに目が覚める。

「うっ! ンだコレ、イツツツ……」

 バキバキと背中が鳴る。反らすと背筋が伸び、まるで凝りがほぐれたようにジンワリと血の巡る温度を感じた。どうやら不自然な体勢で眠ったがために身体が固まったようだ。

「すぅ、起きたか」

 背後にある蘇芳の寝台からそう静かに声がかかる。

 「夜さま」と振り返ると、そのアメジストのような瞳の色がぐっと濃くなったような印象を受けた。蘇芳は首を傾げ片眉を上げる。

「なんか、夜さまも、印象変わった?」

「そうかの」

 何の事やらとでも言うかのように、夜さまはツンと鼻先を天井へ向けた。

「そんなことより朗報じゃ。ヌシの矢傷を治せる充分な魔力が戻った」

「マジ? どうやって?」

「その話がしたいのじゃ。ちと、良いか」

「あぁ、うん。もちろん」

「して、今その矢傷も治そうぞ。ここへ横になれるか」

「あぁ。けど、マジでいいのか?」

「もう大丈夫じゃ、ほれ。横になれ」

 蘇芳は言われるままに自らの寝台へと寝転がる。移動した際、脇腹の傷がジクリと鈍く深く痛んだが、もうこれっきりになるのだからと言い聞かせ必死に堪えた。

「ところでくぅはどうしたのじゃ。今朝は普通に、共に食事しとったじゃろ」

 言いながら、寝転がる蘇芳の足先の方から腹部付近へと軽い跳躍で移動する。そんな夜さまを見て(マジで本調子っぽいな)と胸を撫で下ろしていた。

 蘇芳は「ああ……」とぼんやり口を開く。

「なんか、急にねみーっつってぐったりしてさ。そんで寝てんだよ」

「眠い、か」

「一応医者にも診てもらったんだけど、マジで寝てるだけだって言われた」

 押し黙り俯く夜さまは、何か考えを巡らせているように蘇芳には映った。その俯く顔へ強引に目を合わせに少しだけ這う。

「何か、手掛かりンなる?」

「まぁ心当たりはある。が。ヌシの治癒が先決じゃ。ほれ、しゃんと直れ」

 蘇芳は生返事を溢しつつ寝台の上で真っ直ぐになる。

「今回は内側より少しずつ治すに留めるでな」

 そうして顔を上げ、右脇腹付近にそっと腰を下ろした夜さまは、細く小さな右前足をゆっくりと振りかざした。

「『蘇芳へ、内からの治癒を施す』──」

 蘇芳は思わず息を止めた。

 夜さまの振りかざした右前足から、透明な薄紫色の球体が、まるでシャボン玉を膨らますかのように膨らみ出でる。それがポワンと右前足を離れ、ゆっくりとゆっくりとまず肩傷へ吸い込まれていく。

 やがてもうひとつ球体が膨らみ出で、同じようにポワンと右前足を離れると、今度は左脇腹へと吸い込まれていった。特別、温度も重さも感じない。

 球体がすっかりその身に吸い込まれ消えると、夜さまはかざしていた前足を静かに下ろした。

 こうして、治癒の魔法は静かに終わった。

「──これで鎮痛剤に頼らずとも、痛みは無くなるじゃろ」

「サンキュ」

 そっと衣服を捲り見た腹部の傷口は、まだはっきりと残っていた。魔法がかかる前との違いなど全くわからない。傷口は傷口のままなのである。

「うん、これなら不自然じゃねぇからとりあえずは誤魔化せるな。あとでちゃんと治してもらえるんだよな? あ、つーか魔法頼っていい感じ?」

「うむ。気にするでない、ヌシとくぅへは惜しまんぞ」

 そうして頷く夜さまの頬がきゅうっと上がり、アメジストの瞳が細く三日月型に変わる。(笑ってる……)と、物珍しそうに蘇芳はじっと夜さまを眺めた。

「では、本題じゃが──」

 スッとその笑みがたちまちに消えると、外の兵士らに聴かれぬよう潜めていた声をもう少し小さく絞った。蘇芳は上半身をそっと起こし足をあぐらに組むと、ぐっと夜さまと顔を突き合わせる。

「先程外へ出た折に、やしきの裏手に井戸を見つけた。セピアから井戸にまつわる事柄について、何か聞いとらんか」

「あー、ちょっと聞いた。えっと……」

 蘇芳は前髪をくしゃりと握りながらセピアの言っていた文言を思い出す。

「一〇〇年くらい前に、旅人のガキが井戸掘ったっつー話。その旅人のガキから、この辺りに水脈があるって言われて、四日かけてそこを掘ったら水が出たんだと」

「フム、なるほどの」

 夜さまはスンと鼻を鳴らした。

 そして突然、まるで吹き出したかのようにフフっと笑いを溢し始めたのである。

「あぁっ! あの『井戸を掘る技術についての本』! ここで役立っていたとは、フっフフフ……」

 夜さまがそうして小さな肩を震わせ続けるので、蘇芳はただぎょっとしたまま、何も言えずに硬直していた。

 笑う夜さまは『可笑しくて』笑っているのではなく『嬉しくて』笑っているように蘇芳には思えた。

 ひとしきりそうして笑い、やがて顔を上げた夜さまは再び蘇芳と目を合わせる。薄ら笑いはやはり既に消えていた。

「実はな。あの井戸を作ったのは恐らく儂の『サガシモノ』──いや、捜しておる人物じゃ」

「夜さまの、『サガシモノ』?!」

 (夜さまも『人を』捜していたのか)と、蘇芳は生唾を呑んだ。

 夜さまは伏し目がちに続ける。

「かつてアヤツは『ドア』に呑まれた。事故も同然じゃった。ゆえに儂はこうして『ドア』を開け続け、アヤツを捜しておる」

 そうか、と肩を落とす蘇芳は遠慮がちに問う。

 訊きたいことが渋滞を起こしていたが、まずは自分が呑み込みやすそうなものから明確にしていこうと蘇芳は考えた。

「どうしてわかったんだ? ソイツがあの井戸掘ったって」

「井戸に『儂の魔力が』多量に残っとった。何らかの手違いで、儂の魔力を半分ほど携え『ドア』を潜ったアヤツは、今より一〇〇年前のこの地へ出たのであろう」

「『事故』のときに、魔力が分離してたっつーこと?」

「あぁ、そのようじゃ。儂も先まで気付かなんだ」

 ほんのりと更に瞼を下ろす夜さまは、その人へ思い馳せているようであった。

「アヤツがあの井戸を作ったとき、とある願いを込めたらしいこともわかった。その願いを儂の魔力と共に井戸に置き留めることで、この地に自らの足跡をわざわざ残した。アヤツには魔法は使えんからの。じゃから儂らはこの地へ惹かれ、ピンポイントで出られたのやもしれん」

「その、『願い』って?」

「『この地の人々が水に困りませんように』──じゃと。なんともまぁ、アヤツらしい願いじゃて」

 フ、と夜さまは寂しげに微笑んだ。

 気配のみに遇えて、肝心の本人には遇えなかった。その事実はいくら夜さまと言えど、その心に何かしらの影響があったように蘇芳には思えてならなかった。

「とにかく、お陰で儂の魔力はほぼ回復したわけじゃ。もうヌシらに心配をかけることもない。すまなんだな」

 努めて明るく振る舞おうとする夜さまは、尻尾をシュルリとうねらせる。

「いいよ、心配なんてし合うもんだろ。今更水くせぇこと言うな」

 蘇芳はボリボリ、と後頭部を掻きながら、何でもないように言葉を並べる。

「それにそもそも、魔法とか魔力とか? 力いっぱい説明されても、そういう『俺にとって現実味の薄いこと』は今すぐはよくわかんねぇや」

 そうして肩を竦める蘇芳は、決して夜さまの言っていることを小馬鹿にしているわけでも、自らの理解力を嘲笑しているわけでもなかった。

「俺が今できんのは、夜さまが『そうなんだぞ』って言うことをただ素直に『そうなんだな』って聞いて、三人で一緒に前に進んだり、必要な手伝いをすることだからよ」

「すぅ……」

「ダイジョブ、大筋はなんとなくわかったし。わかんねぇことはいつでも教えてくれんだろ?」

 蘇芳は優しく口角を上げ、夜さまと今一度眼を合わせる。

「夜さまは、俺が到底理解できねぇようなスゲー特殊能力持ってて、そんで当時ガキだった大事な人をずっと捜してる。そんだけわかりゃ、今の俺が夜さまと並んで進むには充分な情報量だ」

 夜さまは、そうして柔らかく寄り添ってくる蘇芳の目尻に心をぎゅ、と掴まれた。

「絶対ソイツ見つけるぞ。夜さまは、俺と撫子を繋いでくれた。まぁ、恩返しみたいな感じだ」

「恩返し、か」

 どっちがだか、と出かかって飲み込む。夜さまはそうして小さく「ありがとう」と呟いた。

「まぁ、夜さまの『捜し者』のことは大体わかったけど、まだ全然話は終わってなくてだな」

 ポン、と蘇芳がアグラに組んだ右膝をひとつ叩く。まるで講談師こうだんしが扇で釈台しゃくだいをターンッと打った時のように、話に区切りが付く。

「さっき後回しにしたことがあんだよ。このまま訊いていい? ダメだったらハッキリ断ってくれていいから」

 「わかった」と眼をまっすぐ蘇芳へ向けた。蘇芳はきゅ、と眉を寄せる。

「夜さまは、『ドア』のスゲー重要なことを知ってるんだな? ただ『ドア』を使ってるだけじゃなくて、もっとシステム的な何かに関わってんだ」

 「だろ?」と夜さまから眼を離さない。夜さまは押し黙っていた。

「事故で人を呑み込んだのを見てたってことは、『最初のドア』の近くで夜さまは何かをやってたんだ。違う?」

 夜さまはチラリとアメジストのような瞳を横へずらす。

「それは、図星って思ってもいいってことか?」

 これで答えてもらえなかったら改めよう、と蘇芳は考えながら、しかし耳が夜さまの言葉をひたすらに待っている。

「あぁ。そうだ」

 やがて目を閉じ、まるで観念したように、夜さまは深呼吸を二回してから蘇芳の左膝へと飛び乗った。

「いいじゃろ。いずれヌシにも教えねばなるまい事柄であった」

 下から、ハテナを浮かべる蘇芳をグッと見上げる。

「儂の正体を明かそう」

「しょっ、正体?」

 ゴクリと生唾を呑む。仰々しい言い方に背筋が寒くなる。

 夜さまは冷淡なまなざしで蘇芳を見詰めて言った。

「儂は、『時代の門ドア完成機』の開発総指揮官なのじゃ」

「えっ?!」

 蘇芳は息を呑み、更に眉を寄せ目を見開いた。

 ワナワナと震えたあと、頭の先から全身へと鳥肌が波打った。蘇芳が予想していた答えよりも更に上をゆく答えであったためだ。

 遠くに群集の声が聴こえたが、互いに動けぬままそうして見詰め合いが続いた。



       ◆



 ラグエルで一、二を争う弓の名手に、大将の乗るラクダの足を狙わせて正解だった。ラクダの防具が壊れた箇所を、彼はたった一矢で仕留めてくれた。

 そうして半ば逃げるように抗争の地より背を向けた奴らを逃すまいと、セピアはやや編成を変えた。

「セピア様っ、そちらへ!」

「わかってる、お前もぬかるな!」

「はっ!」

 セピアは数人の幹部を率い、少数精鋭で大将を追っていた。

 ひとまずの大まかな目的はこうである。

 大将を生きたままラグエルへ連れて行く。そして、『今後の話し合い』という名のとある条約締結へと事を進める。

 これ以上血が流れたり、武器としてラグエルの貴重な資源が利用され続けるのは滅びの道しか最早見えぬ──と、長期間ラグエル内政で話し合われた末の結論であった。

 その後に、大将を殺すことで先代の仇討ちを成しても良いのかもしれない。そこまでは取り決められてはいない。

「おおおおおっ!」

 セピアは奥歯を噛み締め、充血した眼で大将の背中を追った。ラクダを棄て降りた生身の人間の逃走速度など、それに乗るセピアからしてみれば四つ足で這う赤子の速度に等しい。

 ヒュンッ、と虚空を裂いて矢が一本、大将のふくらはぎに突き刺さる。それはセピアの左側から飛んだものだ。弓の名手がまた、ここぞという場面でやってくれた。

「グアァッ!」

 苦しいだろう、痛いだろう。

 しかしその何千倍の苦痛の想いを抱えて、先代の党首は死んだのだ。

 愛しい愛しい、先代の党首──それはセピアの想い男性びと、唯一無二の伴侶ひと

 セピアの口角は、苦しむ大将を前にすると無意識にニタリと上向いた。

「チャオツの御大将おんたいしょう、コービィ! ここまでだっ」

 懸命に這いずり逃げようとしているチャオツの大将へ追い付いたセピアは、跨がっていたラクダの脚を止める。腰に携えた、旧く伝わる銀色の剣を鞘から引き抜き、大将へ自らの足で距離を詰めてゆく。

「共にラグエルへ来てもらう」

 その脚からは鮮血がボタボタと滴る。赤く焼けるような砂地がその血を啜るかのようである。

 ジリジリとその砂上を這う大将の瞳はまだ死んでいない。燃ゆる炎をそこに飼っているかのように、セピアを刺さんと睨み続け誰よりも殺気立っている。

「殺せ! 今すぐこの場で殺せ! 貴様らの地に連れてかれるくらいならこの場で干からびてやる!」

「まだ殺らん、そう簡単に死なせはしないっ」

 ゾワゾワと、原因不明の鳥肌が止まらない。

「存分に苦しみもがき、その屈辱の内に『死なせてください』と貴様が懇願するまで弄んでくれるわ!」

 そう言い放つセピアは、不気味なほどの笑みを浮かべていた。

 あの美しく気高いセピアはそこには居なかった。

 それは復讐を露にした、党首という名目をぶら下げただけの、ただの女の姿であった。



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